そして朝になるー
「あぁ…そっか、そうなんだ。教えてくれてありがとう」
ゆっくりと起き上がったベルは、先に目を覚ましていたミリィの話を聞き、納得したように頷いた。
部屋の床には、昨夜のじゃんけんの激戦の末に力尽きた四人が、思い思いの体勢で転がっている。アルティシアは椅子にもたれたまま、マリーナは壁際で腕を組んだ姿勢のまま、アダラとビビは床に雑に転がるようにして眠っていた。
どうやら勝負は決着がつかないまま、全員そのまま寝落ちしたらしい。
ベルはその光景を見渡し、ようやく状況を理解したように肩をすくめた。
「要するに、いつも通りってわけね」
ミリィが小さく苦笑する。
「はい…まぁ…そうなりますね」
ベルは軽く伸びをしながら、床に転がるアダラをちらりと見る。
「それで、ミリィはまだあいつのこと無視してるの?」
ミリィの肩がぴくりと動いた。
「……だって」
「もう一週間くらいまともに口聞いてないんでしょ?」
「はい…」
ミリィは視線を落としたまま、小さく答える。
ベルは少し困ったように頬をかいた。
「さすがにそろそろ許してあげたら?」
「……でも…」
言いよどむミリィを見ながら、ベルは少し考えてから口を開く。
「ミリィが本当に許せないのって――」
「なんだよ」
いつの間にか、床に転がっていたアダラが目を開けていた。まだ寝ぼけた顔のまま、こちらを見ている。
「なんかいつも不機嫌な奴だと思ってたけど、ずっと怒ってんのか?」
ミリィがむっとした顔でアダラを見る。
ベルが慌てて間に入る。
「ま、まぁまぁ…」
しかしアダラは気にした様子もなく、ミリィをじっと見てから言った。
「ようするに、お前がガキってことなんじゃないのか?」
「そ、そんなことありません!」
「ガキなんだよ。怒ってるってのはさ、気軽に尻触られたって、つまり子供扱いされたことに腹立ててんだろ?」
「そ、それは…」
「まーそうだよね」
「ほら、見ろ」
「ち、ちがっ」
「違わねぇって。他のやつなら魔王殺しだってさすがにおいそれと尻触ったりしないんだろ?」
「さすがにそれは」
「..さすがにないかと」
床に寝転がったまま、アダラがくくっと笑う。
「だろ?」
「つまりお前って、自分が子供扱いされたことに腹立ててんだよ」
「ち、違います!」
「違わねぇって」
ミリィは言い返そうとして、言葉を詰まらせた。
アダラは少し身体を起こし、にやりと笑う。
「要するにお前さ」
「魔王殺しに、子供じゃなくて――一人前の女として見られたかったんだろ?」
その言葉に、ミリィがはっと息を呑んだ。
隣で聞いていたベルも思わず目を丸くする。
「……そ、そんなこと……」
否定しようとするが、声が弱い。
「図星か」
「ち、違います!」
「ミリィ?」
ミリィは慌てて顔を背けた。耳まで真っ赤になっている。
「ち、違いますから!」
少しの沈黙のあと、ミリィはむっとした顔でアダラを睨んだ。
「ガキガキって…そういうアダラ様はおいくつなんですか?」
「見たところ私とそう変わらないような…」
「確かに」
アダラはきょとんとしたあと、あっさり答える。
「何言ってんだ?私は十四歳、ビビは十六歳。立派な大人の女だよ」
「14!?」
「14で夜這いとか…ちょっと早すぎない?」
「西の大陸じゃ十四歳は立派な大人だよ」
そう言ってアダラが胸を張ってみせる。
「ほれ」
ミリィはつい視線を向け、ぽつりと呟いた。
「確かにベルさんよりはありますけど..」
ベルの眉がぴくりと動く。
「ちょっとミリィ?」
ベルは少し考えるように視線を落とし、それからぽつりと口を開いた。
「でもビビが16と言うことは…あと4年ってこと?」
さっきミリィから聞いた話を思い出しながらの言葉だった。
床に座り直したアダラが、あっさりと頷く。
「そういうこと」
それから、さっきまでの軽い調子とは違う、少しだけ真面目な声で続けた。
「だからそれまでに、魔王殺しの、英雄と呼べるくらい強い資質を持った子供がなんとしても欲しいんだ」
ベルは思わず眉を寄せる。
アダラは肩をすくめた。
「ま、それが最善だけどな」
「別に強くなくたっていい。なんなら産まれなくってもいい」
ベルとミリィが同時に顔を上げる。
アダラは指先で床を軽く叩きながら言った。
「ただ、その可能性でも示せば…」
そこで一度言葉を区切り、苦笑する。
「もうちっとは寿命が伸びるんだ」
部屋に、少しだけ重い沈黙が落ちた。
ベルはその言葉をゆっくり飲み込むように、しばらく黙っていた。
ベルはしばらく黙って考えていたが、やがてぽつりと口を開いた。
「何か他の方法はないのかな?」
アダラは間髪入れずに答える。
「ねぇよ。そんなのがあればとっくにやってる」
その声はいつもの軽さを保っていたが、どこか諦めに似たものが混じっていた。
アダラは後ろに手をつき、天井を見上げる。
「私はさ、聖戦の、魔王殺しの話を聞いた時、もうこれっきゃねぇって、そう思ったんだ」
そう言ってから、ちらりとビビの方を見る。
床で大の字になって眠っているビビは、相変わらず幸せそうな顔で寝息を立てていた。
アダラは小さく笑う。
「幸い、ビビも魔王殺しのこと気に入ったみたいだし」
それから視線をベルへ戻した。
「……あいつがうんと言ってくれりゃあ、私らは助かるんだ」
その言葉を聞いたミリィが、少しだけ眉をひそめる。
ベルは何も言わず、しばらく考え込んでいた。
「朝から尻だのなんだのと、そういう話は感心しないな」
低く落ち着いた声が、後ろから割って入った。
振り向くと、壁際にもたれていたマリーナがいつの間にか目を覚ましていた。胸と背中の大きく開いたカクテルドレスのまま、腕を組んでこちらを見ている。どうやら少し前から起きていたらしい。
それを見たアダラが、じろりと上から下まで眺める。
「いや、そんなカッコした奴に言われたくないよ。胸なんてほぼ出てんじゃん」
そして指をさして続けた。
「なんだそのカッコは」
マリーナは自分の服装をちらりと見下ろし、小さく肩をすくめる。
「これは..決してベルが胸好きと気付いたから用意したけではなく,..たまたまです」
「それよりも、朝からあまりよろしくない話題が聞こえてきましたので」
アダラは鼻で笑う。
「よろしくないも何も、こっちは命かかってんだよ」
マリーナはその言葉にわずかに目を細めた。
「……英雄核のお話ですね」
アダラの方へ向き直り、姿勢を正す。
「先ほどの話、少し聞こえておりました」
マリーナは静かにアダラへ視線を向けた。
「彼、魔王殺しを諦めるつもりはない、と」
「当たり前」
アダラは間髪入れずに答える。
「ビビの命がかかってるからには」
その言葉に、マリーナは小さく息を吐いた。
「まぁ…そうですよね」
ほんのわずかに肩をすくめる。
「私も納得はできませんが、お気持ちは理解できます」
アダラは眉をひそめる。
「だったら黙って見ててくれよ」
その言い方はぶっきらぼうだったが、どこか必死さが滲んでいた。
マリーナはしばらくアダラを見つめ、それから小さく頷く。
「……承知しました」
「少なくとも、邪魔はいたしません」
そう言いながら、ちらりとベルの方へ視線を向ける。
「もっとも――決めるのは彼ですが」
「そういうわけにも参りません」
静かな声が、部屋の奥から差し込んだ。
振り向くと、床に座り込んでいたアルティシアがゆっくりと上体を起こしていた。長い髪を指で整えながら、どこか呆れたような視線をこちらへ向けている。
「なんだ、お前も起きてたのかよ」
アダラが眉を上げる。
アルティシアは小さく息をついた。
「朝からあれだけ騒がれては、目も覚めると言うもの」
その言い方に、アダラの口元がぴくりと引きつる。
「朝から喧嘩売ってんのか?」
アルティシアはゆっくりと立ち上がり、軽く裾を整えた。そのままアダラをまっすぐ見据える。
「それはこちらのセリフです」
落ち着いた声で続ける。
「わが国が保護対象とする魔王殺しを、そのように私的に利用されるのは、王女として賛成できません」
アダラは腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。
「本音を言えよ」
その言葉に、アルティシアは一瞬だけ目を細める。
そして、ためらいもなく言った。
「わたくしのベル様を、誰にも渡す気はありません」
部屋の空気が、一瞬だけ止まる。
アダラはぽかんと口を開け、それから思わず吹き出した。
「マジで本音過ぎんだろ」
アルティシアは微笑みすら浮かべたまま、静かに言った。
「わたくし、ベル様のためであれば世界を変えることも厭わないつもりでおりますので」
その言葉に、アダラは感心したように口笛を吹く。
「言うねぇー」
腕を組み、アルティシアを値踏みするように眺めた。
「そんなに魔王殺しがいいのか?」
アルティシアは一切迷わず答える。
「わたくしの運命の相手であると信じておりますわ」
その横で、マリーナも静かに頷いた。
「私も、彼の愛こそが全てと言っておきます」
あまりにも真顔で言われたため、ベルは思わず肩をすくめる。
「あつっ…」
その隣でミリィが小声でつぶやいた。
「ちょっと怖いんですけど…」
二人の視線を受けながら、アダラは面白そうに笑う。
「じゃあ、うちらと戦争する気か?」
アルティシアは少しも表情を崩さない。
「必要であればやむなし」
その一言で、部屋の空気がぴんと張り詰めた。
「いいね。じゃあやろうぜ」
そう言うなり、アダラはその場にさっと身体を伏せた。床に腹ばいになると、右肘を立て、ぐっと拳を握って差し出す。
その仕草の意味は誰の目にも明らかだった。
アルティシアは一瞬だけ目を瞬かせたが、すぐに小さく息を吐く。
「……なるほど」
ドレスの裾を軽く整えると、彼女も同じように床へと身を伏せた。腹ばいになり、右肘を立てる。そして、アダラの差し出した手を強く掴んだ。
ぱちん、と乾いた音が部屋に響く。
指と指が絡み合い、二人の腕がぴたりと一直線に並ぶ。
「勝負だ!」
「望むところですわ」
互いの視線が真っ直ぐにぶつかる。
その横で、ベルがぽつりとつぶやいた。
「……腕相撲じゃん」
ミリィも思わず小声で答える。
「腕相撲ですね……」
マリーナは腕を組んだまま、静かに見下ろしていた。
部屋の空気が、ぴんと張り詰める。
次の瞬間、勝負が始まろうとしていた。
二人の手が強く組み合わされ、床の上で腕が一直線に並ぶ。
張り詰めた空気の中、アダラがにやりと口の端を上げた。
「おらよ」
次の瞬間だった。
ぐい、と軽く力が込められる。
「あっ……」
アルティシアの声が小さく漏れたと思ったときには、もう勝負はついていた。
ぱたん、と音を立てて腕が倒れる。アルティシアの身体も一緒に横へと転がり、さらりとした金髪がふわりと揺れた。
あまりにもあっけない決着だった。
一瞬、部屋の空気が止まる。
アダラがきょとんとした顔で言った。
「……え?」
アダラが目を瞬かせ、それから肩をすくめた。
「よんわ。アリンコ並じゃん」
アルティシアはゆっくりと身体を起こし、乱れた髪を指で整える。表情は意外なほど落ち着いていた。
「さすが武人としても名の知られたアダラ姫」
少し感心したように続ける。
「これこそが英雄の再来ということですね…」
アダラは思わず苦笑した。
「いやいや、あんた普通に弱いって」
そのやり取りを見ていたマリーナが、小さく息をつく。
「まぁ…アルティシア殿下は武芸などには関わりのないお立場ですので」
そしてアダラへ視線を向けた。
「どちらかと言えば、殿下が普通で――姫が特異なのかと」
アダラが顎でミリィをしゃくった。
「ちょっとお前やってみろよ」
急に振られたミリィは目をぱちぱちさせたが、逆らう理由もなく、そそくさと前に出る。言われるまま床に腹ばいになり、小さな肘を立てて右手を差し出した。
向かい合ったアルティシアが、優雅に指を絡める。
「子供とは言え、手加減はいたしませんわ」
「よ、よろしくお願いします!」
ミリィはぺこりと頭を下げる。
横からマリーナが手を軽く上げた。
「始め!」
次の瞬間。
ころりん。
「ああっ…」
アルティシアの腕は、先ほどとほとんど同じ速さで床へと転がっていた。
ミリィは自分の手を握ったまま固まり、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「……あれ?」
ぽつりと呟く。
「わ、私……勝ったんですか?」
アダラが盛大に吹き出した。
「ぶはっ!おいおい、マジかよ!」
マリーナは思わず額を押さえる。
アルティシアは床に頬をつけたまま、しばらく動かなかった。やがてゆっくりと顔を上げ、静かに言った。
「……今のは」
一度咳払いをする。
「わたくしとしたことが油断しましたわ」
アルティシアの腕がまたしてもころりと床へ転がり、部屋の空気が妙に静まり返った。
アダラが呆れたように肩をすくめる。
「あんた、10歳の子供に負けるって、なかなかだぞ」
ミリィが慌てて手を振った。
「い、いえ!たまたまです!」
アダラはちらりとアルティシアを見る。
「確か私と同い年だろ?」
アルティシアはゆっくりと身体を起こし、何事もなかったように髪を整える。
「姫は14、わたくしは15」
それからきっぱりと言った。
「わたくしのほうがお姉さんです」
アダラが思わず顔をしかめる。
「よく言えたな、そんなこと」
そのまま視線を横へ向ける。
「警部、やろーよ」
呼ばれたマリーナは少しだけ眉を上げたが、特に断る様子もなく前へ出た。
ドレスの裾を軽く払うと、床に腹ばいになり、静かに肘を立てる。
アダラもにやりと笑いながら同じ体勢になる。
二人の手が、ぎゅっと組み合わされた。
ミリィが慌てて近くに寄る。
「は、はじめ!」
次の瞬間、二人の腕がびくりと震えた。
アダラの表情がすぐに引き締まる。
「くっ……さすが…」
押し込もうとする力に対し、ぴたりと止まる腕。
マリーナの声は静かだった。
「……なかなかやりますね」
床の上で、二人の腕がぎりぎりと拮抗していた。
床の上で組み合わされた腕は、びくりとも動かないまま時間だけが過ぎていった。
最初は余裕そうだったアダラの表情も、次第に真剣なものへと変わっていく。腕の筋が浮き上がり、歯を食いしばる。
「くっ……!」
それでも押し切れない。
マリーナの腕は、まるで柱のように動かなかった。
周りで見ていたベルとミリィも、思わず息を呑んで見守っている。
やがて数分が経ったころだった。
「……そろそろ、よろしいでしょうか」
マリーナが静かに言った。
その直後。
ぐい、と腕が動く。
「うおっ……!」
アダラの腕が一気に押し込まれ――
ぱたん、と床へと倒れた。
決着だった。
アダラはしばらく床に突っ伏したまま息を整え、それからゆっくり顔を上げる。
「やるじゃねぇか……」
悔しそうに笑いながら言った。
「これはライバルと認めざるを得ないな」
マリーナも腕を戻しながら、わずかに口元を緩める。
「姫こそ、なかなかお強いことで」
二人はしばらく黙って互いを見つめる。
戦いを終えたばかりの者同士の、妙な連帯感のようなものがそこに生まれていた。
腕相撲の勝負が終わり、部屋の空気が少しだけ落ち着いた頃だった。
アダラがふっとベルの方を見る。
「で?」
そのまま顎でしゃくる。
「次はお前じゃねぇのか?」
ベルがきょとんとする。
「え、私?」
ミリィも隣で小さく頷いた。
「流れ的にそうなりますよね……」
床の上では、アルティシアがすでに体勢を整えていた。腹ばいになり、右肘をきちんと立てている。先ほど二連敗したとは思えないほど、姿勢は優雅だった。
「お待ちしておりましたわ」
ベルは少し困ったように頭をかく。
「いや、私そんな強くないよ?」
「問題ありません」
アルティシアは微笑んだ。
「先ほどの結果からして、わたくしにも十分勝機はあります」
その言葉に、横でアダラが吹き出す。
「おい、それ自分で言うのかよ」
ベルは苦笑しながらも、結局その場に腹ばいになる。右肘を立て、アルティシアの手を握った。
二人の手が組み合わさる。
ミリィが慌てて前に出る。
「え、えっと……」
周りを見回し、少し緊張した声で言った。
「は、はじめ!」
「は、はじめ!」
ミリィの声と同時に、二人の腕に力が入る。
次の瞬間――
ぴたり。
まるで止まったように、腕が動かない。
一秒。
二秒。
三秒。
横で見ていたアダラが、ぽかんと口を開いた。
「うそだろ、お前ら」
ミリィも思わず呟く。
「…まさか、こんなことが」
マリーナは腕を組み、わずかに口元を緩めた。
「ある意味、熱い戦いになりましたね」
床の上では、二人の腕が小刻みに震えていた。
押し込もうとする力と、それを押し返す力が完全に拮抗している。
アルティシアの額に、うっすらと汗が浮かぶ。
「さすが…やりますね」
対するベルも、歯を食いしばりながら答える。
「アルティシアさんこそ…まさかこれほどとは…」
二人の腕は、ほんのわずかに傾きかけては戻り、また傾きかけては止まる。
床の上で、妙に真剣な勝負が続いていた。




