英雄核ー
ビビは胸元に手を当て、静かに息を吸った。
月明かりの下で、その表情からいつもの柔らかい雰囲気がすっと消える。
そして、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「英雄タブラスカの名の下に――」
夜の浜辺に、その声が澄んで響く。
胸の奥から、赤い光がじわりと広がり始めた。
「我、ビーラン・バーラブが力の証明を――」
波がざあっと音を立てる。
風が強くなり、砂がわずかに舞い上がる。
ビビの胸元で、赤い光が鼓動のように脈打った。
そして――
「英雄召喚」
その瞬間。
胸の中心に走った細い線が、花が咲くようにゆっくりと開き始めた。
その瞬間――
胸元に現れた赤い英雄核が、強く脈打った。
とくん。
とくん。
鼓動のような光が、体の奥から外へと広がっていく。
次の瞬間、ビビの肌に刻まれたタトゥーが淡く光り始めた。
腕。
肩。
背中。
腰。
全身に刻まれた紋様が、一本の線のように繋がり、赤い光を帯びて浮かび上がる。
まるで体の中を流れる何かが、目に見える形で表面へ現れたかのようだった。
英雄核が再び脈打つ。
すると、タトゥーの光もそれに呼応するように強くなる。
とくん。
光。
とくん。
光。
脈動に合わせ、ビビの体を走る紋様がゆっくりと輝きを増していく。
夜風が強く吹き、砂が舞う。
ベルは少し目を細め、その様子を見つめていた。
ビビの足元の砂が、じわりと震え始めていた。
ビビの胸元で脈打つ英雄核に呼応するように、紋様が一斉に光を帯びた。
腕。
肩。
胸。
背中。
腹。
腰。
脚。
顔を除く全身――隙間なく刻まれた紋様が、肌の上に浮かび上がる。
細く密な線が幾重にも重なり合い、まるで体そのものが巨大な魔術陣であるかのようだった。赤い光が脈動に合わせて巡り、ビビの全身を走っていく。
ベルはその様子を見ながら、わずかに目を細める。
「こないだとずいぶん違うじゃねぇか」
ビビは静かに腕を下ろしたまま答える。
「これが本来の紋様術の使い方」
感情のない、落ち着いた声だった。
「英雄タブラスカは『その白き肌に刻まれた紋様で大陸のすべてを手に入れた』ってねー」
英雄核が強く脈打つ。
それに合わせて、顔以外の全身を覆う紋様の光がさらに強まる。
ビビはベルを真っ直ぐに見た。
「魔力を効率よく現象に直結させる。それが紋様術」
ベルは腕を組む。
「魔力がでかいほど、強力ってことか」
「そうー」
ビビは淡々と続けた。
「呪文とは比較にならないくらいにー」
わずかに肩を動かす。
「じゃなきゃ、痛い思いをしてまで刻む価値もないー」
赤い光が浜辺を照らし、夜の空気がぴりっと張り詰めていく。
波の音が静かな浜辺に響く。
赤い光を帯びた紋様が、ビビの全身でゆっくりと脈打っていた。
ビビはまっすぐベルを見る。表情は冷たく落ち着いている。
「それじゃー勝ってーあなたに愛してもらうからねー」
ベルは肩を回し、軽く首を鳴らした。
「それじゃ、勝って、お前らを助けてやる」
ビビの目がわずかに細くなる。
「それは傲慢だねー」
ベルは小さく鼻で笑った。
「否定はしねぇ。でもやると言ったらやるからな」
ビビはわずかに息を吐く。
「強引だなー。それも嫌いじゃないけどー」
次の瞬間、ビビの額と頬にまで紋様が浮かび上がる。
英雄核を中心に、全身の紋様の光量が一気に跳ね上がった。
赤い光が体中を駆け巡り、砂浜の空気がびりっと震える。
ビビは静かに構えた。
「ー今夜はたっぷりー愛し合おうねー」
英雄核が強く脈打つ。
浜辺の砂がわずかに浮き上がった。
ベルはビビの放つ圧力に、思わず口の端を吊り上げた。
「こいつぁヤベェー。マジでヤベェな。さすがは魔王核ってことか」
ビビの視線がわずかに鋭くなる。
「英雄核ーだよ」
淡々と訂正する。
ベルは肩をすくめた。
「どっちでもいいさ」
そう言うと、両手をゆっくりと広げる。
月明かりの下、十本の指に嵌められた指輪が鈍く光った。
ベルは一本ずつ視線を落とす。
親指、人差し指、中指――順番に確かめるように。
「今日は全員、全力で頼むぜ」
夜風が強く吹き、砂がさらりと流れる。
ベルは指を軽く握り直した。
「5分後にフルバースト仕掛けるから、備えてろ」
その言葉に、指輪の一つがかすかに震えた。
次の瞬間。
びり、と空気が軋む。
ビビの英雄核が強く脈打ち、全身の紋様がさらに輝きを増す。
それに応じるように、ベルの指輪からも見えない圧力が滲み出した。
浜辺の砂が、二人を中心にゆっくりと円を描くように流れ始める。
戦いの火蓋が、静かに切って落とされようとしていた。
ビビの英雄核が強く脈打つ。
それに呼応するように、顔以外の全身に刻まれた紋様が赤く輝き、夜の浜辺を染めていく。
ビビは静かにベルを見据えた。
「今日は油断してるとー死ぬからねー」
淡々とした声だった。
「お願いだからー死なないでねー」
ベルは指を鳴らし、両手を軽く開く。
十本の指に嵌められた指輪が月明かりを受けて鈍く光った。
「今日は初っ端から全開でいかせてもらう」
肩を回し、ゆっくりと構える。
「耐えろよ」
その瞬間。
英雄核の鼓動と、指輪から滲む圧力が同時に強まった。
ざあっ――と、波が大きく打ち寄せる。
浜辺の砂が二人の間で舞い上がり、空気がびりびりと震え始めた。
最初に動いたのはベルだった。
「ミズキ!ぶちかませっ!」
その声と同時に、静かだった海面が激しく揺れる。
数か所で水が渦を巻き、次の瞬間――
どん、と水柱が立ち上がった。
巻き上げられた海水がそのまま形を変え、幾本もの巨大な渦となってビビへと襲いかかる。唸りを上げながら一直線に突き進む水流が、砂浜の空気を震わせた。
ビビは一歩も動かない。
赤く輝く紋様に覆われた体のまま、静かに右手を前へ差し出す。
「うわー派手だねー」
掌をベルの方へ向ける。
「でも効かないよー」
その瞬間、右手の掌に刻まれた紋様が強く光った。
びり、と空気が震える。
次の瞬間――
目の前まで迫っていた海水の渦が、まるで形を失うように一斉に崩れた。
激しく渦巻いていた水流が霧散し、空中で砕ける。
ざあっと細かな水滴が周囲へ広がり、浜辺一帯に白い靄が立ち込めた。
霧のような水の粒子が視界を覆い、二人の姿をぼんやりと隠す。
白い靄が浜辺を覆う。
その中で、ベルが低く言った。
「カタナ!イバラキ!ミカゲ!全部出せ」
返事はない。
次の瞬間――
ベルの足元の影が、音もなく広がった。
靄の中の影という影がゆらりと揺れ、地面の影がわずかに濃くなる。
ベルの影が周囲へ溶け込むように広がり、浜辺のあちこちに黒い領域を作った。
同時に、砂浜がざわりと動く。
地面の下から黒い茨が伸びる。
細く鋭い棘を持つ蔦が砂を割り、蛇のように這って靄の中へ広がっていく。
そして――
ベルの体がきしむように震えた。
腕。
肘。
背中。
指先。
肌を割るようにして、銀色の刃が生え出す。
金属の光が月明かりを受けてぎらりと輝いた。
全身が武器へと変わる。
ベルは首を鳴らす。
「よし」
影が広がり、茨が戦場を覆い、刃が体から生える。
三つの姫神の力が同時に起動した。
白い靄の向こうで、赤い紋様が強く脈打つ。
それを見ながら、ビビが静かに言った。
「そっちもーこの前とは違うねー」
ベルは肩を回し、地面を踏みしめる。
腕や背中から伸びた刃が月光を受けて鈍く光った。
「今夜は本気だからな!」
次の瞬間、ベルは左手の指輪を握り込む。
「カレン!力を貸せ!」
びり、と空気が震えた。
「剛力5倍!」
瞬間――
ベルの足元の砂が、どん、と沈んだ。
筋肉が膨れ上がるわけでもない。
だが体の奥から爆発的な力が噴き出す。
握った拳から、ぎり、と骨が軋む音がした。
ベルはゆっくりと前傾姿勢になる。
影が広がり、茨が砂浜を覆い、体から刃が生えている。
その中心で、ベルが低く笑った。
「さあ来いよ」
靄の向こうで、赤い紋様の光が揺れる。
浜辺の空気が、戦いの圧で震えていた。
白い靄の中で、ベルは両手を顔の前で交差させたまま構える。
腕から伸びた刃が交差し、月明かりを反射する。
「アカリ!弾け!」
次の瞬間――
ベルの周囲で光が弾けた。
ぱん、と空気が震え、無数の光の粒が集まり、透明な壁のようにベルの周囲を包み込む。
柔らかな光が層となり、ベルを中心に防御壁が形成された。
靄の中で、その光が淡く輝く。
間髪入れず、ベルは叫ぶ。
「エンカ!俺に炎を!」
次の瞬間。
ぼっ――と赤い炎が噴き上がった。
ベルの体を中心に炎が巻き上がり、肩から背中、腕へと絡みつく。
揺らめく炎が刃を舐め、空気を熱で歪ませた。
影が広がり、茨が地面を覆い、刃が体から伸び、光が守り、炎が身を包む。
ベルは炎の中で、静かに前を見る。
靄の向こうでは、ビビの全身の紋様が赤く燃えるように輝いていた。
ベルは両腕を交差させた構えのまま、次の指示を飛ばす。
「リューナ!叩き落とせ!」
その瞬間――
空気が、ぐっと沈んだ。
空中に浮いていたビビの体に、見えない圧力がのしかかる。
重力が一気に強まり、体が地面へ引き寄せられる。
ビビの体がわずかに沈んだ。
「おーもっー」
空中で姿勢を保ちながらも、体が下へと引かれていく。
その瞬間、地面の茨が動いた。
砂浜を覆っていたイバラキの蔦が一斉に伸び、空中のビビへ向かって跳ね上がる。
無数の棘の蔦が、蛇のように絡みつこうと迫った。
さらに――
靄の中の影が、ゆらりと揺れる。
ビビの下の影が濃くなり、黒い影が腕のように伸び始めた。
もし地面へ近づけば、そのまま絡め取る構えだ。
ベルは炎を纏ったまま、一歩踏み出す。
体から生えた刃が炎に包まれ、赤く揺れる。
カレンの剛力で強化された脚が、砂を深く踏み抜いた。
光の防御壁がベルを包み込み、背後では光の粒子が静かに揺れている。
影が戦場を覆い、茨が拘束を狙い、重力が押し潰す。
そして――
もしビビが地面へ降りれば。
影が絡み、炎と刃を纏ったベルが、剛力で叩き込む。
ベルは炎の向こうで目を細めた。
「逃げ場はねぇぞ」
「逃げるー?」
重力と茨の中で、ビビはわずかに首を傾けた。
「英雄はー逃げられない!」
その瞬間――
空気が弾けた。
靄が吹き飛び、次の瞬間にはビビがベルの目の前にいた。
鼻先が触れそうな距離。
ベルの瞳がわずかに細くなる。
ビビの両拳、そして膝からつま先までの紋様が一斉に強く輝いた。
「私の戦い方はー」
足先がわずかに動く。
「超接近戦ー」
次の瞬間。
ビビの体が、まるで踊るように動いた。
くるり、と体が回る。
しなやかな動きから、鋭い蹴りが飛ぶ。
ベルの肩へ――
ぎんっ!
刃で受けた衝撃が、砂浜に衝撃波を走らせる。
だがビビは止まらない。
そのまま体を流すように回転し、今度は逆脚の回し蹴り。
さらに着地と同時に低い足払い。
動きは軽やかで、美しい。
まるで舞踏のように滑らかに体が回り続ける。
蹴り。
膝。
回し蹴り。
足技が次々と繰り出される。
ベルの刃がそれを迎え撃つ。
だが――
ベルの斬撃がビビの腕を捉える。
しかし。
ぎん、と硬質な音が響き、刃は弾かれた。
紋様が光るたび、ビビの肌は鋼鉄のような硬度を帯びる。
蹴りが腕へ叩き込まれる。
どんっ!
衝撃で砂が爆ぜた。
そのまま体を流すように回転し、再び蹴りを放つ。
踊るような動きの中に、凶暴な破壊力が宿っていた。
鼻先が触れそうな距離。
そのまま、二人の体が同時に動く。
滑るように踏み込み、体をひねる。
舞うような回転から、鋭い蹴りが肩を狙う。
ぎんっ!
腕から伸びた刃で受け止める。
「速ぇな!」
足元の影が跳ね上がる。
黒い影が腕のように伸び、脚へ絡みつこうとする。
同時に地面の茨がうねり、棘の蔦が横から巻きついた。
くるり、と体が回る。
回転蹴り。
ばきっ!
影を弾き、次の足で茨を蹴り飛ばす。
「その程度ー?」
棘の蔦がばらばらに散る。
「貫け!」
至近距離から細い光線が走る。
空気を裂く光が体へ迫る。
腕で一発弾く。
残りは脚で払う。
鋼鉄の肌に当たった光が弾けて散った。
「光もあるんだー」
炎を纏った拳が振り抜かれる。
「燃えろ!」
炎の拳。
同時に肘の刃が斜めに薙ぐ。
その動きに合わせて踏み込む。
肩に足をかける。
「隙ー」
そのまま跳ね上がり、背中の刃を踏み台にして回転。
上空から踵落とし。
どんっ!!
衝撃で砂浜が爆ぜる。
「ちっ!」
体勢がわずかに崩れる。
その瞬間――
空気が沈む。
重力が落ちる。
体が地面へ押し潰される。
「おっとー」
だがその圧を利用するように体を回す。
地面すれすれで滑り、脚へ自分の脚を絡める。
そのまま回転。
体勢を崩そうと引き倒す。
「甘ぇ!」
炎の拳で地面を叩き、体を戻す。
同時に背中の刃が突き出る。
だがその刃を踏み台にしてさらに跳ねる。
空中で回転。
連続蹴り。
蹴り。
回転。
着地。
再び回転。
「止まれねぇのかよ!」
「止まらないよー」
影が伸びる。
茨が襲う。
光が撃つ。
炎が噴く。
刃が斬る。
重力が落ちる。
そのすべてを、脚と体で弾き落とす。
ぐるぐると戦場を回り続ける二人。
「いいねー!」
「面白ぇ!」
砂浜の中心で、嵐のような近接戦が続いていた。
影が伸びる。
茨が跳ね上がる。
光が走り、炎がうねり、刃が薙ぎ、重力が落ちる。
至近距離で、すべてが同時に飛び交う。
だがビビは止まらない。
体を揺らす。
右へ。
左へ。
くるりと回る。
ベルの正面にいたかと思えば、次の瞬間には横。
腕を振り抜けば、もう背後。
「ちょこまかと…!」
横薙ぎの刃が走る。
だが腰をしならせるだけでかわす。
そのまま腕へ軽く足をかける。
「遅いよー」
跳ねる。
肩を踏み台にして回転。
背後へ滑り込み、蹴り。
どんっ!
踏ん張る。
「逃がすか!」
影が背後から絡みつこうと伸びる。
同時に茨が跳ね上がる。
だがその場でくるりと回る。
舞うような回転。
ばきっ!
回し蹴りで影を弾き、次の足で茨を蹴り飛ばす。
そのまま体を沈め、脇の下へ滑り込む。
距離は、ほとんどゼロ。
「近い方がー楽しいでしょー?」
炎を纏った拳が振り抜かれる。
体を揺らしてそれを避ける。
揺れる。
止まらない。
踊るように。
正面、横、背後。
ぐるぐると位置を変えながら、常に体のすぐそばにまとわりつく。
「裂け!」
光の斬撃が走る。
肩に手をつき、体を跳ね上げる。
空中で回転。
そのまま背中に足をかけて再び回る。
「ほらー」
くるり、と着地。
また正面。
手が届く距離。
「捕まえてみてー」
刃、炎、影、茨、光、重力。
すべてが至近距離で飛び交う。
だが離れない。
揺れる。
回る。
踏む。
跳ねる。
踊るように動きながら、常に体のすぐそばに張り付いている。
そして。
ふっと体を滑り込ませる。
胸元へ潜り込む。
そのまま――
両脚が腰へ絡む。
両腕が首へ回る。
四肢が一瞬で絡みついた。
完全に組みつく形。
「なっ…!」
体勢が固定される。
ぐっと体を寄せる。
顔が、胸元へ押し付けられる。
紋様が赤く強く輝く。
「捕まえたー」
そのまま体を揺らす。
ぐるり、と回る。
体を軸にして踊るように動く。
「離れろ!」
刃が伸びる。
炎が噴く。
影が絡む。
茨が伸びる。
だが離れない。
四肢を絡めたまま体を滑らせる。
「この前のー」
次の瞬間。
膝が跳ね上がる。
腹へ叩き込まれる。
どんっ!
衝撃が響く。
「お返しだよー」
「このまま落とすからー」
絡みついたまま、さらに強く抱きしめる。
胸元――英雄核を中心に、全身の紋様が一斉に輝き始めた。
赤い光が筋のように走り、腕から肩、背中、脚へと広がる。
抱きつく力が、一段上がる。
ぐっ――
圧が締まる。
骨を締め上げるような力。
ベルの体がわずかに歪む。
ぎり……っ
頭部と身体の奥から、軋む音が鳴った。
紋様の光はさらに強くなる。
逃がさないように、四肢が完全に絡みついたまま締め上げる。
砂浜の空気が震える。
その中心で、抱きしめる力だけがどんどん増していった。
胸元に顔を押し付けられたまま、全身に力が満ちる。
どんっ――
砂浜がさらに沈んだ。
締め上げていた圧がわずかに揺らぐ。
その瞬間。
押さえつけられていた両腕に、無理やり力を込める。
ぎり……っ
ビビの両脚で固定されていた腕を、力任せに押し広げる。
筋肉と骨が軋む音が鳴る。
だが止まらない。
剛力二十倍の力が、絡みつく脚ごと押し開く。
ぐっ――
ついに両腕が外れる。
自由になった両手がすぐに動く。
両腕を掴む。
強く、逃がさないように。
その状態で、二人の距離はまだほぼゼロ。
ビビは顔を近づけたまま、くすっと笑う。
「天国みたいな幸せから逃げる気ー?」
胸元に顔を押し付けられたまま、全身に力が満ちる。
どんっ――
砂浜がさらに沈んだ。
締め上げていた圧がわずかに揺らぐ。
その瞬間。
押さえつけられていた両腕に、無理やり力を込める。
ぎり……っ
ビビの両脚で固定されていた腕を、力任せに押し広げる。
筋肉と骨が軋む音が鳴る。
だが止まらない。
剛力二十倍の力が、絡みつく脚ごと押し開く。
ぐっ――
ついに両腕が外れる。
自由になった両手がすぐに動く。
両腕を掴む。
強く、逃がさないように。
その状態で、二人の距離はまだほぼゼロ。
ビビは顔を近づけたまま、くすっと笑う。
「天国みたいな幸せから逃げる気ー?」
掴んだ両腕を、そのまま力任せに持ち上げる。
ぐい、と上へ。
ビビの両腕は頭上へ引き上げられ、まるでバンザイのような体勢になる。
絡みついていた体勢が崩れる。
その瞬間――
「ぷはっ!」
ベルが勢いよく顔を離した。
久しぶりの空気を、胸いっぱいに吸い込む。
肩で息をしながら、目の前のビビを見る。
「お前んとこの姫さんと同じだな」
腕を掴まれたままのビビが、首を傾げる。
「やだー」
わざとらしく体を少しよじる。
「そんなに見ないでー恥・ず・か・し・いー」
「今更かよっ!」
ベルが思わず叫ぶ。
その距離は、まだほとんどゼロのままだった。




