そして世界が炎に包まれたー
焼けた大地。
溶けた鎧。
蒸発した兵器。
炎の筋が、戦場を何本も貫いている。
そして、その中心に。
赤い炎を纏った少女が、巨大な剣を肩に担いで立っていた。
神剣レーヴァテイン。
その刃から、まだ紅蓮が漏れている。
神殿軍の残存兵力。
二万を切っていた。
戦闘開始から、まだ十五分。
後方の指揮陣。
神殿騎士たちが蒼白な顔で戦場を見ていた。
「ば、馬鹿な……」
一人の指揮官が震える声で呟く。
「十万だぞ……?」
別の騎士が叫ぶ。
「たった一人に、十五分で八万を失っただと!?」
さらに別の者が声を荒げた。
「あり得ん!!」
「これは戦争ではない!」
「災害だ!!」
誰もが理解していた。
あの少女は。
軍で止められる存在ではない。
その時。
司令官席に立っていた老騎士が、低く言った。
「……黙れ」
ざわめきが止まる。
老騎士は戦場を見つめていた。
炎の少女。
そして、崩壊した軍勢。
「通常戦力では止められん」
ゆっくりと言う。
「だが――」
視線を後方へ向ける。
そこには巨大な装置があった。
神殿軍の最後の切り札。
戦略魔導兵器。
「準備を開始しろ」
静かに命じる。
「十二柱神威召喚だ」
周囲の騎士たちが息を呑んだ。
「……!!」
「し、しかし!」
「まだ自軍が戦場に!」
老騎士は冷たく言う。
「構わん」
視線は動かさない。
「止めねば、全滅する」
短く命じる。
「起動」
次の瞬間。
巨大な魔導装置が唸りを上げた。
大地に刻まれた巨大な魔法陣。
その中心で、十二本の柱がゆっくりと光り始める。
青。
金。
白。
紫。
それぞれ異なる神紋が刻まれている。
神殿が崇める十二柱の神々。
その力を借りて放つ、戦略破壊兵器。
神そのものではない。
だが――
神威。
その一端を、戦場へ叩き落とす。
魔導師たちが詠唱を開始する。
空が暗くなる。
雲が渦を巻く。
戦場全体の空が、ゆっくりと光り始めた。
そして。
天の高み。
雲の向こうに。
巨大な光が生まれる。
太陽のような球体。
直径数百メートル。
圧倒的な光。
それが、ゆっくりと――
落ち始めた。
戦場へ。
まっすぐに。
天から落ちてくる、巨大な光球。
雲を焼き、空を裂きながら、ゆっくりと――しかし確実に落下してくる。
戦場に残る神殿軍の兵士たちは、その光を見上げていた。
「十二柱神威召喚……」
誰かが震える声で呟く。
「これで……終わりだ……」
光球は、神威の塊。
落ちれば、この一帯すべてが消し飛ぶ。
敵も味方も関係ない。
戦場そのものを、消し去る兵器。
その光を見上げて。
アンジュは、目を細めた。
「……ん?」
紅蓮の炎を纏ったまま、空を見上げる。
巨大な光の塊。
神威の圧。
世界そのものが押し潰されるような力。
アンジュは数秒それを見て。
そして。
ぱあっと顔を輝かせた。
「なんだかとっても、ヤバそうですわね!」
嬉しそうに笑う。
そして。
思いきり空へ向かって叫んだ。
「パパ!」
戦場の兵士たちが一斉にアンジュを見る。
「パーーーーーパーーーーーッ!」
その声が空へ突き抜ける。
次の瞬間。
空が――
赤く染まった。
夕焼けではない。
雲でもない。
空そのものが、燃え上がるように紅く染まる。
天が、応えた。
空の彼方から、圧倒的な神威が降りてくる。
戦場にいる全員の背筋が凍りついた。
アンジュは笑ったまま、落ちてくる巨大な光球を指差す。
「パパ!」
元気よく言う。
「あれ、やっちゃって!」
その瞬間。
世界が震えた。
大地が揺れる。
空が軋む。
空気が悲鳴を上げる。
存在そのものが震撼する。
そして。
次の瞬間。
空が――
炎に包まれた。
この日の光景は、大陸の歴史書に広く記録されることになる。
この戦闘に参加した者で、生きて帰った者はほとんどいない。
それでも。
この日、世界のどこからでも見えた異様な空と、異常な空気の震えは、各地の記録に残された。
遠く離れた港町の航海日誌。
山岳国家の観測記録。
砂漠の遊牧民の口承。
そして――
世界の裏側でさえ。
同じ日の空が、赤く燃えたと記されている。
戦場。
空はすでに炎に染まっていた。
大地が割れる。
轟音。
地面が裂け、赤く焼けた岩盤が崩れ落ちる。
次の瞬間。
地中から、溶岩が噴き出した。
巨大な火柱がいくつも上がる。
戦場はすでに、地獄のような光景だった。
だが。
それは始まりに過ぎなかった。
空が――割れた。
轟音とともに、空間そのものが裂ける。
黒い亀裂。
その奥から。
巨大な手が現れた。
炎でできた手。
いや――
炎そのものと呼ぶべき存在。
空の裂け目から、ゆっくりと現れる。
指一本が、城壁ほどの太さ。
その巨大な腕が、空の裂け目を掴む。
もう片方の腕も現れる。
両手が、割れた空を掴んだ。
そして。
ぐっと。
世界を押し広げるように、空を引き裂く。
空間が開く。
その奥から。
現れた。
巨体。
炎でできた存在。
人の形をしている。
だが大きさが違う。
山のような巨躯。
世界そのものが燃えているような炎。
神威。
それだけで、大地が震える。
空気が揺らぐ。
世界が軋む。
戦場の中央。
アンジュは、それを見上げていた。
ゆっくりと両手の指を組み合わせる。
祈るように。
胸の前で。
そして――
恍惚とした表情で微笑んだ。
「パパ……」
赤い瞳が潤む。
炎の巨人を見上げる。
嬉しそうに。
誇らしそうに。
言った。
「やっと、会えましたわ」
炎が揺れる。
世界が震える。
アンジュは胸を張り、真っ直ぐに見上げた。
「わたくしが」
静かに告げる。
「あなたの娘です」
空は、すでに炎に覆われていた。
赤。
どこまでも続く紅蓮。
大地は割れ、溶岩が噴き上がり、戦場そのものが火山のように変貌している。
その中央。
巨大な炎の巨人が立っていた。
空を割って現れた存在。
山をいくつも重ねたような巨躯。
全身が炎で構成されている。
形は人。
だが、ただ輪郭があるだけ。
顔もない。
目もない。
表情もない。
それでも。
その炎の巨体は、ゆっくりと――
アンジュを見下ろした。
戦場の中央。
炎に包まれた少女が、両手を組み祈るような姿勢で立っている。
アンジュはその視線を受けて。
ぱちぱちと瞬きをした。
それから、ふっと笑う。
「あら嫌ですわ」
少し照れたように手のひらを振る。
「パパったら、もう」
嬉しそうに肩をすくめる。
「そんなもぉー」
ツインテールの炎が揺れる。
「自分の娘ですわよ?」
胸を張る。
「可愛いのは、ママの子だから当たり前ではございませんの」
周囲の人間から見れば、何も起きていない。
炎の巨人は沈黙したまま。
ただ立っているだけ。
だが。
どうやら――
会話は成立しているらしい。
アンジュはふと、思い出したように空を見上げた。
巨大な光球。
戦略魔導兵器。
十二柱神威召喚。
天から落ちてくる神威の塊。
アンジュは指差した。
「そんなことより」
にこっと笑う。
「パパ」
そのまま、軽い口調で言う。
「あれ、どうにかしてくださいな」
炎の巨人が。
ゆっくりと。
天を向いた。
迫り来る巨大な光球。
神威の塊。
次の瞬間。
その光球が。
燃えた。
爆発でもない。
衝突でもない。
ただ。
火がついた。
そして――
一瞬で。
跡形もなく、燃え尽きた。
炎の巨人が天を向いた瞬間。
神威の光球は、ただ燃えた。
轟音も、爆発もない。
ただ――
炎に触れた瞬間のように。
一瞬で、跡形もなく燃え尽きた。
神殿が誇る戦略魔導兵器。
十二柱神威召喚。
その神威は、炎に触れた途端、存在ごと消えた。
戦場に沈黙が落ちる。
アンジュはそれを見上げて、ぱあっと顔を輝かせた。
「まあ!」
楽しそうに声を上げる。
「ママから、パパは物静かで落ち着いた方だとは聞いておりましたが……」
腕を組み、感心したように頷く。
「攻撃もそうなんですわね!」
満面の笑み。
「クールですわ!」
そして、くるりと振り返る。
焼けた戦場。
崩壊した軍勢。
それでも、まだ残っている神殿軍。
数千。
いや、もう一万もいない。
怯え、震え、立ち尽くす兵士たち。
アンジュはそれを見渡し。
もう一度、空を見上げた。
「パパ」
少しだけ申し訳なさそうに言う。
「最後に、もう一つだけお願いがありますの」
巨大な炎の巨人が、ゆっくりとアンジュを見る。
アンジュはにこっと笑う。
そして。
大きく腕を広げ、戦場を指し示した。
「残り、ちょびっとですが」
ツインテールが揺れる。
赤い瞳が輝く。
「思い切り!」
炎が強く燃え上がる。
「派手に!」
大地が震える。
「過激に!」
空気が歪む。
「苛烈に!」
そして、満面の笑みで叫んだ。
「やっちゃってください!」
アンジュの声が、炎に満ちた空へ消えていく。
その瞬間。
世界が静まり返った。
吹き荒れていた熱風が止まる。
燃え盛っていた炎さえ、一瞬息を潜めた。
空を覆う紅蓮の中で。
炎の巨人が、ゆっくりと腕を上げる。
山よりも巨大な腕。
その輪郭だけで、雲が焼ける。
天が震える。
そして――
振り下ろされた。
音は、なかった。
だが次の瞬間。
世界が、燃えた。
地平線まで続く広大な平野。
そこに残っていた神殿軍。
兵士も、騎士も、兵器も。
すべてが紅蓮に呑まれる。
爆発ではない。
破壊でもない。
ただ――
焼き尽くされる。
地面そのものが赤く染まり、瞬時に溶ける。
岩が白く光り、次の瞬間には灰となる。
鉄の鎧は溶けて流れ、盾も槍も、形を残さない。
紅蓮の炎は地を這い、波のように広がっていく。
神殿軍が展開していた広大な平野。
それは一瞬で、炎の海になった。
そして。
炎は止まらない。
地面そのものを焼きながら、進み続ける。
大地が崩れる。
焼けた地層が崩れ落ちる。
岩盤が割れ、赤く溶け、深く沈んでいく。
やがて。
そこに残ったのは――
巨大な渓谷だった。
かつて平野だった場所。
地平線まで続くほど広かった土地は、深く、深く抉られた大地へと変わっていた。
底では、まだ赤い溶岩がゆっくりと流れている。
だが。
炎は、まだ止まらない。
紅蓮の奔流は、そのまま遠くへと走っていく。
山を越え。
森を越え。
川を蒸発させ。
そして――
遥か遠方。
神殿国家群の土地へ到達する。
白い城壁。
巨大な聖堂。
無数の神殿都市。
信仰の中心。
だが、そのすべては。
一瞬で、炎に呑まれた。
都市が燃える。
石の塔が赤く光り、溶け落ちる。
城壁が崩れ、神殿が崩壊する。
山のような大聖堂も、ただ炎に包まれ、形を失っていく。
すべてが紅蓮に飲み込まれる。
数秒後。
そこに残ったのは。
黒く焼けた大地だけだった。
神殿国家群。
かつて地図にいくつも記されていたその国々は。
その日。
炎によって――
世界から消えた。
アンジュは目を輝かせ、空にそびえる紅蓮の炎の城を見上げた。
胸の高鳴りを抑えきれず、親指を立てた拳を力強く突き出す。
「パパ、ちょーかっこいいですわ!」
その声と同時に、世界を覆っていた紅蓮の炎が、まるで息を吐くように静かに消えていく。
空に裂けた亀裂へ、炎が吸い込まれていくように滑り落ち、光の奔流が消えた瞬間、巨大な炎の姿もゆっくりと消え去った。
そして――最後に残った右腕が、親指を立てたまま静かに空を指す。
ほんの一瞬だけ、世界にその存在を示すと、腕もまた消え、完全な静寂が戻った。
残ったのは、ただ焼け焦げた大地と、漂う熱気だけ。
世界は変わった。破壊の痕跡だけが、あの日の壮絶さを物語っていた。




