姫と警部ー
マリーナは姿勢を正し、アルティシアに向き直った。
「直接お会いするのはお初となります。大陸警察地方特別捜査官、警部マリーナ・ベイ・マリスであります」
そう言って、きびきびと敬礼する。
アルティシアは椅子から立ち上がり、優雅に一礼した。
「初めまして。ルグレシア王国第二王女、アルティシア・ヴァン・ルグレシアです」
柔らかな笑みを浮かべる。
「この度のご協力に感謝します」
マリーナは静かに頷いた。
「こちらこそ」
二人の視線がまっすぐに交わる。
ミリィはその空気に少し緊張した様子で小声になる。
「……なんだか、本当に偉い人同士の会話って感じです……」
ベルは椅子にもたれながら苦笑した。
「さっきまで恋バトルしてた人達と同じとは思えないよね」
その言葉に、アルティシアとマリーナが同時にベルを見る。
ベルは慌てて視線をそらした。
「……今のなしで」
アイザックが静かに咳払いをした。
「では、改めて本題に入られてはいかがでしょうか」
アルティシアは頷く。
「アイザックの言うとおりですわ」
そしてマリーナをまっすぐ見た。
「早速始めましょう」
マリーナも腕を組んだまま応じる。
「ええ」
アルティシアは静かに言い切った。
「どちらがベル様の相手に相応しいのか、を」
アイザックが即座に口を挟んだ。
「違いますわい」
場の空気が一瞬止まる。
アイザックは額を押さえ、ため息をついた。
「そのような話ではなく」
「アダラ王女への対処についての協議でございます」
ミリィが小さく頷く。
「そ、そうですよね……」
ベルは椅子にもたれながら苦笑した。
「……やっぱりそっちに戻るんだ」
アルティシアは涼しい顔で続けた。
「それについてはどうでしょう?」
カップを指先で軽く回す。
「アダラ王女に直接お会いして、お話したいとわたくしは考えておりますが」
マリーナは少し考え、腕を組んだまま頷いた。
「そうですね」
「その方が話が早そうです」
視線をベルへ向ける。
「この街にいらっしゃるということなら」
ミリィが小さく身を乗り出す。
「でも……会ってどうするんですか?」
アルティシアは静かに微笑んだ。
「説得ですわ」
マリーナが淡々と補足する。
「あるいは牽制」
アルティシアも頷く。
「ええ。少なくとも――」
窓の外の海をちらりと見る。
「こちらが黙って見ているわけではない、ということは伝えておく必要があります」
ベルはコーヒーを飲みながら呟いた。
「……なんか外交会談みたいになってきたな」
アイザックが静かに言った。
「実際、そういう側面もございますので」
ミリィは小さく息をつく。
「……カフェでやる話じゃない気がします」
アイザックは小さくため息をつき、カップを静かにソーサーへ戻した。
アイザック「残念ながら、世の中はそこまで甘くありません」
ベル「え?」
アイザック「この街には今、各国の密偵が相当数入り込んでいます。西大陸の王女と東大陸の王女が同時に滞在している。それだけで十分すぎる理由です」
ミリィ「……やっぱり、そうですよね」
アルティシアは肩をすくめ、どこか楽しげに微笑んだ。
アルティシア「まあ、それでもカフェという場所は優秀ですわよ。皆、人の話など聞いていないふりをして聞いていますもの」
ベル「それ、全然安心できないんですけど……」
マリーナ「安心など最初からしていない」
マリーナは腕を組み、周囲の席へ一度だけ視線を流す。
マリーナ「だが確かに、ここで国家の未来を決める会議をしているとは誰も思うまい」
アルティシア「ええ。だからこそ——」
アルティシアはカップを指先で回しながら、さらりと言った。
アルティシア「恋の話として進めるのです」
ベル「恋……?」
ミリィ「つまり……」
ミリィはベルとアルティシア、そしてマリーナを順に見た。
ミリィ「ベルさんを誰が好きか、って話の体で?」
アルティシア「ええ」
マリーナ「なるほど」
アイザック「……なるほどではありません」
アルティシアは楽しそうに目を細める。
アルティシア「簡単な話ですわ。わたくしとアダラ王女、そしてマリーナ警部——」
ベル「……え?」
ミリィ「三人ですね」
アルティシア「この三人の中で、誰がベル様に相応しいのか」
ベル「はい?」
ベルは完全に固まった。
ミリィは落ち着いた顔で頷く。
ミリィ「なるほど」
ベル「なるほどじゃないよ!?」
マリーナは腕を組んだまま、特に否定する様子もなく言う。
マリーナ「……ふむ」
ベル「マリーナさん!?」
マリーナ「別に構わん」
ベル「構わないんですか!?」
ミリィ「そこは否定しないんですね」
マリーナは淡々と答える。
マリーナ「私は警部だ。冷静に状況を判断する」
ベル「いや全然冷静じゃない気がするんですけど」
マリーナ「それに」
マリーナはコーヒーを一口飲んでから言った。
マリーナ「候補に入ること自体は、特に問題ではない」
ベル「問題しかないですよ!?」
アルティシアは満足そうに頷いた。
アルティシア「さすがマリーナ警部。話が早いですわ」
ミリィ「つまり」
ミリィは小さく指を立てる。
ミリィ「恋の話として進めながら、実際には国家間の思惑を整理する、と」
アルティシア「ええ」
アルティシア「わたくし、アダラ王女、そしてマリーナ警部」
アルティシア「この三人の“想い”という形で」
ベル「いや絶対想いじゃないですよね!?」
アイザックはこめかみを押さえた。
アイザック「……国家の未来が、なぜこんな会議形式になっているのか」
マリーナは静かに笑った。
マリーナ「いい隠れ蓑だ」
ミリィも真顔で頷く。
ミリィ「完全に恋バナですからね」
ベル「私だけ全然笑えないんですけど……」
アルティシアは優雅に紅茶を口に運ぶ。
アルティシア「安心してください、ベル様」
ベル「何がですか」
アルティシア「最終的に決めるのはベル様ではありません」
ベル「……え?」
ミリィは小さく指を立てた。
ミリィ「ベルさんが決める話じゃないんです」
ベル「……え?」
アルティシアは静かに微笑む。
アルティシア「決めるのは、あの方ですもの」
ベル「……」
ベルは数秒固まった。
ベル「それもっとダメなやつじゃないですか!?」
マリーナは淡々と言う。
マリーナ「別に問題はない」
ベル「ありますよ!?」
マリーナ「少なくとも、あの男は現実的だ」
ベル「そこなんですよ!」
ミリィは真顔で頷いた。
ミリィ「はい」
ミリィ「あの人が決めることなので」
ベル「絶対ろくでもない決め方しますよね!?」
マリーナは小さく笑った。
マリーナ「それは否定できんな」
アルティシアもくすりと笑う。
アルティシア「ですが、それも含めて」
アルティシア「面白いではありませんか」
ベル「全然面白くないんですけど……」
マリーナはカップを置き、ふと思い出したように言った。
マリーナ「ところで、アダラ姫達のこの街での拠点はどこにある?」
聞かれたベルは、ミリィと顔を見合わせた。
ベル「……そういえば、どこなんだろう?」
ミリィ「いつもあちらから来るので……気にしたことが……」
マリーナ「知らないのか?」
ベル「はい」
ミリィ「はい……」
アルティシアは少し驚いたように瞬きをした。
アルティシア「ベル様のところへ通っているのに、ですの?」
ベル「通ってるっていうか……」
ミリィ「向こうから来るというか……」
マリーナ「護衛は?」
ベル「ビビだけですね」
ミリィ「はい。いつもビビさんだけです」
マリーナはわずかに眉を上げた。
マリーナ「……一人?」
ベル「でも、この街には部下の人たちも来てるんですよね」
ミリィ「はい。十数人ほどって聞きました」
マリーナ「ほう」
ベル「ただ、一緒に行動してないだけみたいです」
アルティシアは小さく笑った。
アルティシア「相変わらず大胆ですこと」
ベル「大胆なんですか?」
マリーナは腕を組む。
マリーナ「普通ならあり得ん」
ベル「ですよね」
ミリィ「王女ですよね……?」
マリーナ「普通は数十人規模の護衛がつく」
アルティシアは紅茶を一口飲み、落ち着いた声で言った。
アルティシア「ですが、その方が合理的ですわ」
ベル「え?」
アルティシア「十数人の護衛を引き連れて街を歩けば、それだけで王女の居場所を宣伝するようなものですもの」
ミリィ「確かに……」
マリーナも頷く。
マリーナ「だから分散している」
ベル「なるほど……」
ミリィ「じゃあ、ビビさんだけ連れて歩いてるのは……」
マリーナは短く答えた。
マリーナ「機動力のためだ」
アルティシアは楽しそうに微笑む。
アルティシア「そして、もう一つ」
ベル「なんですか?」
アルティシア「ビビ様一人で足りるからですわ」
マリーナは小さく笑った。
マリーナ「少なくとも、この街でアダラ姫に手を出そうとする連中にとっては——」
マリーナ「十分すぎるほどにな」
少し間を置いて、マリーナは思い出したように言った。
マリーナ「この街の警察支部なら把握しているだろう。後で聞いておこう」
アルティシアは頷く。
アルティシア「それなら、明日にでも会談を設けられそうですね」
ベルは少し迷ってから言った。
ベル「それ……あいつもいた方がいい、ですよね?」
マリーナは即答した。
マリーナ「無論だ」
そして少しだけ言い直す。
マリーナ「そうしてくれるなら、会いたい……いや、ありがたい」
アルティシアも静かに頷いた。
アルティシア「そうですね」
アルティシア「わたくしも、可能であればお会いしたい……ありがたく存じます」
ベルは少し考えてから言った。
ベル「それなら、今夜というのは?」
マリーナ「何か当てでもあるのか?」
ベルは肩をすくめ、ミリィを見る。
ベル「あてというより……ねぇ?」
ミリィは平然と答えた。
ミリィ「ベルさんの部屋で待っていれば、来ますよ」
ミリィ「毎夜来てるので」
アルティシアは少し驚いたように瞬きをした。
アルティシア「それは盲点でした」
マリーナは口元をわずかに上げる。
マリーナ「なるほど、泳がせるわけか」
ベルは苦笑した。
ベル「いや、泳ぐも何も……」
ベル「それが平常運転だから」
マリーナ「それにしても今夜……夜、とはな」
アルティシアも少しだけ視線を落とした。
アルティシア「本当に。今夜……夜ですか」
ベルは首をかしげる。
ベル「夜だと都合悪いんですか?」
マリーナは軽く咳払いをした。
マリーナ「いや、そんなことはないが」
アルティシアは扇子もないのに口元を隠すように指を当てる。
アルティシア「夜、ベル様もご一緒にとなると……」
マリーナは腕を組んだまま、少しだけ遠くを見る。
マリーナ「話し合いの結果如何によっては……」
アルティシア「ええ……」
マリーナ「そのまま朝までベル様と過ごすことになり得ますものね」
ミリィはきょとんとした。
ミリィ「……?」
ベル「……?」
マリーナとアルティシアは同時に小さく息を吸う。
マリーナ&アルティシア「緊張で胸が張り裂けそう」
ベル「なんでですか!?」
アイザックが静かに口を開いた。
アイザック「マリーナ様はまだしも、殿下は張り裂けるほどのものはお持ちでは——」
アルティシア「アイザック」
アイザック「失礼しました」
アルティシアはわずかに顎を上げ、微笑んだ。
アルティシア「確かに、わたくしには警部の様な豊かな身体はございませんが……」
アルティシア「これからの成長に期待していただければ、と」
その言葉に、マリーナの顔に青筋が浮かんだ。
マリーナ「……殿下はお若いですからな」
マリーナ「未来があるというのは、確かに羨ましい」
一拍置き、マリーナはふっと口元を上げる。
マリーナ「ただ——」
アルティシア「ただ?」
マリーナは腕を組み、ゆっくりと言った。
マリーナ「聞いた話によると、どうやら魔王殺しは豊かなバストに強く興味がある、とか」
そう言って、マリーナはわざとらしく胸を張った。
アルティシアの笑みがぴたりと止まる。
ミリィ「……」
ベル「……」
ミリィは小さくベルの袖を引いた。
ミリィ「ベルさん」
ベル「なに……」
ミリィ「この話、国家会議ですよね?」
ベル「私もそう聞いてたんだけど……」
アイザックは静かに目を閉じ、深く息を吐いた。
アイザック「……国家の未来がかかっているはずなのですがね」
アルティシアはふっと顔を正し、穏やかに微笑んだ。
アルティシア「何をおっしゃいますか、国家会議ならばアダラ姫もいる場でなくては」
「ですから、今日はここでお開きとして——」
「今夜、話をつけるとしましょう」
マリーナもゆっくりと頷く。
「そうですね」
「私も着替えなどせねばなりますまい」
「……え、今夜ですか?」
ミリィは小さく頷きながら、ベルの袖を引く。
「はい、ベルさん。平常運転ですから……」
「いや平常運転すぎて逆に怖いんですけど……」
アルティシアは優雅に微笑み、ベルに軽く手を差し出す。
「心配なさらなくてよろしいですわ、ベル様」
マリーナも少しだけ口元を緩めた。
「……さあ、行くとしようか」




