ハリスの風ー
ハリス領内、遠方の監視拠点。
調査兵は望遠鏡を握りしめ、報告書に視線を落とす。
通信装置を通して司令部に声を届ける。
「司令、状況報告を開始します」
「対象はベル・ジット。3体目の魔王との交戦を確認。現地映像では、魔王核はまだ存在していますが、第1、第2魔王核については完全消滅と判断されています」
調査兵は画面を指でなぞりながら続ける。
「第3魔王核も現状では危険度が高く、放置すれば世界に甚大な影響を及ぼす可能性があります」
司令部は沈黙した後、直ちにハリス評議会へ報告を送った。
将軍が資料を前に座り、思考を巡らせていると、総督からの正式な命令文が手渡された。
書類には、総督の署名と刻印が施されている。
将軍は一読し、静かに口を開く。
「……魔王殺し、ベル・ジットの直接調査。総督の名において、吾輩に下された命令か」
左目に、わずかに光が宿る。冷徹な計算の色と、戦場で培った慎重さが混ざり合った瞳。
「理想やロマンに縋る愚か者どもめ。…ふふ、吾輩が修正してやるときが来たようだ」
書類を机に置き、赤毛を軽く揺らす。
馬鞭を手に取り、立ち上がる。
命令の重さと、その責任を深く胸に刻み込むように。
「この任務、吾輩が完遂せねばなるまい」
部屋の空気が静まり返り、総督からの命令は、ハリス最高権力者の意志として、吾輩に突きつけられた。
ベル・ジット――“魔王殺し”の存在を直接監視し、評価するという、国家の大命運を背負った任務の始まりであった。
ブリジット・エルンハイムは重厚な椅子に深く腰を沈め、右足を左膝に組んで静かに座っていた。
軍服の赤と黒が室内の光に沈み、赤毛が肩越しに流れる。右目には眼帯、両手は白い手袋。
机の上に置かれた馬鞭は無言の威圧を示すかのようで、手は膝の上に置かれたまま、周囲を鋭い視線で見渡す。
その動きに合わせて、ブリジットの身体が微かに キリキリ と音を立てる。
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ドアが静かに開き、呼ばれた少女が室内に入ってきた。
ターニャ・アンネクルツ。16歳、小柄で身長150cmほど。黒髪は太い三つ編みにまとめられ、眼鏡をかけている。足取りは速やかで軽い。
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「失礼します、将軍」
ターニャは背筋を伸ばし、ぴたりと敬礼する。
ブリジットは椅子に深く座ったまま、右足を組み替えることもなく、鋭い視線でターニャを見下ろす。
ブリジットが動くたびキリキリ という音が、室内の緊張感をさらに際立たせていた。
ブリジットは椅子に深く座ったまま、鋭い視線でターニャを見下ろす。
「ターニャ曹長、ご苦労」
ターニャは背筋を伸ばし、ぴたりと敬礼する。
「ハ!お呼びでしょうか」
「うむ。総督から正式な調査依頼が下りた」
「すぐに作戦行動を開始する」
「ハ!」
ブリジットは冷たい笑みを浮かべ、低く呟く。
「魔王殺し――首を洗って待つがいい」
室内に微かに響く キリキリ という音が、二人の意思の緊張感を際立たせていた。
ブリジットはゆっくりと目を伏せた。
「時にターニャ曹長」
「ハ!」
「先日の任務の際、作戦予測時刻を30分超過したと聞く。何があった?」
その一言で、空気が変わる。
ターニャの額を、じわりと冷や汗が伝った。
「そ、それは……」
言葉が詰まる。視線がわずかに揺れる。
次の瞬間、
ブリジットが無造作に馬鞭を手に取った。
そして、
デスクの上の花瓶を――叩き割った。
甲高い破砕音が室内に響き、破片が床へと散る。
「言い淀むな!考えるな!即座に答えろ!」
「ハ、ハ!申し訳ありません!」
「作戦行動中にマガニクスが不調となり、高速移動に遅れが出ました!」
ブリジットの身体がわずかに動く。
また、キリキリと乾いた音が鳴った。
その視線は冷え切っている。
「言い訳をするな。マガニクスのメンテナンスも任務のうちだ」
「ハ!二度とこのような事がない様に……」
最後まで言い切る前に、空気が凍る。
ブリジットはゆっくりと立ち上がった。
椅子がわずかに軋み、キリキリ、と音が重なる。
見下ろす視線は、完全に支配者のそれだった。
「下を投いで、その場に四つん這いになれ。犬の様にな」
ターニャの喉が、ひくりと鳴る。
一瞬の沈黙。
だが――
「……ハッ……」
躊躇を押し殺すように、ターニャは返答した。
その声に、逆らうという選択肢は最初から存在していなかった。
ターニャは命令に従い、ズボンを下ろすと、その場に膝と手をついた。背筋を伸ばし、視線を床へと落とす。その顔は屈辱に歪んでいた。
その動きの中で――
隠されていたものが、露わになる。
彼女の両脚は、付け根から人のそれではなかった。
鈍く光を反射する金属。
関節は滑らかに組み上げられ、細かな機構が幾重にも重なっている。
生身とは異なる、無機質な構造。
それでいて――動きはあまりにも自然だった。
マガニクス。
魔装義肢と呼ばれるそれは、ハリスを中心とした東大陸の魔道工学が生み出した技術の結晶。
魔力によって駆動する金属の肢体は、単なる代替ではない。
戦闘用の義肢は、さまざまな機構や魔道装置を搭載し、人の肉体を遥かに凌駕する性能を持つ。
わずかに駆動音が鳴る。
キリキリ、と。
ターニャが体勢を変えるたび、その音は確かに響く。
それは機械である証であり――
同時に、彼女がここにいる理由でもあった。
背後に、気配が立つ。
ブリジットがゆっくりと歩み寄る。
キリキリ、と小さな音が響いた。
その足取りに合わせるように、規則的に鳴る音が室内に満ちていく。
手にした短い馬鞭が、デスクの縁を軽く叩いた。
コツン、と乾いた音。
「調教というものはな、実に合理的だ」
低く、冷たい声が落ちる。
「個体の性能に依らず、一定の結果を引き出せる」
ターニャの喉がわずかに動く。
「ハ……」
「犬でも兵でも同じだ。命令に従わせる。それだけで戦力になる」
ブリジットの影が、ターニャの背に覆いかぶさる。
キリキリ、と音が近づく。
「理解しているか、ターニャ曹長」
「ハ……理解しております」
一瞬の静寂。
次の瞬間――
パシン、と乾いた打撃音が響いた。
短い馬鞭が、ターニャの尻を打つ。
「...あっあぁっ..,」
ターニャの身体がびくりと大きくのけぞる。
「躾には苦痛が伴わなくてはな」
キリキリ、と音が重なる。
「犬でも躾をすれば、命令に従う様になる」
「ハッ!」
声がわずかに上擦る。
「命令をこなせない貴様は、犬畜生以下か?」
ブリジットは馬鞭の先端を、ターニャの肩へと軽く押し当てる。
逃げ場のない圧。
「吾輩の下にいる以上、命令は絶対である」
「ハッ……!」
「30分の遅れ、30発だな」
短く、それだけを告げる。
キリキリ、と小さな音を残しながら、ブリジットは右手に持った鞭を振り上げる。
「...ハ!ご指導よろしくお願いします...」
ターニャはそのままの姿勢で、ただ静かに呼吸を整えていた。
ブリジットは椅子に深く身体を沈め、脚を組んだ。
キリキリ、と小さな音が静かに鳴る。
机上の魔道通信装置に手を伸ばし、無造作に起動させた。
淡い光が空間に浮かび、回線が繋がる。
「そうだ。明朝五時、中央へ向けて出立する」
低く、よく通る声。
「貴様達、吾輩の親衛隊七名と……他、精鋭を二十名ほど用意しろ」
指先で装置の縁を軽く叩く。
コツ、コツ、と乾いた音。
「全員、戦争装備で備えろ」
一瞬、間を置く。
その声はさらに冷たさを帯びた。
「時間に遅れた者は――その場で修正する」
通信の向こうで、息を呑む気配。
ブリジットはそれに満足したように、わずかに口元を歪めた。
そのまま、視線だけを動かす。
床。
そこには、倒れたまま動かないターニャの姿。下半身は腰を中心に真っ赤な血で染まり、開いた目は虚なまま壁を見つめている。
一瞥したブリジットは背筋を走る快感に歪んだ笑みを浮かべる。ゾクゾクと身体に震えが走り、キリキリと音がなる。
「……以上だ」
通信を切る。
光が消え、室内に静寂が戻る。
キリキリ、と音だけが残った。
ブリジットは再び深く椅子に身を預け、顎をわずかに上げる。
「さて」
短く呟いた声は、次の命令を予感させる冷たさを帯びていた。




