家族への一歩目
戸惑うガストンや使用人達の顔を見て、イレーネは苦笑を浮かべる。
「やはり、あまり一般的なことではございませんよね?
いえ、王族なのですから、一般的でないことは多いのでしょうけれども」
「そ、そうだ、うちの陛下だって、仕事が忙しすぎてゆっくり飯食えないって言ってたし!」
イレーネの言葉に、ここぞとばかりに勢い込んでガストンが言う。
その必死な様子に、思わず笑みが……身を守るための淑女の微笑みでなく、心からの笑みが思わず零れてしまう。
何だか調子が狂ってしまうな、と思った次の瞬間には、ここにきてからずっと狂いっぱなしだなと思い返す。
その主な原因は、今テーブルを挟んだ向こうで何やら必死の形相なのだが。
……他人の家庭事情でしかないのに、こんなに。
それは、なんともくすぐったいような気がした。
「では、きっとそういうこともあるのでしょう。
けれど、こちらでは一緒に食事を摂るようにするのですね」
「お、おう、その通りだ」
確認するようにイレーネが言えば、こくこくとガストンが幾度も頷く。
その必死な様子は何ともおかしく……それでいて、心が温かくなるような気がした。
「俺達辺境伯領の連中は、死ぬときは一緒に死ぬこともあるし、生き延びる時も一緒だ。
だから飯を一緒に食う。その方が、一緒になりやすいから」
だが、続いたガストンの言葉に、背筋が伸びるような思いがする。
隣国と国境を接する辺境伯家の生まれで、幾度も戦場に身を投じたガストンからすれば、死は身近にあった。
だからこそ辺境伯家では、家族とともに、仲間と共に食事を摂る。
そうすることで結束が高まることを、経験的に知っているのだ。
「そういうことですか、だから……」
「ああ、だからほんとは、執事とかメイドとかとも一緒に食べたいんだけど……それは、あなたが嫌がるかなって」
ボリボリと頭を掻きながらガストンが言うも、イレーネから答えは返ってこない。
てっきり昨夜のような勢いで「嫌です」と言われるかと思っていたガストンは、首を傾げながらまじまじとイレーネを見つめ。
視線を感じたイレーネは、こほんと小さく咳払い。
「ガストン様、あなたがこの家の主なのですから、それはお好きになさってください。
……そういう理由でしたら、わたくしも嫌とは申しません」
「そ、そうか! あ、いや、そうか、ありがとう」
思わぬ答えに喜色満面となったガストンは、しかしすぐに表情を改めた。
あまりあからさまに喜んではイレーネに不快感を持たれるかと思ったため、なのだが。
「ガストン様、昨夜のことがありますから偉そうには言えませんが……わたくし、きちんと理由や根拠をお話いただければ、よほどのことがない限り怒ったりいたしません。
ですから、お気遣いは嬉しいのですが、無用に窮屈な思いをなさる必要はございませんよ?」
「そ、そうか! お、俺はどうにも、その辺りの加減がわからなくて……。
あ、あなたからも思ったことは言って欲しい。俺は、あなたの気持ちをちゃんと知りたい」
「……左様でございますか。では、今後はそのようにさせていただきます」
イレーネがそう答えれば、ガストンはほっとしたような笑顔になった。
なったのだが。
「では、早速申し上げますが……申し訳ございません、朝からこの量の食事は無理でございます。
特に、この大量のお肉……晩の食事でも食べきれません。これは、わたくしも先にお伝えしておくべきだったかも知れませんが……」
「うええええ!?」
ガストン的にはまさかの申し出に、思わず声を上げてしまう。
だが、イレーネの眼前に用意されているのは、てんこ盛りという表現がぴったりなくらいに盛られたローストビーフのスライス。
添えられたパンも拳大のロールパンが四つ、その隣にはボウルに盛られたサラダが『一人分ですよ』とでも言いたげに鎮座している。
まあ、その向こうに見えるガストンの前に並べられた食事の量は倍以上なのだから、これでも控えめに盛ってくれたのだろうことはわからなくもないのだが。
「だから言ったじゃないですかガストン様! 普通の女の人はこんなに食べられないって!」
「だ、だってお前はこれくらい食べるじゃないか!?」
「あたし基準で考えないでください! 軍隊上がりは普通じゃ無いんです!」
などとガストンに食って掛かるメイドを見るに、周囲の人間も言ってはくれたらしい。
これが使用人まで総出の嫌がらせだとしたら困ったところだったが、どうやらそうではなく。
イレーネの三倍はあろうかというガストンの基準に合わせれば、そして彼の中の基準が軍隊に所属する人間なのだとすれば、この量になるのもあるいは仕方ないことなのかも知れない。
「そ、そっか、あなたはほっそりしてるものな……そりゃ、食べる量も少ないよな。
気付かなくて、すまん」
「そこまでお気になさらずとも……いえ、こうしたことを言葉にしていくべきなのでしょうね、きっと」
素直にうんうんと頷くガストンを見ているうちに、イレーネはくすりと小さく笑みを零してしまう。
こんなに大柄で力も強そうで、何より戦勝国の英雄だというのに。
なぜか愛嬌のようなものを感じてしまうではないか。
「お、おうっ、そ、その、俺は特に頭良くないから、教えてくれると嬉しいっ」
まして、イレーネの笑みを見た途端顔を真っ赤にするようなところを見せられれば。
少しずつ、心のしこりが解けていくような心地すらする。
「あ、教えてくれると嬉しい、で思い出した!
その、すまないけど、領地経営について、教えて欲しくて」
「はい、それについても言われております。わたくしの出来る限りになりますけれども」
慌てて話題を変えるガストンに、イレーネもこくりと頷いて返す。
今回、ガストンにイレーネが嫁ぐことになった理由の一つが、領地経営の補助である。
戦場で武功を挙げたガストンだが、学識面では足りないところが少なからずあり、不安しかない。
そこを補うために、貴族家へと降嫁する可能性が高いため領主の教育も受けていたイレーネがあてがわれたところがあるのだ。
勿論いきなり隣国の王女を全面的に信じるわけもないので、監視の影がついている、らしいのだが。
今のイレーネは全くもってそんな気はないし、ガストンもそのことは何となく察していた。
であれば、手伝ってもらうことに何の問題もないだろう、むしろ何としても手伝って欲しいとすら思っている。
ガストンはもちろん、従者のファビアンもそのレベルの仕事になるとかなり怪しいのだから。
「それでは、夫婦になるには時間がかかるかも知れませんが……まずは家族、仲間としてお仕事をしてまいりましょうか?」
「お、おう、そんな感じで、頼むっ!」
イレーネが、現時点で取れる立場を示せば、ガストンは笑顔で頷いて見せた。
それはもう、からっとした晴天の空のような笑顔を。
何故だかそれを見たイレーネは、気恥ずかしさを感じて目を逸らした。