陽光と昼のー
「あれー?君まーだこんなところにいるんだー?」
聞き慣れた声に、ベルはふと振り向いた。
そこに立っていたのは——陽光師団長、ルーシェ。
長身の身体を、いつものゆらゆらした独特の歩き方で揺らしながら、普段着で静かに立っている。騎士の装備はなく、肩の力の抜けた姿だが、その存在感は変わらず大きい。
ベルは言葉が出ず、ただ小さく息をつき、目を合わせる。
「……あなた」
言葉は小さくても、胸に深く届く。緊張と安堵、そして少しの戸惑いが混ざり合った瞬間だった。
ベルは膝に力が入らず、かすれた声で言った。
「あなた……あなたのせいで……なんでこんなことに……」
ルーシェは首をかしげ、ゆるりと笑う。
「ひどいなー、なんでもかんでも人のせいにしないでよー」
ベルの目に涙が浮かぶ。
「でも……でも……」
ルーシェは手をひらりと動かし、軽く肩をすくめる。
「今回こうなったのも、全部、君のせいなんだからさ」
その言葉に、ベルは言葉を失った。胸の奥で、確かに——それは間違いではないと、自覚がある。
「世界を揺るがす異端の存在、それに関わる者たち全て……神殿の抹殺指令を素直に受けていればよかったのに。抵抗して——しかも、神殿騎士団の双翼の一角、月光の——彼女をも倒してしまった」
ルーシェは目を細め、でもその声は柔らかい。
「そりゃー、こうなるのは当たり前だよねー?」
ベルは視線を落とす。胸の奥で、悔しさ、申し訳なさ、恐怖、すべてが絡み合い、言葉にならなかった。
ルーシェはふわりと笑いながら、ベルの前に一歩近づく。
「今からでも遅くないよ。幸いここは人気がない。今からでも、ここで僕にその身を捧げれば——?」
その言葉に、ベルの背筋を冷たい悪寒が走った。思わず肩を震わせる。
ルーシェは軽く肩をすくめ、さらに柔らかく言葉を重ねる。
「そうしたら——僕の権限で、侵攻は止められるかも——知れないよー?」
「ま、ここまで事が大きくなったら、できるかどうかは、やってみないと僕にもわかんないけどねー」
「だからほら、僕の申し出を最初に素直に聞いてれば、全てまるーく収まっていたのに」
すると、ルーシェの空気が一変した。
軽やかでふざけたような普段の態度はどこへやら、瞳に鋭い光を宿し、背筋を伸ばすその姿は、荘厳にして厳かな大司教のようだった。声の調子も、柔らかさを帯びつつも重々しく響く。
「——世界をあるべき姿に……」
ベルの鼓動が速まる。今まで冗談めかしていたルーシェが、ここまでの威厳をまとって、目の前に立っている——その事実に、言葉を失った。
ルーシェの声が、街の静けさの中で重く響く。
「この現状は、貴女の選択の結果です——貴女の選択が、この世界を危機に陥れたのです」
その瞳は冷たく、しかしどこか悲しみに満ちている。ベルの胸を貫くような眼差しだ。
「この世界の秩序を守るために、神殿も、神の名の下に聖戦を宣言したことは——遺憾であり、大変悲しい事です」
ベルは視線を落とす。言葉は胸に重くのしかかり、体の震えを止められない。
ルーシェの声がさらに厳かさを帯びる。
「悔い改めなさい……己の傲慢さを」
「悔い改めなさい……己の背徳を——」
その声が、街の空気ごと支配するかのように重く、ベルの心を圧迫する。
ルーシェは一呼吸置き、最後に低く荘厳な声で告げた。
「世界をあるべき姿に——」
ベルは膝を折ったまま、ただその言葉を胸に刻む。冷たい空気が肌を撫で、街全体が静まり返ったまま、嵐の前の緊張を抱えていた。
ルーシェはふっと笑みを浮かべ、声の調子も軽やかに戻った。
「そーんなわけだからー、ラストチャンスをあげるよ」
肩の力を抜き、あのゆらゆら揺れる独特の立ち方でベルの前に立つ。
「ほらほらー、服を脱いで、僕の前に跪くんだよ」
「そしてこう言うんだ——」
ルーシェは楽しげに手をひらひらと動かし、目を細める。
「『ルーシェ様、どうか迷える子羊をお救いください』ってねー」
ベルはその言葉に、目を大きく見開いたまま、声も出せずに立ちすくむ。
軽やかでふざけた雰囲気——しかし、その背後には確かな存在感があるルーシェ。
ベルの胸は、緊張と戸惑いでいっぱいだった。
ベルの心は折れかけていた。
みんなを、世界を巻き込んでしまった現状に、先ほどのルーシェの言葉が胸に重くのしかかる。
普段なら言い返すところだが、今のベルにはそれもできなかった。
一番の理由は——「あいつがいないから」
ベルは足元を見つめる。沈んだ視線の先に、静かに間を詰めたルーシェの手が伸び、強く顎を掴む。
「ふぐっ……」思わず息が詰まる。
ルーシェの声は軽く、しかし命令の色が混じる。
「時間がないんだー、早く脱げよ」
もう、ベルの心は折れていた。
力なく両手を上げ、首に巻いた赤いスカーフの結び目を解く。
その様子に、ルーシェは嬉しそうに笑う。
「そーそー、やっと素直になれたじゃないか」
「これで世界が救われるよー、たぶんねー」
ベルはゆっくりと、力なく服を脱ぎ始める。ブーツを、グローブを、太いベルトを……
その動きは止めようがなく、無力な自分を実感させるかのようだった。
服を脱ぎ終え、立つベルを見て、ルーシェは子供のようにはしゃぐ。
「んー!いいねー、素敵だねー。やっぱり僕の見込んだ通りの身体だー、素晴らしいよ!」
ベルの目は虚ろで、心はもはや折れていた。
(これで……これで世界が救われるなら……)
ルーシェは柔らかく声をかける。
「さぁ、次で準備は終わりだよ。さっき言ったみたいに、やってみてー」
促されるまま、ベルは力なく跪いた。
(なんだっけ……えっと、そう……初めて会った頃に、ミリィがやってた……)
ベルは跪いたまま、頭を下げようとする。
その動きも、全てが虚ろで、覚悟でも諦めでもない——ただ、心が折れたまま従っているだけだった。
その瞬間、聞き覚えのある声が街の静けさを裂いた。
「おやめなさい!」
風を切る音が耳を打ち、ルーシェの足元に真紅の短剣が突き刺さる。刃も柄も、すべてが鮮やかな赤に染まっていた。
同時に、跪いたままのベルの背中に長いマントが掛けられる。やはり真紅のマント——守る者の象徴のように、静かに広がった。
ルーシェは肩をすくめ、顔にいつもの軽やかな笑みを浮かべる。
「ちぇー、いいところだったのにー。ひどいことするなー」
その言葉に背筋が凍る。だが、現れた人物は一歩も動じず、ゆっくりと、ベルとルーシェの間を塞ぐように立った。
両腕を組み、仁王立ちの姿勢。ベルを守るかのように、光も影も、すべてを遮るかのように立ちはだかる。
「陽光師団長ム・ルシェルド・アルガドべガル!
このわたくし——教会特務執行官、ウィル・アンジェリース・フィン・フランヴェルジュ・アインツバーグが、
こんな下劣な真似、許しませんわ!」
声は鋭く、揺るぎなく響き渡った。
その赤い影の存在感に、街の空気までもが引き締まる。




