姫心は秋の空のようにー
王城の一室。
高い窓から柔らかな光が差し込み、静かな空気が流れている。
テーブルの上には一通の報告書。
それを手にしたアルティシア・ヴァン・ルグレシアは、困ったように首を傾げていた。
「……アダラ様が?」
隣に立つアイザックが静かに頷く。
「はい」
落ち着いた声だった。
「カダブランカ王国の姫君、アダラ・カダブランカ様」
「数日前、少数の部下を連れて国を出たとのことです」
アルティシアは目を瞬かせる。
「国を……?」
「はい」
アイザックは続けた。
「どうやら目的は――」
わずかに間を置く。
「魔王殺し」
その場にいたもう一人の人物が、静かに反応した。
王都騎士団部隊長。
ライン・バックスである。
「……魔王殺し、ですか」
落ち着いた声で呟く。
アルティシアは思わず身を乗り出した。
「そ、それは本当ですか!?」
瞳がきらきらと輝いている。
アイザックは穏やかに頷いた。
「情報筋によれば、その可能性が高いとのことです」
アルティシアの頬が、わずかに赤くなる。
「……あの方を……?」
ぽつりと呟いた。
だがすぐに我に返り、姿勢を正す。
「ですが……」
少し首を傾げた。
「一体、どんな目的があるというのでしょうか……?」
ラインは静かに腕を組んだ。
「西大陸の文化を考えますと……」
少し考えるように言葉を選ぶ。
「強者への憧れが非常に強いと聞きます」
「魔王を討った存在であれば、興味を持たれても不思議ではありません」
アイザックも続ける。
「カダブランカ王家は、特に英雄崇拝の強い家系です」
「魔王殺しという存在は……彼らにとって特別な英雄なのでしょう」
アルティシアは少しだけ考える。
そして、ぽつりと言った。
「……会いに行かれたのでしょうか」
その声には、どこか羨ましそうな響きがあった。
ラインはその様子に気づき、少し表情を引き締める。
「殿下」
穏やかな声だった。
アルティシアははっとして姿勢を正す。
「な、なんでもありません!」
慌てて言う。
しかし頬はまだほんのり赤い。
アイザックはその様子を見て、静かに片眼鏡を押し上げた。
そして小さく呟く。
「……若い方々は、実に忙しいものですな」
アルティシアは椅子に座ったまま、どこか落ち着かない様子だった。
指先がそわそわと動き、視線も落ち着かない。
ラインが不思議そうにその様子を見ていると――
隣で控えていたアイザックが、静かに口を開いた。
「殿下」
ぴたり、とアルティシアの動きが止まる。
「なりません」
アルティシアはゆっくりと振り向いた。
にこり、と笑う。
「一体、なんのことでしょうー?」
アイザックは表情一つ変えない。
「彼に会いに行こうとしてはいませんか?」
アルティシアの笑顔が、ほんの少しだけ固まった。
それでもすぐに首を傾げる。
「……一体、なんのことでしょう?」
アイザックの声が、少しだけ強くなる。
「なりません!」
アイザックは静かに続けた。
「先の聖戦」
落ち着いた声だった。
「実際に戦闘に入る前に、例の教会の特記戦力が敵軍を殲滅したため回避されたとは言え……」
片眼鏡を指で軽く押し上げる。
「まだ戦後処理は完了しておりません」
アルティシアの肩が、少しだけ落ちる。
アイザックは淡々と続けた。
「避難していた民への支援」
「書き換わった地図の編纂」
「各国との調整」
そして静かに結ぶ。
「やるべきことは、まだ――」
その時だった。
「あーあーあーあー!」
アルティシアが突然声を上げた。
両手で耳を押さえている。
「わかっております!」
むっとした顔で言い切る。
「わかって……おりますとも」
頬をぷくっと膨らませた。
その様子を見て、ラインは思わず口元を緩める。
アイザックは小さくため息をついた。
アルティシアはふいに席を立つと、窓辺へ歩み寄った。
高い窓の向こうには、青い空が広がっている。
彼女はそっと空を見上げた。
その瞳の中に、ひとつの顔が浮かぶ。
銀髪の少年。
魔王殺し。
ベル。
それは、アルティシアの心の中にだけいる姿だった。
「ベル様……」
小さく呟く。
「恋に障害はつきものとは言いますが……」
胸の前で手をぎゅっと握る。
「アルティシアは辛うございます」
少し俯く。
「この身分違いの恋……たくさんの障害……」
そこで、ふっと顔を上げた。
瞳がきらきらと輝く。
「とても……燃えますわ!」
くるりと振り返る。
「アダラ様にどのような思惑があれ……」
ぐっと拳を握った。
「私達の運命と、愛が!負けるはずがございません!」
胸の中で、恋の炎が燃え上がる。
アルティシアは勢いよく宣言した。
「こうしてはおれませんわ!」
そして大きく声を上げる。
「アイザック! 馬車を!」
ラインが一瞬目を見開く。
アルティシアは胸を張った。
「ベル様に会いに行きます!」
アイザックは一瞬沈黙した。
そして額を押さえる。
「だから、なりませんって!!」
ついに声が荒くなる。
「わっかんねぇやつだなぁっ!」




