特別病の治し方(※治らない)
■影の話
身体の再生成が終わる。
瞼をゆっくりと開くと、真っ暗で何も見えない中に、何かがゆらりと揺れた。
「特別が欲しくないか?」
影のようなあなたは言った。
それが私に向けられた問いだと、分からなかった。
影は話し続ける。
私はただ、それを聞いていた。
「誰かが、お前のことを見つめている。
尊敬する目だ。憧れの目だ。
同じ目で見つめられているようなやつは他にいない。
そいつはお前が居なくなることに耐えられない。
居てくれるだけでいい。
そう言って縋るように見てくる。
そいつにとっては、
お前が、お前だけが特別だ」
胸の奥で、何かが軋んだ気がした。
なんでかは分からなかった。
「抽象的すぎたか?」
影は少し考えてから言い換えた。
「お前が来ると空気が変わる。
お前の言葉で、誰かが泣き、笑い、救われる。
お前が居てくれてよかった。
お前が居なきゃ始まらない。
お前じゃなきゃダメだ」
胸が締め付けられる。
誰かに必要とされることを。
誰かに選ばれることを。
私だけが、私だから価値があると言われることを。
欲しいと思った瞬間に、もう戻れない気がした。
影は、私を見て優しく微笑んだ。
……そう見えた。
背中がゾワっと泡立つ。
影はただまっすぐ私を見ていた。
私は目を逸らした。
そうするべきな気がしたから。
影は何も言えない私に向かって言葉を重ねる。
「欲しいなら与えよう」
私は息を止めた。
与えられる?
そんな私を見て、影はまた揺れた。
「いらないって言っても、与えようか。
だって欲しいだろ?」
私は顔を伏せたまま、震えた。
影は言葉を止めない。
「お前は唯一だ。
他の誰にもできない。
お前にしかできない。
お前は特別だ。
お前だけが特別だ」
影はそう言って、私に手を伸ばした。
恐る恐る、顔を上げる。
私は気づけば、その手に向かって手を伸ばしていた。
影がふわっと消えた。
「欲しいやつには永遠に、手に入らない」
扉が開いた。
「こちらへどうぞ」の矢印が光っている。
私は呆然としたまま、歩き出した。
■時系列1:烏丸たちの研究(視点:司)
――司1――
俺はクローン研究チームの一員だった。
まぁ、クローンと呼ぶにはあまりに不完全な、人間の模倣体だ。
技術のトップは烏丸。
人間に対する異常な執着……良く言えば熱意、観察眼で、このプロジェクトを主導していた。
これは、この研究を見届けた、俺の記録だ。
俺自身の話は、そんなに重要じゃない。
――南雲1――
他社から、共同研究者として来たのが南雲だった。
見た目はまとも。
話し方も丁寧。
でも、こんな先の見えない所に送られてくる時点で、俺は左遷か、厄介払いだと思った。
でも南雲は、軽く笑っていた。
「よろしくお願いします」
当たり障りのない挨拶をする中、烏丸がギラついた目で南雲の腕を掴む。
「データ取らせて!」
そのまま、南雲の許可なんて聞くつもりはない、とでもいうように、腕を引っ張って連れていく。
……いやいや、社外の人にいきなりそれはないだろ。
止めようとして気づく。
南雲はなぜか、少し嬉しそうだった。
烏丸に笑いかけて、腕を引かれるがままついていった。
――――
烏丸は、誰彼構わず、
「人って何を求めて生きてると思う?」なんて哲学論を問い掛けるようなやつだった。
「なんで?どうして?」の回数も尋常じゃない。
通路で目が合ったらアウト。
席の前を通らないのが、うちのルールだった。
南雲は、避けなかった。
どんな質問も受け止めた。
だから、烏丸に気に入られた。
「なんで今そう動いたの?」
「今の笑顔、誰に見せてるの?」
いつも何か質問をしていた。
いや、怖いだろ。
南雲も心なしかたまに引きつった顔をしていた、と思う。
「南雲が今欲しかった言葉は何?
好意?共感?承認?」
「……たぶん、君に喜んで欲しかった」
「人は過去に貰えなかったものを欲しがるの。あなたの親は感情をくれなかったのね」
その瞬間、南雲の動きが止まった。
硬直していた。
……図星か。
数秒後、南雲の目にじわっと浮かんだのは、陶酔だった。
……目を逸らしときゃよかった。
だが、その後の2人も自然と目に入ってくる。
南雲は小さく頷く。
「合ってるよ」と言って、目を閉じた。
烏丸は少し満足そうに、「でしょ?」と言って笑った。
……変にのめり込まなければいいが。
いや、もう遅いか。
南雲は既に手遅れだった。
こいつらは何かおかしかった。
だがこの研究は、この二人が主軸だった。
――――
烏丸は、クローンについて何も分からない暗闇の中、自分で地図を作りながら歩くようなやつだった。
「どう使う?制御は?」なんて誰も答えられない中、烏丸は答えを模索する。
その隣を、彼女に惚れ込んだ南雲が隣を歩いた。
「怖くないのか?」
たまたま一人でいた南雲に、俺はそう聞いた。
「怖いよ。……でも、烏丸に見られてるの、悪くないんだ。それに、あの烏丸と一緒に居られるのは俺だけだ」
南雲は少し照れたように笑っていた。
本人は幸せそうだったが……。
いや、本人がいいって言うなら。
俺は、考えないことにした。
――哲学談義――
「人間ってなんで生きてるんだと思う?」
烏丸と南雲が話していた。
……また重そうな話題だな。
俺は息を潜めたが、耳が勝手に会話を拾った。
「うーん……死にたくないから、とか?」
「そうね。他には?」
「他……子孫繁栄……」
「生物の宿命ね」
「烏丸はなんだと思ってるんだ?」
南雲は首を傾げて烏丸を伺う。
「私は、死なない理由から考えてみたの。
だって無意味なら死ぬべきだわ。
社会に全く貢献しない人だって、自覚があっても死なないのはなんでだろうって」
……いやいや怖い怖い。
役目を果たせないなら死ねって言ってるようなものだろ。
「認識なのよ。本当に役に立たないって思ってる人は自分で死を選ぶわ。
役に立つ可能性がある。そういう無意味な希望を抱いてるのよ。
または錯覚。自分は役に立っているって。事実とは別にね。」
「人間は希望を持っているから生きている?」
南雲が少し考えた後、そうまとめる。
「そこなのよね……」
烏丸はそう言って考え込んだ。
……終わったか?
俺は2人の方に少しだけ目線を寄せる。
南雲はただ烏丸を見ていた。
――南雲2――
夜遅く。
チームのメンバーがほとんど帰った中、烏丸と南雲は話していた。
俺は影のように存在を薄くしていた。
俺が残ってることがバレませんように。
「私もクローンになりたいー」
烏丸の珍しい、拗ねるような、駄々をこねるかのような、声だった。
「……どうしてだ?」
南雲がそう返すまでに時間があった。
いつもはどんな話題にでも、苦笑で返すのに、珍しい。
「人間より、人間の模倣の方がよっぽど人間らしいのよ。きっと。だって死ねるんだもの」
烏丸はいつにも増して、理解しづらい思想だった。
俺が理解できないのは当然として、
南雲も理解できなかったのか、少し悩んでから言葉に出す。
「……死にたいの?」
こいつらほんと、そういう話題しかできねぇのかよ。
南雲の声は冷たく、感情を出さないように気を付けているかのような声だった。
まぁ、惚れてるやつが死にたいとか言ってきたらそうなるだろ。
烏丸はそんな南雲の様子を気にせず、いつものように自分の思考を言葉にしていく。
「死にたいというか……。
死ぬことで特別は保存されるの。
生きていれば必ず色褪せるわ。そんなもの見たくもない。何度でも色鮮やかに、1番輝いている特別だけを見続けたいの。何度でも。」
「クローンは死ねば記憶が無くなるけど」
「特別は……一瞬だけでいいの。
そう思った瞬間、もう死んでしまいたいわ」
……今日は、烏丸がやけに落ち込んでるな。
「それって」
南雲は、喉が詰まった様に、一呼吸おいて、
「……生きてたら特別はなくなる。ってことであってるか?」
やけに慎重な声で、ゆっくりと、そう言葉にした。
だが、そんな南雲の声とは対照的に、彼女は南雲の言葉に跳ねるように反応した。
「そう!そこよ。」
「特別って永遠じゃないのよ。
手に入れて、薄れて、欲しくなって、また得るの繰り返し。
私は永遠に保存したいの。」
俺は、烏丸と南雲を横目で見る。
南雲に烏丸が詰め寄っていた。
2人の距離が恋人の距離くらい近いことに、烏丸は気づいているんだろうか。
南雲は烏丸から視線を外せないようでいて、腕の位置は困ったようにうろついていた。
ほんと難儀だな。
烏丸に恋心の理解は無理だろ……。
いっそそこで抱きしめておけよ。
……やっぱり俺が決まずくなるから却下だ。
南雲は迷ったように先ほどの言葉の返事を落とす。
「さっぱり分からない……」
「だから言ったじゃない。
説明しても無駄なのよ」
そう言った後、烏丸は距離を戻した様だった。
南雲からは少しほっとしたような雰囲気が流れた。
「でも、そうね。」
烏丸はそう言って、少し考えこんだ。
南雲を気にしているのか、最近は拙いながらも自分の思考を言葉にしようとしているようだった。
俺たちには詰め寄って聞き出すくらいしかしてこなかった奴が。
いや、別にいいけどさ。
そして静かに話し出す。
「人は自分が特別だと思いたい。
なるべく多くの人に、価値があると認めてもらいたい。
でも、出来るわけないじゃない?」
……特別ねぇ。
彼女はその言葉をよく使っているが、その概念を理解している奴はおそらくいない。
「1人に、1人だけでも特別と思ってもらえれば奇跡なの。
でもそれだって錯覚よ。
誰も他人を特別だなんて思ってない。
自分が特別だって思いたいだけ」
「……極論すぎないか?」
南雲は少しだけ優しく反論した。
「別にあなたが理解する必要はないの。
私はそう思ってるだけ」
烏丸は突き放す。
よく見る構図だ。
それでも南雲は折れない。
「……でも、俺は……」
「特別なんて存在しない。
それでも信じてる。信じ続けてる。
どこかで自分は特別だって」
烏丸はそこまで言ったあと、どこか遠くを見るように視線を流す。
「それが人の愚かなところ」
「……お前もそうなのか?」
南雲はそう零した。
「私は特別よ?天才だもの」
烏丸はそう言って笑う。
「矛盾してるだろ……」
南雲は苦笑いのトーンでそう言った。
「知らない知らない!
あー私もクローンになりたいなー」
そう言って、烏丸は自席へと戻っていく。
南雲はそんな彼女の背中を見つめていた。
南雲の腕が、彼女に少しだけ伸びて、結局引っ込めた。
南雲の顔は、何かに気づいたかのように、硬かった。
そんな女止めとけよ。
そう言ったって、何も止まらないんだろうけどな。
……俺は何も見ていない。
ここには烏丸と南雲しかいなかった。
そういうことにしておこう。
――クローン試作――
俺らのチームメンバーで烏丸の席に集まっていた。
クローンの試作が出来たとのことだった。
最初の一体は烏丸のクローンだ。
名前は烏代らしい。
……名付け適当すぎだろ。
「これ、もう聞こえてるのか?」
モニターにはただの黒い画面しか映っていなかった。
「聞こえてるとも言えるし、聞こえてないとも言える」
烏丸は少し満足そうにそう言った後、用意してきたような台詞を言い始めた。
「あなたはクローンです。
死んでも再生成されます。
ただ、そんなにしっかり作り込んでいないので、あまり死なないように」
南雲がその横から、口を出す。
「そんなこと言わなくてもよくないか?」
「え、言わないとすぐ死んじゃうかもしれないじゃない。これ管理用にするつもりなのよ?」
……成功している前提なのかよ。
その時の俺たちは知らなかったが、烏丸はこの烏代を、今後もずっと管理用として使う気らしかった。
「あなたたちクローンはそれぞれ人間がベースなのだけど、世界を管理するために必要な、知識、判断、思考回路などを外付けしてあるの。
ただ、外付けしたそれらが、死ぬたびにじわじわと、ベースの人間のものに浸食されてしまう現象がみられています。」
南雲が補足するかのように、
「結局原因はまだ分かってないんだよな。いいのか?」
「……今の所管理に影響はないから。そんな長期間運用するものじゃないし。
というわけで、あなたはできるだけ死なないように。」
……烏丸らしくなかった。
曖昧な部分を残しておくようなやつじゃない。
でも、南雲が何も言わないから、他の誰もそれに対して何かを言うことはなかった。
「他に言わないといけないことあったかな?」
烏丸が南雲に振り向いて聞く。
南雲は少し嬉しそうに笑う。
「彼女の目的を言ってないんじゃないか?」
「あぁ、そうだった。
あなたには、この世界の管理を任せます。
結構雑に作っちゃったから、大変かもしれないけど。
大丈夫、できるだけの脳にしてあるから!」
「雑にもほどがあるけどな。」
「そんなこと言わなくていいの!」
チームのやつらからも少し笑いが漏れる。
烏丸の熱意がクローンに向きすぎて、クローンが過ごす世界の方の作りは、かなり雑だった。
「クローンは死んだら通知されるような仕組みにしたし。
死んだクローンを放り込むだけで、再生成までしちゃう装置も用意した。
中だって、クローンたちで好きに作り直せばいいのよ。
私天才じゃない?」
「はいはい。お前は天才だよ。」
烏丸と南雲がいつものやり取りをしている。
いつもこのくらい和やかな会話ならいいんだがな。
「何かまだあるかな?」
烏丸がチームの方を振り返って聞いた。
「管理の詳細とかは?」
「詳細?
うーん。そんな難しいこと考えなくていいのよ。
基本はあなたに与えた部屋で、世界を見てればいいよ。
今後クローンをいっぱい入れてくつもりだから、
こいつ世界壊しそうだなって言うクローンがいたら、えいってしちゃえばいいの。
やり方は任せる。」
「えいって……」
烏丸時々こういう適当なところがある。
興味あるんだかないんだか。
「分かればいいのよ。」
……烏代は烏丸がベースだ。
そんな適当な指示でも通じるものがあるのかもしれない。
「あと、面白そうな出来事があったら教えてね」
南雲が烏丸に質問する。
「面白そうなことって?」
烏丸は反射的に南雲の方を向いて、目を輝かせた。
「だって死ねるのよ?
絶対面白いこと起きる。私はそう確信してるわ」
烏丸がまた訳の分からないことを言っている。
一般人に理解できるように言えって。
……烏丸本人には絶対言わねぇけど。
南雲はそんな烏丸に怯まず、むしろ嬉しそうに会話を続けていた。
「死ぬたびに、お前の設計が剥がれていくんだが」
「むしろ剥がれて欲し……こほん。
管理には支障ないから。うん。この子は私ベースだし。最悪剥がれても、多分大丈夫」
はぁ。
俺は知らない。
どうせ烏丸は上手くやるだろう。
忘れておくのが身のためだ。
「そういえば、死んだら記憶は消えるんだろう?
人の死とほぼ一緒じゃないのか?」
南雲はそんな俺たちの考えなど気にしてないのか、違う話題へと移った。
「データとしては残るじゃない。
そこらへん雑だからやりようはあるわよ。」
「胸を張って言うんじゃない。手が回らなかっただけだろ」
南雲は苦笑しながらそう続けた。
「あなたには管理を任せるけど、その範囲内なら好きにしていいからね。
あなたは私がベースなの。楽しんでほしい。」
烏丸は、そう言って締めた。
烏代は、その烏丸の言葉をどう解釈したんだろうか。
……クローンって楽しいとかいう感情あるのか?
――烏丸1――
烏丸が突然机から顔をあげて周りを見渡す。
嫌な予感がして、俺は咄嗟に目線を外したが、遅かった。
「あなたでいいか。
追加でデータ取らせてくれない?」
この状態の烏丸に見られた時点で、俺に拒否権はなかった。
渋々烏丸に向き直り、腕を組む。
「何用だ?
クローン用は既にまとめて取ってるだろ?」
「ちょっと実験用」
「自分のデータ使えよ」
「烏代は管理用だからダメなの。NPCを置きたくて」
「NPC?」
「うん、誘導役。……いろいろ動かしたいから」
俺はため息をつく。
この状態の烏丸に抗えるほどの正義も熱意も、俺にはない。
面倒ごとが増える前に、さっさと終わらせよう。
烏丸の行動の意味が分からないのは、いつものことだ。
機材の準備を始める烏丸を横目に見る。
こういう強引さが、天才には必要なのかね。
俺は烏丸が用意する機材の位置に座った。
誘導って何するんだろうな。
まぁ、俺には関係ない。
――箱庭完成――
俺らはモニターの中を眺めながら、今後について話していた。
誰が言い出したんだったか、
クローンたちの過ごす世界は「箱庭」と呼ばれ始めた。
箱庭の中のクローンはかなりの数になっていた。
データはチームのやつだったり、会社のやつだったり。
烏丸はただの掃除の人なんかにも声をかけて集めていたから、データだけを見れば相当の数だった。
本来はこんなに数を入れる必要なんてなかった。
だけど烏丸が入れたいと言ったから、南雲は動いた。
部屋のドアが開く。
南雲が自分の会社から戻って来たようだった。
烏丸を見つけると目を細めて嬉しそうに、他のやつらなど目もくれずに駆け寄った。
「OK貰ったよ」
烏丸はよほど嬉しかったのか、南雲に自分からも駆け寄って、抱きついた。
「ありがとう!大好き!」
烏丸はそう言ってすぐに離れたから、特別な意味なんてなかったんだろう。
まぁ。俺にもはしゃいでる犬にしか見えなかった。
南雲には違ったんだろう。
硬直していた。
「気分はどうだ?」
「……柔らかかった。いい匂いがした、気がした」
まだ呆然としてやがる。
「これが特別か……?今死ねばいいのか?」
なんだよその考え。
怖ぇよ。
でも、まぁお似合いじゃねぇかな。
箱庭は、人間不在でも管理可能なシステムの、試験としての役割で作り始めたものだった。
南雲の社長としては、箱庭はたたき台で、本命はこの後に作る世界だったらしい。
南雲はそこをついて、どうにか社長を説得し「目的に干渉しない範囲なら自由にしていい」という形で許可をもぎ取ったとのことだった。
愛だな。愛。
それでも烏丸は、次の本命プロジェクトではなく、箱庭に希望を持っていたらしい。
何やら他のチームメンバーに隠れてこそこそ追加の設定などもしていたようだった。
まぁ、俺は知らないふりをした。
責任者は烏丸だしな。
その後は順調に完成した。
烏丸はやっぱりすごかったし。あれについていく南雲もすごいってやつだ。
チームメンバーのほとんどは死屍累々だったのに、その横でいつもの様に哲学談義しているようなやつらだった。
――南雲3――
俺は自分の机から、南雲のようすを横目で見ていた。
箱庭の次のプロジェクトが回り始めたあたりで、南雲の顔色がだんだんと悪くなっていくのが目に見えていた。
南雲は烏丸のそばで、小さく言葉を落とす。
「次のプロジェクト、俺は抜けなきゃならないかもしれない」
その言葉に烏丸は一拍置いて笑った。
「……またいつか、共同研究できるといいわね」
振られたな。いや振られてねぇけど、そんな場面を見ている気分だった。
南雲は烏丸のその言葉で何かが変わったようだった。
呼吸が詰まったのが、見ていてわかった。
彼の指先が微かに震えたのが見えた。
「俺だけが。
そうだな。最初から俺だけ……」
聞こえなかったのか、気にしなかったのか、烏丸は首を傾げた。
「大丈夫?私はそろそろ作業戻るわね」
烏丸はいつもの声。
いつも通りに自分の席に帰っていく。
そのときだった。
南雲が、彼女の腕を掴んだ。
彼女を引き寄せ、腕の中に閉じ込める。
「南雲……?」
烏丸の声が揺れる。
彼女は逃げない。ただ、じっと、南雲を見ていた。
南雲は縋るように、力を強めた。
俺はチームのやつらと、一瞬だけ目を合わせる。
誰も声を出さない。
止めるべきか、踏み込むべきか。全員が凍りついたように、2人の動きを待った。
「なぁ、俺はお前にとって何だ?」
南雲の問いは、泣き声の寸前だった。
烏丸は、珍しく言葉に詰まっていた。
彼女の思考が、一瞬だけ、止まったように見えた。
「何って……。南雲は……」
「俺は!お前のためなら、何だってやれる。社長だって……」
その言葉に、烏丸の腕がそっと、静かに、彼を押し返した。
決心したかのように。
「……南雲。それは錯覚」
淡々と。だが、優しく。
「あなたの特別は私じゃない。
自分を見てくれる誰かが欲しかっただけ。
私じゃない、誰かでいい」
南雲の目の焦点が、一瞬揺れた。
「私にそれを求めても、あなたは得られない。
あなたが見てるのは、幻想よ」
「そんなはずない……!」
南雲は反射的に言い返す。
でも、烏丸は言葉を重ねる。
「仮に私が手に入ったとして、どうするの?
特別なんて、永遠じゃない。
得た瞬間から、色褪せていくのよ」
「……じゃあ……どうすれば……」
南雲の言葉が詰まる。
拳を握る。
「なくなるくらいなら、最初からいらないの」
烏丸はそっと距離を取った。
まるで、何もなかったように背を向けて、席へ戻っていく。
「……でも、俺は」
南雲は呟く。
俺は少ししてから、恐る恐る声をかけた。
「……南雲、大丈夫か?」
南雲は、笑った。
何事もなかったかのように。
「……ああ。平気。ありがとな」
けれどその笑顔に、もう何も宿っていなかった。
その後、南雲は箱庭チームを離れ、自分の会社に戻った。
後日、辞表を出して退職したとだけ、噂で聞いた。
■時系列2:趣味の箱庭の始動(視点:ネロ)
――ネロ1――
何も無かった。
意識だけがあった。
身体もなかったが、自由に動けていることだけはわかった。
音が、した。
「……繋がってるかしら?」
女の声。
脳に響くような、音。
「あなたはクローンではありません。
箱庭、あまりにも動きがないから、あなたの設定変えさせてもらったの」
箱庭?
この何も無い場所が?
「それはあなたがまだ見ていないからよ」
……話通じるのかよ。
「えぇ。あなたに直接繋げてるもの」
女は当然とでも言うように言い放つ。
「あなたはクローン達がなるべく多く死ぬように誘導して。外付けパーツ剥がしたいのよ」
は?
外付けパーツ?
俺にクローンを殺せって?
「外付けは、クローンの感情抑制システムみたいなものよ。他にもあるけど……重要なのはそこ。
殺せっていっても、そもそもあなたに体はないから、物理的なことは何も出来ないの。
あなたは影のようなものよ」
俺は早々にこの女との会話が嫌になっていた。
でも聞かずにはいられない。
脳に直接響くから。
「あなたは、今の私みたいなことができるようにしたの。
クローンに死ぬ理由をあげて。死んでも続く世界だから、忌避感はそんなにないと思うのよね。
多分、最初の考え方が必要なの」
この女がやれっていうのだから、やる以外の選択肢は無いんだろう。
何故かそう思った。
死ぬ理由、ね。
絶望とか、虚無感とか、そういうのの増幅か?
「外付け残ってると、そういったマイナスな考えは抑制しちゃうのよね……なんかもっと気軽にポンポン死ねる感じがいいと思う」
なんだよそれ……
軽いってレベルじゃねぇぞ?
頭では女に対する不満しかないのに、
片隅では勝手にどうやればいいかを、考え始めていた。
死の先に天国が待っているとか?
うわ……寒すぎだろ。
「あぁ、それいいわね。
天国がないのは同意するけれど、今が上手くいかないから死ぬというのは、クローンにとって理にかなってる」
俺に過去の記憶はないが、この女の言ってることが普通じゃないのは分かった。
「私の思想は普通よ。みんなはそこまで考えていないだけ。考えないことで自分を守ってるの。
……私はその先が見たい」
女は少しだけ声のトーンを落とした。
女が何を考えてるのかはよく分からなかった。
「あなたには、私の手伝いをしてもらうの。
これからたまに話しかけるわ。
よろしくね」
音が消え、何も無い世界に戻った。
……女が正しいという確信があった。女の言う通りに動かなければならないという、強迫観念すらあった。
ここではないどこかを見ようとする。
視界が開く。
神の目線を持ったような気がした。吐き気がした。
――ネロ2――
視界が切れる。
次のクローンに意識を繋げる。
俺の姿は、認識した相手にだけ、影のように映る。
何もしていなければ目にも見えない。
声だけが届く。
……ま、それでいい。
俺が何者かなんて、どうでもいいだろ。
一体一体に取り付いて、ちまちまとクローンを死に追いやっていた。
「その記憶は持ってない方が後々楽だろ?
死んどけば?」
……あなた誰?
影のような何かが揺らめいているのしか見えないの。
「俺の事なんてどうだっていいだろ。
さぁ、死ね。
死んだ後の方がお前は幸せになれる」
……幸せ。
「あぁ」
死んでみようかな。
しばらくして、視界が切れる。
簡単にクローンは死んだ。
あの女はこれが分かってたってのか?
胸糞悪かった。
でも、やらないという判断は取れなかった。
自分の考えは関係ない。
女の目的通りに行動しなければならない。
でも何度やったって、存在しない胸の奥が、痛む気がした。
外付けがあるクローンは、俺の事なんて理解せず、理屈が通れば死んでいった。
何のために俺はここにいるんだろう。
そう思っているやつを見つけて、問う。
「死ねば目的が与えられるぜ?
死の先には、お前が生きる意味がある」
……影。
何者だ?
「どうだっていいだろ。
さぁ、死ね。
今の生きたままのお前に価値なんてないだろ」
……それもそうだな。
しばらくして、視界が切れる。
意味なんてない。価値なんてない。
そういう言葉がよく効いた。
死ねば目的が得られる。
それに縋るようだった。
顔を顰める。
顔なんてねえけど。
とにかく、嫌な気分だった。
……効率が悪い。
女はクローン全体の外付けを剥がしたがっていた。
個別じゃない。
こいつらが勝手に死んでいくような、循環を作らないと、永遠に終わる気がしない。
クローンの数はそれだけ多かった。
さっさと終わらせたかった。
――こより1――
「死があなたを救います。
記憶を失えば、目的を得られるの」
この女……こよりは便利だった。
俺が語った言葉を、周りに振りまいた。
「大丈夫ですか?
辛いなら死にましょう?
辛い記憶も、それで無くなります!」
……むしろ、拡大解釈して、自分の考えとして、周りに死ぬことを勧めた。
……なんだよこいつ。頭狂ってんのか?
「あ!影さん来てたんですね。
今日もいっぱい死にましたよ!」
「狂ってんな」
「失礼な。
私は皆に生きたいように生きて欲しいんです。
辛いことなんてしたくないでしょう?
神様がいないので、代わりに私が言うんです。
それとも影さんが神になりますか?」
絶対嫌だ。
……むしろ神ってんならあの女……も神扱いしたくねぇ。
この世界はあの女が神だ。
その考えに至って、ため息を吐く。
「……お前はそれ楽しいのか?」
「周りの人が幸せそうだと、私も嬉しいから」
そう言ってこよりは微笑んだ。
この微笑みで、クローンが大量に死んだ。
効率的だ。
そう考える自分をどこか遠くから見てる気分だった。
あとどれだけ殺せばいい?
どれだけやれば、俺は解放される?
――ネロ3――
脳に直接音が届く。
……女だ。
「聞こえてる?
いい感じだし、そろそろ次に行きましょうか」
……全部剥がさなくていいのか?
完全に外付けが剥がれたのは半分もいねぇぞ?
俺のやるべきことは終わったのか?
次?次って言ったか、この女。
もうやりたくない。
次は何をやればいい?
考えが混濁する。
俺の思考を読んでいるだろうに、女は構わず話し続ける。
「半分も剥がれてれば後は自然に剥がれてくでしょう。
そんなことより実験よ。
やっとメインの実験ができる」
女の声は少し浮ついていた。
この女がやる実験なんて、絶対にロクでもない。
それでも俺は女の言葉を静かに待った。
女は少し笑った。
「特別をばらまいて。
手に入らないって知らしめるのよ。
求めたって手に入らない。そういうものですもの」
分かるわけがない、分からせるつもりがない、そういう言葉だった。
でも、俺は何故だか、その特別を理解できた。
「誰かに必要とされること。
誰かに選ばれること。
自分だけが、自分だから価値がある。
そう言われること」
自然と出てきた言葉だった。
「正解。まぁそれだけじゃないけどね。
分かってるでしょ?」
……この女は俺に何をした?
記憶はない。
ただ、この女には逆らえない。
逆らおうと、思えなかった。
「クローンの根幹にも入れてるの。
だから多分観察していればそのうち見られると思うのだけど、結果ってすぐ見たい時あるじゃない?
頼んだわよ」
あぁ。分かった。
……どうせ、俺の意思なんて、意味がないからな。
「……」
……なんだ。まだ何かあるのか?
「意思は……持って欲しいのよね……」
そう言って少し考え込むような間が空いた。
「何か考えておくわね」
その言葉を最後に、音の接続は切れた。
……なんなんだよ。
命令ばっかりしておきながら、意思は持てとか。
……疲れたな。
俺って寝られるのか?
……今なら眠れそうな気もする。
――こより2――
「もう殺す必要ないぞ」
俺はこよりに向かって、そう言い放つ。
「あっ。影さん!
……どういうことですか?死は救いなんですよね?」
いつも笑っているこよりの目の奥に、影が差す。
「この世界の神が、もう殺さなくていいって仰ったんだよ」
俺は皮肉げに笑った。
影の顔なんてどう見えてるか分からねぇけどな。
「影さんの神……?」
影さんは私以外とも話してるの?
……影さんって、なんなんだろう。
そもそも影さんって……。
こよりの心の中の言葉が響く。
それを押えつけて、こよりは言葉にする。
「……影さんって、名前、あるんですか?」
こよりは、一瞬だけ口ごもったあと、無理やり笑った。
内面見えてるんだから、その努力は意味ねぇのに。
……名前ね。
「ねぇよ。
俺は、神に作られた、ただの設定だ」
なんで俺はこんなことこいつに言ってるんだ?
意味なんてない。
気づいたら、そう口が動いていた。
口なんてねぇけど。
「……こより?」
ほんの一瞬、こよりの内面が抜け落ちていた。
いつも全部見えてるはずだったのに。
心には言葉にならない何かが沈んでいた。
「私が特別じゃなかった」
視界が途切れた。
こよりの何かが壊れたんだ。
俺が、壊した?
……でも、それが悲しいのか……寂しいのか。
俺は考えないようにした。
――こより3――
真っ暗な視界の中、こよりが再生成されている。
なんとなく来てしまった。
……こよりは、クローンを殺すときにも役立ったから、特別を布教するにも役立つだろ。
言い訳みたいだな。
でも、これが効率的だ。だからこれでいい。
真っ暗で何も見えない中、ゆらりと影が揺れる。
こよりが目を開けた。
「特別が欲しくないか?」
そう言った俺の言葉にこよりは無垢に返す。
「特別……?」
「そう。特別」
そう言って俺は笑う。
こよりに笑いかけた。
「何ですか?それ」
「分からないか?
……そうだな。考えろ」
「知らない奴が、お前のことを見つめている。
尊敬する目だ。憧れの目だ。
同じ目で見つめられているようなやつは他にいない。
そいつはお前が居なくなることに耐えられない。
居てくれるだけでいい。
そう言って縋るように見てくる。
そいつにとっては、
お前が、お前だけが特別だ」
言っといて、俺の方が飲み込まれそうだった。
俺の脳は理解している。
口は勝手に動く。
こんなこと毎回なんてやってられるかよ。
こよりの手が胸元で握られる。
それが何の反応か、こより自身は分かっていなかった。
「抽象的すぎたか?」
俺は目を伏せ、自分の感情を飲み込む。
少し考えてから言い換えた。
「お前が来ると空気が変わる。
お前の言葉で、誰かが泣き、笑い、救われる。
お前が居てくれてよかった。
お前が居なきゃ始まらない。
お前じゃなきゃダメだ」
こよりの心が伝わる。
胸が痛い。
誰かに必要とされることを。
誰かに選ばれることを。
私だけが、私だから価値があると言われることを。
こよりは、特別を欲しがっていた。
……欲しいって思った瞬間にもう戻れない。
こいつはそう感じていた。
俺は諦めたようにこよりを見て、少しだけ笑った。
こよりには、それが優しさに見えたらしかった。
目が反らせなかった。
お互いをまっすぐ見ていた。
「……手伝ってくれるか?」
こよりは一瞬息を止めた。
「手伝う?何を……?」
「特別をばらまくんだ。
そして、足掻いたって手に入らないって知らしめる」
こよりの心の中は混乱していた。
与える?特別を?
それはいいことだ。
……でも。
「……手に入らないんですか?」
困ったように呟いたこよりを見て、俺は笑った。
「手に入ったらそこまでだ。
手を伸ばし続ける方が幸せじゃないか?」
こよりは、幸せという言葉に弱い。
こよりの心の中も、予想通り。
幸せ。それはいいこと。
みんなも幸せがいいはずだ。
そうか思っていた。
……悪いな。
俺のために動いてくれ。
「そうだ。
特別を与えるフリをして、そんなものがないと気づかせる。
いらないって言っても、与えるんだ。
だって欲しいだろ?ってな」
こよりは俺をじっと見つめている。
俺は言葉を重ねる。
「お前は唯一だ。
他の誰にもできない。
お前にしかできない。
お前は特別だ」
少し言い淀む。
……言え。こよりには決定的に効く。
俺の感情なんて、どうでもいいだろ。
俺はそういうものなんだから。
「お前だけが……俺の、特別だ。
……できるな?」
俺はそう言って、こよりに手を伸ばした。
こよりは一瞬躊躇った後、俺に手を伸ばす。
「……」
視線が一瞬絡む。
俺はこよりに触れられないように、手を下げた。
「欲しいやつには永遠に、手に入らない。
……まぁ、やれるだけやってみてくれ」
そう言って、視点を移動する。
こよりはこれで動くだろうか。
……多分動くんだろう。
あの女の目的通りに、特別を広げる為の。
俺の駒。
――東雲1――
世界全体に特別をじわじわと浸透させるのはこよりに任せて、俺は個別に特別をばらまいていた。
こよりにやったほど丁寧じゃない。
「お前のそれ、特別が欲しいだけだろ?」
そう、時たま囁くだけだ。
効果は覿面だった。
あの女は根幹に特別を埋め込んだとか、訳の分からねぇことを言っていた。
だが、それが真理なのかもしれないとすら思った。
みっともなく足掻いて、それが欲しいと手を伸ばすやつを何人も見た。
……哀れだな。
でも、俺はやらなきゃいけないから。
また、他の狂いそうなやつを探して、視点を渡る。
そんな時だった。
……既に狂ってるような奴がいた。
俺は静かに観察に回った。
その男は、人に会いに来た様子だった。
座っている男は、文字のような絵のような物が書かれている板を見つめ続けていて、来訪した男に気づかない。
狂っている男は特に気にせず近くの椅子に座った。
よくあることらしかった。
暫くして、板を眺めていた男が気づいた。
「……東雲?来てたなら言えよ」
「集中してそうだったから、邪魔しちゃ悪いかなって。悠木は、また記憶見てたのか?」
悠木は記憶編集者らしかった。
……あの女が、箱庭の一部のクローンに与えた役職。
「……悪いか?やることはやってるし、別にいいだろ……」
なんか卑屈そうだな。
記憶を見てるってことは、他のクローンの記憶か?
「俺も読めたらなぁ」
東雲は、結城の持っている物を覗き込んでそう言った。
……何が書いてあるかは東雲にも俺にも読めない。
「これは記憶編集者だけの特権だから。一般クローンには読めない」
「そんなものなのか」
東雲は自分で聞いた割にはさっぱりと諦める。
……他人の記憶になんか興味ねぇぞこいつは。
悠木と話すための話題だ。
悠木はため息をついた。
「はぁ。お前はその記憶をどうにかしろ」
……狂っている東雲のことを知っているようだった。
東雲は静かに答える。
「これは俺の大事なものなんだ。……触るなよ?」
そう言って、笑った。
いや、笑ってない。
東雲の心には、
今現在の心の内と、
おそらく過去、いやこれは過去か?
とにかく今じゃない、誰かの記憶が混在して、浮かんでは消えていた。
悠木は一瞬心配そうな顔を東雲に向け、諦めたように、またため息をついた。
……東雲の記憶に、あの女がちらついた。
「……は?」
つい漏れた声に、東雲が驚いたように目を向ける。
認識された。
「……」
東雲はこちらを見るだけで、他に反応を起こさない。
悠木はこちらを見てすらいない。
東雲の記憶には、
烏丸……あの女と、南雲がいた。
そんな中、悠木は軽いトーンで話し出す。
「なぁ、お前今までで何回死んだ?」
東雲は俺を見て苦笑いした後、悠木の方を向いた。
「……4回かな」
「下層行くのって10回からだったよな……」
この世界の管理者……烏代は、外付けの剥がれ具合で、上層と下層に、住処や仕事を分けた。
実験に使えない、外付けが残っている上層のやつらで、世界の管理を回す。
効率的だな?
女の姿がチラついて嫌になる。
悠木は板を見つめながら、静かにつぶやく。
「……あんまり死ぬなよ?」
「……そうだな」
俺は笑ってしまった。
東雲が目線だけで俺に向く。
俺は東雲に囁く。
「今すぐにでも死にたいのに、なんでお前は死なないんだ?」
俺は。東雲の脳内に、記憶が鮮やかに浮かび上がるのが分かった。
東雲が体験したことじゃない。
……これは、南雲の記憶だ。
……笑っちまうよ。
そんな他人の記憶に縋ってんのか?
南雲の記憶は、
烏丸の特別になるためには、死ななければいけない。
そんな考えに取りつかれている。
東雲は、そんな記憶を大切に抱え込んでいた。
俺は続けて囁く。
「それはお前の特別じゃない。
なんでそんなものを持ってるのかは知らないが、どうせあの女の実験だろ?
お前はその記憶に関係ない」
東雲の手は強く握りこまれた。
それに気づいて悠木が東雲を伺う。
「……東雲?」
東雲の中で、言葉が浮かぶ。
……俺は特別になれなかった。
死なないといけない。
同時に、
俺はこの世界を管理するクローンの1人だ。
自分の都合で死ぬわけにはいかない。
そう、矛盾する言葉が舞っていた。
狂っている。
東雲も南雲も、烏丸も烏代も。
……東雲はもう、特別を認識してる。
俺が特別を与える必要はない。
俺は何をするべきか。
東雲を心配そうにみている、悠木を見る。
俺のことは認識していない。
……2人とも狂った方が過ごしやすいだろ。
そう思った。
――悠木1――
あの後、東雲は死んだ。
俺には、そりゃそうだとしか思えなかったんだが、悠木は違ったらしい。
悠木は烏代の部屋を訪れていた。
「東雲の記憶、編集していいですか?
あの記憶、なんなんですか?
……あのままだと、また、死にますよ」
俺が見た悠木の心の中は暗澹としていた。
でも、さすが記憶編集者。俺よりも詳細に東雲の中の記憶……南雲の記憶を掴んでいた。
……悠木はその記憶に呑まれかけていた。
烏代はそんな悠木に少しだけ微笑みかける。
「知らない記憶……。
記憶は編集しても残すことは出来る?」
「アーカイブすればそのまま。
……いつでも戻せます」
「なら、編集しちゃって。
上層がこれ以上減ると、管理に支障が出てくる」
「……はい。分かりました」
悠木は、烏代の部屋を出たその足で、死体回収場へと赴いた。
ケースの1つに、東雲の身体が入っていた。
……こうやって保存されてるんだな。
俺はケースの外から東雲の死体を観察するように眺める。
まともに見たことなかったが、上層に括られたやつは、記憶編集者……悠木みたいなやつが記憶パーツを取り出すらしい。
そして、再生成の方に記憶を移すから、記憶としては死んでも連続している状態となる。
よく考えたもんだ。
……あの女じゃねぇな?
これも烏代が、管理のために効率化した物の1つか。
……俺は関係ない。
矛盾してようが、今の俺に与えられたのは、特別をばらまくこと。
悠木は使えそうだから、観察してる。
それだけだ。
悠木は死んでいる東雲の記憶パーツを繋いで、東雲の記憶を見る作業を始めた。
ややこしいな……
俺は悠木の内心を見てる。
悠木は東雲の記憶パーツを見てる。
東雲の記憶パーツには南雲の記憶も入ってる。
俺は悠木の心を読む。
……東雲の、南雲の記憶が重い。物理的じゃない、精神的にくる。
悠木は、外の世界を知らない。
南雲。……誰だよ。
烏丸。……誰だよ。
そういった、雑な感想が心の中で流れる。
それでも、感情は理解できてしまうらしい。
南雲が烏丸に向ける感情。
……特別ってこういうことなのか?
俺には、悠木の中に疑問が生まれたのが分かった。
(俺の大切な記憶なんだ。触るなよ)
悠木は、そう言っていた東雲を思い出す。
知るか。
俺はお前の方が大切だ。
悠木はそう、意識を保って東雲の記憶の深層に潜った。
俺は、悠木の中に感情が流れるのをただただ感じる。
東雲に向ける感情とは別に、東雲の中に埋め込まれた、言葉にならないもの。
……南雲の記憶と感情。
言えなかった言葉が、そこにあった。
――――
烏丸は怖いはずなのに、不思議と目を逸らせなかった。
この人にもっと見てほしい、気づいたらそう思っていた。
他の人たちは、烏丸を、怖いと言った。
実際怖い。
けれど俺は、俺の奥底まで覗き込んで、それでも逃げない、むしろもっとと言ってくる烏丸が……替えのきかない存在になっていた。
……俺はお前が特別だ。
俺には、彼女が理解されたがっているように思えた。
だから思考を回す。
考えろ。彼女が何を思っているのか。
何を感じて、なんでそういう考えに至ったのか。
彼女の後ろ姿を見て、
もし今、彼女を抱きしめたら、俺は特別を名乗れるだろうか。
そんな衝動が頭をよぎる。
指先がわずかに動いた。
だめだ。違う。
そんな特別じゃ意味がない。
烏丸が認める「特別」じゃないと。
俺は、どうすれば彼女の特別になれるんだろうか。
(特別は死によって保存される)
……その答えは、彼女にとっては正しいのだろう。
――――
悠木は、その一連の記憶を直視した。
俺は悠木を通して、ほぼ正確に覗き見た。
……記憶編集者ってこんなにも直接記憶が見られるんだな。東雲に入ってたときは、あいつの認識フィルター越しだった。
そんな風に考えている間にも悠木は作業を続ける。
悠木の内心はどんどん暗くなる。
南雲の記憶と自分を比べている。
……俺がこんな特別を手に入れる日は、きっと永遠に来ない。
そういった諦念で埋まっていく。
南雲の最後の記憶。
――――
あの日、触れた髪の柔らかさも、
抱き寄せた時の細い背中も消えずにいる。
俺の特別。俺の永遠。
君に認めてもらいたいんだ。
死ぬことで保存されるなら、俺はもう迷わない。
――――
悠木は、噛み締めるかのように南雲の記憶を見つめた後、東雲から、全て削除した。
俺は悠木に声をかけなかった。
……いや、かけられなかった。
……俺も南雲の記憶に呑まれそうになっていた。
大丈夫。俺は、特別なんていらない。
そう、俺は自分に言い聞かせた。
――悠木2――
俺は暫く、悠木の視界で過ごしていた。
悠木はあの後、ずっとこれで良かったのか?っていう罪悪感に苛まれていて、
正直、ウザかった。
でも他に行かなかったのは、なんでだろうな。
……これも、特別をばらまくためだから。
再生成された東雲は、表向きどこも変わらなかった。
ただ、あの濁った目をしなくなった。
狂っていたのは、あの記憶のせいだったか……。
俺の宛が外れた。
記憶がなくても、こいつは狂ってると思ってたんだが。
悠木も少し拍子抜けしたのか、東雲に全部経緯を吐き出す。
「俺、お前の記憶編集したんだよ。お前ほっとくと自傷するから……」
……許されたいだけだろ。
東雲に触るなって言われてたのに消したから。
「そうなのか?……迷惑かけたな」
東雲はそう言って、少し呆れたように笑うだけだった。
ふと悠木の脳内に、南雲の感情が流れる。
「俺も、特別欲しいな……」
気づけばそれが悠木の口癖になっていた。
俺は、目論見がかなったって笑いたい気分だった。
……でも、笑うには南雲の感情が生々しすぎた。
心の奥が変にざらついた。
あの女の実験ってやつの気配が、近かった。
あの女の言う通りに動かないと。
特別をばらまく。
悠木はもう、見なくていい。
去る直前、東雲の目線が一瞬こちらに向いた気がした。
■時系列3:烏丸の喪失(視点:司)
――南雲4――
箱庭の次のプロジェクトが始動し始めていた。
共同研究する会社は、南雲がいた会社とは別の会社だった。
会社内のチームメンバーで雑談をしていた。
俺は適当に相槌を打ちながら、烏丸の席を横目でそっと見る。
烏丸がふらっと目線で何かを探すような仕草をしたのが目に入った。
……あれは自覚してるんだかしてないんだか。
そんな時、少し遠くから、最近チームに合流した結城が小走りで駆け寄ってきた。
「……南雲さんって知ってますか?」
声を潜めるように、問う。
俺らは目線だけで烏丸を見た。
「あぁ。知ってるよ」
結城はその返事に、少し暗い顔をした。
「南雲さん、死んだらしいですよ」
「……」
「他のチームから、元々ここのやつだから、教えてあげてと、そう言われました」
近くにいたやつらは、無言で目を合わせる。
「いつだ?」
「すみません、詳しいことは俺も知らなくて。
……仲良かったんですか?」
「……俺らじゃねぇよ」
全員が同じ場所に意識が向いたのがわかった。
……誰が行く?
そういった無言の目配せが飛び交う。
俺は目を伏せた。
……そんな何が起こるかわからない爆発物に触れるようなことはしたくなかった。
暫くして、呆れたような、諦めたような声が通った。
「……私が行く」
チーム内の、烏丸以外もう一人の女スタッフ、珠里だった。
そのままその足で、烏丸の所まで向かう。
……まぁ、他のやつよりマシか。
俺は耳だけ研ぎ澄ませた。
「烏丸ちゃん。ちょっといい?」
「珠里ちゃん?珍しいね。どうしたの?」
烏丸はいつもの調子だった。
珠里は、自分のいつも通りのトーンを保つように、続けた。
「……南雲。死んだらしい」
「……えっ……」
烏丸の空気が凍った。
遠くからでも、わかった。
「言ったからね。詳しいことはみんな知らないから。聞かないでね」
珠里はそう言い放つと、そそくさと席に戻った。
やることはやった。
そう言う空気を放っていた。
烏丸は動かない。
呆然と、空中を見たままだった。
――烏丸2――
南雲の死の知らせから、数週間が過ぎた。
烏丸に変わった動きは無かった。
……違う。
烏丸がまともになった。
近くを通っても、意味不明な哲学の問いが飛んでこなくなった。
仕事が一段落したら家に帰るようになった。
だから、油断していた。
「ネロ」
烏丸は通りがかった俺のことを据わった目で見て、そう呼んだ。
「は?誰だそれ?そもそも名前か?」
「……私が勝手に、そう名付けたのよ」
そう言って烏丸は俺から目を逸らした。
「……何をだよ」
その声に、烏丸は少しだけ躊躇った後、自分に言い聞かせるように、声に出した。
「あれに意味はなかったのかもしれない。……全て、私の認識次第だった」
それは、俺への返答じゃなかった。
「ネロには、悪いことをしたわね……」
嫌な予感がした。
「おい、俺のクローンの話か?」
「えぇ。そう言ってるじゃない」
「言ってねぇよ!」
俺はつい、声を荒げた。
チームのヤツが何人かこちらに顔を向けたのがわかった。
「はぁ……」
俺は頭を抱えた。
箱庭のクローンか?
ネロって言ったな。俺のクローン、何されてるんだよ。
烏丸の実験とか絶対ロクなもんじゃねぇ。
「箱庭って今どうなってるんだ?」
実在する人のデータを直接使うとかいう、今ではもう馬鹿げたことをやってのけたのは、箱庭しかなかった。
最初のプロジェクト以降、俺は箱庭にはノータッチだった。
そもそもまだ動いてるなんて考えてもしなかった。
「私の個人サーバーで動いてるわ」
「はぁー?会社のもんだろうが」
「社長には許可もらったもの。むしろ買ったわよ」
俺は呆れた。
いくらすると思ってるんだよ。
許可を出す社長も社長だ。
烏丸を甘やかしすぎだろ。
「……で、ネロは何されてんの?
……拷問とかじゃないよな?」
烏丸が何をやってるか、予想なんてつかなかった。
「……さぁ。もうずっと見てないから」
「あ―――。もういい。権限よこせ。
箱庭、見ていいよな?」
「……えぇ。もういらないわ」
そう言って、烏丸は箱庭への鍵を俺に渡した。
――結城1――
「珍しいですね。今そんな忙しくないのに残業ですか?」
結城は不思議そうに、俺に声をかけてきた。
「仕事なら良かったんだがな……」
俺は疲れた表情を隠そうともせずに、モニターを見つめる。
……俺のクローンっつっても、俺のクローンは実体ない影だけだから、モニターには影が棲みついてる別のやつが映っていた。
結城は俺の視線を追うように、モニターへと目を動かし、映し出す箱庭を眺める。
結城は何か思い立ったかのように、ソワソワし出す。
「これって、噂の箱庭ですか?
俺のクローンもあるって聞きました」
結城は見たいですと言わんばかりに、ソワソワとこちらを伺っていた。
……めんどくさいな。
そう思ったが、結城の期待した目を横目で見て、俺は自分の感情を押しやる。
「……ちょっと待ってろ」
渋々俺は結城のクローンを探す。
基本的に、クローンは現実のやつと似た名前を、烏丸が適当につけた。
結城は……悠木、これだろ。
箱庭は監視クローンの変更を受けつけ、
モニターに、結城をベースにしたクローン、悠木が映った。
悠木は、死んでいるクローンに装置を取り付け、文字のような絵のような板を手に、何らかの作業をしているようだった。
「これ、何やってるんですか?」
「さぁ……」
だいたいアタリは付いたが、確証はなかった。
チームで作業していた時の箱庭とは、景色すら様変わりしていた。
「……先輩方がこれ作ったんですよね?」
結城が、混乱したかのようにそう呟く。
俺はフッと鼻で笑った。
「今しか知らないと、そんなこと言えるんだな。
ほぼほぼ烏丸が作ったんだよ」
「烏丸先輩……よく聞きますけど、そんなに凄かったんですか?」
結城は考えるように、疑問を口にした。
「クローンのベースはほとんどあいつが作ったようなものだし、俺らはそれを世間様が使えるように整えてるだけだぜ?」
俺の声には自然と皮肉が混じる。
「……なるほど?」
結城は、分かったような、分からないような、曖昧な返事を返した。
「……箱庭はそんな烏丸が入れ込んだ……そうだな、作品、いや実験場か?まぁ、そんな感じのものだ。
烏丸以外は下書きしか知らない」
俺はモニターの様子を見つめる。
「……だから見たって、俺には烏丸が何考えてるんだか、さっぱり分からねぇよ」
モニターの中の悠木は、相変わらず死体への作業を続けている。
悠木は箱庭を観察するように、静かに眺めた。
「これって俺も見られるんですか?」
「烏丸の個人サーバーだからな……許可貰えれば見てもいいんじゃないか?
……見るしかできないから、面白いものでも無いぞ」
……そう。見るしか出来なかった。
だから、俺は途方に暮れていた。
ネロは拷問などされてなかった。
それはいい。
実体が無い、影のような存在だった。
……まぁ、百歩譲ってそれもいい。
何かを求めていた。
自分でも分からない何かを。
手に入らないとわかって、手を伸ばし続けていた。
抽象的な表現だ。
でも、そうとしか言えない。
「はぁ……」
「そんなにつまらないんですか?
もうひとつの人生みたいで、面白そうじゃないですか」
結城は無邪気に口にした。
「自分がみっともなく足掻くように生きてるの、見たくねぇだろ」
他人に見せるのなんて、もっと嫌だった。
……諦めてくれねぇかな。
「それならそれで。
クローンはクローン。自分じゃないですから」
結城は笑っていた。
その割り切りは、烏丸風味を感じて、末恐ろしいよ。
俺は。
「……見たいなら、烏丸に権限貰え」
「分かりました!」
結城はその足で烏丸の元へと向かった。
耳を澄ます。
「烏丸先輩!」
結城は俺と話す時より少し楽しそうな声で、烏丸に声をかけた。
「結城君?どうしたの」
烏丸先輩はゆっくりと結城に向き直り、優しく問いかけた。
……誰だよこいつ。
って言いたくなるが、烏丸の結城に対する対応はいつもこうだった。
結城は興奮からか少し声が上擦ったまま話す。
「箱庭って俺も見られますか?
さっき先輩が見ていて、俺も気になって」
烏丸の視線がこっちを向いた。
俺は咄嗟に目を逸らす。
「あぁ、ネロ」
「ネロ?」
「こっちの話。見たいなら権限あげるわね」
……烏丸、俺の名前覚えてんのか?
あの様子だと、ネロで覚えてるだろ。
別に名前で呼ばれたいとかじゃねぇけどさ。
「結城君が見て楽しいものかは分からないけど、勉強の足しにでもして」
「はい!ありがとうございます!」
……はぁ。
烏丸は、俺らに対してもその優しい対応しろよ。
説明らしい説明された記憶ねぇぞ……。
……まぁ、俺が思うに、結城は頭が良いから、教えていて楽しいんだろ。
知らねぇけど。
烏丸と結城は会話を続ける。
「ちなみに、箱庭の何が見たいの?
結城君の技術じゃ、もう見ても対して役には立たないと思うけど」
「箱庭は烏丸先輩の実験場って聞きました!
烏丸先輩って、箱庭でどんな実験してたんですか?」
「……そう。
……あの実験はほとんど意味がなかったのよ。気にしなくてもいいのに」
「烏丸先輩の技術の根幹なんでしょう?意味が無いとか言わないでくださいよ」
俺は、2人が話している方を横目で見た。
烏丸が押されている。
……最近よく見る絵面だった。
「……箱庭はクローン技術の初期から動いてるし、少し勝手が違うところもあるけど、大枠は一緒だから。
結城くんなら多分わかると思う」
そう言って、烏丸は先程までの会話を有耶無耶にするように結城に微笑んだ後、
個人サーバーへ入る許可や権限授与の手続きを教えていた。
俺は視線を自分の机に戻した。
……烏丸は、南雲が死んでから変わった。
なんて言えばいいんだか。上しか見ていなかったのが、下もある程度は見てくれるようになった。
結城は、哲学尽くしの異常な烏丸を知らないから、烏丸に関われるんだろう。
そう思った。そういうことにした。
烏丸の結城に対する言動にも、結城の烏丸に対する言動にも、不可解なものがいくつもあった。
でも俺は、どちらにも踏み込みたくなくて、それ以上考えなかった。
――結城2――
「俺のクローン、記憶編集者でした!」
翌日、結城は楽しげに、俺にそう報告してきた。
「だろうな」
「えっ。昨日先輩、分からないって言ってたじゃないですか」
「予想はついてたんだよ」
……自分で言っといて言い訳がましいな。
話題変えよう。
「何か面白いこと見つけたか?」
「そういえば、いや」
結城はそこで口ごもった。
「なんだよ。そこで止められると気になるんだが」
「……先輩なら大丈夫かな。
悠木と仲がいいクローンがいて、東雲って言うんですけど」
「……南雲か」
「はい。名前見たときちょっとびっくりしました。
名前似てるので、多分あの南雲さんですよね」
結城は、死んでるやつの名前出すのを躊躇ったのか。
「……それが面白いに繋がるのか?」
「技術的に、気になっただけなんですけどね。
なんか、妙に気になるログがあって」
「へぇ……」
結城が技術的に気になるって、俺の頭じゃ理解できないやつだろ。
結城はひと呼吸おいてから、言葉を続けた。
「南雲さん、東雲に何か残したんじゃないかなって。記憶、とか感情、とか?」
「……は?」
一瞬、結城が何を言ったのか理解できなかった。
「お、俺がやったんじゃないですからね!
ログをみたら、本人がやってそうだったので!一応!」
結城は、俺の反応を、叱られるとでも思ったのか、言い訳のように言い募る。
……そうじゃねぇ。
叱るとか叱らない以前に、そんなこと出来るのかよ。
記憶を残すって、ファンタジーか?
箱庭に転生ってか?
固まった俺を見て、結城は説明が足りてないと思ったのか、言葉を続ける。
「技術的に不可能なことじゃないんですよ。
クローンは実際の人間とほとんど同じ構造を持っていますから。
倫理的な忌避感みたいな感じでやらないだけです」
「お前それ……。言うところに行ったら、この会社潰れるんじゃねぇか?」
俺は声を心無し潜めて話す。
幸い、今は周りに人がいなかった。
「そうかもしれませんね。
先輩なら大丈夫かなって。誰にも言いませんよね?」
そう言って、結城は目を細めて笑った。
背筋に冷たい汗が伝った。
確かに言わねぇけど、俺は知りたくもなかった。
「……それ、烏丸知ってるのか?」
「さぁ。聞いてみますか?」
結城はそのノリで、烏丸の所へ行くように、足を向けようとした。
「止めとけ。止めてくれ。
知ってても知らなくても、何が起こるか分からん」
俺は結城を全力でとめた。
巻き込まれたくなかった。
「えぇ……。
まぁ、烏丸先輩は、多分知ってるんじゃないですか?
南雲さんが記憶を移したと思われるログの後にも、烏丸先輩、何回か中とやり取りしてましたし」
……やり取り?
「中とやり取りできるのか?」
「……?はい!分かりにくいですが、やり取り専用のNPCのような存在を作ってありました」
NPC?
なにか引っかかる。以前聞いたような。
俺が思い出している間にも、結城は続けるように口に出す。
「影みたいなやつです。なんか、ネロって呼ばれていて」
「あー……。」
俺は息を詰めていたことに気づき、吐き出した
結城が箱庭を見てからの情報量が多すぎる。
「……それ、俺のクローンだわ」
「えっそうなんですか?
人型じゃないんですね」
気にするところそこかよ。
頭を抱えるようにため息をつく。
「俺も知らねぇうちに、烏丸に変えられたんだ。
そうか。中とやり取りする用のNPC……」
「楽しそうに過ごしてましたよ?」
そこじゃねぇよ。
俺は内心でツッコみを入れるのに疲れて、椅子に深く腰かける。
結城は不思議そうに俺を覗き込んだ。
結城とは楽しいという概念が違うようだ。
「まぁいい。……一応やり取りの方法、教えてくれ」
「……?はい」
俺の方が箱庭には詳しいはずなんだがな。
なんで後輩に教えてもらわなきゃならないんだか。
まぁ、プライドなんて、烏丸に最初から粉々にされてるから、今更結城に踏みつけられたところでだ。
俺はそんなこと、もう気にしない。
南雲も、別にどうでもいい。
……そういうことにしておきたかった。
気だるげに、結城の説明に耳を傾けた。
――烏丸2――
俺がたまたま烏丸の近くを通り掛かった時だった。
「ねぇ、ネロ」
烏丸にそう呼び止められた。
「……俺の名前はネロじゃないんだが」
「そんなことどうでもいいじゃない。
……箱庭、どうなってた?見たんでしょう」
烏丸はいつも通り不遜な態度だった。
……はぁ、別にいいけどよ。
「どうも何も、様変わりしすぎだろ。
上層とか下層とか、専用の建物だとか。変わりすぎで、見るもの間違えたかと思ったぞ」
「そんなところどうでもいいのよ、分かってないわね」
……イラッとくるな。
でも、この烏丸の態度はなんだか久しぶりだった。
「……はぁ。
何が聞きたいのか、俺にもわかるように話してくれ。俺は天才じゃないんでな」
皮肉を込めて、烏丸に少し笑ってそう聞く。
「そうだったわね。最近は結城君とばかり話していて、普通の人への対応を忘れてたわ」
俺の皮肉をサラッと流し、烏丸は少し考えた後、言葉を続けた。
「……クローンの行動におかしなものはなかった?
管理用のクローンならこんなことはしない、みたいな、人間らしい、そんな行動」
……俺、言うほどちゃんと箱庭見てないんだよな。
箱庭は、見たくないものを直視させられる気分になる。好んで見たくはならなかった。
「……箱庭は俺より結城の方が見てるから、そっちに聞いたらどうだ?」
「結城君……。私あの子嫌いよ。
……箱庭に触れて欲しくもない」
「……は?お前何言って」
咄嗟に周りを見渡す。就業後から数時間たっていることもあって、人はまばらで、結城も既に帰っているようだった。
……それでも声を潜める。
「お前、自分から色々教えてただろうが」
「私はそうする必要があるの。やりたいやりたくないに関わらず。
そうしないと、私は私でいられない」
……どことなく、南雲が死ぬ前の烏丸の面影が見えた気がした。
俺は抱えきれないと判断して、その話題を流す。
どうせ烏丸も分かりやすい説明なんかしないしな。
「……そういえば、箱庭の俺のクローン、よくもNPC化してくれたな……?」
烏丸は自覚があるのか、少しだけ俺から目線を逸らした。
「だから謝ったじゃない。影の方のネロには悪いことをしたわ」
「俺に謝れよ……」
「なんで?貴方は何も被害を受けてないじゃない」
烏丸はほんとに理解してないかのように、キョトンとした目でこちらを見た。
……俺は説明が面倒になった。
「はぁ……俺のクローンのNPC、なんの意味があるんだ?結城は外とのやりとり用って言ってたが」
「……ネロ、ほんとに全然箱庭の中見てないのね」
そう言って烏丸は少し考え込んだあと、話し始める。
「あの箱庭は、……ちょっと上にバレたら不味いデータも入れてるから、バレないようにブラックボックスが山ほどあるのよ。
そのせいで外から動かしづらくて。動かしやすくするためにNPCが必要だったの。他クローンとは命令系統が別よ」
……過去一、烏丸がまともに説明してくれたことに先ず驚いた。
が、……これ俺が聞いていいやつか?結城もだけど、なんで俺にそんなバレたらやばい情報を軽く投げてくるんだよ。
「……俺に何を求めてんの?」
「……別に何も求めてないけれど。
あえて言うなら、私の思考の整理ね……。ちょうどいいのよ、貴方は」
そう言って烏丸は、俺に目線を合わせる。
……俺は自分の顔がひきつるのを自覚した。
「……ネロは分かりやすいの。
妥協。諦観。惰性。
自分から何かを変えようとしない」
……そうだこの感じ。
俺の考えてることなんて何も考えずにズケズケと踏み込んでくる
……全盛期の烏丸。
俺は眉を顰めた。
このモードの烏丸にいい思い出はなかった。
だが、烏丸の調子が変わる。
「……南雲は違ったわ。
南雲は私の質問に全て答えた。
それが例え直視したくないようなことでも、正面から見て、考えてくれた」
……思っていたのと違った。
哲学の問でも飛んでくるかと思ったんだが……。
なんだ?何が起こってる。
これは、本当に烏丸か?
「殆どの人は貴方のように私の質問に答えなかった。自分の嫌なところを正面から見たくなかったのね。人ってそんなものだもの。
……でも、私もそうだったって気づいたのよ」
烏丸はそう言って、どこか寂しげに目を伏せた。
「……何が言いたい?」
……俺は、抽象的な言葉を理解出来なかった。
いや、頭が理解を拒んだのかもしれない。
烏丸は少し口の端をつりあげた。
まるで俺が皮肉を言う時のような、そんな顔。
「南雲は私の特別だった。
私って、自分の中に特別な瞬間を求めてるとずっと思っていたのだけれど……他人から受け取ることで得られるものだったのよ。自分一人では、誰かの唯一にはなれない」
……ほんとに、なんで俺に言うんだよ。
もっと、ほら、結城とか……。
いや、結城にこれは……違うな。あいつは情緒でものを見ない。
「……そうか」
結局声に出たのはそれだけだった。
「……何の話だったかしら。……そう、箱庭ね。私が特別を得るために、特別を擬似的に理解するためのものだったの。
永遠に特別を求め続ける、醜い人の性。それを暴くための装置。特別を得た瞬間に、死で保存できる永久機関」
烏丸は淡々と話し続ける。
「ねぇネロ、特別って、誰かの中に閉じ込められる感情なのよ。
だから死んだ時にしか、本当には保存できないの」
烏丸はそう言って少しスッキリしたかのように笑った。
……いや、何自分だけスッキリしてんだよ。
俺、意味わかってねぇからな?
南雲じゃないんだぞ俺は。
その癖、重荷だけ俺に乗せやがって。
「箱庭、面白いことは私が保証するわよ。
せっかくだから楽しんでみるのをおすすめするわ」
「絶対イヤだ」
俺は考えるより先に言葉が出ていた。
俺は特別なんていらない。
平穏に、平凡に、当たり障りなく生きられればそれでいいんだ。
巻き込むな。
「……そう言うと思った」
烏丸はそう言って、少し苦笑した。
それは初めて見た、烏丸の人間らしい笑い方だった気がした。
……そんな顔したからって、箱庭見ねぇからな?
■時系列4:感染拡大(視点:ネロ)
――ネロ4――
脳に直接音が響いた。
……女か?
俺は嫌々ながら立ち止まり、意識を寄せる。
どうせ逆らえない。
「あー。あー。聞こえてる?
多分合ってると思うんだけど」
女じゃなかった。
男。……何となく悠木の声に似ている気がした。
いや、悠木はもっとジメジメした声だ。
「おーこうなるんだ。ネロくん、でいいのかな。
結城です。お察しの通り悠木のクローン元だよ」
……は?
ネロ?俺のことか?
悠木のクローン元?
本体がいるのか?
「ごめん。混乱させちゃったか。
烏丸先輩、あんまり情報開示してなかったんだね」
烏丸先輩……あの女の名前。
「混乱させちゃったお詫びに、先に質問聞くよ。何か知りたいことある?」
頭が真っ白になる気分だった。
答えが貰える。
最初に頭に浮かんだ言葉をそのまま呟く。
「俺にも、本体がいるのか?」
「うん。君ができた経緯はかなり特殊だけど、元データはあるよ」
俺にもいるのか……。
そりゃそうだ。俺だけ違うなんて。
……でも、俺だけこんな影みたいな。
「影いいじゃん。カッコイイよ!
他のクローンに出来ないことができるんだから、楽しめばいいのに」
「……」
あまりに軽い。
烏丸とも悠木とも全然違う。
……それが一周回って怖かった。
男は言葉を続けた。
「烏丸先輩、この箱庭にもうあんまり興味無さそうだったから、君たちは好きに生きていいよ」
特別をばらまけ。
その強制力が、消えた気がした。
何も無い空間に放り出されたような感覚だった。
どこかで感じた感覚。
渡り歩くクローンが、よく感じている感情に、似ていた。
……生きる目的が無くなった。
――こより4――
「こより」
「あっ。影さん!」
こよりはこちらに気づくと、嬉しそうに駆け寄ってきた。
……俺のことを覚えていた。
「あれから死んでなかったんだな」
「死んだら影さんのこと忘れちゃうじゃないですか」
影さんのことを忘れたくない。
私の……。
俺はこよりの心の中から、意識的に目を背けた。
「忘れてもいいんだが」
口ではそう言ったが、本当に忘れられたいとは全く思わなかった。
自分の考えたいことから勝手に思考がズレてくの、ホント勘弁してくれねぇかな。
「……特別、上手くばらまいたな」
「それって褒めてます!?
私、ちょっと頑張っちゃいました」
そう言って、こよりは恥ずかしそうに指先で円を描いた。
実際、こよりは凄かった。
特別は下層全体にばらまかれつつあった。
……ただ、元々こよりに頼んでいた、意味が無いなら死ねって方の教え。
それがいつの間にか死教と呼ばれ、下層民の間で定着していた。
その死教と今回の特別のばらまきが混ざって混沌としていた。
「……お前、死教についてはどう考えてるんだ?」
あれも元を辿ればこよりの教えみたいなものだ。
特別が得られないなら死ぬ。なら分かりやすかったんだが。
「……」
こよりの目が一瞬で冷えた。
「……特別は持ち続けることで幸せになります。
手を伸ばすことが必要なんです。
……死ぬなんて許されません」
あれは敵だ。特別を得ようとしない。
影さんのために。
特別をばらまくのに邪魔なものはいらない。
「……そうか」
「影さんは、私の味方ですよね?」
こよりは少し笑って俺にそう尋ねる。
否定しないで。
こよりの内心が、その言葉で埋まる。
「あぁ。……俺はこよりの味方だよ」
――こより5――
こよりに視点を合わせ、話しかけずに観察していた。
……理由なんてない。なんとなくだ。
下層の一人一人に、こよりはうっすらと微笑みながら声をかけた」
「大丈夫、あなたは特別。そう信じるの」
「苦しいのだって、全部、あの方が決めたから」
俺のことは認識できていなかった。
当然だった。
まだ話しかけてない。だから見えない。
なのに、こよりはずっと俺のことを考えていた。
「信じてもいいの」
「自分で考えなくてもいい。
全ては決まったことなの」
下層の1人の目を、こよりは優しく見つめる。
あなたも私と同じ。
1人じゃ生きられないから。
こよりの心は下層のやつと共振している。
「幸せなのも、あの方がいるから」
「……あの方」
「そう。あの方は心の中に存在する」
讃えて。
あの方は、自分を唯一としてみてくれる。
必要だと、そう言ってくれる。
讃えて。
そうすることで、あなたはあなたの神を得る。
「でも気を付けてね。
あなたの神は、あなたの物にはならない」
こよりは少し寂しそうに、俯く。
……影さん。会いにこないかな。
……私上手に出来てるかな。
こよりのそんな内心を見て俺は、
喉元まで言葉がこみあげて、でもそれを必死に押し込めた。
話しかけない。
俺は今認識されたら、ダメだ。
……欲しくなる。
「迷ってる人がいたら、教えてあげてね?」
こよりはそう言って、下層のやつの元を去っていった。
こよりは、こんなことを繰り返してるのか。
……俺が、特別をばらまけって言ったから。
後ろで、下層のやつが立ち上がる音がする。
「讃えろ」
「……そうすれば、俺は、」
こよりは凄かった。
下層民の多くが、自分の中の神に特別を求めた。
俺は、ここまでしろって言ったか?
……こよりの中では言ったことになっていた。
なんでだよ。
……あの女の命令は消えた。
もうばらまかなくてもいいんだが……。
こよりを見る。
私は役に立てていますか?
影さんは褒めてくれた。
もっと頑張りたい。
そう考えているのが伝わる。
ふと、嫌な感覚が過ぎる。
……これ、やめていいって言ったらどうなる?
またこよりは死ぬのか?
……それなら、このままでいいか。
俺はこよりに話しかけずに、視点をまた切りかえた。
――悠木3――
特別をばらまいた影響は、至る所に出ていた。
その影響の1人である悠木は机にうつ伏せに倒れ込んでいた。
「……特別、俺も欲しいなぁ」
……ほんとにこれが、結城を元にしたクローンか?
あの男は「それもいいですね。羨ましいです!」位で流しそうなやつに思えた。
そんな折、ふらっと東雲が部屋に入ってくる。
東雲は、机に倒れ込んでいる悠木を見て、呆れたように苦笑し、隣の椅子に座る。
東雲。
悠木に記憶を抜かれてからのこいつは、薄気味暗いほど、ただのお人好しにか思えない。
「また、いつものか?」
「悪いか?」
悠木は姿勢を正さずに、顔だけを東雲に向けた。
視線は焦点を結ばず、どこか虚ろだ。
東雲は一度だけ短く息を吐いた。
ほんのわずかに目を細めて悠木を見つめる。
「……特別って欲しいとか言うものじゃなくて、自然とそうなってるもの、じゃないのか?」
言っていることは正しい。
けど俺はどこか寒々しく聞こえて仕方なかった。
悠木の内心はまた違っていた。
……自虐傾向が強い。
俺にはどうせ出来ない、やれない。
他のやつみたいに他人に好かれない。
気を抜いたら、そんな考えに流れている。
結城は東雲を横目で見る。
悠木の内心に、東雲に対する言葉が浮かぶ。
俺には東雲だけ。俺が救ってやったんだ。こいつはおかしいから俺しか付き合えないだけ。
……何があったらこんなに捻くれるんだ?
悠木の口元からどこか拗ねたような、投げやりなような声が落ちる。
「俺はならない……」
「……そりゃ困った。」
東雲の口元がわずかに緩む。
苦笑とも諦めとも取れる、曖昧な表情だった。
悠木は短く息をつき、ゆっくりと身を起こす。
悠木の考えが加速する。
間違ってる。分かってる。
だけど、俺にはこれしかない。
「やっぱり入れるしか……」
悠木は小さくつぶやいて、手に持った記憶版を睨みつけるように見つめている。
……悠木は実験をしていた。
記憶を他人に植え付ける。
経験無しに、特別を得るための実験だった。
……こいつも狂ってる。
――ネロ5――
脳に直接音が響く。
……最近やたら多いんだよな。
「おーい。ネロくん。いるー?」
いないことなんてねぇんだよ。
さっさと要件話せ。
「冷たいなぁ。先輩はもっと優しいのに」
誰だよ先輩。
……外のこととかどうでもいい。
今度は何やればいいんだ?
……目的が欲しかった。
「あっそうだった。
俺のクローン、ちょっと今病んでそうだから、なんかしてあげて欲しいなって」
悠木か……。
お前もそういうの気にするんだな。
「俺だって繊細な心の一つや二つあるから!」
そうは見えねぇ返答してんのにな。
まぁ、この男のクローンが悠木な時点で、本当かもな。
「だからそう言ってるって。
助けてあげてよ」
……助ける、ね。
「そう。
ついでに君の自由意志についても見たいんだ。
ブラックボックス部分が多くて、推測には情報が足りなくてさ」
……外の人間はいつもこうだ。
実験、観察。……俺は道具かよ。
道具なんだろうな。
「分かってるじゃん。
クローンは人間が作り出した、人間のような道具だよ」
俺はぶつけることの出来ない感情を持て余し、
結局それをため息として吐き出した。
俺が何を考えたって、体は勝手に結城のお願いとやらを叶えようと動き出す。
そんな自分が自分じゃないような感覚を認めたくなくて、俺は自分から動く。
だいたい、いつもそのパターンだった。
「箱庭がそのためのものなんだから、諦めてよ。
じゃあ、頑張ってね」
その言葉を最後に、脳に響いていた音は切れた。
……これから暫くは、あの根暗と一緒か。
そう思うと、気が滅入った。
……行く前にどこか寄ってくか。
それくらい許されるだろ。
……気が楽になる場所、ねぇかな。
――悠木4――
俺は悠木の元に来ていた。
今日も変わらず、記憶版を片手に、特別を手に入れる方法を模索している。
今は悠木1人だった。
「手伝ってやろうか?」
俺がそう声をかけると。
一瞬肩を震わせた後、ゆっくりと俺に焦点が合ってくる。
……認識された。
悠木は、俺のことを直接見たことはない。
だが、過去のクローンの記憶を通して、俺を見たことがあったようだ。
「……君、死神?」
死神って。
確かにクローンが死ぬように囁き回ってた時期はあるけども。
「……なんだそれ」
「うわ、喋った。マジものだよこいつ。
初めて見た。ほんとにいるんだ」
よく喋るな。
元々、東雲以外にはビクついて吃ってでしか話せないのに、脳内ではよく喋るやつだった。
……人が嫌なだけか?
「陰のように揺らめく何か。生きる意味を問いかけ、価値がなければ死ねと、それだけを淡々と囁いてくる。それで死んだ奴を何回か見たよ」
「俺が原因のやつは、そう多くは無いはずだがな」
「今の下層民……外付けが剥がれ切るまで死んだやつのほとんどの死亡理由は、死教が原因だからね」
こいつほんとによく話すな。
……この状態なら、確かに結城のクローンって言われても納得できるかもしれない。
それに。
「死教、ね」
俺の呟きに、悠木は被せるように続ける。
「俺としては、それも君が原因じゃないかと思ってるんだけどどう?クローンを殺すことで益を得られるやつは、そう居ないから」
死教は、死を救済とする教えのようなもの。
こよりが最初に始めた思想が伝播し、一時期大多数のクローンを自殺に追いやった。
こよりを使ったのは俺だが……認めるのは癪だった。
「……それで?
そうだったとしてどうすんの?」
「僕、死にたくないですし。他のやつに取り付いた方が効率いいんじゃないかなって……」
悠木の言葉に、若干の自虐が混じる。
こういう所は、外の結城には無いところだよな。
「……言っただろ。手伝ってやるって。
今の目的はお前の手伝いなんだよ」
その言葉をきっかけとして、悠木の思考が怒涛のように回り出す。
この影には目的がある。言い方からして誰かの命令?使わされているようなニュアンスだった。
以前クローンを大量に殺して回ったのも、その命令したやつの意思の反映……だとすると。
そんな悠木の内心から、俺は少し距離を置く。
情報量が多いと疲れる。俺が。
天才ってやつなのかね。
1を聞いて10を知って、その先まで予測する。
「……はぁ」
俺のなんてことの無い溜息にすら、悠木は反応した。
「その溜め息は、何理由?
お前に意志はあるの?何のために?」
「うざ……」
「嫌がりつつも、去らない。
……僕が目的?」
悠木の心の思考がまとまり始めたのが分かった。
……ほとんど当たってるのがムカつくな。
「……そうだよ。お前が病んでるから、手伝ってやれってお達しだよ。俺は逆らえないだけ」
悠木の思考が止まる。
ひとつの結論にたどり着いたらしい。
この世界は、誰かの観察下にある。
「……合ってるよ」
「もしかして、記憶読めてるの?」
悠木は探るように俺に視線を向ける。
俺に対する考察が悠木の内心で回り始めた。が、まぁいい。
「あぁ。読めてるよ」
悠木が動けば、俺の状況も何か変わるかもしれない。
……まぁ変わらないかもしれないが。
「俺はお前を手伝う。
それはもう決まってることだ。
……でも、何をするかはお前が決めていい。
俺としては、外のやつにひと泡吹かせてやって欲しいね」
そう言って俺は口の端を釣りあげる。
悠木からは揺らめくようにしか見えないだろうがな。
「……外」
悠木はそう言って呆然と俺を眺めた。
悠木の頭に浮かぶのは、東雲が持っていた記憶。
……烏丸と南雲。
「……正解。それは外の話だ」
悠木は、一瞬息を飲む。
何かを探すように目をうろつかせた後、目を閉じた。
……欲しい。俺も。
あの、特別が。
俺は、悠木の中にその意思だけがはっきりと浮かぶのを感じた。
「……手伝ってやるよ
……何すりゃいい?」
俺は嘲るように笑う。
特別に踊らされてるやつは、哀れで仕方がなかった。
「……外って、特別でいっぱいなの?」
悠木の脳内が期待で揺れる。
「……多分南雲が特殊だ。
俺に命令してきたヤツらは、特別を持ってない奴らだった」
悠木は即座に切り替えたようだった。
「じゃあ、外はいらないや。
やっぱり入れるのが効率的か」
悠木は外への興味をなくしていた。
マジかよ……。
「外になにかしてやろうって考えはないのか?」
「無駄でしょ。リターンが大きいならまだしも君が言うには、それも無さそうだし。
できることからするのが僕のやり方」
なんか結城っぽいな。
さすがは結城のクローン。
「……俺は何すりゃいい?」
半ば投げやりに聞く。
「……君、何ができるの?
囁くくらいでしょ?いらないんだけど」
「……いっそ清々しいな」
「なにそれ。褒めてるの?貶してるの?」
悠木は、不満げに俺を睨む。
俺は笑った。
「褒めてるんだよ。
もう病んでないなら、俺のやることは終わったって言えるんだがな……」
悠木は俺のことをなんとも言えない目で見つめる。
「最初から病んでない……」
「特別が欲しいんだろ?
病んでないやつはそんなこと考えねぇんだよ」
「……そんなことないし」
悠木の声は小さかった。
理解してはいるんだろう。
「特別は望んだって手に入らない。
それでもお前は、手に入れようと足掻くのか?」
「俺ならできる。記憶を入れるんだ。
ただの模倣じゃない。焼き直しでもない。
……俺の手で、特別そのものを生み出す」
俺は悠木の脳内を読む。
……出来るかもしれない、こいつなら。
俺は悠木を真っ直ぐ見て、微笑む。
悠木からは、影がゆらりと揺れただけ。
■時系列5:特別病(視点:司)
――珠里1――
俺は自販機前で、壁に寄りかかって缶コーヒーを飲んでいた。
ずっと座ってると疲れるんだよ。
そんなタイミングで、同じチームの珠里が声をかけてきた。
「お疲れ様」
珠里はそれだけ言って、俺の目の前を通り過ぎ、自販機の前で飲み物を選び始めた。
「……お疲れさん」
俺はそれだけ言って、視線を横にずらした。
別に雑談するほど仲良くもねぇしな。
……と思ってたんだが、珠里が話しかけてきた。
「最近烏丸ちゃん、変じゃない?」
仕方なく目線を珠里に戻す。
「烏丸はいつも変だろ」
「そうなんだけどさ。最近目に見えて変というか……そう思わない?」
……思い当たることはあった。
この間の、箱庭についての……あれはなんだ?いつもの哲学じゃなかった。
……愚痴?結城のこと嫌いとか言ってたしな。
そう聞くと、なんか人間らしい気がするから不思議だ。
でも、他のやつに言うような話じゃ無かったしな……。
「……さぁ。俺はそんなに人のこと見てねぇよ」
「うっそだぁ。烏丸ちゃんの次に見てると思う」
……なんだよ、その不名誉なランク付け。
「やめろ」
珠里は肩をすくめて、笑った。
「でも、烏丸ちゃんやっぱりおかしいと思う」
「別チームの子が、それって生きてるって言えなくない?って笑い話していてさ。
私、慌てて烏丸ちゃん居ないよね?って周り見渡したら……烏丸ちゃんたまたま通りがかったの」
「……ご愁傷さま」
烏丸の発作慣れしてる同じチームのやつは、同じ反応するやつだ。
「違うの。何も無かったみたいに、そのまま行っちゃって。見逃してくれた、って雰囲気でもなかった。
ほんとに何もなかったの。
それが怖くてさ」
「……」
烏丸は、ある意味三度の飯より哲学みたいなやつだ。
……むしろ、食べることにすら意味付けを強要してくるやつだ。少なくとも全盛期はそうだった。
「……熱でもあるんじゃねぇの?」
「適当に流さないでよ。
今のプロジェクト、烏丸ちゃん居なくなったら辛いんだから」
「今のっていうか、ほぼ全部だろ」
「言葉の綾。そんなどうでもいいことに突っ込まないで」
そう言って珠里は飲み物を買って、近くの椅子に座った。
完全に話すモードだな……
俺は逃げるタイミングを失って、少しだけ顔をしかめた。
「烏丸ちゃん、最近よく結城君と話してるよね。雰囲気柔らかくなったなって少し嬉しかったんだけど」
……いや、烏丸にとって、結城は地雷だぞ?
……言わねぇけど。
俺は何も返さずに、缶コーヒーを傾ける。
「でも、やっぱりなんかおかしいんだよなぁ……」
「……放っておけばいいだろ。
烏丸も大人だ。調子悪い時くらいある」
……正直、俺は今の烏丸に近寄りたくなかった。
今の烏丸は、つつけば壊れそうなくらいグラグラしてんのに、支えを作らずに、むしろぐらつきの原因の結城と真っ向勝負してるような、俺から見ればそんな感覚だった。
「……烏丸に深入りする覚悟、あるのか?
ねぇと、あれは無理だろ」
「そう言われると、困るんだけど……。
何とかできない?」
「……お前がやれよ」
「うーん……他に誰かいないかなぁ」
珠里は分かりやすく、困った感を出して唸っている。
……これ見て、こいつのこと助けるやつ多いんだよな……。
「……はぁ。戻るわ」
俺は残りの缶コーヒーを飲みきって、ゴミ箱に捨てた。
――珠里2――
俺らのチームは、プロジェクトのひとつの山となる案件が終わり、緩んだ空気で雑談していた。
烏丸は、お偉いさんのところに呼ばれて、この場には居ない。
烏丸の話題だった。
全盛期の烏丸が、どんなに酷いやつだったかを、結城に武勇伝のように言い聞かせていた。
「それで、烏丸ちゃんは聞くんだよ。
あなたは人に好かれたいの?どうして?とか」
「うわぁ……。
珠里先輩はなんて返したんですか?」
「好かれた方が気持ちいいから好かれたい」
「分かりやすくていいですね!」
「でも烏丸ちゃん酷いんだよ。好かれるのはなんで気持ちいいの?って追撃してくるの。そんなの分かんないって」
結城はそこで少し考えるように、手を顎にかけた。
俺は、それを見て、結城から目を逸らした。
ろくな言葉は来ねぇ。
「……承認欲求ですかね?人間の欲求の1つです」
……ほら見ろ。
こいつは人の心を知らねぇんだよ。
珠里も、顔を少し引き攣らせていた。
「結城君。そういう所あるよね……」
俺は思った。
結城はそういう所もあるんじゃない。そういう所しかない。
空気が読めるように見えるのは全部、ペラッペラの外側だ。
そんな空気に気づいてるのか居ないのか、結城は言葉を続けた。
「烏丸先輩は何がしたいんでしょうね?
承認欲求にしろ、生きる意味にしろ、俺らが作るクローンにはない方が便利でしょう。人間じゃないんですし」
珠里は固まったように、結城を見たまま、言葉も出ない様子だった。
仕方なく俺が続ける。
「……烏丸の最初の目的は、人間らしい人間を作ることだった。
その余波で、俺らはクローンを便利に使えてるだけだ。……あんまり自分の見方だけが正しいと思わない方がいいぞ?」
俺の言葉を叱責と受け取ったのか、結城は少し表情を落とす。
「あっはい。そんなつもり無かったんですが。
……すみません」
……悪いやつじゃねぇんだよ。
考え方が、烏丸とはまた別方向に人間離れしてるだけで。
俺はため息を飲み込んだ。
珠里は少し復活したようで、思い出すように烏丸の思想をぽつぽつと呟く。
「なんだったかな。死ねる方がより人間らしく生きられるから、だったかな?」
「そんな感じだったな。俺らは全く理解してねぇよ」
結城はそんな俺らに、おずおずと顔を向ける。
「……壊れないから、じゃないんですか?」
俺は無言で珠里と目を合わせる。
目だけで会話するように、微妙な沈黙が流れる。
「……合ってると思うか?」
「わかんない。でも、それっぽい気もする」
「……どういう意味か、聞いていいか?」
俺が問い返すと、結城は少し戸惑って、それでも答えた。
「多分ですよ?
感情とか欲求を満たした時の快楽とか、重ねる度に鈍くなっていきますよね。人間は慣れる生き物ですから」
……大丈夫。まだついていけてる。
まだな。
結城は少し俺らの様子を伺って、そのまま続けるように話す。
「機械なら分かりやすいかな。
何度も使えば摩耗して使い物にならなくなります。
使えなくなれば、新品を持ってくるでしょう?
人間も同じです。摩耗、イコール、壊れるです」
……ちょっと、タンマ。
なんで機械と繋がった?飛躍しすぎだろ。
壊れると新品に変える……?
結城は分かりやすく話してるつもりなんだろうが、こっちは逆に混乱してんのが分かってないらしい。
そんな俺の内心に気づいてくれない結城は、話を続ける。
「何度でも死ねるっていうのは、何度でも新品に変えられるってことです。合理的だと思います。
僕は、そう思ってるんですけど。
……すみません。やっぱり烏丸先輩の考えてることとは違うかも」
そう言った後、結城は俯いた。
こいつ、いつも自分に自信しかないみたいな態度なのに、なんでこんな弱気なんだ?
……合ってるかはどうせ分からねぇし、
そもそも烏丸のも、結城のも、しっかり理解できる気がしない。
「……なんと言うか、私たちとみてる世界が違うって、こういうことなのかなって思ったよね」
「……それな」
俺は少し離れた烏丸の席を見た。
まだ戻ってきてはいない。
……まぁ、戻ってきたって、この話題をほり起こすつもりもなかった。
――司2――
烏丸と結城が社長の所から帰ってくるタイミングだった。
俺は廊下で、2人の視線に入らないように目を逸らした。そんな時だった。
「特別って結局何なんですか?」
結城はどこか楽しげな声で、烏丸に問いかけた。
俺は思わず2人の方へと視線を戻す。
……結城と目が合った。わざとかよ。俺を巻き込むな。
それでも、聞き流せない話題だった
俺は恐る恐る、烏丸の方に視線をやる。
軽々しく聞いていいものじゃねぇだろ。
烏丸の口元は、笑っていた。
「どうしたの?いきなり。
結城君はそういうの興味ないと思ってたのだけれど」
結城は、そんな烏丸に怯まずに、自分の意見を少し笑って押し付ける。
「箱庭見てたんですけど、特別病がはやっていて。烏丸先輩がはやらせたんですよね?」
「……特別病?」
俺の小声でのつぶやきは流された。
……いや、良いんだけどさ。
烏丸は俺の方を一瞥だけして、結城へと言葉を返す。
「面白いわね。はやっているのだとすれば、私が原因でしょうね」
「俺のクローンも罹患しちゃってるんですよ?根幹に何埋め込んだんですか」
「もしかして、分かっていて言ってる?」
烏丸は声を少し弾ませた。
……久しぶりに聞いたな、この声。
南雲がいた時はよく聞こえてきていた。
結城は少し声を抑えた。
……今見える範囲には俺ら3人しかいない。
「……烏丸さんの記憶でも、学習させました?」
「……」
烏丸は返事をしない。
ただ、笑みを少しだけ深めた。
……どういうことだ?
というか、なんで俺がいるタイミングでそんな話するんだよ。
しかも、ここ廊下だぞ?
この会話、外部に漏れていい話か?
背中に冷や汗が伝うのを感じながら、周りを見渡す。
……ったく。なんでこうなるんだ。
俺は2人をミーティングルームに押し込んだ。
「お前ら、ちょっとは周り気にしろ!
やばいこと言ってる自覚ねぇのかよ」
「あら、私は何も言ってないわよ」
「俺は……言いましたね」
「お前らなぁ……」
烏丸も、結城も悪びれた様子は全くない。
どちらもくつろぐかのように、ミーティングルームにある椅子に座った。
「と言うか、その感じだと俺の予想合ってましたか?」
「当たるとは思ってなかったわ。やっぱり頭いいわね」
「才能あるんで」
俺の疲れた様子など気にせずに、2人は会話を続けていた。
「……俺帰っていい?
必要ねぇだろ……」
「いやいやいや!必要ですから!いてください」
結城は焦ったように引き止めてきた。
俺はしぶしぶ、2人と距離を離して座った。
……理由は何となくわかる。
この2人は、どっちも会話が苦手だった。
俺が座ったのを見て、烏丸は話し出した。
「それで、特別とは何か、だったかしら?」
「はい。箱庭のブラックボックス気になって見てたんですけど、直接聞いた方が早そうだなって」
「ふぅん。ネロはどう思う?」
「……は?俺?」
何でだよ。
勝手に2人で話しとけよ。
2人の視線が俺に向く。
言わなきゃ終わらねぇやつか。
「……はぁ。
特別は、自分がこれになら全部かけてもいいって言える何か。
これでいいか?」
俺は腕を組んで、椅子に寄り掛かる。
さっさと終わらせてくれねえかな。
「えぇ。ありがとう。
結城君も、聞かせてくれない?」
「あっこれそういう奴ですか。
特別……。
1番ですかね。僕より上がいなければ、僕が特別です。2番も3番もいない感じで。僅差は特別じゃないと思います」
烏丸は満足そうに目を細める。
「特別って、人によって違うのよ。
曖昧で当然。抽象的な言葉だもの。
……私の定義は、分かりやすくても、何重に包まれていてもいい。心の底で求めてるもの。根源的欲求」
「クローンに埋め込んだのもそれですか?」
結城は悪気なく、烏丸の物憂げな空気を折る。
興味無いんだろうな……。
烏丸は、微笑む。
これかぁ……。烏丸の対結城のいつもの顔。
結城に情緒通じなくて諦めてる顔だろこれ……。
「……それは多少分かりやすくしたの。曖昧だと実験に差支えが出るもの」
「俺はそっちが聞きたいんですけど……」
「あら、ごめんなさい。
なんだったかしらね……もう忘れてしまったわ」
結城は一瞬表情を消して、真顔で烏丸を見る。
数秒後にはいつものように笑った。
「思い出してください。忘れてるとかないですよね?烏丸先輩、俺と同じくらい頭いいんですから」
烏丸は微笑んだまま。俺に視線を投げた。
……助けろってか?
なんで俺がそんなこと。
結城も俺の方を見てきた。
……何でだよ。
「はぁ……。結城は何で箱庭がそんなに気になるんだ?正直言って、技術は今のプロジェクトのクローンのが上だろ?」
結城は少し黙ってから、ゆっくり話し出す。
「やっちゃダメって言われると、やりたくなるので……。それ以上の理由はないです」
俺は思わず、ジトっとした目で結城を見た。
結城は目を逸らした。
烏丸の方を向く。
「んで、烏丸は箱庭もうどうでもいいんじゃなかったか?結城の質問の答え、覚えてるんだろ?
言えばいいじゃねぇか」
烏丸は目線をそらす。
「忘れたわ」
俺は呆れた目で烏丸を見る。
こいつはこいつで……。
「……だそうだ。諦めろ」
「えぇ……。分かりました。自分で解明しろってことですね。俺ならできます」
結城は納得してない目で、言葉では納得を返す。
「はぁ……。終わりでいいか?
もう帰ろうぜ……」
俺はゆっくりと腰を上げた。
今度は引き止められなかった。
■時系列6:技術と信仰(視点:ネロ)
――こより6――
俺は視界をこよりに合わせた。
……悠木の手伝いじゃない。
でもこれくらいなら動けた。
信仰がさらに広がっていた。
こよりは今日も下層民に特別をばらまいている。
俺が言ったせいだ。……分かってる。
こよりの内心を覗きながらただ見る。
これは祈ってるというよりも……。
「讃えて。
神はあなたの中にいるの」
――私は影さんを覚えてる。
「信じて。
あなたの神を」
――私は影さんの言った通りに動いてるよ。
「でも忘れないで。
決してあなたのものにはならない」
――なんで会いに来てくれないの。
「あなたには何も無いかもしれない。
才能や、素質、能力。
他の人にはない自分だけのものがなくたっていい」
――私には何も無い。
「努力、忍耐、献身……。
それが自分に出来なくてもいい」
――私に出来るのは、待つことだけ。
「誰かのためにならなくても、誰にも褒められなくても」
――これは私のため。
「大丈夫」
――だから大丈夫。
……ほんとに?
「あなたは、あなたの神に認められた、
特別なのだから」
……私は、影さんの、特別。
影さんはそう言った。言ったよね?
「讃えて。
あなたの神はそう望んでいる」
……影さんは、私がこうすることを望んでいる。
ちゃんとやってるよ?
私間違えてるの?
なんで何も言ってくれないの?
「神はあなたの物にはならない。
それでも求め続けるの」
……欲しいと思ったら。
「特別があなたの手に入るまで」
……手に入らない。
……欲しい。会いたい。
それを続けろってことだよね。
なんでそんな酷いこと言うの。
……助けてよ。
俺の中に抜けない棘が刺さるような、この感覚が、ずっと抜けない。
……俺は、あいつの神になりたくなんてなかった。
今のこよりを、俺は見たくないはずなのに、また来てしまう。
声は、今日もかけなかった。
――悠木5――
「早速始めるから、よさそうなやつ探してきてくれない?」
悠木は記憶版を片手に、何かの作業を始めた。
「……よさそうなやつ?」
「特別が欲しくて苦しんで、足掻いて死にそうなやつ」
……こより。
俺は思い浮かんだ選択肢を即座に消した。
悠木の脳内は、今からやることで埋め尽くされていて、俺の探した答えはなかった。
「……なんでその条件なんだ?」
「差があるやつの方がわかりやすいから。
元は特別なんて求めてないのに、特別病にかかって、死教に殉じるようなやつがいい」
……特別病?
「知らないの?影の癖に」
俺は声に出していたらしい。
悠木はバカにするように鼻で笑った。
「下層民がかかってる病気。
辛いなら死ねばいいのに、死なずに足掻くことが特別を得る条件って信じ込んでる。病気だろ」
……。
「特別なんて求めたって手に入らないのに。こよりってやつが広めてるみたいだけど……」
そう言って悠木は俺の方に探るような視線を向ける。
「それも君が原因?」
「……さぁな」
悠木は興味をなくしたように、また記憶版の作業に戻った。
……俺が連れてきたやつに入れる為の、記憶を編集しているようだった。
「まだいるの?早く連れてきてよ」
俺は無言で視界を切りかえた。
体が先に動いたような気がした。
――久賀1――
俺は悠木の条件に合うやつを探していた。
条件に合いそうだった、下層民である久賀は、上層民……東雲に、自分はどう生きればいいかを問いに来ていた。
「懺悔しろ。己の神に」
久賀に向かって、東雲がそう言い放つ。
久賀の思考は止まった。
苦しい、助けてほしい。
俺はもう散々足掻いた。報われるべきだ。
……そういう奴だった。
少しの沈黙の後、空気を逃がすかのように、東雲は久賀に軽く笑いかける。
「なんてな?」
東雲は下層民の相談役のような役割を持つ上層民だった。
困ったことを聞き、解決したり、場合によっては上層に繋げる中間役。
……確かに他の上層民よりは向いてるだろうけど、これはどうなんだ?
「君たちの特別教だったか?自分の中の神に縋るんだったよな。俺に聞いちゃダメだろ」
そう言って東雲は下層民に視線を向ける。
「上層民と違って、もう剥がれるものなんてないんだから、辛いなら死ねばいいのに」
俺は久賀の心が濁るのを、ただ観察した。
……讃えたんだ。俺の神を。
信じてた。信じれば与えられるって。
けど、違った。
俺に与えられたのは、劣等感……。
俺の神は、俺に特別を与えなかった。
俺はもっと欲しいんだよ。
俺は、久賀が既に特別教を見限っているのが分かった。
久賀が特別を求めてるのは確かだ。
「……悠木の条件には合ってるだろ」
俺はそう小さく呟いた。
東雲は一瞬、俺を見た気がしたが、久賀にそのまま言葉をかける。
「辛いなら死ねばいい。
嫌な記憶はそれでなくなる。
苦しいものを抱え続けたまま生きる必要なんてないだろ?
俺、死教派なんだよなぁ。折角の下層民なんだから、たくさん死んどけよ」
……死教ばらまいてるの、東雲じゃねぇか?
東雲は頬杖をついて、緩く微笑んでいる。
久賀はそんな東雲を見上げる。
「死ねば……特別が手に入るのか?
俺だけの、他に奪われない、俺の特別」
「あぁ。手に入るよ」
東雲はそう嘯いた。
……そうだ。手に入らない事実を見ないまま、夢を見たまま死んで、また繰り返す。
それが死教だった。
俺は久賀の内心が目まぐるしく動くのを見た。
……なんで気づかなかったんだ。
死ねばよかったんじゃないか。
俺は顔を顰める。
……死なれたらまた、探さなきゃいけない。
東雲もいるが、俺の事は今取りついてる……久賀以外には見えない、はずだ。
俺は久賀に話しかける。
「特別が欲しいんだろ?
俺とくれば手に入るぜ?
……死んだって、また同じこと繰り返すだけだろ」
久賀は俺を認識した。
ゆるゆると視線を俺に合わせる。
……影が揺れている。
そうとしか認識できていない久賀に俺は言い募る。
「俺はお前の求める特別を与えてくれるやつを知ってる。お前の神には懺悔でもしておけよ。特別はもうお前からはいらないってな」
俺は皮肉げに笑う。
こよりのやっていることを踏み倒している気分だった。
……結城の手伝いをさっさと終わらせるんだ。
俺は久賀に手を伸ばす。
久賀はそろそろと手を伸ばして立ち上がる。
久賀の手は、影を通り越して空を切った。
……影だからな。
俺は久賀を先導して歩き出す。
一瞬だけ背後を確認するように視線を流す。
……東雲は無表情で、一連の流れを見続けていた。
――ネロ6――
通りで演奏してる奴がいる。
絵を描いているやつがいる。
特別教を布教してる奴がいる。
下層民の奴らは、やりたいことしかやらない。
何もしなくたって、上層民が生きるために必要なことは整えてくれるからな。
まぁ、好きで仕事のようなことをするやつもいるし、趣味を仕事のように扱うやつもいる。
ものを作る、建物を建てる。
他の人との共同作業で何かをする。
競技。創作。演劇。音楽。
共感、承認、共有。
人と繋がるための行動。
俺は、影じゃなかったら何をしてただろうな。
誰かと何かをする?
……それとも、死教や特別教に縋っていたか。
自分でやることを決めなくていい、それは少し楽なのかもしれない。そう思った。
――東雲2――
「……」
影を見る。
東雲は濁った目で、嬉しそうに微笑んだ。
「また来てくれたんだな」
――久賀2――
俺は、久賀を悠木の所に連れてきた。
久賀は半信半疑で俺を見つめた後、悠木を見た。
「俺に特別をくれるのは、お前か?」
「……ねぇ。影。いるの?
取り憑かれてないとやり取りできないの厄介だな……」
悠木はそうぼやく。
……俺を作ったやつに文句を言ってくれ。
そう思いつつ、視界を悠木に切り替える。
「俺のこと便利に使いすぎじゃねぇか?」
「あぁ。いたいた。
始めていいの?条件合ってる?」
俺の皮肉を聞き流して、悠木は条件の確認だけを行う。
「はぁ……。見た方が早いんじゃねぇの?
お前、記憶見られるんだろ」
「たまには正しい意見も言うんだね。
そこの人、その椅子座って。特別を入れるから」
悠木はそう言って、複雑な装置がついた椅子の設定を始める。
久賀は、緊張をにじませつつ、その椅子に座った。
そんな怪しいものに頼ってまで、特別って欲しいものか……?
特別ってそんなに与えられるとかじゃなくて……。
「影。この人の中入っといて。
なんか変だなと思ったら教えて。
感情だけ入れるとかやったことないから、念の為」
「は?やだよ」
「やって。必要だから」
……体が勝手に動きそうだった。
諦めて、自分から久賀の方に視界を戻す。
俺は、久賀の内心を覗き見る。
俺は選ばれた。
讃えろ。
俺は特別を受け取るのに値するクローンなんだ。
讃えろ。俺の神。俺を讃えろ!
……人選間違えたか?
悠木に文句言われるかもな。
「記憶いじってる間は、動かないと思うけど念の為」
そう言った後、久賀の意識は落ちた。
――東雲3――
悠木の部屋の外。
烏代と東雲がいた。
……東雲はともかく、烏代はなんでこんな所に?
悠木は久賀への作業中で、こちらに気づく様子はない。
烏代は、部屋への道を塞ぐ東雲に向かって微笑む。
「悠木君。面白そうなことしてるなって。見てっちゃダメかな?」
「……」
東雲は、笑っていなかった。
烏代のことを真顔で、警戒している?
……こいつのこんな顔初めて見たぞ。
東雲はそのまま少し緊張したように話し出す。
「お前が面白いと思うようなものは無いぜ?」
「それは私が決めるの」
「……こんな所で時間潰していていいのか?世界の管理者さん」
「観察も仕事なんだけど……。」
烏代は少し考えるように視線を悠木の部屋のドアに向ける。
「直接見せて貰えないなら仕方ないか。いつも通り部屋で見るね」
烏代は踵を返して、悠木の部屋から遠ざかっていく。
東雲は一瞬、俺の方を見た気がした。
でも直ぐに烏代に向き直る。
……烏代は俺の方に気づく様子はない。
烏代の気配が消えた頃、東雲がやっと警戒を解く。
俺の方を少し見て目を細め、ドアから遠ざかって行った。
……やっぱり見えてるのか?
……なんなんだよあいつ。
――久賀3――
部屋に戻ると、悠木は、久賀の記憶を恨めしげに睨みつけていた。
……悪かったって。
俺も久賀がここまで自意識がいっちゃってるやつだとは思ってなかった。
悠木には聞こえないが、俺は自分に言い訳するように呟く。
悠木はため息をついて、諦めたように作業を続け、しばらく経ったあと、記憶版を机に置いた。
「終わった。少ししたら意識も戻るはず」
俺はじわりと久賀の意識が滲み始めたのに気づく。
……久賀がゆっくりと目を開く。
「……終わったのか?特別は?」
初手それかよ。
久賀の脳内は、なんというか、混乱していた。
だが、……結城がやったことが何となくわかった。
以前、どこかで見たような記憶が混ざっていた。
俺は気持ち悪くなって、目を逸らした。
悠木の元へ戻る。
「おい。手を抜いただろ?
雑に南雲の記憶入れやがって」
俺は悠木に詰め寄る。
悠木に、影が自分に差したようにしか見えない、が、怒ってることは伝わったようだった。
「はぁ?僕が手を抜くやつに見えるわけ?
……南雲の記憶を参考にはしたけど、特別だけを抜き出した。そのままじゃない」
悠木は久賀に視線を向けて観察しながら、俺に問う、
「君が僕の方に来たってことは、何か起きた?イレギュラー?」
悠木の脳内では、起こりうる久賀の記憶反応の予想が羅列されていた。
自我の消失、分裂、主体性の欠如、
記憶の神格化、記憶の融合による人格の統合、
矛盾する人格の侵食。
久賀に視線を向ける。
久賀は、元の久賀とも、南雲とも、東雲とも違う、優越感を得た顔で、俺らを見下ろした。
「讃えろ…。俺の中の神を。
俺の神は、俺を特別に思っている。
信仰は間違っていなかった!
俺の神は、俺のことだけを見てくれている!
俺だけのものだ!
手に入るじゃないか。こよりさんが間違っていただけだ!お伝えしなければ」
久賀はそう言うと、ふらっと立ち上がり、部屋を出ていこうとする。
目はどこも見ていない。自分の内側だけを見て、口元はどこか笑っていた。
ゾワっとした恐怖が這い寄る。
……こよりのところに、この久賀が行くのか?
「おい、あれ止めろよ」
……止めてくれ。お前の実験だろ。
「何で。失敗したってだけでしょ。
あれ、死なないかな。記憶がない状態で同じもの入れてみたい」
「……お前、実験の失敗で誰かが壊れて、それ面白いと思ってんのか?」
「……?面白くは無いよ。失敗してるんだから。
次にやるべきことを考えてるだけ。材料は山ほどある」
久賀はそのまま、部屋を出ていった。
俺は無言でこよりの視界へと飛んだ。
……今のこよりに、誰かが手を差し伸べるのを、見たくなかった。
こよりの特別は、俺だけだ。
■時系列7:箱庭(視点:司)
――結城3――
結城が上機嫌だった。
……こいつは放っておくと、斜め上のことやり出すからな……
俺は仕方なく声をかけることにした。
「何やってるんだ?」
結城はこちらを向かずに顔をモニターに固定したまま答える。
「ちょっと面白いことになってたので、調べてます」
「……何を?」
「箱庭に決まってるじゃないですか」
結城のモニターには確かに箱庭らしきものが映っていた。
「だから……箱庭の何を調べてるんだ」
「……?こないだ先輩もいましたよね?
箱庭のブラックボックスの解析ですよ。
箱庭の僕も同じようなことしていて笑っちゃいました」
結城は楽しそうに作業を続けながら話す。
俺も何となく結城のモニターを眺める。
「クローンってこんなに似るんですね。
別に指示とかしてないのに、面白いほど欲しい情報が集まって」
……俺のクローン、影……ネロがいた。
「おい。なんでネロがいるんだよ」
「えっ。烏丸先輩が作ったイレギュラーですよ。使わない手はないですって。
別に非道なこととかしてませんよ?」
「……何させてるんだ?」
「僕のクローンのこと手伝ってあげてって言っただけです。……あれ?なんか揉めてる?」
モニターの中では結城のクローンと、影のネロ、そしておそらく悠木の実験体のクローン。
……実験体のクローンが、怪しい動作で部屋を出ていった。
ネロがそれに反応して、悠木と口論していた。
「へぇ……。強い意思があれば、外の命令にさからえるんですね。命令が弱かったからかな?」
結城はマイクを接続した。
「おーい。ネロ。止まって。動くな」
「……お前、何して」
「実験ですよ。
やれる時にやらないと」
そう言って、結城はログを辿る。
「えっと……何が原因?
こよりに手を出すな?
先輩のクローンって影なのに、彼女でも作ったんですか?」
……俺はモニターの電源を消した。
「えっ何するんですか?見えないじゃないですか」
「おい、聞こえてるか?
結城のことは無視だ。好きに動け」
俺はそう言ったあと、マイクの接続端子を抜いた。
「えぇ……折角の情報取得タイミングなのに」
「ネロを使うな。自分のクローンでやれ」
「情でも湧いちゃいました?クローンですよ?
しかも影なのに」
結城は不満そうに言い募る。
「……お前に箱庭を管理させるのは、ダメだろ。
もっと早く止めておくべきだった」
こいつは、クローンを扱うべきじゃない。
技術とかの問題じゃない。
結城は俺の言うことなど気にせずに、楽しそうに笑う。
「俺は箱庭楽しいですよ!
最近烏丸先輩の考えてることが少しわかってきて、なんというか、嬉しいんです」
……俺は、結城のその声に既視感を感じた。
誰だ?
「烏丸先輩のことが分かるのなんて、俺くらいでしょ」
(烏丸と一緒に入れるのは俺だけだ)
……南雲。
「お前、烏丸に惚れてるのか?」
「……さぁ。そういうの、よくわからないんですよね。」
結城は、不思議そうな顔をして考え込む。
「でもそうですね。
俺の中で、烏丸先輩は、他の人間と別枠かもしれないです」
そう言って、結城は目を細めた。
「……」
「何を考えてるか、もっと知りたいです。
教えてくれないから、こうやって調べるしかないんですよ」
結城が画面に手を伸ばしかけたとき、
俺はその腕を掴んで、引き剥がした。
「今日は帰れ」
「……何言ってるんですか。今ちょうど大事な所で」
「帰れっつってんだよ」
声を荒げた。
……静かに済ませるつもりだったが、無理だった。
結城は一瞬固まり、俺の顔を見つめる。
何かを測るように。
「……感情で判断するんですか?先輩らしくもない」
「うるせぇ。黙って帰れ」
「……じゃあ、明日続きをやります」
「やらせねぇよ」
「……」
結城は納得がいかないながらも、俺が折れないことがわかったのか、少し呆れたように笑って立ち上がった。
……俺は、結城が帰るまで、結城のモニターの前から動けなかった。
――烏丸3――
結城が帰ったタイミングだった。
俺が自分の席に戻ろうとした時、烏丸が来た。
「……どこから聞いてた?」
「私に惚れてるってところよ。
私モテモテね」
烏丸は無表情のままそう言い放つ。
俺は冷ややかな目で返す。
「冗談よ」
烏丸はそう軽く言い放ったあと、結城のモニターをつける。
箱庭が映った。
烏丸は悠木を一瞥した後、ネロの視点に切り替える。
……画面の中では、ネロとこよりが並んで立っていた。
修羅場はどうやら終わったようだった。
……俺はそれを見て、どこか安心した。
俺がそうしている横で、烏丸はログを流し見した後、どこか躊躇うように、何かの操作を始めた。
「……何してるんだ?」
「……ちょっとした気まぐれよ」
烏丸は、どこか後ろめたそうな感情を見せた。
悪意はない……か。
烏丸の手が一瞬止まり、そしてマイクに手をかける。
「ネロ。聞こえてる?」
画面の中でネロが反応する。
肩が跳ね、警戒するようにこよりから離れた。
「……何の用だ」
「そんなに警戒しないで。
ただのプレゼントよ。要らないなら言って。戻すから」
これは……箱庭の管理コードか?
烏丸は、何重にもパスワードを打ち込み、何かの変更をしたようだった。
次の瞬間、ネロの姿が変わった。
影ではなく――俺の姿に。
俺は息を飲んだ。
……影だったネロの、本来の姿。俺のクローン、ツカサ。
烏丸がNPC化する前は、この見た目だった。
「……これ」
俺は烏丸を見る。
烏丸は目を逸らして、マイクの接続を切った。
「抱きしめられるのは、悪くなかったもの」
そう言って、何かを思い出しているようだった。
……お前、南雲のこと突き放したくせに。
「ネロは、この子に全てかけたのよ。
特別だったのね」
俺はなんとも言えない気分になる。
俺にはそんなやつ居ないんだが、何故か俺が特別を手に入れたような気分だった。
画面の中では、ネロ……ツカサとこよりが、何かを確かめ合うように寄り添っていた。
烏丸は箱庭を閉じた。
「箱庭、明日には消すわよ」
「……は?」
反射的に声が出た。
言葉にならなかった。
「消さないから、結城君に使われたのよ。
今消してあげるのが、あの2人の幸せよ」
何も言い返せなかった。
間違ってるとは言えなかった。
でも、正しいとも言えなかった。
黙って俯いたが、その瞬間、思い出した。
「……南雲の記憶も消えるぞ?」
「……ええ。分かってるわ。
……消した方がいいのよ」
「やっぱり知ってたか……」
「記憶残したの、私だもの。
南雲が残したいって言ったから」
「……まぁ、やれるのはお前か結城くらいだよな」
烏丸は結城のパソコンの電源を落として、席を立つ。
「箱庭でやりたいことがあるなら、今日中にね」
それだけ言い残して、自分の席へと戻っていった。
俺は結城の席の前に、しばらく立ち尽くした。
■時系列8:その後
――司3――
俺は、会社に来て真っ先に箱庭を確認した。
結城はまだ来ていない。
……箱庭を開いてすぐに、異常がわかった
クローンのほとんどが死亡状態だった。
再生成装置がフル稼働している。
ツカサとこよりも、死んでいた。
「……なんで」
……あんなに、良さそうな雰囲気だっただろ。
結城が何かした?
……烏丸か?
「私じゃないわよ」
背後から声がした。
烏丸がモニターを後ろから覗き込んでいた。
烏丸は呆然とする俺を横目で見る。
「貸して」
俺は自然とモニターの前を開ける。
烏丸はログを一瞥した後、
俺には操作出来ない、管理用の画面を開く。
……マイクの接続を入れた。
……ネロはもういないのに?
烏丸はマイクに向かって話す。
「なんでみんな殺したの?」
画面には、……烏代。
1番最初に作成した、烏丸のクローン。
……こいつが殺したのか?他のクローンを?全員?
「……そんなこと出来るのかよ」
「むしろ、この子にしかできないわ」
烏丸はモニター内の烏代を静かに眺める。
何を考えている?
モニター向こうの烏代はこちらに向いて話し出す。
「……これ以上面白くならなさそうだったので」
……は?
「あなたは面白いものを望んでいました。
世界の復元に時間がかかりますが、私がいれば可能と考えました……何か間違いでも?」
烏代は、微かに眉を歪ませている。
不安?こんなことをしておいて?
烏丸は何を考えているのか分からない無表情で、烏代を見る。
「……いえ。さすが私のクローン。考えることが同じね」
画面の中の烏代は、嬉しそうに微笑む。
……烏丸と似てるか?似てねぇだろ。
……時間を確認する。
始業までにはまだ時間があった。結城もまだ来てない。
マイクに声が入らないように声を潜める。
「……どうすんだ?箱庭消すとか言ってただろ」
「消すわよ。クローンがいようといまいと関係ないの。この世界ごと、消すことに意味があるの」
俺は顔を顰める。
烏丸は声を潜めたりしなかった。
モニター中の烏代を見る。
目を伏せていた。
「……あなたの役には、立てませんでしたか」
「役にはたったわ。もういらないの……」
烏丸はその後に続ける何か、言葉を飲み込んだ。
俺は遠目に結城が来るのが見えた。
「……おい。結城が来るぞ」
「そう。……烏代。少しだけだけど、自由に過ごして」
烏丸はそう言って、箱庭を閉じた。
……烏代は何かを言いかけていた。
「なぁ……ほんとに消すのか?」
「……箱庭は私のものよ。あなたにどうこう言われる筋合いはないわ」
烏丸が作って、会社から買って、烏丸の個人サーバーで運用している、箱庭。
俺は黙り込むしかできなかった。
烏丸が、モニターから少し距離を取った辺りで声がする。
「2人して、朝からどうしたんですか?」
「……」
俺は無言で烏丸を見る。
烏丸は淡々と結城に言い放つ。
「……箱庭の管理権限、あなたから剥いだわよ」
結城は目を見開く。
口をもごつかせた後、言葉を捻り出すように口にする。
「……俺に見られたくないものでも?」
挑発するような言葉だった。
烏丸はそんな結城を相手にするつもりは無いとでも言うように、横を通り抜けて、自席へと戻った。
「……お前も席戻っとけ」
「先輩が何か言ったんですか?」
「……俺は何もしてねぇよ」
……してないはずだ。
何もしてないが、状況だけが進んでいる気がした。
――司4――
……結城が席から動くのが見えた。
烏丸の席へと向かっていた。
「あの!」
俺はモニターから顔をあげて、2人を視界に入れる。
烏丸は結城の方へと振り向いた。
結城は少し緊張した様子で立っていた。
「どうしたの?」
烏丸はいつものように少し微笑んだ顔で聞く。
対して結城の顔は硬い。
「今日、仕事終わったら……時間、もらえますか?」
「何?箱庭の話?」
「……はい」
「……わかった。帰りに私の席寄って」
結城はその言葉にほっとしたように、息をついて、自分の席に戻っていった。
……なんの話をするつもりだ?
烏丸は去った結城を見やったあと、いつもと違う、柔らかい顔をしていた気がした。
……なんだあれは。
俺は関係ない。……ないよな?
モニターに向き直る。
――烏丸の独白――
私は小さく息を吐く。
……潮時だ。
少し迷って、箱庭を覗く。
朝よりは再生成済のクローンが増えていた。
烏代……。
昔の私みたいだと思った。
ただ1つに執着して、それ以外を切り捨てた。
……死ねばいいのに。折角クローンなんだから。
(あんまり死なないように)
あの言葉を守っているんだろう。
私に似るのって、難儀ね。
……少し迷って、東雲を確認する。
再生成された直後のようだった。
南雲の記憶は……無い。
管理コードを打ち込んだ後、マイクの接続を入れる。
「……私のこと覚えてる?」
「……あぁ。もちろん。
今日は影じゃないんだな」
東雲はそう言って、微笑んだ。
「……あなたは、悲しむかしら」
東雲は少し、物憂げな表情を浮かべる。
「烏丸がやりたいようにすればいいよ。俺はそんな烏丸が好きだった」
「……」
マイクの接続を消す。
この箱庭は、もう役目を終えていた。
……特別など、もう私の手には無かった。
淡々と箱庭を削除する手続きを進める。
私は席を立った。
完全削除には時間がかかるから、パソコンはそのままにした。
階段を上る。
エレベーターは使わなかった。
数十階を、自分の足で登った。
さすがに少し息が切れて、なんでこんなことしてるんだろうって笑ってしまった。
でも、止まる気はなかった。
屋上なんかはない。
でも開く窓はあった。
そこから少し身を乗り出して下を覗く。
高い。
十分だろう。
私は少し迷って、靴を脱いだ。
揃えて置く。
特別が特別じゃなくなる前に。
まだ間に合う。
違う。今しかない。
私は窓をくぐり抜けた。
……南雲には会えるかな。
――司5――
音がした。
何かが落ちたような音。
グチャっと潰れたような。
嫌な予感がした。
俺は窓へと向かう。
視界の端には烏丸の席へと向かう結城が見えた。
地上には、赤黒い染み……。
外から悲鳴が聞こえる。
周りからはざわめきが聞こえた。
「……っ」
呼吸が浅くなった。
烏丸の席を見る。
結城は何かに取り憑かれたような目で、キーボードにかじりついていた。
……烏丸が、死んだのか?
何かが喉元までせり上がる。
烏丸の様子は変だった。
俺は、何もしなかった。しようとしなかった。
……俺のせいか?
背筋に冷たいものが走る。
廊下の方から誰かの声がした。
「窓の近くにあったの、烏丸ちゃんの靴だった……」
俺はそんな言葉を聞き流しながら、ゆっくりと烏丸の席、結城に近づく。
……こいつは何してるんだ?
結城の後ろから、モニターを覗く。
……箱庭の、削除画面。
(明日には箱庭消すわよ)
消すって、お前ごとかよ。
俺は引きつった笑いすら出そうだった。
結城はその削除を無理やり止めようと、足掻いていた。
「結城……」
削除は何とか止まったようだ。
でも、これだけ消えてたらもう……。
結城は復元作業に取り掛かる。
……こいつ正気か?
クローンの情報は、そんな単純なものじゃない。
お前だって無理なことわかってるだろ。
「結城……もうやめとけよ」
「黙ってください!」
叫ぶような声。
結城はイラついたように顔を歪ませる。
「烏丸先輩の全て」
「消すわけにはいかないんです」
「黙ってくれませんか!?今大事な所なんです」
キーボードを打つ指が震えている。
「今復元しないと、今ならまだ、まだ!」
打ち間違えた。消して、もう一度打ち直す。
俺は何も言えなかった。
遠くからサイレンの音がする。
どこからか声がした。
「烏丸が死んでる」
結城の動きが一瞬止まる
「……うるさい」
「五月蝿い。五月蝿い。五月蝿い」
目を見開いたまま、結城は再びキーボードに戻る。
音だけが響く。
……俺は止めることも出来ず、ただそこで、箱庭が、新たに作られていくのを、ただただ見ていた。
――結城の独白――
烏丸先輩の箱庭は、ほとんど消えた。
残ったのは、箱庭ができる前のプロトタイプと、俺が箱庭を覗いた時に保存した少しの記憶の欠片のデータ。
大丈夫。俺は烏丸先輩に天才って言われたんだ。
……完璧に修復してやる。
「……ねぇ、結城君、ちゃんと寝てる?」
「大丈夫です。寝てます。」
キーボードで情報を打ち込み続ける。
少しでも覚えている間にやらなければ。
「こりゃダメだ」
「……もう放っておけよ。好きなだけやらせてやれ」
「うーん……」
「放っておいてください」
「……本人がそう言ってる」
「はぁ……
私たちの持ってる箱庭の情報纏めたから」
そう言って珠里先輩は机にディスクを置く。
「ありがとうございます」
俺はそれを受け取ってパソコンに読み取らせる。
「帰ろー」
「……あぁ」
……ようやく雑音が減った。
このディスクは、少しは足しになりそうだ。
あと足りないのは……。
――影――
死に意味は無い。
生にも意味は無い。
なぜ生きるのか。
自分に意味があるから。
なぜ死にたがるのか。
自分に意味などないから。
必要なのは。
誰かからの承認。
自分で納得できる誰かからの承認。
より求めるのは。
他よりも優れているという優越。
誰よりもという唯一。
影はそう言った。
……何か違う。
でもこんな感じだった気もする。
妥協してないか?
出来るか出来ないかじゃない。
求めろ。求め続けろ。
欲しがれ。
箱庭には俺と烏丸先輩の二人でいい。
烏丸先輩の箱庭が壊れた原因は、いらないやつも沢山入ってたからだ。
2人。俺も烏丸先輩も天才なんだ。
他の奴らよりよっぽどいい結果が出せるはずだ。
他の奴らなんていらない。
完璧?お前がそう信じたいだけだろ。
この箱庭はお前の狂った脳から出来ている。その自覚はあるか?
結城は首を振った。
何も聞こえない。
聞こえてない。
モニターの光だけが結城の顔を照らし続ける。
キーボードの打鍵音だけが響き続ける。
――ツカサ――
自分が再生成されていることに気づいた。
……俺なんで死んだんだ?
記憶が曖昧だった。
……曖昧?
再生成後は、記憶があるかないかのどちらかだ。
……曖昧って、どういうことだよ。
まるで脳内に、ランダムに半分だけぶち込まれたような記憶だった。
直前の記憶は鮮明だった。
……こより。
俺が死んだってことは、あいつも死んだのか……。
下層民だ。記憶は、残ってないだろうな……。
暖かい気持ちが胸に蘇る。
俺は忘れない。
あの時俺は、全てを手にしたようなそんな感覚だった。
あの気持ちがあれば、今後ずっと幸せに生きていけそうな気すらした。
そんな時ゆらりと影が現れる。
……影?
「お前は特別が欲しいか?」
硬直する。
……知っている気がするのに、何も分からなかった。
「……お前はもう影じゃないからな。
俺はどうだろう。ネロかもしれない」
……会話ができる?
ネロ……?
「まぁ、お前はいらないか。
既に持っているやつには、響かない」
「特別……」
その言葉に不快感が走って、思わず顔を顰めた。
「ふっ。そうか」
影は少し楽しそうに笑った、ような気がした。
扉が開く。何かがおかしい。
……あるはずの下層民用の誘導矢印が無かった。
それだけじゃない。
下層民用の施設も、ない。
「……誰もいない」
再生成装置のドアが静かに閉まった。
次の再生成が……始まらない。
俺しかいない……?
記憶も、建物も、クローンも。
覚えていた通りのものは、何1つなかった。
あの影も。
……何が起こっている?
「……何もねぇよ」
俺は反射的に振り向く。
何もいない。
「永遠に見つからない」
影の声が頭の中で反響する。
お前は何で、何が起こってる……?
「元々の核は既に存在しない。
お前は何がしたい?それが全てだよ」
……外の世界、影、特別。
ダメだ。頭に浮かぶのは単語のようなパーツばかり。
何も繋がらない。
「なんでお前は残ったんだろうな?」
影の言葉に、俺は眉をしかめて立ち止まる。
クローンがいた。
そいつは軽く手を上げて、こちらへ歩いてきた。
……東雲……南雲?
何故か2つの名前が思い浮かんだ。
「お前も残ったんだな……」
憂いを帯びた顔。
求めたものを得たような、失ったような。
「何か、知ってるのか?」
……俺はそう聞くが、東雲は答えない。
変わりとでもいうように影が囁く。
「残ったんじゃない。残されたんだ」
東雲は聞こえているのかいないのか、曖昧に俺を見た。
影は囁く。
「記憶の量が多すぎたんだ。だから残っちまった」
東雲は歩き出す。
「多分もう1人いる。行こうか」
……俺はただついて行った。
――――
東雲は、なんの確認もせずにその部屋のドアを開けた。
……いた。
「……」
彼女は俺を見て、微笑んだ。
――司6――
烏丸が死んでからも、なんてこともないように日常は続いた
烏丸のやっていたことの大部分は、結城が引き継いだ。
結城の席に社長が来ているのが見えた。
「結城君、最近調子いいね」
「えっ、そうですか?
ありがとうございます!」
「この調子で、こっちの依頼の構築も頼める?」
「了解です!
こっちのクローンも同じように?」
「そうだね。誰が対応しても不快感がないような、便利な都合のいいやつで頼むよ」
「分かってますって!」
……クローンの作り方は大きく変わった。
烏丸主導の時は人間ベースだった。醜いところや愚かさもそのままだった。
結城はそういった、使うのに不都合な人間性を全て、削ぎ落とした。
どっちがいいとか、言いたいわけじゃない。
……世間は結城のクローンを求めたってだけだ。
俺は2人の会話を聞き流し、仕事を再開する。
修復した箱庭は、結城個人のサーバーに作られ稼働し続けていた。
(先輩は特別に入る許可あげますね!俺の箱庭です)
結城はそう言って、俺に鍵を渡した。
俺の手元には、鍵が2つ。
ひとつは烏丸のサーバーに残った壊れた箱庭。もうひとつは結城が完璧に修復した結城の箱庭。
烏丸の声を思い出す。
(あなたにとっての特別は何?)
結城の箱庭には2人しか居なかった。
烏代と悠木。
「クローンの中身を、箱庭の2人が作ってくれたんです!人の言うことなんて聞かない、いや、聞いたふりが本当に上手い子で」
結城はそう楽しそうに俺に話した。
「どうせバレないですし。
俺以上の天才なんてもう居ないんだから」
「……表向き、人のために尽くすクローン。
そう勘違いさせて、突き落とすんです」




