第一話 ゑちごや 中華丼で圧勝する
埼玉県は秩父。山間の町で「孤独のグルメ」ごっこに興じる中年男性。地元民ならではの冒険の記録。
第一話:ゑちごや 中華丼で圧勝する
昼の秩父盆地は、かなり暑い。春を通り越して夏の匂いがして、車のエアコンも、日差しに今日は勝てないらしい。昼飯のあても決まらぬまま車を走らせ、腹の空白だけが膨らんでいく。
――我慢の限界。
思い出したのは「ゑちごや」だった。滝の上町、坂の途中にある、ちょっと年季の入った食堂。店舗の真下の駐車場が空いていたのは奇跡で、日陰になっている。もうその時点で正解の予感がしていた。
中に入ると、いい具合にざわついている。昼からビールのグラスを傾けるグループが目立つ。どこかの家族が、あるいは親戚が集まったような、やわらかい空気が流れている。なるほど、ゴールデンウィークの帰省組と見た。「ゑちごや」は、やっぱり地元の顔をしている店なんだよなと、にやけてしまう。勝利の予感しかしないぜ。
席に着いて、綺麗に並べて貼ってある、冷房に揺れる黄色い短冊のメニューを眺める。今のオレには風鈴よりも癒しを与えてくれる。
頼んだのは、中華丼。しばらくして届いた中華丼は、もうビジュアルで勝ってる。圧勝しちゃってる。トロっとした餡の光沢、深くてやさしい香り。海老、白菜、筍になるとを細く切ったヤツ。おいおいおい、大盤振る舞いじゃないか。もし、これを本当に中華丼か?と疑うような人間がいれば、しょっぴいてやるよ、と気分の高まりを抑えきれなくなっている。時間だ。
れんげがずしりと重くなるほど、
具をたっぷりのせる。
口に運んでひとくちで頬張る。
うまい。いや、うんまい。
餡の塩気が絶妙で、鳥出汁がごはん一粒一粒に染み渡っていく。白菜やたけのこ、ピーマン、海老、きくらげ……そのすべてが、脇役の顔をして、主役の仕事をしている。派手さはない。でも、すごい充実感。これだぜ!中年男性が求めるボリュームは、肉や揚げ物だけじゃあないんだぜ、お嬢さん。む、誰もいない。
店の奥から、ひと組の会計の声が聞こえる。
「息子が帰ってきてるから、久しぶりに来ようって言ったんだけど、疲れてるからってさ。また今度連れてくるよ!」
なんてことない一言だけど、この店がどういう場所か、よくわかる言葉だった。
帰り際、ソースカツ丼を頬張る子どもと目が合った。
うん、そりゃあ美味いよな、と心の中でうなずく。
たぶん彼も、いつかふと思い出す。坂の途中の食堂で、昼から賑やかに笑っていた時間を。