イレーネの事業計画
「あの、奥様すんません。この方向はいいんですけど……工事の作業員を雇わないとですし、資材や金も要りますし……それは、どうするんです?」
話が一段落し、イレーネも落ち着きを取り戻したタイミングでファビアンが手を挙げながら質問をする。
言われてみればもっともなそれに、ガストンなどは『そう言えば』という顔になるのだが……流石にイレーネはそれも想定済みだったらしい。
「はい、とても良い質問です。というか、そこは避けて通れない問題ですね。
言うまでもなく、今この街に十分な数の作業員はおりませんし、資金も不十分、というか全然足りません。
その調達方法に関しても、ある程度考えはございます」
「おっ、流石だなぁ」
きっぱりはっきりと答えるイレーネに、ガストンは感心した顔で頷く。
だが。
「まず資金ですが、国王陛下と辺境伯様からお借りします」
「うえええ!?」
予想外な返答に、思わず間抜けな声を上げてしまった。
まさかの、初手借金。
いや、言われてみれば確かに、他者から借り入れて事業を始める貴族は少なくないと聞くのは聞くが。
「い、いきなり陛下と親父に!? こ、こう、何かで金儲けしてから、とかじゃないのか!?」
うろたえながらガストンが言ったことは、それはそれで正論ではある。
確かに、自己資金なしに事業を始めるなど危険だし、そもそも貸してくれる存在が皆無だろう。普通であれば。
だからイレーネは、首を横に振って見せた。
「それが出来れば一番いいのですが、この辺境領に近い街では稼ぐことは難しいでしょう。
というかそもそも、あの街道の不便さがお金の流れを阻害しているわけですしね」
「う……い、言われてみれば、それはそう、か……」
当たり前だが、お金はそこらから湧いてくるわけではない。
それを運んでくる人間が必要であり、街道はそのためにもある。
だが今は、金を集めるための道がない。
そして、どうにかして道を作らねば、何時までも経っても金は集まってこない。
ならば、無理矢理にでも道を作るしかないのだ。
「それでも、親父はともかく、陛下には申し込みにくくないか……?」
と、珍しくかなり及び腰なガストン。王国臣下として当然と言えば当然だが。
だが、イレーネはきっぱりと首を横に振る。
「むしろ国王陛下にこそ、でしょう。正確には国に対して、ですが……最終的な決済は国王陛下がなさるでしょうし。
王都で書類仕事をしている際に知ったのですが、国に対して有用と思われる街道整備事業には補助金が出る制度がありまして」
「そ、そうなのか?」
「なんで他国からやってきた奥様の方が詳しいんですかねぇ……」
驚くガストンに、嘆くファビアン。
彼らが活躍する場は別の戦場なのだから、詳しくないのは仕方が無い。
だが、それでも若干悔しさのようなものを感じてしまうのもまた仕方が無い。
残念ながら、イレーネに複雑な男心を汲み取るつもりはないようだが。
「そこは致し方ないところでしょう。こうしたことは、わたくしの方が得意なのはおわかりでしょうに」
「いやそうなんですけどね……うん、いや、何でも無いです」
「そ、その制度は制度で申請するとして、親父の方は、いくら親子でも流石に厚かましくないか?」
無自覚な追い打ちに消沈したファビアンへの追撃を避けるべくガストンが聞けば、イレーネの視線が向けられる。
睨むだとか敵意のある視線ではないはずなのに、妙に圧が強い。
ただでさえたじたじとなっているところにそれだ、腰が引けてしまったところにイレーネはグイグイとくる。
「むしろこの案件は、親子だとかの私情抜きにしてでもなすべきことですよ、辺境伯様にとっては」
「へ? そ、そうなのか?」
「ええ。何しろ恥ずかしながらレーベンバルト王国に領土的野心があることがわかった今、辺境伯様にとって防衛力向上は急務。
……まあ、先日の戦はあれでしたし、先程申しました通り、このまま引きこもっている可能性もありますが……。
拗らせた場合、今度こそ大々的な侵攻になるでしょうから、そちらに対する備えは必要になります。
そうなると、砦の強化をするための資材、武具など辺境伯領が必要とするものは大量かつ多岐にわたります。
であれば、街道整備はむしろ辺境伯様が主導してもいいくらいでしょう」
「お、おう……」
立て板に水と流れる正論に、ガストンなど口を挟むことが出来ない。
いや、この場にいる誰もが物申すことが出来ないでいた。
残念ながら彼らは前線で戦うのが仕事だった面々だ、こういった話にはどうしても疎くなってしまう。
そして、イレーネもそのことはわかっているから、それで彼らを下に見る様子もない。
ただ、言うべきことは言わなければいけない、というだけで。
「ただ、力のある辺境伯様が、今まで手を付けていなかった街道整備に手を出す、というのは政治的なバランスにおいてもしかしたらあまり良くないのかも知れません。
この辺りは、わたくしもこちらの状況がわからないので、何とも言えませんが……」
「あ~……大旦那様に物申せるのなんて、陛下と後は三公爵家くらいのもんだと思いますよ」
「なるほど、ありがとうございます。……となると、辺境伯様が主導すると公爵家から警戒されてしまう可能性はありますね。
息子であるガストン様が、というのもあまりいい顔はされないかも知れませんが、公的には独立した子爵家ですし、口を挟みにくいところでしょう」
「め、面倒くさいなぁ、政治の世界は……」
イレーネの説明に、全てを読み取ったわけではないが、それでもあまりに面倒な話だとガストンは溜息を吐く。
国にとって良いことをすればいい、という単純な話ではないのが特に面倒くさい。
その辺りを考えたり調整したりをイレーネがやってくれそうなのが、とても有り難いことなのだと身に染みて実感するガストンである。
「そうですね、もう少し単純なものになって欲しいものですが、人の欲が絡むと中々……。
まあとにかく、この案件に関してだけ言えば辺境伯様も望むところでしょうから、借り入れ自体は問題なく行えるかと」
「な、なるほどなぁ……。……あ、だけど、金は何とかなったとして、人手はどうするんだ?
昨日聞いた話じゃ、そんなに手が余ってるわけじゃなさそうだし」
「……いつの間にそんな話を聞き出しておられたのです? あの宴の最中だったのでしょうけれど……」
当たり前のようにさらっと言うガストンに、今度はイレーネが驚く番だった。
昨夜の宴において、ガストンは挽肉を作ったりとおもてなしに忙しく、あれこれ話を聞き出す暇などそうそう無かったはずだが。
そんなイレーネの視線を受けて、ガストンは照れくさそうにガシガシと頭を掻く。
「いやぁ、領主ってことで向こうから話しかけてくれたりとか色々あったんだよ。
で、多分なんやかんや新しいことをやると思うって言ったらあれこれ教えてくれてなぁ。
ちなみに、冬になったら農閑期になるから人足やってくれそうな人数増えるらしいぞ」
「そこまで聞き出してくださっているのであれば、こちらとしても手が打ちやすいですね。
ありがとうございます、ガストン様」
驚きでぽかんとした顔になりかけたのを引き締めてイレーネが頭を下げれば、ガストンが頭を掻く速度が上がる。
照れているのはわかるのだが、若干頭皮が心配になってしまい、イレーネは吹き出しそうになったのを必死に堪えた。
何とか収まるまでに数秒の沈黙。
その後、こほんと小さく咳払いをして、イレーネは話を再開する。
「そういうことでしたら、本格的に作業に取りかかるのは冬からとして……それまでの間に、もう一つ辺境伯様にお願いしたいことがあるのですが、ガストン様、ご協力をお願いできませんか?」
「んお? 俺で出来ることなら何でもするけど」
「ちょっと大将、あんま迂闊なこと言わんでもらえませんかねぇ?」
きょとんとした顔のガストンへと、ファビアンが物申す。
領主が何でもするなどと言ってしまえば、本当にこの辺りで出来ることは何でもする羽目になってしまう。
流石にイレーネがそんな無茶を言うとは思わないが、他の人間に言ってしまえばわからない。
ファビアンに諭されてガストンも反省したらしく、しょぼんと肩を落とす。
その姿が何だか可愛く見えて、また吹き出しそうになるのを堪え、イレーネは言葉を続けた。
「そうですね、その辺りの発言は今後自重していただくとして……。
ガストン様にお願いしたいのが、この街道整備事業に、辺境伯軍の工兵の方々をお借り出来ないかということでして」
「あ~、確かにうちの工兵だったら、腕が確かな上に今は暇してるはずだもんなぁ」
「戦争終わったばっかですし、砦の補修なんかもあんま多くなかったみたいですもんねぇ」
納得したようにガストンが言えば、ファビアンも頷きながら同意する。
戦場での簡易陣地の構築、城塞の強化、逆に敵陣地などの破壊工作なども行う工兵は、今回の戦争において負傷者があまり出なかった。
また、ファビアンが言う通り戦後に求められる作業も然程なかったため、現在は交代で休暇を取っている状態のはず。
であれば、力を持て余した人員がそれなりの数いてもおかしくないところだ。
そこにイレーネは目をつけたわけである。
「辺境伯様としても工兵を遊ばせているわけではないでしょうが、何某か作業があった方がよいでしょうし。
働いた分の手当は出しますから、工兵の方にはちょっとしたボーナスが入りますし、と悪い話ではないと思うのですよね」
「ありゃ、手当も出すんですね。それだったら飛びついてくる奴は山ほどいると思いますよ。
何なら工兵じゃない奴も来るかもですね、基礎は出来てる奴多いですし」
うんうんと納得顔でファビアンが言えば、イレーネの目がキラリと光る。
さながら、獲物を見つけたかのように。
「であれば、是非ともその方々にも参加していただきたいですね。
そして、この街で歓待して差し上げたいところです」
「お、おう? なんだ、何か狙いがあるのか?」
いきなり力説を始めたイレーネに、ガストンがおずおずと問いかける。
確かに工事に携わる人数は多いに越した方がいいが、そこまで喜ぶことだろうか。
そんなガストンの疑問にイレーネが答える。
「はい、ガストン様のおっしゃる通りです。
わたくし、この事業を通じて、辺境伯軍の皆さんがこの街に訪れる回数が増えることを狙いたいなと思っていまして」
「へ? 何でそんなことを……?」
ガストンが問えば……返ってきたのは、活き活きとしたイレーネの笑顔だった。
※ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
これまで定期的に更新してまいりましたが、他の連載作品との兼ね合いもあり、来週以降は更新頻度を下げることになってしまいそうです。
楽しみにしてくださっている方には申し訳ございません。
出来る限り優先的には書きますし、最悪でも週に一度は更新するつもりです。
どうか今後もお付き合いいただければ幸いです。




