肉祭り:前編
街に戻ったイレーネの動きは速かった。
まずは街の中心部にある広場の利用状況を確認、今日の夜にバーベキューをやっても大丈夫なことを確認。
ついで、街の宿屋兼酒場のおかみに連絡し、屋外での調理を手伝ってもらえそうな人員を確保。
何なら広場で臨時開店してもらって酒場で出す料理を広場で出してもらうことも交渉、快諾される。
肉料理ばかりでは偏るからと、野菜料理を多めにお願いして。
「あの領主様がやろうってことだったら、乗っからせてもらいますよ!」
と言われた時、イレーネは我が事のように嬉しかった。
この街に来てから一ヶ月も立たないうちに、早くもガストンは領民達の心を掴み始めているらしい。
それから先日のバーベキューの時に世話になった肉屋に連絡を取り、豚を丸ごと3頭分確保。
これでスピアボアの分を合わせて可食部が300kgほど、全人口が集まっても一人当たり300gとなり、酒場から出してもらう料理を会わせれば普通の人間をもてなす分には十分だろう。
そして、ある意味とても大事なワインやエールなど酒類の手配。同時に、子供達が来たときのために果実水も手配しておく。
これらの手配をしている最中にガストンいわくの肉祭りの話をして、近隣に広めてもらうことも忘れない。
刺激の少ない小さな街だ、きっと話はあっという間に広まることだろう。
更に並行してバーベキュー道具を用意し、それだけで足りるかわからないので元辺境伯軍の面々が野外調理道具を様々引っ張りだし、と機材の準備。
広場に設置して、薪や炭も用意していれば日も傾いてきた。
「薪はまだいいけれど、そろそろ炭を熾しておきましょうか。多分もうじきガストン様達が帰っていらっしゃるわ」
「はい、奥様!」
「それなら、あっしにお任せください!」
イレーネが指示すれば、街に唯一ある鍛冶屋の親父が手を挙げる。
鍛冶場で毎日のように石炭、木炭を扱っている彼にかかれば、炭火を熾すことなど造作もないことだろう。
「ええ、ではお任せしますね。それから……」
微笑みながらイレーネが承諾すれば、鍛冶屋の親父は浮かれきった足取りで炭熾しへと向かう。
その間にも次から次へと準備のために指示をイレーネが指示を飛ばしていれば、人々も少しずつ集まってくる。
そして。
「おっ、もうすっかり準備が出来てるじゃないか!」
イレーネの読み通り、ガストンが上機嫌な顔で帰ってきた。
一人でスピアボアを背負って。
再三言っているが、スピアボアの体重は200kgを超えるのだが……ガストンときたらまるで平気な顔である。
その姿は、ある意味異様ではあるのだが……ガストンがやっているのを見れば、英雄の凱旋に見えるから不思議なものだ。
街の人にもそう見えたか、その姿を見て大きな歓声でもって迎え。
「お帰りなさいませ、ガストン様。
後はお肉を用意していただくだけ、というところまでは準備出来たかと」
明らかに常識外れなガストンの格好に最早突っ込む気も起きず、イレーネはガストンへと笑顔を向ける。
それが嬉しかったのか、ますます嬉しそうになりながらガストンは大きく頷いて返した。
「わかった! じゃあまずはスピアボアの解体だな!」
「それはあちらの方でしていただけると……苦手な人もいるでしょうから」
イレーネが示した先には、肉屋が待機している。
この街では屠畜業者も兼ねる彼は、既に豚肉はある程度まで解体してくれていており、『次はスピアボアだ』と気合を入れて待っていた。
「おっ、それもそうだな! じゃあ、悪いけど先に始めといてもらっていいか?」
「この場合、わたくし達の方が『悪いけど』と断りを入れる立場かと思うのですが……わかりました、多分そうおっしゃるのではないかと思って準備しておりましたし」
「あはは、流石だなぁ! じゃ、そっちは任せた!」
「はい、わかりました」
ガストンとそんなやり取りをしたイレーネが広場へ戻ろうと振り返れば。
何故か、大勢の街の住人が、二人のやり取りを見ていた。
「あの、どうかしましたか?」
小首を傾げながら、イレーネが尋ねる。
貴族が、まして王族が平民に直接言葉をかけるなんてことは、滅多にないこと。
けれど、ガストンにすっかり影響されてしまった今のイレーネにとっては大したことでもない。
むしろ住人達の方がびっくりして一瞬黙り、お互いに顔を見合わせて。
しばらくして、肝が太そうなおかみさん達が口々に答えてきた。
「あ、いえ、その……」
「奥方様と領主様、仲がよろしいのだなぁ、と」
「そうそう、何だかお互いわかりあってるみたいで、ねぇ」
「それに比べたらうちのロクデナシなんて」
「あら、それを言ったらうちだって」
一度話し始めれば、さながらそこらの井戸端会議のよう。
我も我もと話に入ってくる肝っ玉かあさん達の会話を聞きながら……じわじわとイレーネの頬が赤くなっていく。
「あ、あの。……わ、わたくしとガストン様は、そんなにも……仲が良さそうに、見えましたか……?」
イレーネからしてみれば、かなり思い切った問いかけ。
だが、問われた奥様方からすればそれこそ寝耳に水、ハトが豆鉄砲を食らったような顔になって。
それから、すぐにわっと騒ぎ出した。
「あったりまえじゃないですか!」
「こんなに仲が良いご夫婦が領主様ならうちも安泰だって、安心したくらいですよ!?」
「むしろうちのヤドロクに見習って欲しいくらいですよ、領主様は!」
「そりゃ、あたしらは奥方様みたいな美人じゃないですけども! うちの亭主だって領主様みたいないい男じゃないんだ、そこはお互い様ってことでねぇ!」
やいのやいのとあれこれ言われるが、共通していることは一つ。
どうやら、イレーネとガストンの夫婦は、この街の奥様達から見れば、かなり理想的だということ。
そのことを理解して、イレーネは更に顔が赤くなっていく。
「あんれまぁ、奥方様ってば、そんなに真っ赤になって!」
「んもぉ、美人な上に可愛いとかずるくないですか!? いえいえ、いいんです、あたしらからすれば嬉しいことですけども!」
「さ、奥方様、料理の準備はあたしらがしますから、奥方様はどうか領主様とごゆっくり……」
「ちょ、ちょっと待ってくださいませ!?」
一度ラインを踏み越えた肝っ玉かあちゃん達の圧は、強い。
ぐいぐいと押されるがままに押し流されそうだったイレーネは、なんとか声を上げて。
「ガ、ガストン様は、これから仕込みもありますので、まだお忙しいのです!
ですから、わたくしはまだゆっくりするわけには!」
と、彼女なりの正論で言い返したのだが。
残念なことに、その程度で黙る程、肝っ玉かあちゃんの肝は細くなかった。
「なんだ、そんなことなら、あたしらも領主様を手伝いますよ!」
「豚の内臓洗い? そんなの手伝いで何度もやってますとも!」
「挽肉叩き? 領主様が一番だとか、街の衆の名折れってもんじゃございませんか!」
言い返すほどに、我も我もと腕利きのおかみさん達が手を挙げてくる。
程なくして、イレーネが挙げる反論も尽きてしまって。
「ようござんす。奥方様、そのご懸念、あたしらが晴らして差し上げましょう!」
「そうしたら、領主様とごゆっくりしていただけますよね!」
「そ、そうです、わね……?」
ついに、押し切られた。
そして、その疑問形な承諾を受けて、奥様方は盛り上がる。
「よぉっし、早速取りかかるよ、あんたら!」
「あいさ、領主様にもゆっくりしていただかないとね!」
「そんで、今夜はお二人ともごゆっくりだね!」
「何を言ってますの!?」
思わずイレーネは声を上げてしまう。
だがその程度では、盛り上がってしまったかあちゃん達は止まらない。
そして、これがまた各々手を挙げただけあって、素晴らしい手付きでガストンを手伝っていく。
少なくとも、洗いに関しては任せてしまっても大丈夫だとイレーネの目にも見えるくらいに。
だから、段取りを付けた今となっては、イレーネの仕事はほとんど無いように思えて。
「ご、ごゆっくり、だなんて……」
急に手空きとなったことを自覚したイレーネは、そんなことを呟いて、すぐに頬を赤く染めたのだった。




