親切な令嬢の地雷は踏まないで~大きな親切大きなお世話
エカテリーナ・エテル・エストラーダは親切だった。
エストラーダ家は遠くは竜人や勇者が婿入りした侯爵家で、それはもう竜人のように賢く、勇者のように持たざる者たちに親切だった。
エカテリーナは、そんな家に生まれて当然のように所属している国の王太子の婚約者になった。
生まれた瞬間から王子の婚約者と決められていたのだ。
「お前みたいな醜いやつ見た事ない」
「さようでございますか。見たことがないのですね」
幼いころから婚約者という関係の甘えゆえに王子がエカテリーナに暴言を吐いても、エカテリーナは慈愛に満ちた笑顔を浮かべている。
そんな風に微笑む様子は、エカテリーナは竜人の血が入っている事もあって、少し人外にも感じられる美しさだった。
「そんなとこにいるお前が悪いんだよ!」
王子が幼さゆえに茶会でエカテリーナの方に紅茶をひっくり返しても、エカテリーナは、
「あら……、さようでございますか」
たいして驚きもせずに、エカテリーナも幼いにもかかわらず習得していた風魔法で、ドレスの繊維に入り込んでいる紅茶の液体をすべて集めてカップの中に戻した。
「王子に魔法をかけることが許されれば、私のマナーの知識を移して差し上げられるのに。そうしたらまた私は一からマナーを学べるのに」
それどころか残念そうに王子を見て呟く始末だった。
王族には緊急の時や許された時を除いて魔法をかけることができない。
そして、エカテリーナは王太子の横暴さと比較して、『慈愛の竜人様』と陰で呼ばれるようになった。
それは、王太子とエカテリーナが貴族のみが入学する魔法学院に入っても同じで、エカテリーナは横暴な王太子の母のように時には姉のように時には慈愛に満ちた婚約者のように(もちろん正しく婚約者なのだが)王太子の面倒を見ていた。
一度、魔法学院生になっても小さいころと変わらずに横暴な王太子に業を煮やした貴族令嬢が、エカテリーナの柔和さに甘えて、
「エストラーダ侯爵令嬢様、あの方はこの国の王太子としてなんとかなりませんでしょうか? そもそもエストラーダ侯爵令嬢様は王太子様が嫌になったりしませんの?」
とストレートに聞いたことがある。
エカテリーナと貴族令嬢たちの視線の先には下位貴族である男爵令嬢を横に侍らせてニタニタしている王太子が居た。
貴族令嬢たちは、王太子に生理的な嫌悪を覚えて鳥肌がたった腕を擦った。
しかし、エカテリーナはそんな貴族令嬢たちに聖女のように包容力のある笑顔を見せ、
「ごめんなさい。全て婚約者である私の責任ですわ。コントロールしようとはしているのですが、王太子である玉体には精神を操る魔法もかけることはできず、娯楽を強く制限すると暴れてしまうのです。正式に私が王太子妃となったあかつきには、殿下の分まで仕事をしますので、許してくださいませね」
「そんな! エストラーダ侯爵令嬢様が犠牲になるなんておかしいではないですか」
「いえ、犠牲になるなんてそんな事は思っておりません」
貴族令嬢たちの反論にエカテリーナは曖昧に微笑む。
「殿下は殿下で可愛い所もあるのですよ。なんていうか、地べたをはい回り空を飛ぶ虫のように、考えることはできないまでも、自然のままに生きているのです。それって人間として素敵なことではなくって?」
エカテリーナは夢見る乙女のように瞳を輝かせて、男爵令嬢と戯れる殿下を見た。
「ほら、虫も本能に従って女性と戯れるでしょう? それだけはちゃんとしてて素敵ではないかしら?」
「え、それって……」
「エストラーダ侯爵令嬢様……」
エカテリーナの発想に、周りに集まっていた貴族令嬢たちは表情は貴族令嬢として制御できるはずなのに、冷や汗がとめどなく流れてくるのを止められなかった。
しかし、エカテリーナはとにかくありとあらゆる能力だけは高く、慈悲深いことも間違いなかったので、貴族令嬢たちは自分の国の王太子とエカテリーナの事は見ないふりをすることにした。
そして、危ない橋を渡り続けている男爵令嬢をそれとなく注意することにした。
何故って、足元にとてつもない深淵が開いているのに細いロープの上で綱渡りをしているのと同じだからだ。
しかし、その貴族令嬢たちの親切心が、男爵令嬢と王太子にとって良くないものだった。
「ねえ、あんた! 他の女たち使って私へ悪口言わせてるでしょ?」
ある日、学園の下級貴族と上級貴族の両方が利用できる食堂で、エカテリーナは殿下と戯れていた男爵令嬢に呼び止められた。
「言わせておりません」
エカテリーナは男爵令嬢に即座に返事をする。
「アタシが殿下に愛されてるからって嫉妬してるんでしょ?」
「しておりません」
エカテリーナは優しい微笑みを崩さないまま、男爵令嬢に返答を続ける。
食堂の秩序を守る警備の騎士が男爵令嬢を抑えようとしたが、エカテリーナは手のジェスチャーで制した。
「アタシ、王妃になりたいから。あんた、婚約者を辞退してよ」
「……」
男爵令嬢の言葉『王妃になりたい』に、初めてエカテリーナは考え込んだ。
「おい、お前! 俺の恋人を虐めているのか!?」
そこに更に横から王太子が登場してやかましくなった。
王太子の登場に、考え込んでいたエカテリーナの顔がパァッと輝く。
「この方を王妃にしますか? 私が持っている王太子妃としての知識はこの方に差し上げますし、この方を侯爵家の養子にできないかお父様にたのんでみましょうか?」
「いいじゃない! アンタ、良いこと言うわね。話が手っ取り早くていいわ。これで私も王妃ね」
エカテリーナの提案に、男爵令嬢が間髪入れずに同意した。
「そうしましたら、早めに知識を渡した方がお父様を説得しやすいので、今、渡しますね。ちょっと失礼します。すぐ終わりますから」
エカテリーナが何でもない事のように言って(実際にエカテリーナには知識の譲渡の魔法など容易い)、素早く男爵令嬢の額に人差し指を当てた。
パァアン!!!
人体からしてはいけない音がして男爵令嬢が後ろ向きに倒れた。
男爵令嬢は自分の恋人である王太子も突然の出来事に支えてくれないまま、後ろ向きに倒れて頭を食堂の床に打ち付けた。
「あら? あらあら? どうしてかしら?」
エカテリーナが、首を傾げた。
「知識が私の元に戻ってきてしまうわ。どうしよう、この方の頭に入りきらなかったのね。残念、また一から知識を吸収できると思ったのに、新しく言語を習得できて知らないものを知る快感を得られると思ったのに。知識とコミュニケーションで世界が広がる快感を得られると思ったのに。……本当に本当に…………残念ね…………」
シーンと静まり返る食堂で、エカテリーナは男爵令嬢を助け起こして誰が止めるわけでもない中、懐から錠剤を取り出して男爵令嬢に飲ませる。
すると、何秒か経ってから男爵令嬢がエカテリーナの腕の中で目を覚ました。
「ひっ、化け物!」
男爵令嬢は目を限界まで見開いて、エカテリーナとその婚約者である王太子を見た。
そして腰が抜けたのか立てないまま、エカテリーナから逃げるように腕の力だけでグニャグニャと蠢いて逃げ出そうとする。
男爵令嬢の目からはとめどなく涙が流れている。
「もう一回やってみましょうか? 今度はあなたの頭の中に私の知識が入るかもしれないわ。もしかしたら竜人の血が流れていないから、頭の容量が足りないことが原因かもしれないわね。侯爵家にきて、私の血を輸血しましょうか? もしかしたら、今度は竜人の力に体の容量が足りなくて失敗するかもしれないけれど」
「ひっ、いやっいやっ。あんなたくさんの事覚えててそんな平気な顔して、化け物っ」
「そんな事を言わずに。ね、チャレンジしてみましょう? 王妃になりたいのでしょう? 私は、もう一回一からありとあらゆることを学びたいの。知らないという経験をもっと味わいたいの。ふふっ、私に王妃になりたいという貴族令嬢なんて逃すわけにはいかないわ。こんな実験機会二度と現れない。あ、違う違う。王妃になりたいあなたを王妃にしてあげたいのよ。私のお父様にお願いして……」
「いやぁあああ!!!」
エカテリーナの言葉に、人間の火事場の馬鹿力というべきものか男爵令嬢は上半身の力だけでサカサカと食堂から逃げていった。
男爵令嬢の通った後には、男爵令嬢が出すありとあらゆる体液でしっとりと湿っていた。
「……残念。せめてもう一度、あの方を王妃にしていいかお父様にお願いして………」
とエカテリーナは名残惜しそうに男爵令嬢が去っていったところを見ていたが、ふと思い出して王太子の方を見た。
「殿下。あの方を王妃にしますよね?」
エカテリーナの言葉に、王太子は恐怖に突き動かされて首をかすかに左右に振ったのだった。
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エカテリーナは、王太子妃になり王太子を支えてありとあらゆる事を善に導いた。
そして、食堂でのあの騒動から王太子はエカテリーナにどこか怯えたように何でもいう事を聞くようになり、なんなら進んで勉学や経験を積み、女遊びはやめ、自分なりに民に善政を施すようになった。
エカテリーナはなんらかのスイッチを踏んでしまわなければ、慈愛に満ちた『慈愛の竜人様』でいてくれるから。
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