影が泳ぐ
大学生のころ、近所の池に通いつめたことがあった。
池の敷地は背の高いフェンスに囲まれていた。冬になると伐採された枯れ枝が水際の葦に池を覗かせ、葦は風に揺れながら水面に映る姿をつついていた。フェンスの内側には野生化して見上げんばかりに育ったばらや、ひ弱そうな水仙が根を下ろし、傾斜したフェンスから道に頭を出していた。
かつては父と小魚やエビをすくったものだったが、低かった木の柵がこのフェンスに新調されてからは別の遊びに興じた。
私は大学から自宅までの通り道にあるこの池の前を通るたび、幼少期を思い出した。
ある晴れた日、池の中に大きな影を見た。
お屋敷が掲げる鯉のぼりほどはありそうな影が、ぬれた背中を水面から飛び出させて泳いでいる。影は二つあって、大きいほうには角のようなものが見えた。
家に帰った私が夕食の席でそのことを話すと、父は「雷魚でも見たのだろう」と言った。
このあたりは治水工事が行われるまでよく川があふれていた土地で、幼かった父が住んでいた団地の表はたびたび水につかり、そこで雷魚がよく捕れたのだそうだ。
「それで流しに入れて飼おうとしたんだが、親父が歯磨き粉を落としたもんだから死んだんだ」ビールのジョッキを片手にした父の隣で、私は雷魚とはあそこまで大きくなるだろうかといぶかしんだ。
それからも私は池で何度かその影をみた。
ふたつの影は円を描いていることも、寄り添っていることもあった。
しかし、四、五回ほど私の前に姿を現した彼らは、初夏に突然姿を消してしまった。
死んでしまったのだろうか。浮かびもせずに? 捕まってしまったのだろうか。あんな大きな生き物は、風呂桶にも入りやしない。フェンスに沿って池の周りをぐるりと歩いても、何かがひきずりだされた様子はなく、池はまったくいつもどおりだった。
この段になって私は雷魚について調べてみた。
そこには体長は一メートルほどになると書かれていた。
私が見ていた影は優にその倍はあった。
季節は過ぎ、また冬がやってきた。私は就職活動を終え、春から実家を離れることが決まっていた。
近頃は大学に行く用事もなく過ごしていたが、ふいに池のことが気になった。
天気予報を確認し、一つの雲もないある日の明け方、私は着ぶくれて池の前で自転車にまたがっていた。
犬の散歩をする人が会釈をするので、私も会釈を返す。
足下の水仙は今年も弱々しい。
初めて池の中に影を認めたのがちょうど去年のこの時期だった。冷たい風に水面が揺れている。私はマフラーの中に首を縮めて待った。
やがて太陽が民家の屋根よりも高く昇り、暖かく照らされた私は、寝不足と心地よい陽のなかでうたた寝を始めていた。
突然水鳥がおもちゃのあひるを潰したような声を上げたので驚いて跳ね起きると、ばたばたと慌ただしい鴨たちが飛び立つところだった。
私はなにか見逃しただろうか?
もうあの町には長いこと帰っていない。両親は施設に入り、実家は売却されて知らない誰かが住んでいる。
夜、布団の中でまどろんでいると、隣室から不眠症の妻が廊下へ出る音がした。
冷蔵庫が開き、椅子が引かれる。ひとつひとつの動作がゆっくりと時間をかけて小さな音をたてながら進んでいく。
夜を泳いでいる彼女の気配にあの影を重ねながら、私はいつしか眠りに落ちた。
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