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RUN&GUN ― 二人で一人の逃走譚 ―  作者: F94
第7章ー姫神喪失ー
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7人の親衛隊ー

甲板の上は、午後の潮風に満ちていた。


帆がきしみ、ロープがわずかに鳴る。


船はすでに沖へと出ている。


遠ざかる陸地を背に、兵たちはそれぞれ持ち場につき、無駄な会話はない。


その中で――


甲板の端。


一人、壁にもたれるようにして立つ影があった。


ターニャだった。


背筋は伸ばしている。


だが、わずかに重心が偏っている。


呼吸も、ほんの僅かに荒い。


その様子を見て、もう一人の少女が近づいた。


長い髪を風に揺らしながら。


アイリーンはターニャの隣に立つ。


しばらく、何も言わず海を見た。


そして――


「身体は大丈夫?」


穏やかな声。


ターニャの肩が、ほんのわずかに揺れる。


「……はい……なんとか」


短い返答。


だが、その声はわずかに硬い。


アイリーンは横目でターニャを見る。


「無理してるでしょ」


「していません」


即答。


間髪入れず。


だが、その足取りはどこか不安定だった。


アイリーンは小さく息を吐く。


「……あの人、加減しないからね」


責めるでもなく、ただ事実を述べるように。


ターニャは答えない。


視線はまっすぐ前。


海の先を見ている。


「……任務に支障はありません」


それだけを言った。


風が強くなる。


帆が大きく膨らむ。


船体がわずかに軋む。


「……ねえ」


ぽつりと、アイリーン。


「今回の任務、どう思う?」


ターニャはわずかに目を細める。


「……対象は少女一名、及び関係者一名。脅威度は不明」


淡々と。


「でも、将軍が直々に動いてる」


「……はい」


短い肯定。


「普通じゃないよね」


アイリーンの声は、風に紛れるほど小さい。


ターニャは答えない。


ただ――


「命令です」


それだけを言った。


その時。


「あれー?なに2人で話してんの?」


間延びした声が割り込んだ。


アベルが、気の抜けた足取りで近づいてくる。


「仲良しごっこ?」


軽く笑いながら、二人の間に割り込む。


「仕事の話」


アイリーンが短く返す。


「はいはい、まじめだねぇ」


アベルは肩をすくめる。


ちらりとターニャを見る。


その様子を軽く観察して――


「……で、大丈夫?」


軽い調子のまま言いながら。


ぽん、と。


冗談めかして、ターニャの尻を撫でた。


「っ……!」


その瞬間。


ターニャの体が跳ねる。


小さな悲鳴が漏れた。


「……あっ……!」


力が抜ける。


そのまま――崩れ落ちた。


「え?」


アベルが目を瞬かせる。


ターニャはその場に膝をつき、さらに倒れ込む。


呼吸が乱れている。


「ちょっと!」


アイリーンがすぐにアベルの頭を小突いた。


「何やってんの!」


「いてっ」


アベルは頭を押さえながらも、倒れたターニャを見下ろす。


そして、ぽつりと。


「……ぜんぜん大丈夫じゃないじゃん」


さっきまでの軽さは、少しだけ消えていた。


しゃがみ込む。


迷いなく、ターニャの体を抱き上げる。


軽い。


そのことに、わずかに眉が動く。


「行くよ」


短く言う。


アイリーンもすぐに頷く。


「……ええ」


二人で足を向ける。


船室の方へ。


揺れる甲板の上を進みながら――


三人は、その場を後にした。


甲板を離れ、階段を降りる。


足音が、船の内側に吸い込まれていく。


湿った空気。


鉄と油の匂い。


下層へ行くほどに、それは濃くなる。


アイリーンは前を行くアベルの背中を見ながら、小さく息を吐いた。


ターニャはその腕の中で、まだ意識がはっきりしていない。


呼吸はある。


だが、さっきの反応は明らかに異常だった。


(……やっぱり、やりすぎ)


あの人のやり方は、知っている。


理解もしている。


それでも――


ふとアイリーンは足を止めた。


「……先に行って」


ぽつりと告げる。


アベルが振り返る。


ターニャを抱えたまま、少しだけ首を傾げた。


「は?」


「医務室。あの子、ちゃんと診せた方がいい」


視線でターニャを示す。


アベルは一瞬だけ考え――すぐに肩をすくめた。


「りょーかい」


軽く言って、そのまま歩き出す。


「あとで来なよ」


背中越しにひらひらと手を振る。


アイリーンはそれに答えない。


ただ、二人が階段を降りていくのを見送った。


足音が遠ざかる。


やがて、完全に消える。


静寂。


風の音だけが残る。


(……ちょっとだけ)


理由は、自分でもはっきりしない。


ただ――気になった。


あの二人。


特に、黒髪の少女。


アイリーンは向きを変え、甲板の奥へと歩き出す。


下層へ続く階段を降りる。


足音が、船の内側に吸い込まれていく。


湿った空気。


鉄と油の匂い。


通路は狭く、薄暗い。


やがて、見張りの立つ区画に辿り着いた。


扉の前に、兵が二人。


「親衛隊」


短く告げる。


それだけで十分だった。


兵士たちはすぐに姿勢を正す。


「ハ」


鍵が外される。


重い音。


扉が開いた。


アイリーンは一人、中へ入る。


静かに。


音を立てずに。


薄暗い室内。


最低限の光。


その中に――


二つの影。


床に座らされ、拘束されたまま。


黒髪の少女と、小さな少女。


アイリーンは数歩だけ近づく。


観察するように。


(……この子が)


視線が、自然とそちらに引かれる。


細い体。


とても戦えるようには見えない。


だが。


その目。


まっすぐに、こちらを見ている。


逸らさない。


怯えてはいる。


それでも、逃げない。


(……変な子)


隣の小さな少女は明らかに怖がっている。


それでも、距離を取らない。


寄り添うように座っている。


「……普通じゃん」


思わず、呟く。


黒髪の少女の眉がわずかに動く。


「名前」


短く問う。


一拍。


少女は口を開いた。


「……ベル」


それだけ。


余計なことは言わない。


アイリーンは小さく頷く。


「へえ」


興味なさげに返すが、視線は外さない。


「逃げないの?」


軽く聞く。


試すように。


ベルは一瞬だけ視線を落とし――すぐに戻した。


「……逃げられるなら、とっくにしてます」


淡々とした声。


言い訳でも、強がりでもない。


ただの事実。


アイリーンは小さく笑う。


「まあ、そりゃそうだ」


周囲を軽く見渡す。


逃げ道はない。


分かりきっている。


視線が、ベルの手に落ちる。


十の指輪。


報告通り。


(……これか)


触れる気はない。


あの人が外せなかった。


それで十分だ。


「それ、大事なもの?」


何気なく聞く。


ベルの指が、ほんのわずかに動く。


「……はい」


短い答え。


迷いはない。


アイリーンはそれ以上追及しない。


代わりに、小さな少女へ視線を向ける。


「そっちは?」


びくりと肩が揺れる。


「……ミリィ、です」


か細い声。


「ふーん」


軽く頷く。


それだけ。


やがて、くるりと背を向ける。


(……わかんないな)


正直な感想だった。


ただの少女にしか見えない。


それなのに――


将軍が動いた。


三体の魔王。


頭の中で、情報が噛み合わない。


扉へ向かう。


手をかける直前。


「……ねえ」


声は抑え気味だったが、視線はしっかりとベルを捉えている。


「“魔王殺し”って、今、どこにいるの?」


ミリィが小さく肩をすくめ、ベルの方を見た。


ベルは瞬間だけ目を伏せ、静かに呼吸を整える。


そして顔を上げ、静かに答える。


「……わかりません」


昼ベルとして、答えられるのはこれだけだった。


アイリーンは眉をわずかに動かし、意外そうに呟く。


「ふーん。そうなんだ」


だがその視線は逸らさない。


ほんの一歩だけ、近づいてみる。


「もしここに敵が踏み込んできたら――どうする?」


問いかける口調は穏やかだが、確かに意味は試すように込められていた。


ミリィは不安げにベルを見つめる。


ベルは深く息を吸い込み、もう一度答える。


「……わかりません」


迷いのない声。昼ベルとしての正直な答えだった。


アイリーンは小さく頷き、視線を落とした。


「ま、いいや」


そう呟きながら、ゆっくりと背を向ける。


静かな足音が、床に響き渡る。


扉が閉じられ、残された室内には、わずかな沈黙だけが残った。


ベルは肩の力を抜き、静かに息を吐いた。


アイリーンは医務室へと足を向けながら、視線を宙に泳がせた。


魔王殺し――ベル・ジット。

そして、同行しているあの子も同じ名を持つベル・ジット。

小さな身体のミリィも、あの二人の間に揺れている。


思い浮かべるだけで、胸の奥が重くなる。

明日から始まる尋問の光景を想像すれば、自然と肩がこわばった。


「早く、魔王殺し本人を見つけなければ――」


あの子たちが、まだ無事でいられるうちに。


心の奥でそう強く決意し、アイリーンは歩を速める。

甲板の風が髪を揺らすたび、焦燥と緊張が胸に張り付いた。



医務室の扉を押し開けると、ターニャはベッドに横たわっていた。


傍らには、腕を組み、じっと見守るアベルの姿。


「まさか、あなたが手当したの?」アイリーンが尋ねる。


アベルは両手を軽く上げ、肩をすくめた。

「まさか、さすがにそれはな」


アイリーンは少し安堵した表情を見せ、小さく呟く。

「それなら……いいけど」

続けて、声を潜めて小さく付け加える。

「……ありがと」


「なに? なんだって?」とアベルが返す。


「……なんでもない」


そう言うと、アイリーンはそっとベッドに身を沈め、ターニャの頬を撫でる。少し遠慮がちに。


アベルはふと視線を伏せ、呟いた。


「幼馴染、だったか?」


アイリーンは静かに答える。


「幼馴染というか……同じ戦災孤児で、軍に保護されて、そのままー」


アベルは軽く肩をすくめ、苦笑する。


「あー、そのパターンか。俺も似たようなもんだけど」


アイリーンは小さく笑い、ため息をついた。


「親衛隊なんて……みんな似たようなもんでしょ」


「違いない」とアベルも短く頷く。


少し沈黙が流れ、アイリーンは不安げに視線を下げる。


「あの子たち、無事に帰れるかしら」


アベルは即座に応じる。


「わかりきった事を聞くな」


アイリーンは小さく俯き、申し訳なさそうに言った。


「……そうね。ごめん」


アベルは表情を緩め、少し声を落として告げる。


「今夜は食事の差し入れを、閣下が指示したらしい」


アイリーンはふっと笑みを浮かべ、頬に手をあてる。


「最後の晩餐、ってことね……」


室内には、わずかな緊張と皮肉の響きだけが残った。


アベルは眉を上げ、軽く笑った。


「どうしたんだ?今日は珍しく、よく喋るじゃないか」


アイリーンはちらりとアベルを見て、小さく呟いた。


「……うるさい」


それだけ言うと、足早に医務室を出ていく。

扉の向こうに消えた背中は、どこか強張っていて、でも確かに前を向いていた。



食堂質室の扉を開けると、エレン、アルマー、モーリスの3人が静かに食事を摂っていた。


アイリーンは一瞥するだけで、無言のまま離れた席に腰を下ろす。


しばらく沈黙が続いた後、エレンがゆっくりと近づき、小さなカップを差し出した。


「お疲れー」


アイリーンは目だけで応え、カップを手に取るとゆっくりと口に運ぶ。

熱いコーヒーが体に染み渡り、少しだけ気持ちが落ち着く。


すると、アルマーがにこやかに身を乗り出し、オネェ口調で声をかけた。


「ちょっとー、お礼くらい言ったらー?」


モーリスは豪快に笑いながら言った。


「まぁ、いいじゃないか!素直に飲んだだけ、成長してるってことだからな!」


アイリーンは顔を少し赤くしつつ、目で二人を睨むように返す。

しかし、わずかに口元が緩むのをアルマーとモーリスは見逃さなかった。


エレンは軽く肩を揺らしながら、アイリーンの隣で笑った。


「そうそう、最初の頃に比べたら、かなり進歩してるってー」


アルマーは身を乗り出し、少し大げさに手を広げてオネェ口調で続ける。


「ほんとー、初めて会った時なんて、『私は人間なんて信じない!!』って顔して、まるで野良猫みたいだっもんね」


「ハッハッハ!こうして同じ部屋にいるだけでも大したもんだ!」


アイリーンは目を伏せ、カップを手に取りゆっくりと口をつける。


そして、ほんの小さく、しかしはっきりとした声で呟いた。


「……うるさい」


カップの縁に唇を押し当てる指先に力が入り、微かに震える。

それでも、わずかに緩む肩の力が、彼女の心が少しだけ和らいでいることを示していた。


アルマーが軽やかに歩み寄り、アイリーンの耳元でそっと囁くように声をかける。


「ターニャは?大丈夫そお?」


アイリーンは小さく息を吐き、視線を落としたまま答える。


「……かなりひどい怪我だけど、なんとか」


アルマーは少し眉を寄せ、優しく声を続ける。


「怪我もそうだけど、あんなことされて……ハートが心配よ」


アイリーンは唇を噛み、わずかに肩をすくめて小さく頷く。


「……うん」


短い会話の中にも、二人の間に静かな共感と心配の色が漂った。


扉が開き、アベルがにこやかに室内に入ってきた。


「なんだ、やっぱみんなここか」


室内をざっと見渡し、視線を止める。


「ドベルクは?」


その問いに、アイリーン以外の四人が手を軽く広げて、楽しげに応えた。


アベルはくすりと笑い、肩をすくめる。


「まぁ、あいつはここには来ないか」


軽やかな空気の中、アベルはアイリーンの隣に腰を下ろすと、食堂職員に向かって声をかける。


「ランチ頼むよ」


アイリーンに目を向け、少し茶化すように問う。


「食べないのか?」


アイリーンは小さく目を伏せ、でも口元にわずかに笑みを浮かべて答える。


「いい」


その様子に、周囲の四人も笑みを返す。

笑い声や軽口が、室内を柔らかく包み込み、緊張の続く日々の中に、ほんの少しだけ安らぎをもたらしていた。




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