第7章「嵐ふたたび、女神の選択」
風の音が、どこか懐かしい。
それは、すべての始まりを告げたあの夜と、同じ匂いがした。
ただひとつ違うのは——
この嵐の中で、もうひとつの“別れ”が、近づいていることだった。
「台風、また来るってよ。進路次第じゃ、祭りとモロ被りだな」
漁協の集まりで、誰かがそう言った。
資料の上に置かれたテレビから、天気予報が流れていた。
【台風13号 週末にかけて本州直撃の可能性あり】
悠馬は、胸の奥がざわつくのを感じた。
—
帰宅後、テレビの音もつけずに、ベンちゃんと向き合った。
「……止められるのか?」
「……できる。けど、やらない方がいい」
「なんでだよ。前は助けてくれたじゃないか」
「……あれは、特別だった。
でも今、それをやると——“向こう”に知られる。私がここに居ることを」
「向こう?」
「神界。私の本来の場所。
規則では、人間界に長く滞在するのは許されてない。
それでもここに居るのは……悠馬と、一緒に居たかったから」
—
静かな沈黙。
時計の音だけが響く。
「じゃあ、どうするつもりだ」
「何も、しない。
自然のまま、受け入れる。それが人間の世界で生きるってことなんでしょ?」
「……そんなの、納得できねぇよ。
ベンちゃん、お前、神様だろ?みんなを守れる力があるのに!」
「悠馬——」
「……頼む。もう誰も、海で失くしたくないんだよ」
—
その夜、ベンちゃんは一人、海辺に立っていた。
風はすでに強く、波も高くなってきている。
空を見上げ、彼女は呟いた。
「ねえ、もう少しだけ……ここに居させて。
私が選んだ、この人の傍に……」
—
翌朝。
天気予報は、台風の進路が急に変わったことを伝えていた。
「奇跡だな……直撃コースからそれたってよ」
「おい悠馬、おまえんとこの弁天様にでも祈ったのか?あはは!」
地元の仲間の冗談に、悠馬は曖昧に笑った。
けれど心の中では、確信していた。
——ベンちゃんが、何かを犠牲にしたのだと。
—
その日の夜、家に帰ると、ベンちゃんは縁側に座っていた。
海を見つめるその横顔は、どこか遠い世界にいるようだった。
「……どうした?」
「明日、いなくなるかもしれない」
「……は?」
「神界から“呼ばれた”みたい。規則を破った分、罰はある。
でも、私は後悔してない。……悠馬と出会えて、本当によかった」
「ふざけんな……!まだ何も言えてねぇんだよ……!」
悠馬は、彼女の肩をつかんだ。
「お前が来てから、毎日がめちゃくちゃで、でも楽しくて、
何より——俺、お前がいない生活なんて、もう考えられねぇよ……!」
—
ベンちゃんは、そっと彼の手に自分の手を重ねた。
「ありがとう。そう言ってもらえただけで、もう……」
—
風が、ふたりの間をすり抜けた。
—
その夜、悠馬は眠れなかった。
奇跡の裏には、誰かの静かな決断がある。
見えないところで、想いを通わせ、選び取る勇気。
それが“本当の強さ”なのだろう。
※この物語の関連動画です。https://youtu.be/jN7Ltnt89fo
次回予告
次回、第8章「祈りと再生の海の祭り」
嵐を越え、迎える祭りの日。
人々がひとつになり、町が生き返る。
そして——悠馬とベンちゃんが迎える“運命の一日”。
西伊豆の空に、花火が咲く。




