侵攻準備ー
神殿最深部の宣言が世界に響き渡った後、教皇の意志を受けて神殿国家群の各師団が総力を挙げて動き出した。
広大な平原と石畳の道に沿って、太陽師団と月光師団の兵士たちが整然と列をなす。両師団の師団長はいずれも現場にはいないが、それを補うかのように精鋭たちの統率は徹底されていた。太陽の鎧を纏う兵士たちは、鋼鉄のように整った隊列で足並みを揃え、背後に続く数万の兵たちも、隙間なく整列している。
月光師団の白銀の鎧を身にまとった兵たちは、静かに息を整え、槍や弓、魔術を手に、夜明け前の薄明かりの中で微かに輝いた。前線はすでに息を潜め、風を待つ獣のように静まり返っている。
各地から集まった兵士たちの数は、総計で数万──太陽師団・月光師団を中心に構成され、教皇の命に従う全ての精鋭たちで編成されていた。整列する兵士の数だけで大地が震え、足音の低い振動が遠く街の城壁まで伝わる。
天高く掲げられた旗が、教皇の紋章を誇らしげに映し出す。兵士たちは言葉を発さず、ただ手にした武器に視線を落とし、全員が一糸乱れぬ沈黙の中で侵攻の合図を待つ。
「全軍、教皇の意志を以て進め──世界をあるべき姿に。」
その号令はまだ声には出されずとも、心の奥で全員が共有していた。師団長不在でも、精鋭の規律は揺るがず、数万の兵士たちはすでに動き出す寸前の緊張を孕んでいる。遠く、都市の灯や森の影の向こう側で、戦の序章が静かに幕を開けようとしていた。
教会総本部の広間。
荘厳な壁画と高い天井の下、長机が並び、教会の高位聖職者たちが集まっていた。だが、空気は普段の平穏とは異なり、微細なざわめきと緊張が広がっている。
「……これは、想定外だ」
司教の一人が低くつぶやく。目の前の魔法通信装置には、神殿教皇による宣言文が、荘厳な筆致で刻まれていた。
「ベル・ジットに関わった全ての街、村、国家に裁きが下される――か」
別の高位聖職者が額に手を当てる。声は震え、口元を押さえる者もいる。数万の神殿兵を投入し、教会と大陸警察、ギルドに対する宣戦布告。文字通り、戦争の開始宣言だ。
総本部の司祭たちは互いに目を合わせる。動揺が胸をよぎるが、誰も言葉を失ったままではいられない。
「しかし……行動せねばなるまい」
高位司祭の一人が静かに声をあげる。
「すぐさま各都市と国境に連絡を。総力を以て防衛体制を整えよ。教会兵団、警察、そして可能な限りギルドの協力を要請するのだ」
書記官が急ぎ報告文をまとめ、騎士団に伝達する。神殿騎士団長たちは一斉に防衛準備を開始。通信や魔法網を駆使して、各地の指揮官と連絡を取り、各国の教会支部に即座に指示を飛ばす。
「……聖戦の序章が、ここに始まったのか」
司教の声に重みが加わる。広間の壁画の光が揺らぎ、数百年にわたる教会の歴史と使命が、目の前の危機を前にして重く胸に響いた。
その場にいる誰もが理解していた――神殿国家群は、もはや容赦しない。今、世界の秩序を賭けた戦いの鐘が鳴ろうとしている。
大陸警察中央本部、
鉄と石でできた広大な建物の奥、指揮室には地図と通信装置が無数に並ぶ。各地方の指揮官たちが慌ただしく報告を上げ、中央の司令官たちが指示を飛ばす。
「……全員、聞け!」
中央司令官の声が室内に響く。大型魔法通信装置には、神殿教皇による宣言文が表示されている。ベル・ジットに関わった全ての国、街、村への裁き。そして警察や教会、ギルドに対する宣戦布告。
「これは……事態は一刻の猶予も許さない」
副司令官が額に手を当て、複雑な表情を見せる。各地方支部との魔法通信が即座に稼働され、中央本部は各地の警察部隊に緊急展開を命じる。
「太陽師団・月光師団を中心とした数万規模の敵が動き出す可能性が高い。迎撃戦力を即座に動員しろ!」
通信網から次々に現状報告が上がり、戦力の配分と最前線への移動指示が飛ぶ。銃や魔術の弾薬、補給部隊の手配も同時に進められる。
「神殿の動きは、もはや人力だけでは制御できん。各支部の精鋭を集め、教会及びギルドと連携して防衛線を構築せよ」
各司令官がうなずき、指揮室は緊迫感に包まれる。職員たちは沈着に、しかし迅速に命令を遂行する。
窓外に広がる街の光景は、いつも通りの平穏を装っている。しかし司令官たちは知っていた――天秤は既に傾き、世界を賭けた戦いの序章がすぐそこまで迫っていることを。
「全員、警戒せよ……これからが本番だ」
室内の空気が引き締まる。教会総本部同様、中央本部もまた、世界規模の戦いを前に、全力で備えるしかなかった。
ギルド連合本部。
石造りの巨大な建物の中央ホールには、各地のギルドマスターたちが一堂に会していた。
「……これは、事態が大きすぎるな」
重役の一人が地図に視線を落とす。神殿国家群の宣言文が、魔法通信で本部に届けられていた。ベル・ジットに関わった全ての街や国に裁きが下される、警察・教会・ギルドに対する宣戦布告──文字通り、戦争の宣言だった。
「我々ギルド連合も無力ではないが……これは、総力戦だ」
別のマスターが拳を握り、部下たちに指示を飛ばす。精鋭傭兵団、各地方ギルドの戦闘員、魔法師、斥候たち──可能な限りの戦力を即座に前線へ配備することが命じられた。
「各ギルドに通達。総員、集結せよ。教会及び警察との連携を確立し、防衛線を形成する!」
通信魔法により各地方のギルド支部に命令が瞬時に伝わる。戦闘員たちは武器や魔法道具を手に取り、集結地点に向けて移動を開始する。
「神殿国家群の進撃は避けられん。我々も戦力を集中せねばならん」
ホール内に緊張が走る。普段は商売や任務で動くギルド戦力も、今や世界規模の戦いの序章に巻き込まれつつあった。
窓の外、街や港に向かう動員部隊の姿がちらほら見える。街を守るため、世界の秩序を守るため、ギルド戦力もまた総力を挙げて前線に向かう――準備は整いつつあった。
王都ルグレシア、広間。
アルティシア・ヴァン・ルグレシアは白い衣装を整え、背筋を伸ばして立つ。十五歳の少女とはいえ、その眼差しには王女としての覚悟が宿る。
「世界連合国家の構想――数年後に大陸諸国や他大陸の国々と手を取り合う未来も、今、ここで試される時のようです」
アルティシアの声は、明るくも芯の通った響きを持つ。側に控える宮廷侍従長アイザック・オランが静かに頷く。
「姫様、宣言の内容はすぐに各国との通信網を通じて共有されます。我らが王国のみならず、連合を志す他国も巻き込み、協調体制を築かねばなりません」
オラクルを操作しながら、アイザックは各国の王族・指導者との連絡ルートを確認する。
王都騎士団部隊長ライン・バックスが重厚な声を響かせる。
「全ての前線部隊に命じる。王都、及び国境警備を強化し、警戒態勢を最大に。連合構想を念頭に置き、各国と協力して情報共有と防衛を徹底すること」
その姿は紳士然として静かに威厳を放ち、部下たちに安心感と決意をもたらす。
アルティシアは静かに息を吸い込み、決意を新たにする。
「私たちの使命は――民を守ること、そして世界を、より良き姿に導くこと……。これもまた、愛と正義のための戦いです」
侍従長アイザックが声を低く響かせる。
「各国への連絡、軍の動員、戦略会議――準備はすべて急務です。世界連合への道は、今この瞬間から始まる」
王都の高窓から差し込む光は静かに広間を照らす。しかし、その平穏の裏では、神殿国家群の数万規模の軍勢が動き始めている。ルグレシア王国の城門、教会、ギルド支部、そして隣接する大陸諸国――すべてが、緊迫した空気の中で対応を迫られる。
アルティシア、ライン、アイザック、そして集まった王都騎士団の面々は、互いに視線を交わす。言葉は少ないが、覚悟は確かだった。
ジット村の広場に、遠くの街からの使者が駆け込んできた。息を切らし、村の人々に向けて声を張り上げる。
「聞け!神殿国家群が……世界に向けて宣戦布告だ!」
ざわめきが村全体に広がる。小さな村の人々は目を丸くし、口々に声を上げた。
孤児院では、子どもたちが庭から叫び声を上げる。ミーファの姿を探し、自然と集まる小さな手。
「ベル、危なくないの?」
「ベル、帰ってきて!」
教会の中で、ミーファは慌てずに子どもたちを抱き寄せる。くるくるの金髪が揺れる。
「大丈夫!ベルならきっと乗り切れる!」
ミーファの瞳は揺るがぬ覚悟を宿す。
「だって私たちには、『アリスの意思』があるから!」
子どもたちも小さく頷き、ミーファの周囲に固まる。ざわめく村の中でも、孤児院の庭だけは小さな信頼と勇気に包まれていた。
ミーファは静かに頷く。世界に戦乱の影が差す中、ジット村の存在、そして子どもたちの信頼が、確かな勇気を彼女に与えていた。




