久方ぶりの親子の会話
こうして、トルナーダ子爵領の街道整備事業が始まった数日後。
ガストンとイレーネは、トルナーダ辺境伯領へと赴いていた。
というのも。
「親子でも、いや、親子だからこそ、金の貸し借りにはきちんとした態度で臨むべきだと思うんだ」
「そうですね、それは確かにその通りだと思います」
などとガストンが律儀なことを言い出し、イレーネも同意したからである。
実際、金が理由で親子兄弟が骨肉の争いを演じたなんて事例は、枚挙に暇がない。
もちろんイレーネはそういった事例を山ほど知っているし、ガストンですらいくつかは聞き知っている。
流石に自分の家族にそんなことはないと思いたいが、絶対ということはありえない。
何より、独立したからには守るべき礼儀というものもあるだろう。
また、イレーネもそれは読んでいたのか、準備に抜かりはなかったようだ。
「わたくしの方も丁度提案する事業計画書が出来上がりましたし、丁度いいのではないでしょうか」
「お、流石仕事が早いなぁ」
「当然、辺境伯様にご覧頂く前に、ガストン様にも読んでいただきますからね?」
「うええええ!?」
……などという、まあ、予想通りなこともありながら。
手紙を送って約束を取り付け、と踏むべき手順を踏んだ後、二人はファビアンやマリーなど供の者らとともに辺境伯領へと向かったのだった。
道中はやはりガストンは騎乗しイレーネは馬車、という形。
ただ、以前王都からの移動してきた時よりも休憩時での会話が増えただろうか。
何より、随分とイレーネの表情が柔らかくなった。
結婚式当時の張り詰めたような雰囲気を思えば、随分と馴染んできたものである。
そんなイレーネを見るガストンが、何やら感慨深げな優しい表情になるのも致し方ないところかも知れない。
「……なんだかお二人、夫婦らしくなってきたと思いません?」
「そうですね、喜ばしいことに。……ガストン様もイレーネ様を大事にしてくださっているようで、ありがたいことです」
ほのぼのとした空気を醸しだしている二人から離れすぎず近すぎずの距離で、ファビアンとマリーが声を抑えながら言葉を交わす。
それぞれに主人の結婚生活を心配していたのだ、政略結婚にありがちな殺伐とした空気になっていないことは、特にマリーにとってはありがたいことだろう。
「……今更ですが、祖国よりも異国の方がイレーネ様を大事にしてくださっているのは、何だが複雑なものがありますね……」
「ま、まあ……それはうん、国によって色々あるってことで?
そちらの国に限ったことじゃないみたいですし」
若干影を背負ったマリーへと、ファビアンがフォローを入れる。
イレーネとマリーの祖国であるレーベンバルト王国がイレーネを冷遇していたことは幾度も触れているが、他の国でも同様なことは起きているらしい。
嘘かほんとかは知らないが、シュタインフェルト王が併合した国のいくつかは、そういったゴタゴタを利用して攻略されたとも言われているが……真偽は不明である。
「……他の国なんて知りません、イレーネ様が大事に扱われているかどうかが大事なんです……なんて言ったら、軽蔑します?」
「いや別に。むしろ気持ちがわかるところもありますからねぇ。うちの大将も、ご令嬢方からは不当な扱いを受けてましたし」
「あ……それは、ええと……お察しいたします」
ファビアンの言葉に、マリーは口籠もる。
フォローの言葉が浮かばなかったのもあるが、何よりも、以前の彼女自身が、恐らくその令嬢達と同じようにガストンを見ていたという自覚があるからだ。
まだ行動に出していなかっただけましと言えばましだが、そんな逃げ方が出来る程マリーは器用な人間でもない。
だが、そんなマリーの内心に、ファビアンは気付かない様子で会話を続けた。
「ま、結果としちゃぁそれが良かったんでしょうね。おかげで、多分最高のお嫁さんをもらえたわけですし」
「それは、はい、ええもう、うちの姫様は最高ですから」
と返して、ふとマリーは気付いた。
これはもしかして、ファビアンに気を遣われたか? と。
もててもてて困っている、などと嘯く彼だ、当然人の心の機微には鋭いものがある。
その彼が、マリーの反応に何も察しないわけがない。
なのに、彼はそこには触れないどころか、イレーネを持ち上げてまでして空気を壊さないでくれた。
であれば、マリーがすべき反応は。
「それからファビアンさん、多分ってなんですか! イレーネ様が最高なのは確定していることですから!」
「おおっと、これは失礼失礼。そうですね、イレーネ様は最高です」
軽く憤慨してみれば、肩を竦めながらおどけるファビアン。
多分、これで正解だったのだろう。
そう思うと、何だか救われたような気がして、マリーは小さく笑みを零した。
道中そんな一幕がありつつ、一行は特に問題もなく辺境伯領へと到着した。
しばし休憩した後、すぐに応接室へと通されて。
「うむ、金を出すこと自体は問題無いぞ」
「まってくれ親父、まだ何も話してないんだけど」
挨拶を交わしてソファに腰掛けた途端に、これである。
あまりの即答ぶりに、思わずガストンが突っ込みを入れてしまったのだが、当の辺境伯はむしろご機嫌に笑い出す始末だ。
「わはは、いやなに、すでに手紙で大体のことは知っておったからな。
おまけに街道整備事業はこちらから言い出そうと思っておったくらいじゃし。
……ほんに、イレーネ殿は気の利く方じゃなぁ」
「そんな、恐縮です」
好々爺の笑みで辺境伯が視線を向ければ、イレーネは謙遜しながら頭を下げる。
一瞬、その笑みの向こうで値踏みするような鋭い視線が光ったのは、決して勘違いではないだろう。
どうやら提案自体は評価されているようだが、イレーネ本人はまだまだ見定められている最中というところだろうか。
それも想定の内ではあったので、イレーネは改めて気を引き締めたのだが。
「おい親父、まさかこの人を疑ってるのか?」
辺境伯の視線に、ガストンも気付いてまさかの反応を見せた。
考えてみれば野生動物並みの感覚の鋭さを持つガストンだ、一瞬でしかなかろうとも気付かないわけがない。
ただ、その反応は辺境伯も予想外だったのか、一瞬目を瞠った。
「いやいや、疑ってるわけじゃないぞ? ああいや、正確に言えば間諜だとか謀略を仕掛けてきたりだとかを疑ってるわけじゃなくてだな?」
「なら、能力か? 確かにそれはまだ親父に見せてなかったと思うけど、でもな、イレーネは凄いんだぞ」
そういうとガストンは、ここまでイレーネに助けられた数々を列挙しだした。
王都で書類仕事に助けられたこと、子爵領の今後の展望とその具体的な計画立案、それに伴う書類仕事やあれやこれや。
この短期間で成したとはとても思えない仕事量を、つらつらと挙げていくガストン。
その勢いに、老獪な辺境伯も及び腰である。
「あ、あの、ガストン様、もうそれくらいで……は、恥ずかしいですから……」
「お、おう? そうか? まあ、あなたがそう言うなら……」
顔を赤くしたイレーネがそうお願いすることで、ガストンはようやく止まった。
そして、赤面するイレーネというレアな表情を間近で見たせいか、ガストンの顔もまた赤くなる。
「……こりゃあ孫の顔が見られるのもそう遠くないかのぉ?」
「何言ってんだ親父!?」
ぽつりと辺境伯が零せば、真っ赤な顔でガストンが抗議する。
だが、語気の割には覇気が無く、威圧感が足りない。
それでは、歴戦の古狸である辺境伯が揺らぐはずも無かった。
「何って、至って普通のことじゃろ? そもそもお前とて貴族の端くれ、子を成すのは義務の一つとわかっとるじゃろうに」
「わ、わかってる、けどさぁ! もうちょっとこう、あるだろ気遣いっていうか!」
もちろんガストンとてそれが義務であることはわかっている。
だからといって、無理矢理だとか強引にだとかは望んでいないし、したくもない。
そんな息子の心情がわかっているのか、辺境伯はあっさりと引いた。
「それもそうじゃな。イレーネ殿、すまんかった。義理の親だとはいえ、少々踏み込みすぎたわい」
「あ、いえ、わたくしは大丈夫ですので」
辺境伯が頭を下げれば、ゆるりと首を振ってイレーネも謝罪を受け入れた。
そもそも彼女とてそれが義務とわかって嫁いできたのだ、今更この程度のことで動揺はしない。
……ただ、少々頬が赤くなったのは……当時とまた心持ちが違ってきたからだろうか。
そんなイレーネの顔を見て、辺境伯は一瞬目を細め。
しかし、流石にそれ以上は触れなかった。
「話が横道に逸れてしもうたな。話を戻すが、金を出すつもりはあるが、どの程度、どんな条件でといったところは、この計画書を読ませてもらってからの話じゃ。
ということで、早速読ませてもらうぞ?」
「そうしてくれ、ほんと……ああ、なんだか変な疲れ方した……」
げんなりとした表情でガストンが促せば、気にした風もなく辺境伯はイレーネの作成した計画書を読み出した。




