始まりの朝ー
ビビのまぶたがゆっくりと開く。光が差し込み、かすかな痛みが身体中に広がる。意識がふわりと戻り、周囲の景色がぼんやりと形を取り始める。
「ここーはー?」
目を覚ますと、ビビはベッドの中にいた。全身がピリピリと痛む。
頭を動かして自分の身体を見ると、全身に包帯が巻かれていた。
「あらーこれは一体ー」
ゆっくりと身体を動かすビビ。手足―ある。指先―痛いけど全部動く。
自分の身体の状況を確認し、思わず安堵の息を漏らす。
「よくわかんないけどー無事みたいー」
ふと目をやると、ベッドの下でアダラが寝ているのが見えた。床の上で毛布にくるまって、静かに眠っている。
「もうー風邪ひくよー」
ビビは身体を起こそうとするが、力がまだ十分に入らない。しばらく四苦八苦していると、部屋の入り口の方から声が響いた。
「まだ無理だと思うぜー」
頭を動かさず、視線だけそちらに向けると、ベルがドアにもたれるように立っていた。
「ベルくんー」
ベルはゆっくり歩き出し、ベッドの傍らに置かれた椅子をベッドに寄せる。背もたれを前に向けて座ると、腕をその背もたれにかけた。
「よ、やっと起きたか」
「私ーどれくらい寝てたー?」
「1週間は経ってないと思うぜ」
「あちゃーそんなにかー」
ビビはゆっくりまぶたを開け、ベッドの上で身体を起こそうとする。全身がまだ少し痛む。
「どこまで覚えてる?」
ベルが椅子に座ったまま、軽く視線を向ける。
「んー…どこだろー?」
ビビは手足を動かし、少しずつ状況を確かめるように視線を泳がせる。
「あの白い女の人が出てきたのはー覚えてるー」
「あぁ、ユキメなー」
ベルは頷き、軽く笑みを浮かべた。
「あれはなにー?」
ベルは両手を前に出し、指輪を見せながら答える。
「この両手の10個の指輪に封印されてる姫神ってやつ」
「俺の仲間だな」
「姫神ー召喚術みたいなもの?」
ビビは首をかしげながら、腕の感覚を確かめるように動かす。
「んーそれとは違うかな。俺もよくわからんから説明できねぇけど」
ビビは目をぱちぱちと瞬かせながら、まだ夢と現実の境を迷うように視線を泳がせた。全身がピリピリと痛むのを感じ、胸の奥に重く沈む違和感を覚える。
「わたしーどうなったのー?」
ベルは少し眉を寄せ、沈黙のあと口を開く。
「んー説明難しいんだけど、とりあえず英雄核?あの魔王核は取っちまった」
ビビの目が一瞬、見開かれる。
「…え?」
その次の瞬間、驚きの声が思わず口をついて出る。
「えええええーー!?」
ベルは肩をすくめ、苦笑を浮かべながらも真剣な目でビビを見る。
「なんだよ、だめだったのか?」
ビビは身体を少し丸め、胸の奥の不安と恐怖が波のように押し寄せるのを感じた。
「ダメじゃない…ダメじゃないけど…」
声が小さく途切れ、涙がひとすじ頬を伝う。
「…あれはわたしの心臓の代わりに埋め込まれてたから…」
そして、震える声で続ける。
「私ーもしかしてもう死んでるのー?」
ベルはその涙と不安に耐えきれず、ゆっくりと近づく。
「いや、死んでたらこうして話してねぇだろ」
ビビは小さく首をかしげ、半信半疑で呟く。
「私ー幽霊ー?みたいなー?」
ベルは静かにビビの右手を掴み、ビビの右胸にその手を当てる。
「ほら、確かめてみろよ」
トクントクン――
ビビの右手に、自分の胸の奥で脈打つ鼓動が伝わる。
その感覚に思わず息を止め、そっと目を閉じる。熱と安堵が入り混じり、涙が頬を伝った。次の瞬間には、笑いと泣き声が一緒に溢れ出す。
「わたしの心臓ー鼓動があるー」
震える声で呟くビビ。手に感じる確かな温もりが、胸の不安を押し流していく。
「でも、どうしてー? なんでー?」
ベルは肩をすくめ、苦笑交じりに言った。
「俺も説明できるほど理解してないからー…ミカゲ」
その言葉に応えるように、足元の影から静かに頭を出す。
黒く長い影の中から、目の下までしか姿を現さないミカゲは、いつもの冷静な声で語り始める。
影の中から、ミカゲの声が静かに響く。
「まずはユキメという他の姫神の能力で、世界ごとビビの身体と魔王核を凍らせて、刻を止め、その間に魔王核を切り離して処分」
ビビの目がぱちぱちと瞬く。
「英雄核ねー…」
「そのままでは心臓のないビビは死んでしまうので、ビビだけ凍らせたまま刻を動かし、次にエンカの能力で心臓を再生し、傷を修復。キザミの能力で刻を加速。心臓の年齢を今のビビに合わせました」
ビビは頭を傾げ、言葉に追いつけず、ぽつりと漏らす。
「ごめんー、ちょっとなに言ってるかわからないけどー…」
そして、少し考えてから、笑顔で言った。
「要するに、普通の人になったーでおけー?」
ミカゲの影が小さく揺れ、落ち着いた声で返す。
「おけ」
ビビはその言葉を聞き、胸の奥でほっと息を吐いた。凍りついた世界の記憶と戦いの痕跡が、少しずつ日常の感覚に溶けていくようだった。
ミカゲの影がわずかに揺れ、視線をゆっくりとベルに向ける。
「エンカが二度も主様以外に能力を使ったことで、大層ご立腹のご様子。どこかで埋め合わせを」
その言葉に、ベルは肩をすくめ、やれやれといった様子で片手をひらりと振る。
影の冷たい静けさと、ベルの緩んだ動きが対照的に並ぶ中、微かな空気の揺れが部屋を満たした。
影の中から、ミカゲの視線が再びビビに向けられる。
「心臓は再生したとて、今までの魔力の源が喪失したことで、生命維持にも支障を来たすとの判断から、擬似的な魔力炉を心臓付近に作ってあります」
ビビの胸元で、かすかに脈打つ感覚が増す。微かに熱を帯びた感触が、体内で何かが動いていることを告げる。
「その副作用で、以前ほどではないとは言え、それなりの魔力出力はあるでしょう」
微かな光がビビの胸を揺らすように反射する。
「ただー無理はしないように」
ミカゲの影は揺れながらも静かに言い切る。その声は柔らかくも、規律を重んじる冷静さを伴っていた。
ミカゲの影がわずかに揺れ、冷静な声が部屋に響く。
「私からは以上となります」
その声に、ベルは面倒くさそうに片手をひらりと振って答える。
再びミカゲの声が影の奥から届く。
「……私からは以上となります」
そして少し間を置いて、さらに――
「……以上となります、が?」
ベルは小さくため息をつき、ゆっくり立ち上がる。床に出ているミカゲの頭をそっと撫でて、声をかける。
「ミカゲ、いつもありがとう」
その言葉に、ミカゲの目が小さく揺れ、嬉しそうに光る。
そして静かに、影の中へと沈み、ゆっくりと消えていった。
ビビはふとベルを見上げ、首をかしげる。
「ようするにー?」
ベルは肩をすくめ、手を広げながら答える。
「とりあえず、英雄核はとって、心臓が入ってるけど、前みたいに無茶はすんなよってことじゃね?」
ビビは軽くうなずき、ふっと息をついた。
「あーなるほどーそーだったかも」
ゆっくりと両手を伸ばし、ベルに差し出す。
「手、貸してー」
ベルがその手を取ると、ビビは思い切り引っ張った。
バランスを崩したベルは、そのままビビの上に覆い被さるように倒れ込む。
「いてて…何すんだよ。怪我は治ったと言え、俺もまだ全身バキバキなんだからな」
自分の上に覆い被さったまま文句を言うベルの頭を、ビビは両手でしっかり抱き止める。
「ベルくんーありがとう」
涙が目から溢れ、嗚咽が小さく漏れた。
「ほんとーほんとうにーありがとう」
ベルは少し驚きながらも、ビビの胸に額を寄せる。
二人の間に、静かで温かい時間がゆっくりと流れた。
「…やったのか?」
急な声に、ビビとベルは思わずビクッと体を揺らした。
ベッドの端から、毛布にくるまったままのアダラが、まだ眠そうな目を細めて覗いている。
ビビはほっと息をつき、笑顔を浮かべながら答えた。
「びっくりしたー…でもわたしー、やったよー」
ベルは椅子に腰かけたまま、眉をひそめて苦笑する。
「こえぇな。妖怪かと思ったぜ」
アダラは毛布にくるまったまま、もぞもぞと体を動かした。
ビビはそっと胸元に手を当て、鼓動を確かめながら、まだ少し震える肩を落ち着かせた。
這うようにベッドの上に上がり込んだアダラは、そっとあぐらをかき、両の拳を床につけて頭を深く下げた。
あの夜、ベルがビビを連れ戻った時の話は聞いていた。だが、実際に目を覚ましたビビの無事をこの目で確認するまでは、心の底から信じることはできなかった。胸の奥にはまだ小さな不安がひっかかっている。
それでも今、こうして自分の前に立つビビの顔を見て、アダラの心は少しずつ解きほぐされていく。
「今回の件、本当に…感謝してる…」
声は小さく、震えていたが、言葉に込められた思いは確かだった。アダラは頭をさらに深く下げる。緊張と不安で固まっていた心が、ようやく安心という温かさに包まれる。
アダラは頭を上げ、目に涙を浮かべながらビビを見つめた。
「本当に…無事でよかったな」
ビビは小さく笑い、まだ少し震える手で胸元を押さえた。
「うん…ありがとう、アダラー…」
ベルは椅子に座ったまま、淡々と二人を見つめる。
「まあ、とにかく怪我も治ったし、今日くらいはゆっくり休めってことだな」
ビビはそっとベッドに座り直し、アダラも隣に体を起こす。窓の外には柔らかな朝の光が差し込み、凍っていた世界が嘘だったかのように、静かで穏やかな空気が部屋を包んでいた。
三人の間に、言葉少なでも十分に伝わる安心感が流れる。ビビの胸の鼓動と、回復した体の温かさが、何よりもその場の安らぎを示していた。
ベルは眉をひそめ、ゆっくり口を開いた。
「でもさ、前に言ってたよな。お前らの国、あと二つあるんだろ?魔王核」
アダラは鼻で笑った。
「英雄核な」
ベルは肩をすくめて訂正する。
「…あぁ、それか」
アダラは真剣な表情で続けた。
「英雄核はあと二つある。ビビと同じ時期に仕込まれているのが二人いる」
ビビは肩をすくめ、軽く笑った。
「うん、私も知ってるよ。あと二人ね」
ベルは目を細め、二人の顔を交互に見ながら頷いた。
「なるほどな…そっか」
ベルは目を細め、ぐっと拳を握った。
「よし、決めた」
アダラとビビはそろってベルを見つめる。
「俺、魔王核全部潰すことにするわ」
アダラは目を見開き、思わず声を漏らした。
「は?」
ビビも口をぽかんと開け、驚きの声を上げる。
「えー?」
ベルは肩をすくめ、少し笑みを浮かべながら二人を交互に見た。
「…放っておけるわけないだろ」
ベルは少し眉をひそめ、拳を握りしめた。
「今まで俺の方は、特に旅の目的とか、人生の目標とか、んなもんねぇって思ってたけどさ」
少し間を置き、視線を二人に向ける。
「魔王核…あと997個?」
アダラは思わず口をはさむ。
「998!」
ベルは肩をすくめ、目を輝かせながら答えた。
「そうだ。998個、全部見つけてやるよ」
ベルは少し前に体を乗り出し、二人を見据えた。
「とりあえず二個はお前らの国にあるのはわかってるんだし、そいつらもあと四年は平気なんだろ?」
アダラは小さくうなずく。
ベルは肩をすくめ、口調を少し軽くして続けた。
「だったらさ、三年くらいは他の魔王核探して潰して、時期が近づいたらお前らの国に行くよ」
アダラは目を細め、声をひそめて問いかけた。
「本気…なのか?」
ベルは迷わず答える。
「そのつもりだ」
ビビはにこにこと笑いながら、手をぱちんと叩いた。
「すーごいー。他の二人もきっとよろこぶよー」
アダラは少し顔をほころばせながらも、目を真剣にして言った。
「そうしてもらえると、本当にうれしい。だがー」
ふと視線をベルに向け、声を落として続けた。
「お前は本当にそれでいいのか?」
ベルは肩をすくめ、淡々と答えた。
「いいって。別にやりたいことがあるわけじゃねぇーし」
少し視線を落とし、続ける。
「あっちのベルの目的も、手がかりもないし。他のことやりながら探すさ」
アダラはそっと目を伏せ、かすかに微笑んだ。
「そっか…なら、期待して待ってる」
ベルは力強く頷き、拳を前に突き出す。
「おう、約束する」
アダラは静かに自分の拳をベルの拳に当てた。
「…ありがとう」




