ユキメ顕現するー
「ユキメ!一気にやるぞ!出てこい!」
ベルの声に応え、夜の浜辺に異様な静寂が広がった。
まず、空気そのものが冷気で震え始める。吐息や風に触れた水蒸気は瞬時に凍り、細かな氷の粒子となって宙に舞う。
その氷の粒子たちが、まるで意思を持ったかのように浜辺の周囲に渦巻き、徐々にひとつの形へと集約されていく。
細かい霧のような氷が密集し、波打ち際の水面も静かに凍り、地面の砂も音を立てて氷結していく。
やがて、氷の渦は徐々に人型を帯び、薄く光る結晶の衣が身体を覆う。
銀色の髪のような冷気の流れが頭頂から流れ落ち、蒼白の肌のように光る氷の面が滑らかに形作られる。
一瞬の間の静寂のあと、氷の渦が完全に凝集し、夜の浜辺にユキメの姿が現れた。
まるで氷の精霊そのもの。銀髪は腰まで伸び、透き通るようなワンピース状の冷気の衣が体を包む。周囲の空気は凍りつき、波も薄氷の層で覆われたままだ。
ユキメが微かに手を広げると、そこからさらに冷気が浜辺全体に波のように広がり、世界が凍てつく戦場に変貌する。
ユキメの冷気が渦を巻き、二人を無理やり引き離す。
その瞬間、氷の腕がベルを抱きしめた。抱きしめる力は鋼のように硬く、しかし傷つける冷たさではない。ベルは思わず息を呑む。けれど、守られている感覚が胸に広がり、ぎゅっと身を委ねるしかなかった。
ビビは勢いで蹴り飛ばされ、空中をくるりと回転して止まる。冷気に包まれたまま、宙に浮いたように静止していた。
ユキメの声が凍りついた夜空に響く。
「私を呼ぶなんて、珍しいじゃん!」
「出てきたからにはっ! バッシバッシやらせてもらうから!」
ベルは胸の前で抱きしめられ、安堵と力強さの混ざった息を漏らす。
「ユキメ…助かったぜ」
空中に止まるビビは、氷と圧力に包まれながらも、すぐに戦いの態勢を整えた。
ビビの声が凍りつく浜辺に響く。
「何それーわたしの精霊召喚みたいなものー?」
ユキメは右手でベルを抱きしめたまま、左手を腰に当てて胸を張る。その眼差しは凛とし、力強さを纏っていた。
「精霊なんかと一緒にされちゃ困るな! こっちは一応、神格持ってるんだからさ!」
ユキメはベルの熱気を感じ取り、少し眉をひそめる。
「久しぶりで気合い入ってんのはわかるけど、ちょっと冷気下げてくれ」
「おっとっ、ごめんね!」
髪の毛まで凍りそうになっているベルを見て、ユキメは冷気の量を調整する。左手をそっとベルの頬に触れ、微かに温もりを残しながら氷の力で全身の火傷を癒す。
「こんくらいならちょーどいい!?」
ベルは少し息を整えながら、ユキメの力の安心感に包まれていた。
ベルは荒く息をつきながら、動きの鈍った身体を押さえる。
「俺は今ちょっと動けねぇから、少しだけ頼んだ」
ユキメは右手でベルを支え、左手を軽く振る。空中に氷のゆりかごが静かに浮かび上がり、ベルをそっと寝かせる。
「了解!任せといて!」
「早くエンカに治してもらって! 手足なんて炭になってるよ、これ!」
ベルは小さく頷く。「おぅ…そうする…エンカ」
エンカの癒しの炎がベルの身体を包み込み、焦げた部分がゆっくりと修復されていくのを見て、ユキメはほっと胸を撫で下ろす。
そして、目を鋭く輝かせてビビへと向き直った。
「主をここまでやられちゃったら、もう手加減なんてできないから!」
「えー手加減してほしいなーもう」
ビビは両肩と両太ももに刻まれた大きな紋様を輝かせる。
「火のバルマンー、風のフラスレス、土のエンリシャ、水のネルカ、四大精霊よ、英雄タブラスカの名において、力をー」
ビビの周囲に四体の精霊が召喚され、空気が震える。火の揺らぎ、風の渦、土の塊、水の波が互いに絡み合うように形を変え、ビビの胸の英雄核に吸い込まれていく。
「じゃーこっちも、本気だからーごめんね」
精霊たちが消え去った瞬間、ビビの身体に爆発的な変化が起きる。地・水・火・風の性質が混ざり合い、不安定ながらも強大な力を纏った姿となった。
踊るように揺れる紋様と共に、ビビは今まで以上の圧倒的な魔力を放つ準備を整えていた。
ユキメはビビの変化した姿を、つまらなそうに一瞥した。
「確かにすごい出力だけど、すっごい歪な力じゃん。その英雄核? それと同じくらいに禍々しい」
周囲の空気まで凍る冷気を纏いながら、ビビは微笑む。
「そのとーりー……だから、その前に倒してー解除してー、ベルくんをいただくつもり」
その言葉に、ユキメの瞳が鋭く光った。
「こないだから見てたけど、人の主をもらうだの、くれだの、ほしいだの、なんだのって! 主はモノじゃないんだからな!」
ユキメは親指を立てて、自分の胸を力強く指差す。
「主はー私だけのもんだから、」
しかしビビは片手を腰に当て、少し首を傾げながら返す。
「あなたももの扱いしてるよー」
ユキメの瞳に、怒りと守護者としての決意が混じる。氷の吐息が周囲をわずかに震わせる中、二人の間に緊張が張り詰めた。
「時間ないからー先手必勝ーで!」
ビビの動きが数段早くなり、あっという間にユキメの鼻先まで距離を詰める。
そこから繰り出されるのは、地水火風の精霊術を絡めた、踊るような足技主体の格闘の連打。足先、膝、肘、体のひねりを瞬時に連結させ、空中でも滑るように動くビビ。
ユキメは両手を腰に当てたまま、動くでもなく、ただ最小限の氷の盾を攻撃のポイントポイントにさっと差し出して防御する。
氷の盾に触れた蹴りや拳が弾かれ、周囲の砂や水面に氷の粉が散る。だがユキメの姿勢は崩れず、静かに、冷たく、しかし確実に攻撃を受け流していく。
ビビの高速連撃は止まらない。炎や水、土や風の衝撃が絡み合い、周囲の空気が震え、魔力の渦が渦巻く中、ユキメは微動だにせず、淡々と対応する。
まるで、動くのはビビだけで、ユキメは氷の世界に溶け込んだ一点の静寂のようだった。
ユキメが小さくため息を吐いた。
「あぁーそっかぁ! 主は女の顔殴らないからなー、しゃーなし!」
そう言うと、何の予備動作もなく右足を振り抜く。刹那、空気を切る音と共に蹴りがビビの頭を横から薙ぎ払った。
ビビは思わず吹き飛ばされ、空中で体勢を立て直そうとする。しかし、足取りはわずかにふらつき、バランスを取りながらも次の攻撃への布石を探す。
砂粒が宙を舞い、冷気と魔力の残滓が混ざる夜の浜辺に、静かな緊張が漂った。
ユキメは肩をすくめ、呆れたように言った。
「主ときたら最近は、やたら女子供とばかり戦ってるから! だから怪我する羽目になるんじゃんか! まったくー」
横たわるベルを見下ろし、氷のゆりかごの中で安らぐように寝ている姿に視線を移す。
「優しすぎるってのも、弱点だよね」
ユキメの冷たい目が、夜の浜辺に照らされた月光の中でひときわ鋭く光った。




