第二章 救世主症候群
自分の生き方は素晴らしいと思う。美しく、きれいなものだと思う。それでいて、拙く脆いものだと思う。中身なんて、存在していないのかもしれない。
わかっていることをわからないふりにしていたい。なにも、知りたくない。美しいこの世を見つめているだけ、それだけに人生を費やしたい。
千津井雪都はロマンチストだった。人の意見を聞くふりをして、人の言葉を自分のいいように変換する思想家であった。
千津井雪都は脳天気な人物だと噂を広げられていた。学校にいても、たくさんの友人に囲まれていた。そこに孤独などないようであった。
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人生を思想主義だとか、自分の思想を追求するロマンへの道だとか。適当なことを自分は言いふらしている。人間は噂話と人の陰口をよく好む。個性的と言いつつ変わり者の頭が出た人を潰しにかかる。それが、実に面白い。
変わり者や不思議なことなんて底が見えている。
だからこそそれを深堀していくのが面白い。人は自分を複雑な思考の持ち主だとか、哲学的な思想の人間だとか、かっこつけたことを言いたがるが、そんなことはない。ただ、生きることについて考え続けているだけに過ぎないのだ。過剰なことをさらに過剰に膨らませているだけなのだ。
少し前、道端で自分を軽蔑するような顔で見ている人物がいた。その人を目の端で追っていると、どんどん足が竦み、震えだし、顔が青くなっていっていた。
時間の経過とともに、自分が見られていたことは勘違いだったのだと、恥じて声をかけた。
「体調が悪いのかい……?顔色が悪いよ。」
声をかけた瞬間、彼女は目を見開き、
「大丈夫です。」
そう告げ、その場から去っていった。
彼女が最近同じような時間帯にこの道を通っていることは私は知っていた。さらには、彼女が同じ学校であることも知っていた。
人間は実に興味深い。大人と子供の差。人間対人間の差。生き物としての立ち位置。この歪な世の中により構成されていく、生命力。
自分は根っからのつまらない人間だ。だからこそ、面白さにかけている。歩道で井戸端会議をしているおば様達に自分でも意味のわからない話をして、ひたすらに人生の時間を稼いでいる。
『例えば明日になる前に、この世界のすべてが嘘だったときの話をしよう。』
『世界とは混沌を型にはめたような、感覚でいなきゃ飲み込まれてしまうものだ。』
『じつは全て嘘だったかもしれないな。』
そんな、面白いようで、まったくもって非現実的な話を淡々と話す。自分自身もそれが意味のないことだということを知っている。ただ、人間との関わりはそれほどまで楽しいものだと自分は知っている。
誰かの中心的な世界でない、自分の思考がまとまっているわけでもない。それでいて、それを美しいと感じているのだ。
幼いままでいることも限度がある。きっとこのような私は死んでしまうことも早いだろう。価値観の喪失だって時間の問題だ。
だが、今の自分はなにかを救える素質がある気がするのだ。そんな気がするによって振り回されてみたいんだ。
戦争
日常
情勢
廻転
瞑想
観念
すべてが混沌としているこの世界で、きっと自分だっておかしいこの世界で。
いつ死ぬかもわからないんだ、どこかの私は、明日には死んでいるのだ。
そんな自分でも手を差し伸べられるような心臓が存在していたら。と、そんな人間らしいことをずっと考えて生きている。学校だって、家だって、人間関係だって。そこには知ったものなどない。
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以上の千津井雪都の話は、この先の瀬戸内みやびが知っていくであろう表面の印象の話だ。
このときに出会って、数日後、私と彼はまたもや同じような状況で鉢合わせをする。そこで、すべてが変動していく。その変動を今からでも止めることができたら、と。この物語を振り返ったときに思ってしまうことも多々あった。
だが、私は今も生きている。だから、もっと彼の話を綴りたいのだと。
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木々の光は美しい。生き物の声や光の色合い、人々の笑い声や足音。すべてが世界を教えてくれる。
だが、私はこんな世界にぽつんと浮遊しているような、価値観で生きているような感じがする。
(昼休み……)
お母さんの呼び出しは、薄々先生たちも気づいていて、それにより友人との空気感も壊れていっている。
それでもだれも、何も言わない。言及しない。またか、という感じでスルーしていく。いうほど人を見ていないような。それが、どうしても悔しかった、泣きたいほどに、虚しかった。
青春とか、学校とか、友人を求めているわけではない。それが普通だとも思わない。
優しい母親に、見守りが強い環境に。感謝はしている。だが、本当に居心地が悪い。生きている場所はここではない、とさえ思う日が続くほどの虚しさがある。
自分がやすらぎを感じられる、生命力とは、大地の感覚のこと。人間以外の何かのことだ。
美しさを感覚以外で告げるなら、きっとこのときに願ったすべての言葉によるものになるのだろう。
帰り道に、見知った顔の人なんていない。自分事を根本から知っているような人もいない。自分だって相手を知らない。住む世界が違うような人間の群れ、自分の孤独を加速させるような感覚。
(もういっそ、私自身が神隠しにでもあってしまえばいいのに)
そんなことばかり浮かんでは消えて
またループしていく。
人に心配をされるのが苦手で、根本の人との関わりを異様に苦手だとしているのは、この状況も絶対に関係している。
人は無償の愛を歌にするが、そんなものは存在しない。なにかしらの対価がどこかでやってくる。
誰かを救いたいと心から願う人がその先の力を知ってしまえばその時の愛情は全く違うものと化してしまう。そういう人間が大嫌いだった。
自分が人間である以上、自分もその血が流れている。それが悔しくて仕方がなかった。
日に日に一人の時間がこの帰宅の時間になっていき、学校での居場所もなくなっていった。
現時点で単位を複数落としている。自己嫌悪に駆られる暇すらもなくなっていった。
「ほんっとう、死にたいなぁ……。」
「そうだねぇ。」
……
「…は……?!」
咄嗟に心の内を声に出してしまった、目を上げた先には会いたくないと思っていた人間がいた。
「また会ったね。」
逃げだそうと思う前にそれに腕を掴まれていた。
「…セクハラではないですか?」
「あははっ、何を言っている。
…これは僕の自分勝手な人命救助だ。」
(何言って……)
こうしていくうちに、気がついたら少し離れた喫茶店で千津井雪都と座っていた。
千津井雪都は自分勝手な男だった。自分勝手で無責任で、勘違いばかり。自己中心的な思考の持ち主。
周りの人が言うようには、面白くもなんともなかった。
「辛さなんて知らないけれど、私が一つ言えるのは君は本当に人間らしい人間だということ。」
「はい?」
勝手な決めつけを続ける、なんの理性も知性もない人間だった。
「面白いよ、君は優しすぎるんだ。
本来の人間の優しさを過度にオーバーするほどの優しさを持った、強い人間だよ。」
「世界はまだ捨てたもんじゃないなって、思えたさ。」
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私は、このときの彼の顔を今も覚えている。どこか遠くを見ているような、それでいて私を見つめているような、とてもあたたかい表情をしていた。警戒をさせないためだったのだろう、声のトーンもペースもすっかり落ち着いていて、私は逃げようとか抜け出そうなんてことは、この時点で考えられなくなっていた。
あとから聞くに、彼は善意を固めたようなヒトだった。周りから「救世主症候群」
だと言われていたらしい。
人から見たら、なんの中身もなく聞こえた話も多かったらしい。それでも、彼は本気だった。
だから、あの日私と出会って、私という一人の人間を、ここまで動かすことができたんだ。
この日から1年後、彼は行方不明になる。そして、数ヶ月後、遺体として発見される。
私は分かっている、過去には戻れないことを。
みんなが今も時間をかけて、彼のことを忘れていっていることを。
それでも、もっと残していきたい。彼のもとへ、追いついてしまう前に。
救世主症候群『メサイアシンドローム』
無意識に誰かの救世主になることで、自己肯定感の低さ、罪悪感、劣等感、無価値観を解消したい、という心理
『通:千津井雪都』
人の痛みをわかるヒト
世界を心から愛すヒト