肉祭り:後編
「うっわ、でっけぇ! 領主様領主様、これ被ってもいい!?」
「まてまて、今はだめだ、洗ったばっかだから臭いが付いちまうぞ?
ちゃんと乾かしてからだったら被っていいから、今日は我慢だ、な?」
「そっかぁ、わかった! へへっ、楽しみだなぁ!」
ガストンや肉屋の手によって解体されたスピアボア。
その毛皮に街の子供達が群がり、ガストンが愛想良く応対している。
言うまでもなく、子爵様であり領主様であるガストンに対して、平民の子供が気安く声を掛けるなど本来は許されない。
だが、この街ではガストンが法であり、そのガストンが快く許しているのだから、誰も何も言わない。
イレーネでさえも。
むしろ、微笑ましく見守っているくらいだ。
「ねぇねぇ領主様、こいつどうやって倒したの?」
「そうだなぁ、こう、どかーんと吹っ飛ばしてな、すぱーんって首飛ばしてな?」
「うっそだぁ! こんなデカイのがそんなに飛ぶもんか!」
「ばっか、お前見てないのかよ? さっき領主様、ひょいってこいつ担いで来てたんだぞ?
そこにもほいって置いてたし!」
「み、見てねぇけど! けどさ、そんなの信じられるかよ!」
純粋素直な子供達の中に、一人ちょっとだけ捻くれた子がいたらしい。
とはいえ子供の出まかせ、すぐに答えに詰まってしまい、涙ぐんでしまうのだが。
「よぉしわかった! んじゃ、ほれ、こっちこい!」
朗らかに言えば、ガストンは涙ぐんだ子供を片手でひょいっとつまみ上げた。
小さな子供ではあるが、それでも既に30kgだかそこらはある。
だが、その程度の体重などガストンに取っては羽毛のよう。
軽々と持ち上げると、その肩の上に座らせた。
「どうだ、俺はこれくらい簡単なんだぞ? あんなデカイのだって軽い軽い!」
「うわっ!? す、すっげぇ! 領主様すっげぇ!」
ガストンが笑いながら言えば、捻くれたことを言っていた子供も、すぐに目をキラキラと輝かせて辺りを見回した。
まださほど身長も伸びていない年頃だ、ガストンの肩に座ればその視点は地上から2mほどの高さになる。
言うまでもなく彼が見たことのない視点になり、その広さは子供の心をくすぐって仕方が無いは当然のことだろう。
「あ~! ずるい! 領主様、俺も俺も!」
「あ、あたしも! 次あたし!」
そんな情景を見れば、他の子供達が騒ぐのも無理からぬこと。
我も我もと寄ってくる子供達に、ガストンが言うことは……わかりきっている。
「わかった! だけど、順番な! それから、小さい子が先だ!
お兄ちゃんお姉ちゃんは小さい子のために頑張るもんだ、出来るよな!」
「できらぁ!」
「はぁい!」
ガストンの問いかけに、やんちゃそうな男の子が最初に反応して。
すぐにお姉ちゃんらしき女の子が応じ、次から次へと年長らしき子供達が頷いていく。
その微笑ましい光景に、ガストンは実に嬉しそうに目を細め。
「よぉし、偉いぞ! おまえ達は立派なお兄ちゃんにお姉ちゃんだ!
我慢出来る偉い子にはサービスしてやるからな!」
「「やったぁぁ!」」
ガストンが言えば、我慢する宣言をしたお兄ちゃんお姉ちゃんであるちびっ子達が歓声を上げる。
だからと言って、弟妹にあたる小さい子達をおろそかにはしない。
その小さな身体を、そっと抱えて。
両手で、高い高いと持ち上げる。
「きゃ~~!!」
その勢い、高さは未知のもの。
そして、それが与えてくれる興奮も。
抱え上げられた小さな少女は楽しげな歓声を上げ、それを見た子供達は更に目を輝かせる。
次は自分が、とも思う。
しかし、領主様は我慢すればサービスをすると言った。
となれば、今はちゃんと我慢しよう、と皆が皆、我慢をして。
「よっし、じゃあ次の子だ! ちゃんと我慢出来た偉い子にはサービスするぞぉ!」
そう言いながら、待っていた男の子をガストンは抱え上げる。
年齢が上がっている、しかも男の子。だから、さっきよりもちょっとだけ勢いよく、高く上げても問題ない。
実は内心でそんな計算をしていたガストンは、先程の女の子よりもちょっとだけ高く、男の子を高い高いと持ち上げる。
もちろん細かいことは男の子も、周囲で見ている子供達もわからない。
しかし、何だかさっきよりも勢いが良いことだけはわかる。
そして、一層楽しそうであることも。
何度か男の子を持ち上げた後、次の女の子を。
更に次、とガストンは疲れた様子もなく次々と高い高いをしていったのだが。
「っと、そろそろ肉が焼けたみたいだな! お前らも行って、食ってこい!」
「やったぁ、肉だぁ!」
「領主様、食べた後、またいい?」
「おう、いいともさ! だから、まずはちゃんと食ってこい!」
焼ける肉の匂いが変わったことを察知したガストンが言えば、子供達がそれぞれの反応を見せる。
食欲旺盛な男の子達は一目散に肉へ。
まだ遊び足りない女の子は、ガストンへと名残惜しそうに。
どちらがいいか迷っている小さな子は、その兄姉が手を引いて『まずは食べろ』と連れて行った。
こうして、賑やかだったガストンの周囲が、ようやっと落ち着いたところで、声がかかる。
「お疲れ様でした、ガストン様」
「お? ああ、そっちもお疲れ様。ありがとなぁ」
駆けていく子供達を眩しそうに目を細めて見ていたガストンへとイレーネがエールで満たされたジョッキを差し出せば、ニッカリと笑ってガストンもそれを受け取る。
それから、イレーネの手元を見て。
「よかった、ちゃんと乾杯が出来るな」
「力加減はしてくださいましね?」
などと言い合いながら、ジョッキとワイングラスを軽く打ち合わせる。
それから、お互いに一口だけ口を付けて。
ふぅ、と息を吐き出す。
「いやぁ、みんな楽しんでくれてるみたいで、何よりだ!」
「そうですね、急な催しでしたが、こんなにも……まるで街の人全てが来ているみたいです」
後に統計を取れば、ほぼ全住民が一度は顔を出したらしい、と知るのは後日のこと。
そんなことを知る由もない二人は、ただただ、この催しの盛況ぶりに頬を緩めるばかり。
「ありがとな、色々と段取りを組んでくれて」
「とんでもない。こちらこそ、魔獣を仕留めてくださってありがとうございます。
そうでなければ、今、この光景はありませんでした」
もしも仮に、スピアボアがそのまま街へと向かってきていたら。
きっと、今ここで楽しんでいる人々の何人かは怪我をするなりもっと悲しいことになっていたことだろう。
けれど、そうはならなかった。ならなかったのだ。
当たり前の日常が、ちょっとだけ贅沢なハレの日に変わってこうしてあることのありがたさに、イレーネの胸が熱くなる。
「本当に……ありがとう、ございます……」
きっと自分も、嫁入り先がガストンでなければ、悲惨な未来があり得た。
けれど、そうはならなかった。ならなかったのだ。
そう思えば、そのありがたさに涙も滲んでくる。
「やっ、そんなっ! 礼を言われることじゃないって!
俺はほら、ああいうのが得意なだけで……ほら、申請書だとかはあなたに助けられてるし!」
幸か不幸か、ガストンは感覚の鋭い男だ。
イレーネの涙にも気付いたし、何とかしなければと思う善良さもある。
ただ、どうすればいいのかという最適解がわからない。経験が皆無なので。
だから、自分でわかる慰めしか出来なかった。
「そ、そうだ、これ、食ってくれ!
スピアボアの肉の中でも、特に美味いって言われる部位でな!」
空気を読んだか、無言でファビアンが差し出してきた皿を、そのままイレーネへと渡した。
ちなみに、ガストンは肉の焼けた匂いで良い部位かそうでないかがわかる、という誰得な特技がある。
今この時ばかりは、その特技に感謝だったが。
「あ……美味しい、です……こんな、美味しいお肉が……」
口にした肉の美味さに、イレーネが微笑む。
涙腺は更に緩んでしまって、またポロポロと涙は零れてきてしまうけれども……それが、心の痛みからくるものではないとわかるからか、ガストンも先程みたいには慌てない。
「そっか、良かった! あなたに美味い肉を食わせられて!」
心の底から安堵した笑みが零れる。
何しろガストンは単純な男だ、美味い肉が食える、すなわち幸せ。そんな思考回路の男だ。
だが、今この時ばかりは、それはきっと良かったのだろう。
「はい、良かったです。……この国に来られて……ガストン様の、配偶者になれて……。
わたくし、故国ではこのような美味しいお肉など、食べられませんでしたから」
イレーネは、笑った。
王族である彼女が、美味しい肉を食べられなかったという、ある種の恥とも言えることをさらりと言いながら。
もちろんそれは、彼女からすれば、気遣いのつもりだった。
この国に来てから、とても良くしてもらっている、ということを言いたかっただけなのだ。
だが。
彼女に取っては残念なことに、ガストンは鈍い男ではなかった。
色々と頭も気も回らないところはあるが、肝心なところでは鋭い男である彼は、イレーネの言葉の裏にある様々な事情を、朧気ながらにも感じ取る。
結果。
「そ、そうなのかぁぁぁぁ!!!」
だばぁ、と涙を滂沱のごとく流しながら、ガストンがイレーネの両手を握った。
……何故だか、ただそれだけだというのに、手が熱い。なんなら、顔も熱い。
別にイレーネは、さほど酒を飲んではいないというのに。
「な、なら、食ってくれ! 俺の分もやるから、たっぷり!」
そう言いながらガストンは、次から次へと、自分の皿に載っていたスピアボアの肉をイレーネの皿へと移していく。
肉が好物だと言ってはばからない彼にしては珍しい、というか天変地異ものの出来事に、彼を良く知る周囲の人間は目を丸くしてしまう。
もちろんイレーネも、それがどれだけのことか、何となくはわかる。
「お、おまちください、ガストン様、わたくし、そんなには食べられません!」
「な、なら、食べられるようになってくれ!」
混乱するイレーネという珍しい光景に、更に慌てたのかガストンも混乱していた。
夫婦二人して絶品の肉をお互いに押しつけ合うというとても珍しい光景に、先程イレーネを囲んで井戸端会議をしていたおばちゃん達がそれはもう顔をツヤツヤテカテカさせながら言う。
「まあまあ、領主様も奥様も、本当に仲がいいことで!」
「この分だと、遠からず……ねぇ!」
ニヨニヨとしか形容のしようがない笑みで、彼女達は言う。
それは、さほど的外れでもなかったのだが……当事者二人は、全く知る由も無かったのだった。