砕け散る、願いー
拳が叩き込まれる――その刹那。
ブリジットの目が、ぎらりと光る。
「甘い!」
即座に後退。
同時に、指輪が脈打つ。
「戻れ、闇! 剣!」
影がうねり、刃が唸る。
ミカゲとカタナが、ベルへと牙を剥く。
黒い触手が四方から絡みつき、逃げ場を塞ぐ。
同時に、無数の刃が空間ごと切り裂くように迫る。
常ならば、回避不能。
だが――
ベルは、止まらない。
影が腕に絡みつく。
骨を砕く圧。
「……効かねぇよ」
低い声。
そのまま、力任せに引き剥がす。
ぶち、と。
影が裂ける。
続けて、刃。
カタナの斬撃が叩き込まれる。
だが――
ガギン、と。
ベルの腕に触れた瞬間、刃が砕ける。
弾け、散る。
「な……っ!?」
ブリジットの声が揺れる。
その隙に――
ベルは踏み込んでいた。
右手で、ミカゲの本体を掴む。
左手で、カタナの身体を掴む。
強引に引き寄せ――
両脇に抱え込む。
ぐ、と。
押し潰すのではない。
壊さないように。
それでも逃がさないように。
絶妙な力で、封じ込める。
ミカゲの影が暴れる。
カタナが刃を生やそうとする。
だが、ベルは離さない。
「……悪いな」
低く、呟く。
「ちょっとだけ、我慢しろ」
その声に、応答はない。
それでも――
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ。
抵抗が、鈍る。
ベルは顔を上げる。
血に濡れた口元。
牙が覗く。
狙いは、ただ一人。
ブリジット。
「……っ!」
本能が危険を叫ぶ。
ブリジットが左腕を前に出す。
防御。
次の瞬間――
噛み付いた。
鈍い衝撃音。
牙が食い込むのは、肉ではない。
金属。
だが――
止まらない。
ぐしゃり、と。
装甲が歪み、内部の機構ごと噛み潰される。
火花が散る。
軋む音。
歯が軋むほどの硬質な抵抗。
それすらも――
力でねじ伏せる。
「っ、は――」
ブリジットの喉が、わずかに震える。
そして――
引き千切る。
ぶち、と。
断ち切れたのは金属ではない。
肩口。
生身と義肢を繋ぐ“接続部”。
そこが、無理やり引き裂かれる。
鈍い音と共に、義肢の左腕がもぎ取られる。
血は、出ない。
だが――
露出した接続部から、
火花と焼けた臭いが立ち上る。
配線のようなものが引きちぎれ、
内部の構造がむき出しになる。
ぶらり、と。
千切れた義肢が、ベルの口元から落ちる。
甲板に叩きつけられ、重い音を立てた。
「――――ぁ」
声にならない息。
ブリジットの身体が、わずかに揺れる。
だがその顔は――
歪む。
苦痛ではない。
恐怖でもない。
「……いい」
低く。
震える声。
口元が、吊り上がる。
「いいぞ……ッ!!」
片腕を失ったまま。
なお、笑う。
「最高だ……! 貴様……やはり、最高の実験材料だぁ!!」
恍惚。
狂気。
むき出しのまま。
ベルを見据える。
その視線は――
まだ、折れていない。
ベルの腕の中で――
ミカゲの影が、ふっと揺らぐ。
カタナの身体も、同時に輪郭が崩れる。
「……?」
ベルの眉がわずかに動く。
次の瞬間。
二体の存在が、ほどけるように消えた。
影は霧散し。
刃の気配も、完全に途絶える。
腕の中に残るのは――何もない空間だけ。
「召喚を解除した」
ブリジットの声。
淡々と。
だが、その奥にあるのは明確な愉悦。
「これで、その力は吾輩のもの」
ぐにゃり、と。
その足元の影が、さらに広がる。
「不要な駒は一度引っ込めるに限る」
直後――
影が爆発的に膨れ上がる。
無数の触手が、一斉に這い出す。
同時に、全身から歪な刃が伸びる。
肩から。
背から。
脚から。
千切れた左肩からも、巨大な刃が突き出る。
そして――
ブリジットは、アカリを引き寄せる。
壊れかけた身体。
首はひび割れ、今にも折れそう。
右腕は失われている。
それでも。
無表情のまま。
何も言わず。
そこに立たされる。
盾として。
砲台として。
「さぁ……どうする?」
愉悦に満ちた声。
アカリ越しに、ベルを覗き込む。
「攻撃すれば、この姫神ごとだぞ?」
黒い結晶の奥で、光が滲む。
同時に、―――足元の影が牙を剥く。
逃げ場はない。
守るか。
殺すか。
その二択を突きつけるように。
ブリジットは笑う。
「来い……魔王殺し」
歪な刃を揺らしながら。
狂気に満ちた目で。
「その“優しさ”で、どこまで抗える?」
ベルの両腕は、空いた。
だが――
守るべきものは、目の前にある。
そして次の瞬間。
光が――放たれる。
「撃て」
その一言で。
アカリの指先から、光が解き放たれる。
一直線。
迷いなく。
ベルへと。
――回避は、できた。
だが。
ベルは、動かない。
踏み込んだまま。
その場に立ち。
真正面から――受ける。
光が、突き刺さる。
轟音。
熱。
視界が、白に焼き潰される。
「――ッ!!」
声にならない。
上半身が焼ける。
皮膚が弾け、肉が焦げる。
煙が立ち上り、焼けた臭いが充満する。
左目が――潰れる。
視界が、半分閉ざされる。
それでも。
ベルは、引かない。
一歩も。
退かない。
歯を食いしばる。
砕けそうなほどに。
それでも、前を向く。
「逃げない……」
低く。
喉の奥から、絞り出す。
「引かない……」
焼けた身体が、軋む。
それでも、立つ。
「下がらない……」
その瞬間。
ベルの右目が――輝いた。
金色に。
本来のカレンと同じ光。
揺らぎもなく。
まっすぐに。
ブリジットを射抜く。
「お前たち全員を奪い返すまでは――」
一歩、踏み出す。
焼け焦げた足で。
それでも。
確かに。
前へ。
「俺は――」
光を、押し返すように。
進む。
「二度と逃げねぇ!!」
その瞬間。
――ぱきり。
小さな音。
あまりにも、軽い音。
だが。
それは決定的だった。
アカリの首に走っていた亀裂が――限界を迎える。
折れる。
支えを失い。
その頭部が、ゆっくりと離れる。
落ちる。
ブリジットの手をすり抜けて。
地面へ。
その瞬間。
ベルの身体が――反応した。
思考よりも先に。
本能よりも先に。
ただ、当然のように。
両手を――伸ばす。
落ちていく、アカリの頭へ。
焼けた腕で。
血に濡れた指で。
それでも。
確かに。
掴みにいく。
落ちてくる。
ゆっくりと。
あまりにも、無防備に。
アカリの頭部が。
ベルの両手が、下から滑り込む。
焼け焦げた腕。
震える指。
それでも――
そっと。
壊さないように。
受け止める。
「……っ」
わずかに、息が漏れる。
間に合った。
そう思った。
ほんの、一瞬だけ。
ベルの視界に――
アカリの顔が映る。
黒い水晶のような肌。
ひび割れた頬。
そして――
その目。
死んだように光のない瞳。
その奥で。
ほんの僅かに。
何かが、揺れた。
ベルと、視線が合う。
時間が、止まる。
何も言わない。
言えない。
それでも――
確かに、そこに“アカリ”がいた。
次の瞬間。
その瞳から――
一筋の血の涙が流れる。
「――アカリ……」
名を呼ぶ。
かすれた声で。
だが。
返事は、ない。
支えられていたはずの重みが――
ふっと、軽くなる。
嫌な感覚。
直感が、否定する。
だが現実は。
止まらない。
ぱきり、と。
乾いた音。
ベルの手の中で――
アカリの頭部に、亀裂が走る。
広がる。
一瞬で。
「……やめろ」
止まらない。
「やめろ……!」
指の間から。
光が、漏れる。
崩れる。
砕ける。
音もなく。
静かに。
アカリの頭は――
破片となって、消えた。
手の中に残るのは。
何もない空間だけ。
「…………」
ベルの手が、宙を掴む。
掴めないまま。
止まる。
理解が、追いつかない。
いや。
理解したくないだけだ。
視線が、落ちる。
空っぽの手へ。
その手が、ゆっくりと震え始める。
ぎり、と。
拳が握られる。
焼けた皮膚が裂け、血が滲む。
それでも――
力は、緩まない。
ベルは、顔を上げる。
片目だけの視界。
金色に輝く右目が――
真っ直ぐに。
ブリジットを捉える。
そこにあったのは。
怒りでも。
悲しみでもない。
もっと、深い。
底のない――
“決意”だった。




