港町から眺める大洋はー
昼間。
太陽が高く、眩しい光が世界を照らしている。
聖戦と呼ばれた大事件が終わってから、しばらくが過ぎていた。
ベルは今、また別の街へ来ていた。
穏やかな港町。
潮の匂いが風に混じり、遠くで波の音がゆっくりと響いている。
船乗りたちの声や、港で働く人々の活気も聞こえるが、どこかのんびりとした空気が流れていた。
ここに来た理由は特にない。
ただ――
「港からの景色がすごく綺麗なんです」
そうミリィが言ったからだ。
ベルはその言葉を聞いて、少しだけ興味を持った。
そして今。
二人は港町の外れにある高台に立っていた。
眼下には、青い海。
港から伸びる桟橋、ゆっくり動く船。
白い帆が太陽の光を受けて輝いている。
海はどこまでも広がり、空と境目が分からないほどだった。
風が吹き、ベルの黒髪と赤いスカーフが揺れる。
しばらく、二人は何も言わなかった。
ただ景色を見ていた。
やがて。
ミリィが小さく声を漏らす。
「……すごいです」
ベルは隣を見る。
金髪の少女は、目を輝かせて海を見つめていた。
ベルも海を見直す。
「……ほんとだ」
思わず、そんな言葉がこぼれた。
胸の奥が、少しだけ軽くなるような景色だった。
世界には、まだこんな穏やかな場所がある。
そんな当たり前のことが、なぜか少し嬉しい。
ベルは海を見ながら、ふっと笑う。
「ミリィ」
「はい?」
「いい場所知ってたんだね」
ミリィは少し照れたように笑う。
「昔、本で読んだことがあるんです」
そしてまた海を見る。
青い海。
白い雲。
ゆっくりと進む船。
「……来てよかったです」
ミリィがそう言うと、ベルも小さく頷いた。
「うん」
風が吹き抜ける。
そのときだった。
遠くの海の向こうに、小さな船影がひとつ見えた。
まだずいぶん遠い。
けれど確かに、こちらへ向かってきている船だった。
ベルは海を眺めたまま、ふと口を開いた。
「このあとどうしよっか?」
ミリィは少し首をかしげて考える。
「そうですねぇ……」
港町の方へ視線を向けた。
「少し早いですけど、ランチなんてどうです?」
ベルはくるっと振り向く。
「ランチ?」
「はい。港町ですし、きっとお魚料理が美味しいと思います」
ミリィは少し楽しそうに続けた。
「この街、海が近いですから」
ベルは少し笑う。
「いいね」
それから首を傾げた。
「おすすめの店なんてある?」
ミリィは困ったように笑った。
「それが……」
指を頬に当てる。
「景色のことは本で読んだんですけど、お店までは書いてなくて……」
ベルは思わず笑う。
「そっか」
風がまた、ふわっと吹き抜けた。
港の方からは、かすかに人の賑わいが聞こえてくる。
ミリィは少し考えてから言った。
「でも、港の近くならきっといいお店ありますよ」
「だよね」
ベルはもう一度海を見た。
青い海の上を、小さな船がゆっくり進んでいる。
「じゃあ――」
ベルは伸びをした。
「適当に歩いて探そっか」
ミリィは嬉しそうに頷いた。
「はい」
海の見えるレストラン。
白い建物のテラス席からは、港と海が一望できた。
潮風が心地よく、テーブルの上のナプキンがかすかに揺れている。
遠くでは船がゆっくりと行き来し、カモメの鳴き声が空を流れていった。
ベルとミリィは、テラスの端の席に座っていた。
ベルは肘をテーブルにつきながら、海を見ている。
「いいお店見つかったね」
ミリィも海を見て、小さく頷いた。
「本当ですね」
少しして、ベルがふと思い出したように口を開く。
「アルティシアさんは?」
ミリィが顔を上げる。
「元気だった?」
ミリィはすぐに笑った。
「はい」
少し嬉しそうに続ける。
「私がベルさんと旅をしてるから、とてもよくしてくれました」
ベルはきょとんとする。
「え、ほんと?」
「はい」
ミリィは頷く。
「ベルさん、前にアルティシアさんを助けたことあるって言ったじゃないですか」
ベルは少し照れたように笑う。
「うん……まぁ、ちょっとだけね」
ミリィは楽しそうに続けた。
「だから、ベルさんの仲間なら大歓迎って言ってくれて」
「いろいろお世話してもらいました」
港の方から、船の汽笛がひとつ鳴った。
ベルは少し困ったように笑う。
「なんか申し訳ないなぁ……」
ミリィは首を振る。
「そんなことないですよ」
そして少しだけ誇らしそうに言った。
「ベルさん、すごく信頼されてました」
ベルは一瞬黙って、海を見た。
青い海の向こうで、船がゆっくり動いている。
「そっか」
小さくそう言って、笑った。
港の方から、船の汽笛がひとつ鳴った。
ベルは少し困ったように笑う。
「まぁーアルティシアさんは私というより……あいつに夢中だから」
ミリィが首をかしげる。
「夜のベルさんにですか?」
ベルは肩をすくめた。
「そぉ〜」
そしてミリィを見る。
「なんか言ってなかった? あいつのこと」
ミリィは少し考えてから答えた。
「言ってました」
「『お慕い申し上げてます』と伝えて欲しい、と」
ベルは一瞬ぽかんとして、それから笑った。
「あはは……だよね」
少しだけ、呆れたように。
それでもどこか、楽しそうに笑っていた。
ベルは少しだけ肩をすくめ、海の方を見たまま続けた。
「今回は、アルティシアさんにもすごく助けてもらっちゃったから」
指でグラスをくるくる回しながら、軽く笑う。
「そのうちお礼に行かないとね」
それから、ちらっとミリィを見る。
「その時は、ミリィも一緒に行ってくれる?」
ミリィは少し驚いたように目を瞬かせた。
「え、私もですか?」
「うん」
ベルはあっさり頷く。
「だってミリィの方が仲良くなってるでしょ」
ミリィは少し照れたように笑った。
「そうでしょうか……」
けれど、すぐに嬉しそうに頷く。
「はい。もちろんです」
そして少し楽しそうに続けた。
「アルティシアさん、きっと喜びますよ」
ベルは苦笑する。
「いやぁ……」
遠くの海を見ながら言った。
「喜ぶのは、あいつの方見たときだけだと思うけど」
ミリィはくすっと笑った。
ミリィはふと思い出したように言った。
「あ、それとー」
ベルが顔を上げる。
「ライン・バックス様という騎士の方からも、ベルさんに伝言頼まれてました」
「え?」
ベルは目を丸くする。
「ラインさん?」
次の瞬間、ベルの頬が少し赤くなった。
ミリィは頷く。
「はい、えっと……」
リュックをごそごそと探る。
「ハイ」
取り出した一通の紙を、ベルに差し出した。
ベルはそれを受け取りながら首を傾げる。
「手紙?」
ミリィは少し困ったように笑った。
「伝言だったのですが、あまりにも長すぎて……」
「私が書きとめました」
ベルは紙を見て、思わず顔をしかめる。
「マジでごめん……」
ベルは手の中の紙を見つめた。
少しだけ躊躇う。
それから、そっと封を開いた。
紙を広げる。
目を通す。
――。
ベルの動きが止まった。
数秒。
さらに読み進める。
頬が赤くなる。
耳まで、じわじわと赤く染まっていった。
最後まで読み終えるころには、顔がすっかり熱くなっていた。
ベルは慌てて紙をたたむ。
「な、なにこれ……」
小さく呟いた。
その様子を、ミリィは静かに見ていた。
そして、ふっと笑う。
「ラインさんも」
ベルが顔を上げる。
ミリィは穏やかに続けた。
「ベルさんに夢中だそうですよ」
ベルはたたんだ紙を見つめたまま言った。
「ミリィが書いたと言うことは……」
ミリィは素直に頷く。
「はい。すべて聞かされ……いえ、聞いてます」
ベルは苦笑した。
「だよねぇー」
椅子にもたれ、ため息をつく。
ミリィはくすっと笑った。
「ベルさん、本当にいろんな人からモテますよね」
ベルはすぐに顔をしかめる。
「やめてよぉ〜」
そして肩をすくめた。
「ろくな目に合わないんだから」
少し間を置いて、ぽつりと言う。
「ラインさんくらいだよ。ちゃんとしてたの」
ミリィは静かにベルを見る。
「ラインさんは、いいんですね」
ベルは少し視線を泳がせた。
「ラ、ラインさんは……だって」
ミリィは首を傾げる。
「ラインさん、かっこいいし爽やかだし大人だし優しくて気遣いできて……」
少し考えてから続けた。
「何かダメなとこありましたっけ?」
ベルは困ったように笑う。
「それが、ないんだよねー」
ミリィは真顔で聞き返す。
「何がダメなんですか?」
ベルは慌てて身を乗り出した。
「ちょっとミリィ!」
それから、少しだけ頬を膨らませる。
「……ダメ、なことない」
ミリィはじっとベルを見る。
「アリなんですか?」
ベルは思わず眉をひそめた。
「どこでそんな言葉を……」
少し考えてから、肩をすくめる。
「んー……アリっちゃ、アリ」
ミリィは口元に手を当て、小さく笑った。
「おやおや……これはこれは」
ベルはむっとする。
「なによー」
それから、少し意地悪そうに言った。
「そーゆーミリィはどうなの?」
ミリィが首を傾げる。
「気になる人とかいないの?」
ミリィはきょとんとして、それからふっと笑った。
「私ですか?」
肩をすくめる。
「私はまだ子供ですよ?」
ベルはすぐに言い返した。
「ミリィも10歳でしょ?」
そして少し身を乗り出す。
「10歳なら気になる男の子や、男の人くらいいるでしょー?」
ミリィは少し考えるように視線を上に向けた。
「強いて言うならー」
ベルは興味津々で身を乗り出す。
「ふんふん」
ミリィはにこっと笑った。
「ベルさんでしょうか?」
「え?」
ベルは一瞬固まった。
それから真顔になる。
「……ミリィごめん」
ミリィがきょとんとする。
ベルは申し訳なさそうに続けた。
「聞いたことはあるけど……私にそういう趣味はなくて」
「ミリィの気持ちには応えられない……」
ミリィの目が大きく開いた。
「ち、ちがいます!」
慌てて手を振る。
「夜の!」
ベルが瞬きをする。
ミリィは顔を少し赤くして言った。
「銀髪のベルさんです!」
ベルは思わず声を上げた。
「え、え〜?」
ミリィを見る。
「ミリィもあいつのこと気になるの? やめときなよー」
ミリィはきょとんとする。
「どうしてですか?」
ベルは腕を組む。
「どうしてって……あいつ」
少し考えてから言った。
「ぶっきらぼうだし」
ミリィはすぐ頷く。
「男らしいですよね」
ベルはむっとする。
「細かいこと気にしないし」
「豪快で素敵ですよね」
「後先考えないし」
「行動力ありますよね」
ベルは眉をひそめる。
「鈍感だし」
ミリィはにこっと笑った。
「純粋なんですよ」
ベルは少し声を強める。
「面倒くさがりですぐさぼろうとするし」
ミリィはまた頷く。
「でもやるべき時にはやりますよね」
ベルは言葉を止めた。
それから、ぽつりと続ける。
「それに……」
少しだけ視線を落とす。
「……いつも、誰かのために戦ってる」
ミリィは静かに頷いた。
「そういうとこです」




