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二人の夜(色気なし)

 言うまでもなく、イレーネだって夜のことに明るくはない。

 知識だけならばある耳年増だが、実際の経験は当然皆無。

 むしろ彼女の方が緊張すべき場面であるし、勿論これ以上無いほど緊張していた。

 ガストンのおかげで、どこかにいった気はするが。


「ガストン様のおっしゃることを纏めますと、わたくしが壊れると思ったから触れたくなかった、わたくしが……その、綺麗だからどうしたらいいかわからない、とそういうことでよろしいですか?」


 自分で自分のことを綺麗などと、その方がむしろ恥ずかしい。

 彼女とて自身の容姿が優れていることはわかっているが、そのことを鼻に掛けたことはない。

 そして、そんなおべっかを使われた記憶もない。

 つまりイレーネは、男性からこんなことを言われることに、免疫がなかったのだ。


 動揺のせいかイレーネの舌鋒は緩み、少しばかりしゃべりやすくなったガストンはコクコクと頷いて返して。


「あ、ああ、その通りだ。

 なんせ俺の手は、ほら、こんなだし」


 そう言って彼が見せた大きな手は、皮が厚くゴツゴツとした無骨なもの。

 ろくな手入れもしていないのか、それとも手入れが追いつかないのか、その表皮はヤスリのように荒い。

 きっとイレーネの柔肌に触れでもすれば、削り取ってしまうだろうと思うほどに。


 その手をしばし見つめたイレーネは、小さく首を横に振った。


「こんな、などとおっしゃらないでください。

 これは、武人の手。わたくしが尊敬する騎士も、修練の跡が刻み込まれた手をしておりました」


 懐かしげに言いながら、イレーネはしげしげとガストンの手を見つめる。

 大きさは、ガストンの方が一回りほど大きいだろうか。

 それでも、その手のもつ雰囲気は騎士のそれとそっくりで。

 思わず懐かしさのあまり触れようとして、ぴゅっと慌ててガストンが手を引いた。


「そ、そりゃ、騎士の手とは似てるだろうけども。でも、そいつに触れたのだって握手くらいのもんだろう?」

「それはまあ、そうでしたけれども。……そう、ですけれども」


 確かにその騎士とは握手くらいの接触しかしていない。

 そして、これからガストンとするはずだった行為は。

 ……具体的なイメージを避けていたそれに思考が至り、イレーネは言葉に詰まる。

 一度頭が冷えてくれば、改めて踏み出すには中々思い切りが必要なようだ。


 ふぅ、と一つ息を吐き出す。

 彼が言うように自分が壊れたかどうかはわからないが、イレーネ自身の考えが甘かったのは事実らしい。

 そして、そんな自分を思いやってくれたガストンの思いやりを無碍にするのも気が引けた。


「わかりました。それならば、本日は床を共にするだけにいたしましょう」

「お、おう?」

「それであれば、ガストン様がわたくしに触れる必要はございませんし、体裁も取り繕えます。

 同じ床に就くのはガストン様は落ち着かないかも知れませんが、私に触れずに済むだけまし、とお思いください。

 わたくしも、それであれば嫌悪とまではいきませんし、心の折り合いもつけられます」

「お、おう……わかった」


 イレーネの提案に、あからさまにほっとした顔をするガストン。

 それはそれで、微妙に面白くはないのだが。

 かと言ってここで蒸し返しても仕方が無いし、きっといいことではないのだろう。

 双方の言い分を考えれば、恐らくここが妥協点とすべきところ。

 口にしてしまえば、その妥協点も崩れてしまうだろうから。


 そうやってイレーネが心を落ち着かせている間に、ガストンも覚悟を決めたのかベッドへと歩み寄ってきた。

 男であるガストンの方が覚悟を決めるというのも、妙な話かも知れないが。


「お、俺はこっちの隅っこでいいから」

「まあ……よろしいですけれども」


 広いベッドの端は壁にくっつけられており、ガストンはその壁側へと身体を潜り込ませた。

 そして、身体を丸めるようにしながら背中をイレーネへと向ける。

 

「あの……窮屈ではございませんの?」

「だ、大丈夫だ、もっと狭いとこで寝てることが多いし、こっちのが落ち着く」

「……左様でございますか」


 きっとそれは、戦場のことなのだろう。

 大きな身体を縮こまらせて眠ることが当たり前な、ガストンの生きてきた世界。

 イレーネの常識が通じないそこで、彼がどんな暮らしをしてきたのか、彼女は知らない。想像もつかない。

 ただ、ガストンが『傷つける』ことにやけに敏感で繊細なのは、そこでの暮らしから来ているような気がした。


 であれば、もっと彼のことを知らなければいけない。

 知らないうちから彼を断じることは、公正でないように思うから。


「じゃあ、おやすみ」


 背中を向けたまま言うガストン。

 今日はもう、これ以上彼が語ることはないのだろう。

 だからイレーネは、今日は一先ず眠ることにした。


「はい、おやすみなさいませ」


 そう返事をして、イレーネが反対側へ潜り込もうとすれば、ふと覚える違和感。

 息苦しさが、幾分ましになっている。少しばかり解放感を覚える、というか。

 いや、考えて見れば部屋の入り口にガストンが立っていたのだから圧迫感があって当たり前だと程なくして気がつき、イレーネはそんなこともわからなかった自分に苦笑する。

 

 けれど、今度はすぐに気付く。

 自分がそれだけ視野が狭く、思考が頑なになっていたことに。

 

「……自分で自分の状態がわからなくなっていた、ということかしら」


 ぽつり、つぶやく。

 これではまるで、ガストンの方が自分のことをよくわかっていたようではないか。

 受け入れられない考えだが、イレーネに否定する材料はない。

 

 一つだけ言えるのは……ガストンの言う通り、今日は何もしないのが正解だったのだろう、ということ。

 負けを認めるかのように、イレーネは小さく溜息を吐いた。


 そして顔を上げれば、目に入る入り口の扉。

 先程までガストンがいたそこに、今は遮るものが何もない。

 逃げようと思えば、逃げられる。


「気を遣われたのかしら」


 だとすれば、随分とわかりにくいものだ。

 それが、ガストンという男なのかも知れない。そうではなくてたまたまなのかも知れない。

 どちらか、今はまだわからない。

 明日にはわかるだろうか。それとももっと先だろうか。

 

「……おやすみなさいませ」


 だから、明日を迎えるためにイレーネはベッドへと入り、目を閉じた。




 イレーネが床に就いた気配に、ガストンは小さく息を吐き出す。

 逃げられるようにはしたけれど、逃げて欲しくない気持ちもあった。

 だから、こうして同じ床に就くことが出来たこと自体は、嬉しいと思う。

 こうして一つ所で眠ることは、彼にとっては仲間、身内であることを意味するものだから。

 だから、それ自体には安堵して。

 別の理由で、落ち着かなくなっていた。


 辺境伯軍には女騎士や兵士もいたから、女性も一緒に雑魚寝をした経験がないわけではない。

 だから大丈夫だと思っていたが、甘かった。甘すぎた。

 というか、甘い。匂いが。

 広いベッドの端と端で離れてはいても所詮布団は一つ、中で空気を共有してしまう。

 となればイレーネの方からも空気が漂ってくるわけだが、それが明らかに違う。

 自分が纏っているそれと、まるで違う。

 それどころか、女兵士はもちろんのこと、女騎士のそれとも違っている。


 考えてみれば、そもそも雑魚寝の経験はあっても同じ布団に潜り込んだことはなかった。

 距離は雑魚寝と大して変わらないのに、こうも違うものか。

 息を吸い込めば甘い匂いで頭の芯が痺れそうになり、慌てて吐き出しても顔に熱が集まってくる。

 心臓がバクバクして、普段なら寝ている時間なのに全く眠気がやってこない。


「ど、どうすりゃいいんだ、これ……」


 イレーネを起こさないように、小さな小さな声でぼやく。

 もちろんそれに答えてくれる人はいないし、答えられても困る。

 寝ているイレーネが起きてしまう、ということだから。


 ……そう、寝ている。

 ガストンの思考がぐるぐると迷走している間に、イレーネは寝てしまっていた。

 何故わかるかと言えば、規則的な寝息が聞こえてくるから。

 それに気付いてしまえば、今度はそちらに意識が持って行かれてしまう。

 

 すー……すー……と聞こえてくる微かな寝息は、今まで聞いた誰のものより静かで微かなもの。

 微かであるはずのにやけに鮮明に聞こえて、全身を耳にして聞き入ってしまう。


 ただの呼吸音だ、こんなの何てことの無いものだ。

 そう自分に言い聞かせるも、それが欺瞞でしかないことは彼自身がよくわかっている。

 違うのだ。明らかに、ただの呼吸音ではないのだ。

 彼の中の何かを刺激し、熱を生んで気を昂ぶらせてしまうもの。

 

 これでせめて何故そうなるのかがわかれば対処のしようもあるが、ガストンには全くわからない。


「ど、どうすりゃいいんだ、ほんと……」

 

 また、ぼやく。

 いや、これから何度もぼやくことになる。

 ガストンの長い夜は、まだまだ終わらない。

 

 結局彼は、一睡も出来ずに朝を迎える羽目になった。

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