街の意味。彼女の意味。
「一言で言えば、お金を持っていらっしゃるのに使い道がないので持て余している可能性が高いから、ですね」
「うええええ!?」
身も蓋もないイレーネの言い草に、ガストンが悲鳴のような声を上げてしまうのも仕方がないところだろう。
ファビアンなども「いや、確かにそうですけど、ねぇ……」と、否定出来ないが故の微妙な顔をしている。
確かに辺境伯軍の兵士達は、比較的妻帯者も少なく、そのくせ十二分な手当が出ているため、独身小金持ちが多い。
おまけに、そんな彼らが休みとなっても、近場にあるのは軍事施設中心に構成された辺境伯領の領都。
その周囲にあるのは領都へと食料を供給する農村地帯であり、ついでこの子爵領となっているため、折角貯めた金の使い所がない。
だからイレーネは、そこに目を付けたわけだ。
「こちらの利だけを言えばそれで終わりますが、もちろん辺境伯領の皆様にも利があるようにしたいと考えています。
ガストン様、ファビアンさん。アデラさんも皆さんも、休暇の時は何をなさっていました?」
「え、そりゃぁ……狩り、とか?」
「そりゃ大将だけ……じゃなかったですけども。他にも……他にも……いや、これは言えないしなぁ……」
休み、であるはずなのに野山を駆けまわって様々な獲物を持ち帰っていたガストンが言えば、ファビアンが煮え切らないツッコミを入れる。
若くて体力のある男達が大量にいる辺境伯領となれば、とあるお仕事の需要が生じるし、それを処理するための施設が存在するのも仕方がないところ。
とはいえ淑女の前で口に出すのは流石のファビアンでも躊躇われ、理解したアデラなどは白い目を向けているのだが。
「ええ、そういった施設も必要になるとは思うのですが、もう少し環境を整えてからでないと定着してくれないかなと」
「待ってください奥様!? そ、そういった、というのは……あの、そのっ!」
思わぬ返答にファビアンが慌て、しかしマリーから刺すような冷たい目を向けられてそれ以上言えなくなる。
彼自身はそういう施設を利用することを悪いことだとは思っていないが、女性相手に強く主張することでもないと弁えている。
ましてそれが主人の奥方となれば。
だが、当の奥方自身が、平然とした顔でその話題に触れるのだから堪らない。
「いわゆる娼館ですが。必要なものであると同時に、需要にあった質のものを用意出来れば、大きな経済効果があると見込んでいます」
「赤裸々すぎますよ!?」
「あまり取り繕っても話が長くなるだけかと思いまして……」
なんならもっと直球な表現をしても良かったのだが、ただでさえ呆気に取られて呼吸が止まりかけているガストンの息の根を止めかねない。
そもそも、そこが本題ではないのだし。
こほん、とイレーネは咳払いを一つして、仕切り直す。
「ということで、休暇の日にいそしむ娯楽が少ないのではないかと考えたのです。
そして、もしもこの街でそれが提供出来たら、と」
「お、おう……確かに、馬なら半日もかからないくらいで来れるし、休暇がまとめて取れた時に来るには良い距離だもんなぁ」
やっと呼吸を取り戻したガストンが、若干頬を赤くしたまま頷く。
辺境伯領の領都からこの街は大体20km。
馬は時速6km程度の速度ならかなりの長時間を走れるため、上手い人間であれば朝に出て昼前に着く計算になる。
軽く遊んで夕方から夜にかけて帰るくらいなら十分出来るし、一泊するだけで更にゆっくりと過ごすことが出来るはずだ。
ただし、それだけの間遊ぶことが出来れば、だが。
「現時点では、来ていただく動機になるものがないので、そうなればいいな、というだけでしかありませんが……実現すれば、色々な効果が期待出来るのです」
「色々な効果……遊びに来た連中が金を落とす以外にか?」
ガストンでもわかる、期待したい効果。
休暇でやってきた兵士達が使い所のなかった金を落とすことによって、それこそ儲けることが期待できる。
だが、それ以外に何があるのかと言われたら、わからないわけだが。
「はい、人が訪れるようになれば、物も集まってくるようになってきます。
言うまでもなく、多くの人に提供する食料も必要になりますよね?
その状況を作ることで、この街に食料ですとか様々な物品がやってくることが不自然でない状況を作りたいのです」
「お、おう……? な、なんだか難しい話になってきた気がするな……。
大切な気もするから、もうちょっと詳しく説明してもらっていいか?」
言葉数が多くなり、若干しゃべる速度が上がった。
そんな些細な変化から、ガストンはイレーネがこの部分に熱を入れていることを感じ取った。
ただ、難しそうだとも思ったために、恥も外聞もなく直球でお願いしたわけだ。
そして、もちろんイレーネは快く……むしろ、ここが肝だと感じ取ってもらえたことに喜びすら感じながら頷いて返す。
「はい、もちろんです。そして、大事な話だと思っております。
その前にお聞きしたいのですが……間諜、いわゆるスパイはどのようにして情報を集めてくるかご存じですか?」
「へ?? え、そりゃぁ……な、何か城とかに忍び込んだり……?」
「いや、そういう時もありますけどね。大体は街で地味な聞き込みだとかしての動向調査ですよ……って、あ、そういうことですか!」
ガストンよりもそういった裏方仕事に詳しいファビアンが、説明しながら気がついたらしく、唐突に声を上げた。
そしてイレーネに向けるのは、尊敬と畏怖の入り交じった目。
余裕の笑みでその視線を受け止めたイレーネは、小さく頷いて見せる。
「はい、基本はとても地味な市場調査ですとか聞き込み調査だとかです。
ガストン様、例えば国境付近にある敵側の都市が急に食料や薪を大量に買い込みだしたと聞いたら、どうお考えになりますか?」
「あ、なるほど! それだけでも、戦の準備をしてるかもってわかるな!?」
そこまで聞いて理解したガストンは、すっきりした顔で声を上げた。
一瞬だけ驚いたイレーネは、すぐに微笑みながら頷いてみせる。
「その通りです。しかもこの調査は、商人など普通の人間を装って行われるため、よほどしつこく聞き回らない限りほとんど危険を伴いません。
当然、その他様々な指標となる物品があるわけですが、それは本論に関係ないので置いておきまして。
この街が今のままで、急に大量の食料だとかを集め始めればスパイはそれを一つの兆候として掴むわけです」
「だけど、元々この街で大量の食料が必要な状況にしておけば、普段から集めててもおかしくはない。
そんでもって、そうしておけば相手に気取られず必要な時に辺境伯領に供給できる、食料庫の役割も出来るってことか!?」
目を輝かせながら言うガストンに、イレーネは嬉しげに目を細める。
政治の話には疎いが、どうやら軍略が絡んできた途端にガストンの理解力は跳ね上がるらしい。
その傾向がわかれば、今後色々な場面での説明もしやすいだろう。
何しろこの街で行うべき施策は、色々なところで辺境伯領の強化、即ち軍略が絡んでくるのだから。
「ええ、その状況に出来れば、相手……まあ基本的にはレーベンバルト王国ですが、かの国が攻勢に出ようとした兆候を掴んで防備を固めようとした際に、この街に備蓄することで実際の防備よりも少ないものと見せることも出来ます。
もちろん、打って出ようとした際にも気付きにくい状況を作ることが出来るのではないかと。
それから、普段から休暇で訪れた軍人の方が多いのであれば、例えば補充戦力の兵がこの街に集まっても気付かれにくいでしょうし」
「は~……なるほどなぁ。街を発展させるってだけで、こんなに色んな効果があるとは思わなかった」
「ここまで色々な効果が見込めるのは、この街が辺境伯領の近くという特殊な立地だから、ですけどね。
また、街道が整備されないことには話が始まりません。
当面はそちらに注力しつつ、その間にこの街に人を呼ぶ名物を見つける、あるいは作ることも並行していければ、というところでしょうか」
「そうやってやることを明確にしてもらえると、わかりやすくて助かるなぁ。
俺達だけだと、何から手を付けたらって慌てそうだ」
イレーネの説明が一通り終われば、得心したガストンが快活な笑顔を見せる。
その表情に裏は一切無く、心からイレーネの提言を喜んで受け入れていることが見て取れた。
……それが、ほんのりとした熱とともにイレーネの胸の奥で響く。
こういった提言を、同年代やそれ以上の世代相手が素直に受け入れたことなど、ほとんどなかった。
それなのに、目の前に居るガストンやファビアン達は、さも当然のように耳を傾け、真摯に聞いてくれた上に、理解しようとしてくれる。
イレーネの提言に、価値があると認めてくれたから。
それが、じわじわと心の奥に、脳の芯に、熱となって広がっていく。
だから。
「さ、さあ、そういうわけですから、まずは街道整備の段取りです!
補助金申請の書類は作りますから、ガストン様は読み込んでサインを、それから辺境伯様へのお手紙も書いていただきますからね!」
「うええええ!?」
滲みそうになる涙を誤魔化しながら指示を出せば、予想通り響くガストンの悲鳴。
それが、今のイレーネにはとても心地よかった。




