舞台の裏側
それから数日後の王都、その中心にある王城の小さな一室にて。
「どうやらガストンとイレーネ王女は上手くいきそうじゃのぉ」
子爵領を……というよりはイレーネを監視していた人間からの報告に、シュタインフェルト国王は上機嫌に髭を撫でた。
その向かいで、ガストンの父であるトルナーダ辺境伯も同じく満足そうな顔で頷いている。
「ええ、最初はどうなることかと思いましたが、ようやっと色々上手く収まったようで……ほっといたしました」
人前では見せない、父親としての顔で辺境伯が言えば、国王も珍しく近所のおじちゃんかのような砕けた表情で笑みを浮かべた。
今ここにいるのは、国王と辺境伯、後は口の堅い護衛が数人ばかり。
本音を見せてもいい人間しかいないからこそ二人はこんな顔をしているし、あまり聞かれたくない話も出来る。
「これで、イレーネ王女を助け出せたと言ってよろしいのではないでしょうか」
「うむ、何とか、じゃがのぉ」
辺境伯がしみじみと言えば、国王もうんうんと幾度か頷いて見せる。
普段であれば決して口にすることのない、甘いとも言えるようなことを。
そう、ガストンとイレーネ、二人を結びつけた強引で無理矢理な婚姻には、更に裏があった。
隣国、レーベンバルト王国との戦争に際し、国王は敵方の事情を徹底的に調べさせていた中で、優秀なイレーネ王女が、その優秀さ故に王太子から疎まれていることを知った。
そこで戦争に勝利した後イレーネ王女を要求、渡りに船とばかりに彼女の放出はあっさりと受け入れられ、むしろ喜ばれたくらいである。
愚かしいことに。
「ほんにあちらは愚かなことをしたもんじゃ。
イレーネ王女の作成した計画書をわしも見たが、こんなもんをこの短期間で纏めてくる二十歳前の娘なぞ、どこを探してもおらんわ」
「いや全くでございます。陛下や私の考えていたことはお見通しとばかり。その上いくつか考えていなかった案まで乗せてきて……才媛という言葉でもとても足りませぬ」
「これも現地に赴いたからこそ出てきた案、ということなのじゃろうが……そもそも辺鄙な領地にひるむことなく同行した上、あちこち調査に出歩くという気概が並大抵ではないのぉ」
「しかも、人に言われてではなく自分から言い出したようですからな。……彼女自身も、色々思うところはあったのかも知れませぬが」
イレーネの作成した街道整備事業の計画書は、この二人の目から見ても出色の出来だった。
もちろん細かなところで修正が必要な部分はあったものの、大筋は文句の付け所がなく、むしろ学ぶところすらあるほど。
この古狸二人が、である。
それがどれだけのことか、ここに居ない重鎮の貴族が聞けば背筋を震わせることだろう。
「また、ガストンもイレーネ王女のおかげで一皮剥けたようじゃの?」
「ええ、少しは考えて物を言うようにはなりましたし、何よりも持て余していた力の振るいどころを見つけられたようで。
戦場とは違う顔を見せておるようですし、随分と充実した日々を送っておるようです」
やはり父親の顔で、辺境伯がしみじみと言う。
生まれ育った家が家だ、そういう育ち方をしてしまうのは仕方がない。
辺境伯自身もそういう育ちだし、そのことに悔いも恨みもありはしない。
ただ、我が子に、それもガストンのような性根の息子に、同じ道を歩ませていることへ思うところがないわけでもないのだ。
「あやつが木を切り倒すためだけに斧を振るうことが出来る時代になれば、とも思うが、そのためには結局あやつの力を借りねばならんからなぁ」
「左様でございますなぁ……もっともそのための足がかりは、恐らく一番良い形で手に入りましたが」
「うむ、これで……レーベンバルトを攻めるとなった時も、イレーネ王女はさほど抵抗感なく協力してくれることじゃろうよ」
先だっての戦争において、シュタインフェルトは確かに様々な情報を手に入れている。
だが、それでも十分とは言えず、深く攻め入るには二の足を踏む。
そこにもし、王城のことを良く知る、色々な意味で内情に詳しい人間を引き込むことが出来れば。
その相手として白羽の矢が立てられたのが、イレーネだったわけである。
何しろ女の身でありながら内政にもある程度参加しており、様々な知識を持つ才媛と呼ぶに値する王女。
その優秀さ故に王太子から疎まれ、功績は王太子や父である国王のものとされ、と不遇な扱い。
この時代、親子であっても血を流し合うことなど当たり前に聞く話。
であれば、イレーネが内心で国に対して含むものを抱えていてもおかしくはないし、実際どうもそういう気配はあった。
そんなことに微塵も気付いていなかったレーベンバルト王国の王太子は、停戦条件がましになる上に疎ましい妹を放り出すことが出来るとあって、迷うことなくイレーネを差し出した。それが意味することも考えずに。
こうして、優秀な王女を助け出すという人道的行為と、隣国の情報をよく知る王家の人間を引き抜くという政略的行為を同時に成功させてしまったのだ、シュタインフェルト国王は。
「いやはや、本当に素晴らしいお手並みでございますが……よくこんな手を思いつかれましたな」
「ははっ、国王なんてもんはな、悪人なだけでも善人なだけでも務まらんものじゃよ。
双方の面を上手くバランスを取りながら使わねば、な。
ま、今回はガストンの善人ぶりに大分助けられはしたがのぉ」
感心しきりという顔で辺境伯が言えば、にんまり、満足げな顔で国王は笑う。
清濁併せ呑み、使い分ける彼だからこそ、ガストンの裏表のない顔は好ましい。
彼が染まらないよう手を打つくらいならば、いくらでもやろうというものだ。
「さて、子爵領はこれから忙しくなるじゃろうが、その合間にでもイレーネ王女から色々話を聞き出していかねばのぉ」
「それならば、私や妻が時折遊びに行くようにいたしましょう。幸い、彼女から嫌われてはおらぬようですし、義理の父母との交流となれば拒むこともないでしょう」
国王の言葉に、辺境伯も先程までとは違った笑みでもって応える。
ちなみに、辺境伯夫人はかつて腕利きの女騎士として活躍し、それなりに年齢を重ねた今でも一人で馬に乗ってあちこち出歩くことがある女傑だ。あの息子にしてこの母ありである。
そして、懐が広く気持ちの良い女性でもあるので、恐らくイレーネとも話があうだろう。
すなわち、様々な話を聞き出してくれることだろう、ということでもある。
戦争の終わりは次なる戦争の準備の始まりでしかない。
この乱世では当たり前のこと。
レーベンバルト王国は、やっと戦争が終わった、などと思っているかも知れないが、シュタインフェルト王国は違う。
これが後々に両国の明暗を分けることになるのだが……少なくともレーベンバルト王国側はそのことに無自覚なようだ。
「理想は、ぱくりといったところで気付く、じゃな」
「現状を見るに、出来てしまいそうなのがまた、なんともはや……楽が出来た方が、もちろんいいのですが」
そんな二人の悪だくみは、夜遅くまで続いたという。
そして、トルナーダ辺境伯が王城を辞して、その帰り道。
「おう、迎えにきておったか」
「そりゃまあ、旦那様から報酬をいただかないといけないですからねぇ」
夜でも交代で立っている門番以外は寝静まっているような時間、王城の裏門から出てきたトルナーダ辺境伯を迎えたのは……王都に用事があると言っていたファビアンだった。
門番のために焚かれている篝火に照らされた彼の顔は、普段ガストン達に見せるそれよりも太々しいもの。
そんな、大貴族の当主へと向けるにはどうかという顔を向けられているというのに、辺境伯も気にした様子はない。
「確かに、今回の報告は陛下も特にお気に召してくださったようじゃし、弾んでやらんとなぁ」
などと言いながら、うむうむと頷いて見せる辺境伯。
そう、イレーネを監視していた人間とは、ファビアンだった。
「いやほんと弾んでもらわないと。あれでかんなり大変だったんですよ?
特にあの奥様付きの侍女のマリーさん、やたら勘が鋭いから、何度気付かれそうになったことか……」
「ほう、そんなにか。そういえばマーサも気取られずに近づくのが難しいと言うておったな」
王都にあるガストン達が利用していた邸宅を仕切るメイドのマーサは辺境伯軍の密偵上がりであり、彼女もまたそれとなくイレーネ達を見張っていた。彼女達が出立するころには、見守ると表現した方がいい視線になっていたが。
ガストンも頭が上がらないベテランのマーサですらとなれば、それは余程のことと言って良い。
感心している辺境伯へと、『わかってくれましたよね?』と言わんばかりの顔をファビアンが向ける。
「てことで、ちょいと報酬を弾んでいただきたく。出来る限りなる早で」
「随分とせっかちなことじゃのぉ。なんじゃ、急ぎの入り用でもあるのか?」
「まあ、ある意味急ぎって言えばそうなんですけども。大将がまた面白いことを言い出したもんでして」
軽薄なところのあるファビアンだが、その実、金に対してはさほど煩いイメージはなかったのだが。
などと思っていたところに説明されたのは、ガストンが言い出した教会建設計画だった。
「ほう……それは、確かに面白いのぉ。ガストンが考えているのとは別の意味で、じゃが」
教会が婚姻や葬儀などを取り仕切る施設であるのは言うまでもないが、期待出来る効果はそれだけではない。
例えば、路銀が尽きた旅人や重税に苦しんで逃散した貧民が逃げ込んでくる、救済施設の側面がある。
あるいは信心深い旅の商人が寄付を収めにくることもあれば、街の住人が懺悔にくることだってあるだろう。
その結果、教会には普通では得ることの出来ない情報が集まる場所という機能が期待できるのだ。
ガストンはもちろんそこまで考えていないだろうが、イレーネの頭にはあるはず。
そして恐らく、彼女であれば、それらの情報を正しく扱うことが出来るだろう。
「となると、報酬として望むのは、司祭か?」
「ご名答。もちろん、建設費用も出していただけるんなら嬉しいですけども。
心当たりが一人いるんで、旦那様からもお口添えいただけたらってのと、辺境伯領にいる司祭のツテを使わせてもらえたらなと」
「やれやれ、金よりもコネとツテとは、物の価値がわかっとる奴の相手は面倒じゃわい。ま、それくらいでいいのならばお安いご用じゃよ」
この国有数の貴族であるトルナーダ辺境伯の口添えがあって、首を縦に振らない司祭など、そうは居るまい。
万が一何某かどうしようもない理由で断られたとしても、彼の口利きで司祭のツテを使えば、そう遠からず赴任してくれる司祭を見つけることが出来るだろう。
辺境伯の協力が得られた時点で、司祭が見つかるのは決まったようなものだ。
「しかし、結婚式のやり直しとは……あのガストンがそんなことを考えるようになるとはなぁ……」
しみじみと、父親の顔で辺境伯は呟く。
結婚という大きなイベントを迎えて、彼の息子はどうやら大きく成長したようだ。
そのことがどうにも嬉しくて仕方がない。
「もちろん、わしや妻も参加するからな?」
「ええ、大将も喜びますよ」
裏のない笑顔を見せた辺境伯へと、ファビアンもまた、含むところのない笑顔を返したのだった。




