作法は口ほどにものを言う
「よし、じゃあしときたい話は終わったし、食べようか」
「そうですね、折角用意していただいたのですし、美味しいうちに食べませんと」
ガストンが言えば、イレーネもコクリと頷きながら返したのだが。
ごくありきたりな返しだったはずなのに、何故かガストンは驚いたような顔になり。
それから、うんうんと満足げな顔で幾度も頷いて見せた。
「そうそう、美味いうちに食べないとな。
どうも他のお嬢さん達はおしゃべりの方が大事みたいで、わかってもらえなかったんだよなぁ……」
「……それは、そういう方もいらっしゃるかも知れませんね」
失敗を重ねた今までの見合いを思い出しながらガストンがしみじみつぶやくも、イレーネは当たり障りのない返ししかできない。
何しろ彼女には、食事そっちのけでおしゃべりに興じるような友人がいなかったのだから。
それというのも、嫡子だからと甘やかされて育った王太子である兄が、施された教育の様々な分野で優秀な成績を残してきたイレーネを目の敵にしているため、イレーネと仲良くして王太子の不興を買うことを令嬢令息達は恐れたのだ。
まさかそんなことを、この身内への情が厚いと見えるガストンに、身内として認められた直後のタイミングで言うわけにもいかない。
ややもすれば号泣、下手をすれば烈火のごとく怒り出すことも考えられるのだから。
いずれは話すこともあるだろうが、それは今ではないのだろう。
「さ、そんなことを愚痴ってそれこそ美味しくなくなったら本末転倒です。いただきませんか?」
「お、おう、そうだな。じゃあ、我らが創造神アーダインの恵みに感謝を」
「感謝を」
イレーネが促せば、それもそうだとガストンが食事前の祈りの言葉を口にし、イレーネもそれに続く。
このシュタインフェルト王国もイレーネの出身であるレーベンバルト王国も、主に信仰されているのはアーダインであるため、宗教的な問題はないことにイレーネは密かに安堵していたりする。
もう数カ国ばかり東にいけば別の神を崇める国と接するようになり、宗教的対立も相まって紛争が激化する傾向があるらしい。
となれば、国をまたいでの政略結婚などしようものなら、食事の祈りだけで毎度喧嘩になったかもしれないが……そう考えると、イレーネはまだましな方なのだろう。
「さ、いただこういただこう。いやぁ、昨日はあまり食えなかったから、腹が減ったったらありゃしない」
「坊ちゃま、言葉遣いがよろしくなさすぎです」
「うえっ、わかった、わかったから」
マーサからお小言を食らいつつも、笑顔のままガストンはナイフとフォークを手にする。
そして、予想通りというか何と言うか、いきなりローストビーフへと矛先を向けた、のだが。
思わずイレーネは目を瞠りそうになり、慌てて表情を取り繕った。
やや慌て気味なのは予想通りで、がっつきたいだろうところを抑えている様子は愛嬌を感じるくらいだったのだが。
いざローストビーフのスライスがガストンの皿に置かれた次の瞬間、音一つ立てることなく綺麗に畳まれてフォークに刺さっていた。
何が起こったのかわからなかったイレーネの目の前でガストンは淀みない動きでそれを口運び、実に美味そうに咀嚼し、飲み込む。
そしてまた、ローストビーフ。
食事のバランス、という考えはあまりないらしい。
今度こそは何が起こったのか見定めようとイレーネはガストンの手元を見つめていたのだが、やはり、わからなかった。
恐らく文字通りの目にも留まらぬ速さでナイフとフォークを正確に駆使し、音を立てることなく口にしやすい大きさに畳んでいるのだろうが……冗談としか思えない程一瞬でその作業が完了するため、イレーネは自身の立てた仮説を信じることが出来ない。
実際の所は、イレーネの想像通り、ガストンが目にも留まらぬ早業でローストビーフを処理して口に運んでいるだけなのだが。
このガストンという男は、前述の通り人類最高峰の身体操作能力と運動学習能力を備えている。
当然それはナイフとフォークの操作に対してもであり、ガストンのテーブルマナーは講師達からも評価されつつ、困惑もされていた。
何しろ、文句のつけどころはない。
有り余る筋力のおかげでナイフもフォークも小枝よりも軽く感じるため、手にした姿は余裕に溢れている。
極めて正確精緻な操作でもってナイフとフォークが動けば皿に音を立てて触れることはなく、料理も微動だにすることなく切り分けられるし、その動き自体は優雅と言ってもいい。
ただし、それらが恐ろしい速さで行われていなければ。
お手本のように優雅で正確な動きをしているはずなのに、その動きを認識した瞬間には動作が完了しているため、見ているだけで違和感に頭が痛くなってくる。
おまけに先程まではあった料理がいつの間にかなくなっているのだ、ここまでくると若干ホラーの領域に片足を突っ込んでいるとすら言えるかも知れない。
今イレーネの目の前で繰り広げられている光景がまさにそれで、あれだけ大量にあったローストビーフが早くも半分ほどになっており、サラダもいつの間にか大半がどこかに行っている。
いや、間違いなくガストンの胃袋の中に行っているのだが、それが信じられない。
呆気に取られてその光景を見ていたイレーネに気付いたガストンが、小首を傾げながら問いかけてきた。
「どうした、さっきから全然食べてないけど」
「えっ。あ、いえ、大丈夫です、ちょっと考え事を……」
「おう、そっか。頭がいい人はそういうことがよくあるよなぁ」
等と笑いながら、ガストンは自身の経験談を語り出した。
彼の昔話となれば、知り合ったばかりで結婚したばかりな二人の話題には丁度良い。
良いはずだ。
だが、イレーネはその会話から意識を持って行かれそうになるのを堪えるので必死だった。
そうやって語るガストンの皿から、料理が消えていく。
彼とて人間だ……人間のはずだ、会話の合間に息継ぎを挟む。
恐らくその一瞬で食べているのだろうが、とてもそうは思えないくらいに語りが不自然に途切れない。
何が起こっているのか、想像は付くが理解が出来ない。
だから、イレーネはそれ以上考えるのを止めた。
ガストンの手元や皿を見ないようにしつつ、自身もナイフとフォークを動かし、食事をする。
……会話をしながらの食事に不慣れなせいか、しっかりとマナーを修めたはずの彼女の方がぎこちなくなっているくらいなのだが、ガストンは気がつかないのか、そのことを一々指摘したりはしない。
「……ああ、そういうことですか、だから皆さん食事はそっちのけなのかも知れませんね」
「ん? どういうことだ?」
不意にイレーネがそんなことを言えば、ガストンは不思議そうに尋ねる。
そんなガストンへと、くすり、小さな笑みをイレーネは向けた。
「いえ、貴族の食事会など、どこで揚げ足を取られるかわからない場ですから、そこで会話をしながら食事をして、では気が休まらないでしょうし、何よりどちらかで失敗をしかねませんでしょう?
であれば、家に利益があるよう、しかし言質を取られないよう、食事をさておき会話に集中する気持ちもわかるな、と」
「へえ、そういうものかぁ。俺達は食事なんか勝手に身体が動くようになれって仕込まれてるから、気にしたことなかったなぁ」
「……はい? ……ちなみに、仕込まれたのはどなたです?」
「え、うちの親父に言われてだけど」
「なるほど……」
あっけらかんと答えるガストンに、イレーネは重々しく頷いて見せた。
ガストンの父親、即ちトルナーダ辺境伯その人である。
他国と境を接する辺境伯領の守護者にして大貴族である彼ならではの発想と言って良いかも知れない。
素早く食事を摂ることは、いつ出動がかかるかわからない軍においては必須の技能という。
しかし、ただ早く食事をするだけでは粗暴に見えて、社交の場では侮られる可能性が高い。
故にトルナーダ辺境伯は、マナーにのっとりながらも素早く食事を摂る技術を練習させたのだろう。
……ここまでのレベルを要求したのかは怪しいところだが。
「一事が万事、とは言いますが、こういったことの積み重ねが決定的な差になるのかも知れませんね」
「お?? い、一体何の話だ?」
「いえ、こちらの話です。……一つ言えば、レーベンバルトの敗因の一つに思い当たった、というところでしょうか」
「お、おう??」
イレーネの言葉に、全く心当たりの無いガストンは首を傾げるばかり。
彼にとってこの食べ方は、身に染みついた当たり前のもの。
それがシュタインフェルトの勝因の一つだなどと言われれば困惑しても仕方の無いところだろう。
「いえ、気にしないでください。さ、わたくしもちゃんといただきませんと」
そういうと、困惑しながらもナイフとフォークが止まらないガストンを見習って、イレーネも食事を始めた。
「あら、これは……本当に美味しいですわね。お肉の質はもちろん、調理された方もかなりの腕なのでは」
「お、そうか、良かった! シェフの奴も軍隊上がりなんだけど、そのせいか焼きは得意みたいでな」
「軍隊上がりですと、焼くお料理が得意になるのですか?」
「そういう奴が多いなぁ。なんせ行軍中だと凝った料理作れないから焼くだけとか多くて、だけど美味いのは食いたいからって焼き加減にこだわる奴が結構いるんだ」
イレーネが素直に味を誉めれば、ガストンは晴れやかな笑顔を見せ、まるで我が事のように語り出す。
やれあれが得意だ、これが美味い、いつか食べさせよう。
そんな彼の語りは中々に食欲を刺激したらしく、いつのまにやらイレーネは普段よりも多くの量を食べてしまっていたのだった。