炎の神ー
神殿国家群十万の軍勢。
その中央。
黄金の旗が風に大きくはためいていた。
太陽の紋章。
陽光師団。
その先頭を、ひときわ背の高い男がゆっくりと進んでいた。
ム・ルシェルド・アルガドベガル。
通称――ルーシェ。
身の丈は優に一九〇を超える。
痩せた長身。
長い黒髪。
少し垂れた目。
どこか眠そうな、掴みどころのない表情。
黄金の鎧。
その縁取りは赤。
上から白い法衣を羽織っている。
神殿騎士師団長の装い。
兜は被らない。
常に左脇に抱えている。
そして腰には、一本の剣。
太陽剣――ジークバルド。
陽光師団の騎士たちは、その後ろを整然と進んでいた。
ルーシェは馬の背で、のんびりと空を見上げる。
「んー……」
軽く肩を回す。
「これはもう、楽勝だよねぇ」
のんびりした声。
緊張感はまるでない。
隣を進む月光師団の副師団長が、少し呆れたように言う。
「戦争だ。油断はするな」
ルーシェはくすっと笑う。
「油断はしてないよ」
前方を見ながら、ぼんやりと言う。
「たださぁ」
「十万で、あっち八千でしょ?」
首をかしげる。
「どう考えてもさ」
「弱いものいじめじゃない?」
副師団長は無言。
ルーシェは少しだけ困った顔をした。
「僕さぁ、弱いものいじめってあんまり好きじゃないんだよねぇ」
そう言いながらも、表情は余裕そのもの。
焦りも、警戒もない。
馬もゆっくり歩かせている。
彼は走らない。
急がない。
焦らない。
その態度は、呑気にすら見える。
ルーシェは遠くの大地を見つめながら、ぽつりと言った。
「まぁでも」
「命令だからねぇ」
手綱を軽く引く。
馬が歩調を整える。
「さっさと終わらせて帰ろうか」
そう言って――
太陽剣ジークバルドの柄を、軽く叩いた。
空がゆっくりと白み始めた頃。
大地の果てまで続く神殿国家群の軍勢が――
ついに、戦闘可能領域へと踏み込んだ。
進軍していた隊列が、ゆっくりと形を変える。
伝令の角笛が鳴り響いた。
「前列停止!」
「戦闘陣形へ移行!」
重装歩兵の列が横に広がる。
巨大な盾が地面に突き立てられ、壁のような防御線を作る。
その背後に槍兵隊が整列。
さらに後方には弓兵が陣取る。
魔術師団が魔法陣を展開し始めた。
攻城兵器が軋みながら前へ引き出される。
投石機。
破城槌。
魔導砲。
巨大な兵器が、ゆっくりと照準を合わせていく。
上空では聖獣騎兵が旋回し、周囲を警戒していた。
十万の軍勢。
それが一斉に戦闘準備へ入る。
鎧が鳴る。
旗が揺れる。
武器が構えられる。
その光景は――
まるで大地そのものが牙を剥いたかのようだった。
その中央。
陽光師団。
ルーシェは馬上であくびを噛み殺す。
「もう戦闘圏かぁ」
ぼんやりと前方を見る。
まだ敵影は見えない。
それでも、軍全体は完全な臨戦体制に入っていた。
ルーシェは軽く肩を回す。
「早いねぇ」
腰の剣に触れる。
太陽剣ジークバルド。
その柄をぽん、と叩いた。
「さてさて」
小さく笑う。
「向こうはちゃんと、戦う気あるのかな?」
十万の軍勢が、ゆっくりと牙を研いでいた。
空。
遥か高く。
紅い流星が走っていた。
音を引き裂きながら。
紅蓮の尾を引いて。
それは――
アンジュ。
ウィル・アンジェリース・フィン・フランヴェルジュ・アインツバーグ。
赤い髪のツインテールが炎の中で大きく揺れる。
真紅の鎧。
鳳皇天衣。
薄く細かな装飾を刻んだ装甲が、炎の光を受けて輝いていた。
肩から広がる真紅のマント。
鳳皇天纏。
それもまた炎の中で大きくはためく。
背には巨大な剣。
だが彼女はそれを抜かない。
腰には短剣。
手には鉄鞭。
鳳皇散翔。
紅い炎が、彼女の全身を包み込んでいる。
だがそれは燃えているというより――
纏っている。
炎が、彼女の一部のようだった。
空気が焼ける。
いや。
焼けていない。
熱はない。
それでも。
その炎に触れた雲は消えた。
霧のように溶ける。
大気が揺らぎ、空が歪む。
アンジュは前を見ていた。
遥か地平。
そこに広がる白い軍勢。
十万。
神殿国家群。
アンジュの口元が、ゆっくりと歪む。
「見えましたわ」
空中で止まる。
紅い炎の翼が大きく広がる。
大地の遥か上空。
まるで太陽の欠片のように輝く少女。
彼女は腕を組み、軍勢を見下ろした。
「ふふん」
鼻で笑う。
「ずいぶんと集まりましたわね」
赤い瞳が細くなる。
「わたくし一人に対して」
ツインテールが炎の中で揺れる。
「十万とは」
にやりと笑った。
「大人気ですわね」
そして。
紅蓮の炎が、さらに膨れ上がる。
空が赤く染まる。
まるで――
もう一つの太陽が空に現れたかのように。
空。
その高みで。
アンジュは腕を組み、眼下の軍勢を見下ろしていた。
地平線の果てまで続く白い軍。
旗。
槍。
盾。
攻城兵器。
十万の軍勢が、整然と陣を組んでいる。
アンジュはしばらくそれを眺め――
ぱぁっと顔を輝かせた。
「……壮観ですわね」
小さく息を吐く。
「本当に十万……。よくもまあ、これだけ集まりましたこと」
空中でくるりと回る。
炎の翼が大きく広がり、赤いツインテールが踊った。
「これほど歓迎していただけるとは」
眼下の軍勢を指差す。
「炎神の娘として、応えないわけにはいきませんわね」
そして胸を張る。
「神殿国家の皆さーん!」
声を張り上げる。
もちろん届くはずもない高さだが、そんなことは気にしない。
「この炎神の娘――」
ドンッと胸を叩く。
「ウィル・アンジェリース・フィン・フランヴェルジュ・アインツバーグが!」
腕を大きく広げた。
「直々に、お相手して差し上げますわ!」
その瞬間。
紅蓮が爆発した。
アンジュの身体から、巨大な炎が噴き上がる。
空が赤く染まる。
炎が膨れ上がる。
彼女を中心に、巨大な火球のようなものが広がっていく。
アンジュはその中心で高らかに笑った。
「さぁ――」
鉄鞭をくるりと振り回す。
炎が弧を描く。
「準備運動から参りますわよ」
腕を振り下ろす。
その瞬間。
紅蓮の奔流が、空から叩き落とされた。
轟音。
炎の津波が、大地へ降り注ぐ。
盾が溶ける。
槍が溶ける。
鎧が溶ける。
矢は空中で飴のように溶けて消えた。
魔導砲は発射する前に蒸発する。
前列の軍勢が、一瞬で消えた。
アンジュは空中で拍手する。
「……見事ですわ」
目を細めて地上を見下ろす。
「きちんと通りましたわね」
そして、もう一度腕を振る。
炎がさらに膨れ上がる。
「よろしい」
ツインテールを揺らしながら、ぐっと拳を握る。
「気分が乗ってきましたわ」
にやりと笑う。
「――ここからが本番ですわよ」
次の瞬間。
空が――
完全に紅蓮に染まった。
紅蓮が空を覆う。
炎の中心で、アンジュはゆっくりと高度を落とした。
翼のように広がっていた炎が収束し、彼女の身体の周囲へとまとわりつく。
そして――
大地。
アンジュの足が、静かに地面へ触れた。
その瞬間。
ゴォッ――
踏みしめた地面が、爆ぜた。
草は一瞬で燃え上がり、土は赤く焼け、溶け、泡立つ。
まるで炉の中に放り込まれたかのように。
アンジュの足元から、灼熱が広がっていく。
真紅の鎧。
鳳皇天衣。
その全身を包む紅蓮の炎が、激しく揺らめいていた。
空気が焼ける。
大気が歪む。
近くにいた兵士が悲鳴を上げた。
「な、なんだこの熱は……!」
「近づくな!」
盾を構えた兵士の腕が震える。
盾の縁が赤く染まり始めていた。
鉄が、焼けている。
アンジュはゆっくりと一歩踏み出す。
ジュウッ――
足跡が、溶ける。
踏みしめた大地が赤く輝き、液体のように崩れる。
また一歩。
炎が揺れる。
その熱風だけで、兵士たちのマントが燃え上がった。
「鎧が……!」
誰かが叫ぶ。
胸当てが赤く焼け、煙が上がっていた。
盾の表面が歪み、槍の穂先がぽたりと溶け落ちる。
まだ触れていない。
距離は数歩。
それでも――
金属が悲鳴を上げていた。
アンジュは楽しそうに周囲を見回す。
赤いツインテールが炎の中で揺れる。
「ふふん」
ゆっくりと歩く。
「どうしましたの?」
兵士たちが後退する。
だが熱は逃げ場を与えない。
鎧の隙間から煙が上がる。
革のベルトが焦げる。
剣の刃が赤く染まる。
アンジュは鉄鞭――鳳皇散翔を軽く振った。
炎が弧を描く。
「わたくしはまだ、歩いているだけですわよ?」
また一歩。
大地が爆ぜる。
鎧が焼ける。
兵士の盾が、ぐにゃりと曲がった。
アンジュはにっこり笑う。
「そんなに下がっては――」
ツインテールが揺れる。
「殲滅になりませんわ」
炎の海。
焼ける大地。
溶けた金属の匂い。
神殿国家軍の前列は、すでに崩れ始めていた。
兵士たちは盾を捨て、鎧を脱ぎ捨てながら後退していく。
だが――
アンジュはゆっくりと歩いてくる。
ただ歩いているだけ。
それだけで、大地が焼け、金属が溶けていく。
兵士たちの間に、恐怖が広がっていた。
「ば、化け物……!」
「近づくな……!」
その時。
後方から角笛が鳴り響いた。
鋭い音。
三度。
兵士たちの動きが止まる。
ざわめいていた隊列が、道を開けるように左右へ割れた。
白銀の軍勢が前へ進み出る。
月光師団。
整然と並ぶ鎧の列。
盾と槍を揃え、静かに進軍してくる。
その横。
黄金の鎧を纏った騎士たちが姿を現した。
陽光師団。
白い法衣を羽織った神殿騎士たち。
その中央。
一人の男が馬に乗って進み出る。
背の高い痩せた体。
長い黒髪。
少し垂れた目。
黄金の鎧の縁取りは赤。
左脇には兜。
腰には一振りの剣。
太陽剣――ジークバルド。
ム・ルシェルド・アルガドベガル。
通称、ルーシェ。
馬をゆっくりと進めながら、前方の光景を眺める。
焼けた大地。
溶けた鎧。
そして。
炎を纏い、歩いてくる赤い少女。
ルーシェはしばらくそれを見て――
小さく息を吐いた。
「へぇ」
興味深そうに目を細める。
「これはまた……」
馬を止める。
隣に並んだ月光師団の副師団長が低く言う。
「例の特記戦力だろう」
ルーシェは頷く。
「炎神の娘、だったかな」
のんびりと首を傾げる。
「思ってたより、派手だねぇ」
アンジュは歩みを止めた。
炎の向こうから、黄金の軍勢を見つめる。
赤い瞳が細くなる。
ルーシェは馬上で肩を回した。
そして、軽く笑う。
「弱いものいじめは好きじゃないんだけどさ」
ゆっくりと、剣の柄に手を置く。
「さすがにこれは」
少しだけ楽しそうに言った。
「僕らの出番かな」
アンジュは立ち止まり、黄金の騎士を見据えた。
赤い炎が揺れる。
ツインテールが燃えるように揺らめく。
「ようやく、まともな相手が出てきましたわね」
ルーシェは苦笑した。
「まとも、ねぇ」
ゆっくりと馬から降りる。
走らない。
急がない。
焦らない。
ただ静かに歩き、剣を抜く。
太陽剣ジークバルド。
黄金の刃が、光を反射する。
その瞬間。
周囲の陽光師団の騎士たちが剣を掲げた。
ルーシェは軽く剣を振る。
「さて」
のんびりと息を吐く。
「弱いものいじめは好きじゃないんだけどさ」
アンジュを見上げる。
「これはさすがに、放っておけないよね」
そして。
剣をゆっくり掲げた。
太陽の光が、刃に集まる。
ルーシェは静かに詠唱する。
「――陽天」
光が広がる。
騎士たちの鎧が、淡く輝き始める。
「陽光は」
黄金の粒子が舞う。
戦場の空気が変わる。
「愛を持って」
太陽剣が、ゆっくりとアンジュへ向けられる。
「奪い」
次の瞬間。
アンジュの周囲の炎がわずかに揺らいだ。
「与えたもう」
光が爆ぜる。
ルーシェの背後の騎士たちへ、黄金の光が流れ込んだ。
傷ついていた兵士たちの体が持ち直す。
焼けた鎧を脱ぎ捨てた騎士たちが、再び立ち上がる。
アンジュは目を細めた。
炎が揺れる。
「……なるほど」
口元が、にやりと歪む。
「面白いですわね」
炎が一段と燃え上がった。
「そういうの、嫌いじゃありませんわ」
焼けた大地の中央。
紅蓮の炎を纏うアンジュと、黄金の鎧を纏う男が向き合う。
太陽剣ジークバルドを構えるルーシェ。
炎の中で立つアンジュ。
互いの間に吹き荒れる熱風が、砂と灰を巻き上げていた。
ルーシェは少しだけ首を傾ける。
「前にも会ったよね、僕ら」
ゆっくりと剣を回す。
「つい数日前だったかな」
軽く肩をすくめる。
「その時は――」
にやりと笑う。
「君、わりとボコボコだったけど」
アンジュの眉がぴくりと動く。
ツインテールの炎が強く揺れた。
「……ええ」
低く答える。
「覚えていますわよ」
一歩、前に出る。
大地が爆ぜる。
「とても」
もう一歩。
地面が溶ける。
炎が膨れ上がる。
「とても」
拳を握る。
「よぉぉぉぉぉく覚えていますわ!!」
ドンッ。
大地が弾けた。
その瞬間、アンジュの姿が消える。
ルーシェの瞳がわずかに細くなる。
「速――」
言葉の途中。
ゴンッ。
鈍い音。
ルーシェの視界が揺れた。
いつの間にか。
アンジュが、すぐ目の前にいた。
剣を振るよりも早く。
アンジュの手が、ルーシェの襟元を掴んでいた。
黄金の鎧の胸当てが軋む。
「な、なんだーこれ..」
それが、陽光師団長最期の言葉となった。
ルーシェの体が持ち上がる。
片手で。
まるで子供を持ち上げるように。
アンジュはにっこり笑った。
「お久しぶりですわね」
そのまま。
ドォンッ!!
ルーシェの体が、地面に叩きつけられた。
衝撃で大地が砕ける。
砂と土が爆発のように舞い上がった。
周囲の騎士たちが息を呑む。
アンジュはそのまま、掴んだままのルーシェを見下ろす。
「前回は」
軽く首を傾ける。
「わたくし、少々コンディションが悪かったのですわ」
ぐっと腕に力を込める。
鎧が軋む。
「ですから」
炎が揺れる。
赤い瞳が細くなる。
「今回は」
ゆっくりと言った。
「きっちりお返しさせていただきますわね」
砕けた大地。
土煙の中。
アンジュは掴んだままのルーシェを、ぐいと引き起こした。
黄金の鎧が軋む。
ルーシェの足が地面を擦る。
だが、アンジュの腕はびくともしない。
まるで子供でも扱うように。
アンジュは顔を寄せ、にやりと笑った。
「あの腕輪のこともありますし」
赤い瞳が細くなる。
「貴方は最重要討伐目標ですわ」
そのままルーシェを強引に立たせる。
アンジュの右腕が、大きく後ろへ引かれた。
空気が震える。
手のひらが光る。
「鳳天掌!」
次の瞬間。
掌が紅蓮の炎に包まれた。
燃え上がる火炎が拳の形を作り出す。
そして――
ドォンッ!!
掌打がルーシェの胴へ叩き込まれた。
鎧が凹む。
衝撃で地面が爆ぜる。
ルーシェの身体が大きく仰け反った。
だが。
アンジュは離さない。
襟元を掴んだまま、ぐいと引き戻す。
そして身体を軽く浮かせた。
右脚が振り上がる。
つま先から膝まで、紅蓮が噴き上がった。
「鳳天断頭脚!」
次の瞬間。
ゴォンッ!!
炎を纏った踵が、ルーシェの肩口へ叩き落とされた。
大地が陥没する。
土と岩が弾け飛ぶ。
それでもアンジュは止まらない。
ルーシェの身体を強引に引き起こす。
両手を抜き手にし、腰へ構えた。
腕が燃える。
紅蓮が二筋の槍のように伸びる。
アンジュの目が光った。
「鳳天……双龍破!」
両腕が同時に走る。
ドンッ!!
ドンッ!!
二本の突きが、一直線にルーシェの胴へ突き刺さった。
衝撃波が大地を裂く。
炎が爆ぜる。
ルーシェの身体が浮き上がる。
その瞬間。
アンジュの手が開いた。
そして。
ガシッ。
完全な握り。
顔面を掴む。
指が食い込む。
アンジュの赤い瞳が笑った。
「鳳天爪矢!」
次の瞬間。
ドォォンッ!!
ルーシェの身体が、地面へ叩きつけられた。
衝撃で地面が砕ける。
爆風が周囲の兵士たちを吹き飛ばした。
アンジュはそのまま、片手でルーシェの頭を押さえつけたまま立っている。
紅蓮の炎が、ゆらゆらと揺れた。
「……どうです?」
軽く首を傾ける。
「数日前のお返しとしては」
ツインテールが炎の中で揺れる。
「まだまだ足りませんけれど」
ルーシェの身体を地面に叩きつけたまま。
アンジュは、ふぅと小さく息を吐いた。
周囲では神殿軍の兵士たちが固まっている。
月光師団。
陽光師団。
十万の軍勢の中枢。
それでも。
誰一人、近づけない。
アンジュの周囲には紅蓮の炎が渦巻き、地面は赤く焼け、溶けていた。
鎧は熱で軋み、槍の穂先は赤く染まり、盾は歪む。
その中心で。
アンジュは足元のルーシェをちらりと見下ろす。
それはもはや原型を止めない、ただの赤黒い人形の様でー
だが息はある。
「ふぅん」
興味なさそうに呟いた。
「思ったより丈夫ですわね」
その時。
後方から号令が飛んだ。
「隊列維持!」
月光師団の副師団長だ。
白銀の鎧の列が一斉に前へ出る。
盾を並べ、槍を突き出し、包囲するように進軍してくる。
さらに後方では魔導兵器が展開される。
巨大な弩。
魔導砲。
矢が番えられ、術式が展開される。
アンジュはそれをちらりと見た。
そして。
背中の鞭を、すっと抜いた。
真紅の鉄鞭。
鳳皇散翔。
炎が、鞭へと流れ込む。
アンジュは軽く肩を回した。
「はぁ……」
つまらなそうに言う。
「そんなに集まらなくてもよろしいのに」
兵士たちが突撃する。
「突撃!!」
槍の列が迫る。
魔導砲が光る。
矢が放たれる。
その瞬間。
アンジュの腕が振られた。
ブォン――
鞭が空気を裂く。
次の瞬間。
ドォォォンッ!!
紅蓮の弧が戦場を薙ぎ払った。
槍の列が吹き飛ぶ。
盾が弾ける。
鎧が砕ける。
魔導砲が丸ごとへし折れる。
巨大弩が横倒しになる。
兵士たちがまとめて空へ舞い上がった。
そして。
その衝撃は、さらに奥へ走る。
月光師団の中央。
副師団長の位置。
白銀の鎧の男が、目を見開く。
「な――」
次の瞬間。
ドォンッ!!
鞭の衝撃が直撃した。
副師団長の身体が、鎧ごと宙へ吹き飛ぶ。
地面を転がり、数十メートル先でようやく止まった。
月光師団の隊列が、完全に崩れる。
兵士たちは立ち尽くすしかない。
アンジュは軽く鞭を振って、炎を散らした。
「ふむ」
周囲を見回す。
焼けた大地。
吹き飛んだ兵士。
壊れた兵器。
そして、崩壊した隊列。
アンジュは満足そうに頷いた。
「やっぱり」
ツインテールが揺れる。
「こういうのは、まとめて片付けた方が早いですわね」
焼けた戦場。
溶けた大地。
吹き飛ばされた兵士と兵器。
それでも――
まだ軍勢は残っていた。
前線を失い、隊列は崩れている。
だが数は圧倒的だ。
地平線の向こうまで続く白い軍勢。
アンジュはそれを見渡し、ふぅと息を吐いた。
「……まだいますのね」
指先で数えるように視線を動かす。
ざっと見ても。
八万は残っている。
アンジュは肩をすくめた。
「こう数が多くては」
少しだけ困った顔になる。
「ちまちまやっていたら、夜になってしまいますわね」
そう言って。
背中へ手を伸ばす。
巨大な剣の柄を握る。
アンジュが普段、決して使わない武器。
背中に封じられていたそれを――
引き抜いた。
ギィィィン――
空気が鳴った。
現れたのは、異様な剣。
神剣。
レーヴァテイン。
刃の内側で、炎が流れている。
まるで剣そのものが、太陽の欠片でできているかのように。
アンジュは軽く剣を持ち替える。
少しだけ重さを確かめる。
「よし」
満足そうに頷く。
そして。
神殿軍へ向けて剣を構えた。
遠くで兵士たちがざわめく。
「な、なんだあの剣……」
「魔導兵器か……?」
アンジュはその声など気にしない。
軽く剣を振り上げた。
紅蓮の炎が、刃へ集まる。
大地が震える。
空が赤く染まる。
アンジュは、にっこり笑った。
「では――」
剣を振るう。
「まとめていきますわ」
次の瞬間。
レーヴァテインが振り下ろされた。
世界が、赤く裂けた。
地平線へ向かって、紅蓮の奔流が走る。
炎。
炎。
炎。
地表すべてを舐めるように、火の海が広がった。
兵士が消える。
盾が消える。
鎧が消える。
兵器が蒸発する。
軍勢が、線のように削り取られていく。
炎は止まらない。
地平線まで、一直線に走り続けた。
そして――
数秒後。
轟音が遅れてやってきた。
戦場の先。
遠くの山脈。
その一角が。
ドォォォン――
消えた。
岩も。
森も。
山そのものが、丸ごと蒸発した。
さらに。
その隣の山も。
もう一つの山も。
三つほど、跡形もなく消えていた。
アンジュは剣を肩に担ぎ、目をぱちぱちさせる。
しばらく沈黙。
それから。
「あら」
遠くの山を見ながら言った。
「ちょっとだけ」
首をかしげる。
「調整を間違えましたわね」
戦場。
さきほどまで、地平線まで埋め尽くしていた白い軍勢。
その密度は、もはや見る影もなかった。
焼けた大地。
溶けた鎧。
蒸発した兵器。
炎の筋が、戦場を何本も貫いている。
そして、その中心に。
赤い炎を纏った少女が、巨大な剣を肩に担いで立っていた。
神剣レーヴァテイン。
その刃から、まだ紅蓮が漏れている。
神殿軍の残存兵力。
二万を切っていた。
戦闘開始から、まだ十五分。
後方の指揮陣。
神殿騎士たちが蒼白な顔で戦場を見ていた。
「ば、馬鹿な……」
一人の指揮官が震える声で呟く。
「十万だぞ……?」
別の騎士が叫ぶ。
「たった一人に、十五分で八万を失っただと!?」
さらに別の者が声を荒げた。
「あり得ん!!」
「これは戦争ではない!」
「災害だ!!」
誰もが理解していた。
あの少女は。
軍で止められる存在ではない。
その時。
司令官席に立っていた老騎士が、低く言った。
「……黙れ」
ざわめきが止まる。
老騎士は戦場を見つめていた。
炎の少女。
そして、崩壊した軍勢。
「通常戦力では止められん」
ゆっくりと言う。
「だが――」
視線を後方へ向ける。
そこには巨大な装置があった。
神殿軍の最後の切り札。
戦略魔導兵器。
「準備を開始しろ」
静かに命じる。
「十二柱神威召喚だ」
周囲の騎士たちが息を呑んだ。
「……!!」
「し、しかし!」
「まだ自軍が戦場に!」
老騎士は冷たく言う。
「構わん」
視線は動かさない。
「止めねば、全滅する」
短く命じる。
「起動」
次の瞬間。
巨大な魔導装置が唸りを上げた。
大地に刻まれた巨大な魔法陣。
その中心で、十二本の柱がゆっくりと光り始める。
青。
金。
白。
紫。
それぞれ異なる神紋が刻まれている。
神殿が崇める十二柱の神々。
その力を借りて放つ、戦略破壊兵器。
神そのものではない。
だが――
神威。
その一端を、戦場へ叩き落とす。
魔導師たちが詠唱を開始する。
空が暗くなる。
雲が渦を巻く。
戦場全体の空が、ゆっくりと光り始めた。
そして。
天の高み。
雲の向こうに。
巨大な光が生まれる。
太陽のような球体。
直径数百メートル。
圧倒的な光。
それが、ゆっくりと――
落ち始めた。
戦場へ。
まっすぐに。
戦場。
さきほどまで、地平線まで埋め尽くしていた白い軍勢。
その密度は、もはや見る影もなかった。




