すれ違い、初夜
※本日二回目の更新となります、読み飛ばしにお気を付けください。
「うう、ついにきちまった……ああもう、ほんと、肉と酒で良かったのに……」
ぶつぶつと言いながら、湯上がりのガストンは夜着に袖を通す。
結婚式のために無精髭を剃り、使用人が髪を洗って整えた今の彼は、まだ威圧感は残るものの結婚式で見せた偉丈夫っぷりが残っていた。
これなら部屋の中に二人だけでもそこまで威圧感は与えないだろうか、と思いながら彼は寝室へと入る。
そこには、床を見つめるように顔を俯かせるイレーネがベッドに腰を下ろして待っていた。
マーサが言ったように、結婚当日の夜であるからにはつまり、初夜なのである。
そういった方面にはとんと疎いガストンだが、閨教育自体は一応受けている。
あまり興味が無かったため、かなりあやふやになってしまっているが。
そんな彼だ、緊張と混乱で、いっそここから逃げ出したいとすら思っている。
思ってはいるのだが。
もっと逃げ出したいと思っているであろうイレーネがこうして大人しく待っていたのだ、まさか彼が逃げるわけにはいかない。
意を決して部屋の中に足を一歩踏み入れれば、ぴくっとイレーネの肩が震えて。
……ただそれだけのことで、ガストンの足が止まる。
沈黙が寝室を支配すること、しばし。
一歩入ってきただけでそれ以上動かなくなってしまったガストンを訝しんだか、イレーネの目が少しばかり動き、横目でガストンの様子を窺う。
その先にいるのは、困ったような顔のまま硬直している大男。
果たしてどんな顔でやってくるのだろうかとあれこれ考え、身構えていたのだが、そのどれとも違っていて。
イレーネもまた、軽く目を瞠って動きが止まる。
硬直して視線を交わすこと、どれくらいか。
先に視線を逸らしたのは、ガストンだった。
「や、やっぱ、いいや……俺は、肉と酒の方が……」
この状況でかなり意味不明なことを言いながら、のそりとした動きでイレーネへと背を向ける。
広い肩を落としながら、寝室を出ようと一歩足を踏み出して。
「お、お待ちください!」
そこに、イレーネの声が上がった。
まさか呼び止められるとは思いもしなかったガストンは、びっくりした顔で振り返る。
「え、ま、待てって、なんで」
「なんでも何も、初夜に一人残され、わたくしにどうしろとおっしゃるのですか!」
「ど、どうしろも何も、そのまま一人で寝てくれたら……ほら、そのベッド広いから、ゆっくり……」
その儚げな外見からは想像も出来ない鋭い声で詰問され、ガストンとしては気を遣った答えを返したつもりだったのだが……返ってきたのは、きっと睨み付けてくる瞳だった。
「一人でなど、やはりわたくしを侮辱なさるおつもりですか!」
「ぶ、侮辱!? お、俺はそんなつもりはこれっぽっちも……」
と返事を仕掛けたところで、ガストンが言葉に詰まる。
困惑している彼の目の前で、イレーネがボロボロと涙をこぼし始めたからだ。
「あなた様にそのおつもりがなくとも、これは立派な侮辱でございます!
敗戦国の王女として人身御供にされ、下賜された先は成り立ての子爵というだけでも屈辱的ですのに、挙げ句肉や酒以下だと言われれば、これ以上の侮辱もございませんでしょう!?」
「うえええ!?」
斬りつけるようなイレーネの言葉に、ガストンはうろたえた声を上げる。
戦場では敵無しの彼が、一人の年若い、それも折れそうな程に細い女性に気圧されているのだ、混乱もしようというもの。
目を幾度かパチクリとさせたガストンへと、イレーネの追撃は続く。
「思えば結婚式の前もそうでした、花嫁衣裳のわたくしを一目見て、『だめだこれは』など貶めるような発言!」
「うえええ!? ち、ちがっ、あれはっ!」
「式場に入った時は少しばかり見直しました、心持ちを立て直し、役割を全うされる覚悟を固められたのかと。
だというのに、誓いの口づけをしないとはどういう了見ですか、誓いの言葉は嘘で、わたくしなど妻でもなんでもないという宣言ですか!」
「そ、それはっ、ち、ちがわ、なくもない、か……?」
責め立てられ、言い訳の苦手なガストンは、思わず同意してしまう。
もちろんそれはイレーネが思っているような意味ではないのだが、言葉で言い表すならばそういうことだ。
ただひたすらに、この男は言葉が足りない。
当然、そんなことを言われたイレーネは柳眉を逆立てまなじりを吊り上げる。
「やはりそうでしたか!
そのくせパーティでは紳士的にリードなさるから、わたくしとしたことが勘違いするところでした!」
「うえええええ!?」
まさかの文句に、ガストンも悲鳴を上げてしまう。
彼としてはおっかなびっくりな扱いのつもりだったのだが、イレーネからすれば気遣った紳士的なものに見えていたのだ。
その上、気遣ったのに文句を言われているというこの理不尽さに、ガストンの脳はオーバーフローを起こしかけていた。
彼の言葉の足りなさゆえの事態なので、理不尽とも言い難いのだが。
「そうやって感情を持ち上げられ揺さぶられ、どうなることかと思っていれば一人で寝ろなど!
ここまで弄ばれて、これを侮辱と言わずになんと言いましょう!」
「ま、まってくれ! だ、だってあなたも、嫌だろう? ち、違うのか?」
「もちろん嫌ですとも! それはもう、身の毛がよだつほどに!」
「うええええ!?」
もしかして、とほんのわずかな期待と共に投げた問いはスコンと打ち返され、またも悲鳴のような声をあげる羽目になる。
何がどうすればそんな答えになるのか、ガストンにはさっぱりわからない。
そして、伝わっていないことが丸わかりであるため、イレーネは更に言葉を重ねる。
「嫌ですが、わたくしの感情とこれは、別の話でございます。
わたくしとて王家の者、望まぬ婚姻もその先にある行為もありえるものと覚悟してまいりました。
これは王族の義務であり、同時にそれでこそ王族であるという矜持でもあるのです。
ですから、それを踏みにじられるのは、これ以上ない侮辱なのでございます!」
「ま、待って、待ってくれ、ちょっと待ってくれ」
一言一言噛みしめるように紡がれた言葉は、どうやらイレーネの本心からのもの。
それが伝わったガストンは、今度は言われたことを整理しなおしていく。
頭を抱えながらうんうんと唸ることしばらく。
ようやっと顔を上げたガストンは、おずおずと問いかける。
「つ、つまり、されるのも嫌だけどされないのも嫌、される方がまだまし、ということ、か?」
「まだまし、と言うよりは、ずっとまし、でございます」
「うえええ……」
きっぱりと否定され、ガストンはまた頭を抱えた。
どうにも理解出来ないが、彼女は本気だ。それはわかる。
だが、どうすべきかがわからない。
「何を悩んでおられるのです、殿方は痛みなどないのですから、さっさと済ませてしまえばよいではないですか」
「だ、だめだ、それは、だめだ」
イレーネが促せば、急にガストンは全力で拒絶するかのようにブンブンと首を横に振った。
いきなりの変化にイレーネが驚いて言葉を失えば、しばしの沈黙が落ちて。
今度はイレーネが、不思議そうな面持ちでガストンへと問いを向けた。
「何故です、何故そこまで激しく拒絶なさるのです」
「だ、だって、だめだ。俺が触ったら、あなたが壊れる」
思わぬ答えに、ドキリとイレーネの胸が嫌な音を立てる。
何をそんな大げさな、と言い返してしまいたいのに、言葉が出ない。
自身でも気づいていなかった何かを言い当てられたような感覚に、心がぐらりと揺れたような気がした。
「……それは、身体に負担だとは聞いておりますが、しかし」
「ち、違う、身体もだけど、それだけじゃない。あなたの、心が、壊れる」
イレーネの身体がぴくりと震える。
数秒、呼吸さえ止まって。それから、ゆっくりと息を吐き出した。
「何を、馬鹿なことを……心が壊れるだなんて、そのようなことは」
「わかる、わかるんだ、俺は。戦場で壊れてく奴は、今のあなたみたいな顔をしてた。
身体は壊れても治せる、こともある。でも、心はだめだ。心は、治らない……治るとしても、時間が、めちゃくちゃかかる。
だから、だめだ」
珍しく言葉数多く語るガストンの声は、戦場を見てきた人間だからこその重さに満ちていて。
弁の立つイレーネであっても口を挟むことも反論することも出来ない。
そして思う。自分はそんなに張り詰めていたのだろうか、と。
沈黙するイレーネを前に、ガストンの語りは続く。
「俺が、肉と酒の方がって言ったのは、そっちの方がお似合いだ、ってことで。
あなたみたいな綺麗な人の隣なんて、もったいなくて、落ち着かなくて……。
ど、どうしたらいいのかな」
「ど、どう、と言われましても……」
イレーネよりも遙かに大柄なガストンだというのに、その姿はどうにも弱々しく。
急に綺麗などと言われた問われたイレーネも、動揺した影響で妙案などすぐ出るわけもなく……途方に暮れたような声を出すしか無かった。
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