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春が来て、晴れの日

 その日は、抜けるような青空だった。


 冬が終わり春を迎えたある日、ガストンが治めるトルナーダ子爵領の領都にあたる街は、沸き立つような盛り上がり。

 領都、というにはまだまだ規模の小さい街だけれど、賑わいだけで言えば、その日はどんな都にも負けていなかったかも知れない。

 街のあちこちには花が飾られ、色とりどりの飾り布が風にはためく様は、実に色鮮やか。

 今日の良き日に、目でも楽しんでもらおうと街の人々が言い出したのだという。

 なるほど、じっくりと見れば花は思い思いに飾られているだけで統一感やデザインセンスのようなものは感じられない。

 はためく布も、中には少しほつれていたり色あせているものもなくはない。


 けれど、それがまったく気にならない。

 ああだこうだと言い合いながら楽しそうに飾り付けをする街の人々を見れば、そんなのは些細なことと思わずにはいられない。

 それにここは辺境伯領が近い田舎の街、斜に構えて野暮を言ったところで実りもなく、酒が不味くなるばかり。

 何より、これを逃せば二度とお目にかかれない祝い事とあって、街の住人も行き合わせた商人達も皆浮かれた空気に乗っかっていく。


 そう、今日は領主であるガストンとその奥方であるイレーネの結婚式。

 もちろん正式なものはとっくに終わっているのだが、彼ら二人は、改めてこの街で……彼らの街で式を挙げ直したいと希望したのだ。

 それを聞いた街の住人達の喜びようといったらなかった。


 何しろ不世出の英雄と、隣国から来た美しき賢姫。

 何よりも、おらが街の領主様と奥方様。

 そのお二人が、この街の皆の前で改めて末永く添い遂げ合うことを誓いたいというのだ、嬉しく、誇らしくて仕方がない。

 

 だから、皆が皆、出来る限りで用意した。

 布を織れる者は生地を。

 流石にドレス本体は仕立て屋任せだが、縫える者はドレスに付属する小物周りを。

 生地を届け、小物周りの出来の確認をしてもらい、と馬を走らせる者もいて。


 他にも鍛冶屋は槌を振るって、領主様の腰を飾る儀礼剣を。

 肉屋はこの日の為に最高の豚肉を。

 老いた者は昔取った杵柄で細工物を。

 器用でない者は教会の掃除だなんだ、雑用を。

 幼き者は野山で花を摘んで。


 思い思いに携わり、一つ一つ形が出来ていく。

 この街でしか出来ない、他で見ることの出来ない、二人のためだけの祝いの形が。

 それも、誰もが笑顔の中で。


 そんな光景は、教会の廊下からも見えて。


「もしかして俺達って、滅茶苦茶幸せ者じゃないか?」


 儀礼用の騎士服に身を包んだガストンが、しみじみとした口調で呟く。

 もちろんこの騎士服も今日のためにあちこち手が入っており、着慣れた様子でありながらパリッとした印象もあり、式で着るにふさわしい装い。

 その巨体、盛り上がるような筋肉と合わされば威圧感もひとしお……のはずなのだが、彼の人柄故か、祭りのような周囲の雰囲気のおかげか、頼りがいへと転じている。

 

 そして、彼の隣に立つのは、もちろんイレーネだ。


「そう、ですね……こんなにも祝ってもらえるだなんて。……国元を離れた時には、想像もしませんでした」


 答える声は、いつもより少しばかり固い。

 白銀の髪を結い上げ、化粧を施した顔は理知的で怜悧な印象が強まり、普段よりもその美貌が冷たいようにも感じられる。

 目元にも、やや力が入っているだろうか。

 

 何故ならば、そうしていないと今にも涙が零れてしまいそうだから。

 敗戦国から人質同然に、遙かに格下である新興の子爵へと輿入れさせられるという極めて屈辱的な待遇でこの国にやってきた、はずだった。

 だが蓋を開けてみれば、故国よりも余程過ごしやすく暖かな日々が待っていた。

 己の知識を活用して提案をしても否定されず、アイディアが形になっていく喜び。

 不器用ながらも心を通わせることが出来た伴侶。

 そして、まだ半年も経たないというのに、こうも慕ってくれる領民達。

 

「こんなに幸せな人間は、きっとどこを探してもいませんよ」


 実感を言葉に込めて、心からの笑顔と共にガストンを見上げた。

 間近で直撃を受けたガストンは、ぼっと顔を赤くして思わず背けてしまう。

 何しろ、今日のイレーネは美しい。


 着ているドレスの生地は領民達のお手製だ、真っ白に漂白も出来ず、最高級品からはほど遠い。

 仕立て屋こそ一流どころに頼めたが、急ぎの仕事になってしまい、もちろんその中で最善は尽くしてくれたが、仕立て屋本人としては不完全燃焼だと悔しがっていたのだとか。

 手にしたブーケの花束だって、専門職が育てたものではないから、不揃いもいいところ。


 だというのに、それらを身に付け、あるいは手にしたイレーネは、これ以上なく美しく見えた。


「……ドレス、似合ってる。真っ白じゃないのに、凄くいい」

「あら、ありがとうございます。……もしかしたら、この街の色に染まっているから、かも知れませんね?」


 おどけるような口調、悪戯な笑み。それを見たガストンは言葉もなく立ち尽くす。


 この街の人々が総出で拵えた花嫁衣装に身を包むイレーネは、本当に美しい。

 それはきっと、思いが込められているから。

 そして、イレーネがその思いを受け止めているからだろう。


「……多分、俺の方が幸せだ。こんなに綺麗な嫁さんをもらえるんだから」

「はい? い、いきなり何を?」


 そんなイレーネを見ていたら、ぽろっとガストンの口からそんな言葉が零れた。

 まさかそんなことを言われるとは思っていなかったイレーネは面食らい、慌てたような声を出してしまったのだが。

 そしてガストンも、かなり恥ずかしいことを言ってしまったと気付いたのだが。


「何って、聞いた通りだ。今日のイレーネは、特別綺麗だ。世界一だ、きっと。

 だから、俺は世界一の幸せ者だと思う!」

「ガ、ガストン様!?」


 勢いよくガストンが言い切れば、ついにイレーネは悲鳴のような声を上げてしまった。


 正直に言えば、誤魔化してしまおうかともガストンは思った。

 だが、それではいけないという声が胸の奥から湧き上がってきた。

 以前の結婚式でやらかした愚を繰り返すのか。

 己が恥ずかしいからと、心にもないことをイレーネに言ってしまっていいのか。

 

 何よりも。

 好機にためらい攻め手を緩めるは愚の骨頂である。

 かつて寝床で二人話した、ニンバハルの兵法書に書かれた一節が背中を押した。

 この機を逃してはならない。絶対にだ。


「イレーネは、こんな学のない俺にも呆れないで色々教えてくれる、賢くて優しい最高の女性だ。

 辛い立場だろうに、周囲のことを、この街のことを考えてあれこれ提案してくれる素晴らしい人だ。

 何より、こんな俺に寄り添ってくれる、世界に二人と居ない人だ。

 俺は、そんなイレーネを愛してる!」


 勢いのままに、思いの丈を、飾ることなくストレートに。

 強烈な愛の告白は、過たずイレーネの胸を撃ち抜いた。

 

 そこまでは、ガストンの思ったとおりだった。


 だが、一つ違ったのは……ここまで言われて黙っているような女性ではなかったのだ、イレーネは。


「それを言うのでしたら! 隣国から押しつけられた可愛げのない女を受け入れてくださったガストン様こそお優しいではありませんか!

 そんな女が賢しげに語る案を嗤うことなく聞き入れ、検討し、実現のため厭うことなくあちこちへと走り回ってくださる懐の深い方。

 誰よりも強いからこそ、誰かを傷つける怖さを知っている、人の痛みを見過ごせない方。

 時に暴走することもあるわたくしを抱き留めてくれる、暖かい方。

 わたくしは、そんなガストン様を愛しております!」

「うえええええ!?」


 強烈なカウンターに、ガストンは仰け反ってしまう。

 あの夜から、イレーネがガストンを夫として受け入れてくれたことは理解していた。

 だが、まさかここまで強烈に想われているとは思ってもみなかった。


 どうしよう。

 ガストンの脳内を締めるのは、ただその一言。

 身体の奥底から様々な感情が溢れ出してきて、どうしたらいいのかわからない。

 叫べばいいのか、笑えばいいのか、踊ればいいのか。

 何か、何か言わなければ、と口を開きかけたのだが。


「はいは~い、お二人さん、そういうことはこんなとこじゃなくて、祭壇の前でやってくれませんかね?」


 礼服に身を包んだファビアンが言えば、その隣で顔を真っ赤にして目を潤ませたマリーがこくこくと頷いている。

 この二人は、ガストンとイレーネの付き添いとして一緒に来ていた。

 つまり、先程の小っ恥ずかしいやり取りの一部始終を見られていた。

 そう理解した瞬間、茹で上がったかのごとくガストンとイレーネの顔が真っ赤に染められてしまう。


「なんかもう、段取り全部無視してさっきのやり取りをもう一回やった方が良くないですか?

 通り一辺倒のよりよっぽど気持ちが籠もってるし、多分参列する人達も喜びますよ?」

「そ、そんなこと出来るかぁぁぁぁ!!」


 ナイスアイディア、と言わんばかりの顔で言うファビアンへと、ガストンが叫ぶように言い返す。

 今までならば、それで終わりだったはずだけれど。


「さ、さっきのイレーネの言葉は、俺だけのもんだ! ファビアン達に聞かれたのは仕方ないけど、他の人には聞かせられない!」

「ガ、ガストン様……」


 真っ赤な顔でいうガストンへと、イレーネが潤んだ瞳を向けた。

 その顔は、言うまでもなく恋する乙女の瞳そのもので。

 さらに。


「わ、わたくしもです……先程のガストン様のお言葉は、わたくしだけのものにしたいと……」

「イ、イレーネ……」


 そんなことまで言い出すのだ、初心なガストンにはたまらない。


 そして、別の意味でファビアンなどはたまらない。


「ああもう、やってらんないなぁ、お熱すぎて!

 ほらほら、だから続きは祭壇前でって! もう時間なんだから!」


 そう言いながら、見つめ合っていた二人をせき立てていく。


 押されるようにしてやってきた祭壇のある広間は、人々の笑顔で溢れていた。

 父であるトルナーダ辺境伯や夫人、兄達、辺境伯軍の主立った面々。

 ……ひっそりお忍びで国王がいるのは気にしない方向で。


 新入りの司祭アーロンが婚姻の儀を恙なく取り仕切り、最後に二人へと問いかける。


「我らが創造神アーダインに、永遠の愛を誓いますか?」


 かつて形式的に問われ、形式的に答えた問い。

 それに対して、今こそ心から返す。


「誓います」

「誓います」


 ただそれだけのことで、身体の奥から湧き上がってくる歓喜。

 神の前で、偽りなく愛を誓うことのなんと喜ばしいことか。

 そして、その喜びを満面に浮かべたイレーネのなんと美しいことか。

 ガストンの、なんと愛おしいことか。

 

 だから二人は、引かれ合うように顔を寄せ合い。


「それでは、誓いの口づけを」


 促されるまでもなく、どちらかともなく、今度こそ本当に唇を重ねた。

 途端、巻き起こる割れんばかりの拍手と教会の壁を震わすような歓声。

 流石辺境伯軍の精鋭達、鍛えられた腹筋から放たれる歓声は十人前である。


 そんな空気に、二人は思わず笑ってしまい。

 それから、顔と姿勢を改めて、参列者達へと頭を下げる。


 顔を上げれば、祝福の拍手の中外へと向かって歩いて。

 開け放たれた扉から外へと出れば、街中の人間が集まっているのではないかという大観衆。

 

「領主様かっけー!」

「奥方様きれー!」


 老いも若きも幼きも。

 皆が口々に、ただ一つ、ガストンとイレーネへと祝いの言葉を向けてくる。

 だから二人は、観衆たちへと晴れやかな笑顔を見せながら手を振って。


「ひゃ~~!!」

「きゃ~~!!」

 

 おませな少年少女たちの黄色い声が響く。

 

 そう、二人は、街の住民達の前で、幸せなキスをした。

 もちろん、観衆は弾けるように大歓声を上げ。

 二人を祝福する声と拍手は、いつまでもいつまでの続いたのだった。

※これにて、1章完結となります。ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!

 もちろんこれで終わりというわけではなく、更なる街の発展、イレーネの故国へのざまぁなどを予定しておりますが……書籍化へ向けた作業などもあり、しばらくお休みをいただければと思います。

 8月中に再開できたらとは思っておりますが、状況によってはもう少しかかるやも……?

 ともあれ、しばしお待ちいただければ幸いでございます。

 

 また、ここまでお読みいただいて、もし面白い、良かった!と思っていただけるのでしたら、下の方で「いいね」やポイント評価を入れていただけると幸いでございます。

 

 それでは改めまして、ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!

 引き続きまたお楽しみいただければ幸いです!

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― 新着の感想 ―
[良い点] とても温かみのある結婚式で素敵だったと思います。 次章以降ではイレーネと辺境伯夫人とのお茶会などを挟んでもらえたらと思います。
[良い点] 末長く爆発しろ [一言] 書籍化楽しみにしてます もちろん2章も期待しております
[良い点] おめでとう2人とも!最高の式だね!
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