子爵領の可能性
そして、一通り読み終わったところで辺境伯は顔を上げた。
「ガストン。この計画書はイレーネ殿が?」
「ああ、多少人の意見を入れて修正はしてるけど、ほとんどイレーネが練り上げたもんだ」
「なるほど、なぁ……これは……」
ガストンの返事を受けて、辺境伯はしみじみと呟きながら再度計画書へと視線を落とす。
その内容は、見事の一言。
イレーネが見込んでいた通り、辺境伯も国王とともに街道整備の構想を持っていた。
そしてこの計画書はそれに近いものなのだが……ところどころ、彼らの構想を越えた新規性も織り込まれている。
例えば、イレーネが考えていた、休暇の際に訪れる歓楽街・娯楽都市としての機能など、考えもしていなかった。
あくまでも物資の中継点、備蓄拠点で考えていたのだが、イレーネはその上を行っていたわけだ。
また、それだけではない。
「この、燃料供給、とは?」
「はい、実は近隣に泥炭の積もった場所が見つかりまして。
これがかなりの量ですから、こちらで使うだけでなく輸出することも可能ではないかと考えております」
「ほう……まさかあの辺りに、そんなものがあったとは」
感心したように呟きながら、辺境伯は顎を撫でる。
泥炭とは、文字通り泥状の炭だ。
枯れた植物の分解が不十分なまま堆積して炭化したもので、寒い地方に見られることが比較的多いものの、様々な地域で見つかっている。
例えば南方では、微生物が植物を分解するよりも早くに植物の死骸が堆積することによって泥炭が生成されることが多い。
その他の地域でも、様々な要因により堆積することが発生するため、色々な地域で見られる、というわけだ。
そういった理屈はまだこの世界では解明されていないのだが……経験則的に、泥炭は北方に多いことは知られているため、辺境伯が驚くのも無理はない。
「しかし、あの辺りで泥炭が採れるとは聞いた事が無かったが」
「ええ、わたくし達も知りませんでしたし、街の人々も驚いていましたが……先日調査で入った、瘴気の濃い地域にあったのですから、致し方ないところかと」
「なるほど、それは道理じゃの、普通の人間は近づかんじゃろうし」
瘴気とは、濁った魔力、あるいは澱んだ魔力と表現されるもので、長時間触れていると人間に悪影響を及ぼすと考えられている。
地表付近に溜まっていることがあり、その近くでは魔獣が発生しやすい。
そのため、瘴気が濃い地域に普通の人間は近づくことが滅多になく、人々はそこから離れたところに都市を形成することが基本で、瘴気の多いところは辺境と化していく。
よく誤解されるのだが、辺境に瘴気が濃い地域が多いのではなく、そこから離れたところに王都など中心部を形成するため、瘴気が濃い地域が辺境となるのだ。
だからトルナーダ辺境伯領には瘴気が濃い地域が多いし、その近くであるガストンが賜った子爵領も同様、というわけだ。
「ですから、今まで気付かれず、当然手つかずだったわけですが……ガストン様がいらっしゃることで、問題は解決出来るかと」
「じゃろうな、ガストンが一人おれば、魔獣の一体や二体、こやつ一人で片付けてしまうじゃろうからのぉ」
ほっほっほ、と辺境伯が楽しげに笑う。
瘴気によって魔獣とかした獣は、本来の二倍以上の大きさになっていることがほとんど。
その上で破壊衝動に突き動かされて暴れ回るのだから、普通の人間では対処など出来るわけもなく、軍が出動する騒ぎになることもある。
あくまでも、普通の人間であれば。
規格外の身体能力に加えて『祝福』まで持つガストンであれば、一人で対処出来てしまうのだ。
「よせやい、そんなに褒めるなよぉ」
「あんまり調子に乗らせてもいかんが、事実は事実として共有しておかんといかんからのぉ。
こないだ一人で倒したのはヒグマの魔獣だったか」
「……はい?」
辺境伯が思い出すようにしながら言えば、イレーネの口から少々間の抜けた声が漏れた。
ヒグマの魔獣は、イレーネが知る中でも最悪な存在の一つである。
本来のヒグマが大きいオスで体長3m近く、体重は500kgに到達するものもいるという。
そんな巨大さでありながら競走馬並みの速度で走ることが可能な上に、立ち上がって振るうことが出来る前腕にはナイフのように大ぶりな爪を備えているため、その戦闘能力は凄まじい。
それが更に魔獣と化せば身長は5mを越すものもおり、城壁すら単体で突き崩しかねない災厄となるのだが……それを、ガストンは一人で倒したのだという。
「あれは流石に大変だったよなぁ……毛皮が硬いから、斬りつけても中々肉に届かないし。
衝撃も逃げるから、骨を折ろうにも届かないし」
「骨を折ったのに中々折れなかったわけじゃなぁ」
「その冗談はつまんないぞ、親父」
呆然としているイレーネの前で、親子二人は当たり前の様に雑談に興じている。
いや、確かに彼らからすれば、実際に出来てしまったことなのだから、当たり前になるのかも知れないが。
「おっと、すまんすまん、話がそれてもうた。
で、ガストンがいるからこそ泥炭層に手を付けることが出来るわけじゃな」
「あ、はい、ガストン様が同行することで、採掘作業の安全が確保出来ますので、警護人員の人件費が抑えられて採算が取れるのではないかと」
「ふむ、領主の仕事と考えればそれも道理、上手く育てれば色々な発展性も考えられるからのぉ」
「ええ、例えば……辺境伯領で使う石炭をこちらで事前に蒸し焼きにする、ということも考えておりまして」
「ほう?」
イレーネのアイディアに、辺境伯の眉が動く。
石炭は鉄を作る際に必要となるものだが、そのままでは中に含まれる硫黄などの成分が鉄の品質を下げてしまう。
そのため辺境伯領では、空気に触れさせず加熱する、いわゆる蒸し焼きにすることで硫黄などの不純物を揮発させる乾留と呼ばれる工程を経ることで石炭を炭素純度の高いコークスへと変化させて使用していた。
当然そのためには燃料が必要となるのだが……それが安価で大量に得られる近所の泥炭で行うことが出来るならば。
なんなら、そこで加工して運んできてもらえば。
「悪くはないのぉ……蒸し焼きの窯を子爵領に作れば、雇用の創出が出来る。
同時に、コークス増産のために集めた人間を、子爵領に留めておける、と」
辺境伯の言葉に、イレーネはこくりと頷いて見せた。
言うまでもなく、辺境伯領は軍事機密の宝庫であり、製鉄関連にも色々と技術的な機密はある。
それを支えるコークスを増産するとなれば、スパイの一人や二人、送り込まれてきてもおかしくはない。
だがそれを子爵領で行えば、そういった人間を辺境伯領に入れる必要がなくなるわけだ。
もちろん子爵領でもスパイ対策は必要になるが、辺境伯領に比べれば万が一の時に生じる損害はまだ軽微なものになるだろう。
であれば、子爵領で加工することのメリットは大きいと言って良い。
「後は、蒸し焼きの窯を流用して泥炭そのものを乾燥させ、成形炭を作るのもありではないかと考えておりまして」
「なるほど、使い方にクセはあれど、長持ちするよう作ることも出来るしのぉ。
カサを考えると、薪を供給してもらうよりもありがたいかも知れん」
泥炭は、その名前の通り酷くもろく、ぼろぼろと簡単に崩れてしまう。
逆に言えば簡単に加工出来るということでもあり、実際豆炭や練炭の材料として使う事も可能だ。
それら成形炭は薪に比べて着火がしにくいという欠点はあれども、一度火が付くと安定した火力を長時間得ることが出来る。
余談だが、成形の際に着火剤を塗布することが出来れば着火も容易に出来るようになるのだが……まだこの世界では、そういった着火剤は発明されていない。
「ということで、街道が整備された暁にはそういった燃料供給もしやすくなるのではと」
「いやはや、そんなことを言われては金を惜しむことなど出来んではないかね。まったく、商売上手じゃのぉ」
改めて提案を推してくるイレーネへと、困ったように頭を掻く辺境伯。
そう言いながらも、その顔は何とも満足げだった。
ちなみに、ガストンはどうやらイレーネが褒められているらしいと満足顔である。
事前に説明をされていたため、まったく理解出来ていないわけではないのだが、口を挟む隙など全く無いため、ニコニコしていることしか出来ないだけではあるけれども。
「それと、こちらはですね……」
「ふむふむ、なるほど?」
そんなガストンをよそに、イレーネと辺境伯の問答は続く。
こうしてイレーネは、辺境伯から無事に希望通りの金額を引き出したのだった。