宴もたけなわ
そうやってガストンとイレーネが談笑している間に挽肉ステーキが焼き上がったらしい。
まずは網の上で炭火焼きされたものがガストン、イレーネへと配膳され、それから招かれた客である街の人々の前にも置かれていく。
「そんじゃ、配られたら早速食べちまってくれ!
やっぱり焼きたてが一番美味いからな!」
と豪快な声で客人達に促したガストンは、自身もかなり大きなステーキにナイフを入れた。
それを見たイレーネは、なるほど、と感心する。
貴族であり領主であるガストンにまず配膳するのは当然のこと。
そして、後から客に配膳し、それが終わったらすぐに食べることを促す。
当然、後に配膳された客人達の方がステーキは熱々であり、それをすぐに食べられることは中々のもてなしと言って良い。
それも、マナーに反しない形になっているのだ、心置きなく食べることが出来るだろう。
実際、ガストンがナイフを入れたのを見た一人が、釣られたように……あるいは、匂いに誘われて我慢出来なくなったかのようにナイフを手にし、ステーキを切り分けた。
その様子をあまりじっくり観察するのも失礼かと思い、イレーネは自身の皿へと視線を移し、ナイフとフォークを手にする。
そしてナイフを挽肉ステーキに当ててまず感じたのは、弾力。
普通に焼いた肉よりも柔らかそうなのに、跳ね返そうとする力が妙に強い。
しかし、ナイフを滑らせれば、拒絶することなく刃が飲み込まれていく。
すると、中から肉汁が溢れ出してきて、皿の上に広がっていく。
何だか、勿体ない。
そんなちょっとはしたないことを思いながら、一口サイズに切り分けた挽肉ステーキを口に運ぶ。
やはり感じるのは、肉の弾力。
これを生み出しているのは、丁寧に叩かれたすじ肉だろうか。
ぐ、と噛みしめれば確かな噛み応えを生み、しかし、直ぐに崩れていく。
すると舌には肉汁の濃厚な旨味が広がり、鼻腔へと肉とハーブの入り交じった匂いが抜けていく。
もうそれだけで満足してしまいそうだというのに、ぎゅ、ぎゅ、と幾度も噛みしめれば肉そのものの旨味まで舌に襲いかかってきた。
脂の乗った小腸や大腸、独特な濃厚さを持つレバー、使い込まれた筋肉だからこその旨味を秘めたすじ肉。
様々な個性の内臓肉とすじ肉が、叩かれて挽肉にされたが故に噛み切りにくさという邪魔者が無くなり、その本来の旨味をこれでもかと叩きつけてくる。
じっくりと咀嚼して味わえば、それだけで口の中が肉の味わいに支配され。
そこに軽めの赤ワインを含めば、程よい渋みが肉の脂を軽くし、それでいてまた別の旨味へと変えていく。
なるほど、肉に合わせるのは赤ワインが良い、とされるのはこういうことかとイレーネは納得してしまう。
もちろんそれだけで満足するわけもなく、挽肉ステーキを切り分けて、もう一口。
赤ワインの残り香の上に肉の香りが乗って、先程とは違った風味が舌を、鼻をくすぐっていく。
じっくりと味わった後に飲み込めば、今度は胃の奥に温かいものが届いた感覚。
そこから、じわじわと身体の中に何か力強さを感じるものが染みこんでくるようにすら思う。
「はぁ……これは、何と言いますか……美味しい、という一言だけではとても表現できません。
しかし、どう表現したものかもわからないですね……わたくしの語彙の中にない感覚と言いますか」
「あはは、美味い、だけで十分だと思うけどな!
まあでも、そうやって言葉を尽くそうとしてくれるのは、作った奴も嬉しいんじゃないかな」
楽しげに言うガストンが、ぐいっとエールの入ったジョッキを傾けた。
……先程まで一杯に入っていたはずのそれが、あっという間に空になる。
まるで手品か何かのように無くなったエールに、イレーネは思わず幾度か瞬きをしてしまい。
それから、こほんと小さく咳払いをして気を取り直した。
「確かに、まずは美味しいとお伝えすることは大事でしょう。
まずはガストン様、こちらの挽肉ステーキ、とても美味しゅうございます」
「へ? いや、俺は作った奴じゃないぞ?」
微笑みながらイレーネが言えば、ガストンは間の抜けた声と顔で返す。
どうやら本当にそう思っているらしい顔に、イレーネはくすくすと笑い声を漏らしてしまう。
「とんでもない。この挽肉ステーキは、ガストン様が捌いて挽肉を叩いたからこそ出来たものでしょうに。
焼く、直接の調理をする方だけが作った人とは言えないと思うのです。
例えば、この豚を育てた方は、作った人に含まれないと思われます?」
「う……そう言われれば、確かに育てた奴も作った奴の中に入るよなぁ……」
イレーネに言われて、ガストンはなるほど、と頷く。
肉がなければステーキは作れない。とても当たり前のことだ。
ならば、材料を育てて提供してくれた農家の人も、作った人の内に入るだろう。
そして、それを加工した人間も。
「そもそも、ガストン様が叩いた挽肉が一番美味しいとファビアンさんも言ってらっしゃいましたし」
「そうそう、やっぱ大将の叩いた挽肉じゃないとこの味は出ないっすよ!」
と割って入ったファビアンは、既にそれなりに食べて飲んでいるらしく顔が赤くなっている。
上機嫌な彼に言われ、微笑むイレーネにも言われ、ガストンとて悪い気はしない。
「ま、まあ、そこまで言ってくれるんなら、俺も作った奴の内ってことで……。
あれ、そうしたら俺は、誰に美味しいって言えばいいんだ?」
思わぬ問いかけに、イレーネもファビアンも言葉が止まり。
それから、思わず吹き出してしまった。
イレーネはとても遠慮がちに。ファビアンは無遠慮に。
「そ、そうですね、それは……それこそ、調理をしてくれた方に、で良いのではないでしょうか」
「お、おう、それは、そうだな!?」
言われてみれば当たり前のことに、ガストンは若干恥ずかしそうに頭を掻く。
その姿を見て、イレーネはああ、と得心のいった顔になった。
「なるほど、ご自身が挽肉を作ることがが当たり前だから、ガストン様はご自分が美味しいと言われるのが不思議だったのかも知れませんね。
しかし、であれば尚のこと……料理人の方にも、当たり前のことをしているわけですが、美味しいですとかを言わないのはどうかと思いますし」
「だよなぁ……何だか照れくさいけど」
うんうんと頷くガストン。
二人のやり取りを見ていたファビアンが、唐突に頭を下げる。
「いやぁ、すんません大将。当たり前になりすぎてて、俺もぞんざいだったかも知れないっす」
「うえ? や、やめろよ、お前が殊勝な態度だと、調子が狂っちまう」
「まあまあ、いいじゃないっすか、たまには~」
「お、おい、何だもう酔っ払ったのか? ちょっ、気持ち悪いな!?」
殊勝に謝っていたのはどこへやら、いつも砕けた態度ではあるが、それよりもさらにお調子者度が上がっている。
ファビアンもまた、無事に到着したことで安心したところもあるのだろうか。
周囲を見れば、あちらこちらで子爵家使用人達と街の住人達が楽しげに語り、飲み交わしている。
それはきっと、こうして同じものを食べ、飲んだという効果はあるのだろう。
「これならきっと、明日からしっかりと働けそうね」
「ええ。……二日酔いになりさえしなければ」
ぽつりと零したイレーネの言葉に、マリーが答える。
彼女の口調はしっかりしているから、彼女は大丈夫だろうけれど。
「……そう、ね」
見回せば、何人か酔い潰れてしまっているのがちらほらと見える。
あまり強くないのだから、気をつけよう。
そう自分に言い聞かせたイレーネは、また挽肉ステーキを一口食べ、ワインを口に運ぶのだった。




