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いただく、ということ

「『挽肉ステーキ』……そういえば、東方の遊牧民がそういった料理を食べるとと聞いたことがあるような」

「流石奥様、よくご存じで! 彼らは馬をたくさん引き連れて部族ごと移動するらしくってですね。

 そうすると、当然途中で潰れる馬もいるわけで……その身体を、いただくらしいんですよ。

 ただ、移動で酷使された体は筋張って硬いんで、それを食べやすくする工夫として生まれみたいで」

「なるほど、生活に根ざした文化、ということですね。

 ああ、だから辺境伯軍で……」

「そういうことです。こう言ってはなんですけど、俺らは多分、国で一番、潰れた馬が身近な連中ですからねぇ」

 

 イレーネが何かを察した顔で言えば、ファビアンはいつものヘラリと笑った顔で頷いた。

 聞こえてくるガストンが肉を叩く一定のリズムを保った音が、ファビアンの表情を一層浮き彫りにした気がする。

 

 ……いつもと同じ顔、のはずなのだが。

 僅かに影が落ちたように思うのは、焚き火の明かりのせいだろうか、それとも何かを思い出したからだろうか。

 ガストンの従者である彼は、ガストンが乗る馬の世話もすることだろう。

 もしも世話をする馬が死んでしまったら。

 その心情は、推し量ることしか出来ないけれども。


「まあ、潰れた馬を野ざらしにして獣に食い散らかされるよりはずっとましですし。

 それにね、そうすることにしてから、うちは一段と強くなったなんて言われるんですよ。

 馬を潰さないために輸送や戦略面から考え直したりした、らしいです。

 潰れないように移動出来るようになったら今度は、現場の人間が『勝てば死なせずに済む!』とか奮起しちゃいましてね~」

「な、なるほど……だからシュタインフェルトの騎兵は比類無き強さになっている、と」


 ペラペラと立て板に水とばかりにファビアンがしゃべるのは、彼が過去に負った痛みを見せないためだろうか。

 しかもまた、詮索する気が起きないというか逸らされるくらいに彼の話は興味深い。

 

 イレーネ自身は、もちろん戦場に立ったことはない。

 だが、それでも聞こえてくる程にシュタインフェルトの騎兵は精強だという。

 恐らくその大半は、辺境伯軍の騎兵だったのだろう。

 辺境伯軍の練度はここの使用人達から伺えるが、そんな精兵達が、疲労の少ない状態で戦場に到達出来ていたとしたら。

 

 イレーネは、彼女の祖国レーベンバルト王国が兵や馬の疲労や負担を考えて移動計画を立てていただろうかと思い返すが……小さく首を横に振った。

 なるほどこれは負けるはずだ、と、イレーネはもう何度目になるかわからない感慨を抱く。


 しかし、そうなると。ふと思い当たったことに、小首を傾げた。


「いいのですか、ファビアンさん。今のお話、戦略上かなり重要に思いましたが……わたくしがレーベンバルトに伝えるのではとか考えませんでしたか?

 いえ、伝えるつもりはありませんし、そもそも伝えても、真似ることなど出来ないでしょうけれども」


 言いながら、故国の騎士達のことを思い出す。

 お高く止まっている彼らにとって馬は道具でしかなく、世話は従者だとか使用人任せな者がほとんど。

 そんな彼らが、潰れた馬の、さらに筋張った肉を叩いて作った挽肉ステーキなど、口にしようとはしないだろう。

 仮に食べたとしても、こんな厳かな感情など抱かないに違いない。

 まして、自分達で作るなど。


 色々と複雑なものを感じてしまっているイレーネの顔を、一瞬だけファビアンは真剣な目で見て。

 それから、いつものヘラリとした顔に戻った。


「大丈夫でしょ、多分。奥様ならその辺りよくおわかりでしょうし」

「そうですか? そう言っていただけるなら、わたくしとしても嬉しいですが」


 イレーネが見るに、ファビアンはガストンの従者で、様々な面での補佐を行っている。

 それは恐らく、お人好しなガストンの脇の甘さを補うことも含めて。

 その彼のお眼鏡に適ったというのなら、それは歓迎すべきことではある。


 少し重くなりかけた空気を入れ換えるかのように、ポン、とファビアンは軽く手を打ち合わせた。


「ま、そういう訳で『挽肉ステーキ』が辺境伯軍のメニューに加わり、別に馬に限らなくてもいいだろうってことで豚や牛も同じように食べるようになったわけです。

 なんせ内臓やすじ肉をゆっくりじっくり煮込む時間も燃料もないですからね、戦場近くだと」

「なるほど、それは、そうでしょうね……色々な意味で合理的な文化なわけですね、あれは」


 そう言いながら調理台へと向けたイレーネの視線の先では、ガストンが内臓肉を粗方叩き終わったところだった。

 それらの挽肉を料理人達が複数の金属ボウルに取り分けていく。


「ちなみに、どの部位をどれだけ入れるかとかで味がかなり変わるみたいなんですよ。

 おかげで、全く同じ味には二度と出会えないのが面白いところでもあるんですけど」

「……面白い。なるほど、そういう捉え方もあるのですね……。

 王宮料理などは、気象条件などに関係なく同じ味を出せるよう指導されると聞くのですが、確かにこの料理はその対極にありそうです」


 王族を相手にする王宮料理の場合、王族がどんな味を望むかが最優先される。少なくともレーベンバルト王国ではそうだった。

 料理人が勝手に新しい味を試すなどとんでもなく、まして意図せず味が変わるなど論外だろう。

 だがそれは、新しい出会いや意外な発見がない、ということでもあって。


「奥様は、そういった料理はお嫌いですか?」

「いえ、好き嫌いをどうこう言える環境ではありませんでしたし、今こうして見ていると、楽しみなくらいです。

 知らないことを知ることが出来るのは、きっと貴重な経験でしょう」


 ファビアンに答えながら、思う。

 故国レーベンバルトに足りなかったのは、きっとそんな姿勢だ。

 特に兄である王太子は、自分が知らないと思われることが許せない性格だった。

 それはきっと、自信や余裕の無さの裏返しだったのだろう。


「……少し、愉快かも知れません。きっとレーベンバルトの人間は、わたくしが今から食べる『挽肉ステーキ』の味を知らない。

 わたくしとマリーだけが知ることになる、というのは、少々優越感のようなものを覚えます」

「あはは、そう言っていただけるのは嬉しいですね!

 何せ繊細さとは程遠い庶民料理ですし。いや、この場合は軍隊料理って言うべきですかね?」

「軍隊料理と聞いて、わたくしが思い浮かべるものとはまるで違いますけれども。

 しかし、確かに軍隊の料理として理に適ってもいますからね」


 見れば、料理人達が挽肉に塩とハーブを振り、練り込むように混ぜていく。

 塩が肉に作用して粘り気を生み、挽肉が徐々に一塊になっていく様は、現象を知識としては知っていても不思議な光景だ。

 

 そうして下準備が終われば、平たく成形したものを網に並べ炭火へ。

 あるいは二本の串を包むようにして棒状に形を作り、焚き火の側へ。

 様々な形でステーキが焼き上げられていく。


「わ……匂いがこっちにまで漂ってきました」

「そうね、これは随分と……個性的だけど、食欲も刺激されるわね……」


 マリーが言えば、イレーネも少し意識して鼻から空気を吸う。

 新鮮な内臓肉を素早く丁寧に処理したとはいえ、それでも臭みは残る。

 それがハーブと混じり合い、炭や薪の香りが上乗せされれば、身体の奥底、生命に訴えかけてくるような何とも力強い匂いへと変わっていた。

 

「これ……絶対美味しいですよね?」

「もう匂いだけで美味しいと確信してしまってるわ……考えてみれば、そもそもこれだけ匂いの強い料理なんて食べたことあったかしら」


 イレーネが思い出すのは、故国の食事。

 素材の味を大事にする薄い塩味、と言えば聞こえはいいが……いや、それでも良くはないが。

 くたくたに煮られた野菜入りスープがほとんどで、パンだけは焼きたてを食べられていたが、それは使用人も同じこと。

 むしろ一番香りが強かったのはパンだったような記憶すらある。

 

 ちなみに、その次に匂いが強かったのはナイフ使いの練習に使った粘土である。

 イレーネは、テーブルマナーの練習ですら、本物の肉を出されることが稀だった。

 もちろんそれは王太子の嫌がらせだったのだが……結果、粘土で猛練習を重ねたイレーネの方が上手にナイフとフォークを扱っていたため、とある晩餐会で王太子が赤っ恥を掻く羽目になったこともあった。

 それを逆恨みした王太子から更に疎まれるようにもなったが、あれはあれでイレーネ的にはいい経験になっている。


 と、思わず昔を振り返っていたところで、こちらにやってくる人の気配を感じてイレーネは意識を戻した。


「あ、お疲れ様です、ガストン様」

「おう、ありがと。どうだ、楽しんでるか?」

「ええ、とても。こうして外で食事をするということ自体が滅多にないことですが……ガストン様のお肉を叩く様子なども、とても興味深く拝見しました」

「あはは、そっか、良かった。……貴族のお嬢さんはああいうの苦手な人が多いんだろうが、あなたは大丈夫じゃないかと思ったんだ」


 イレーネが微笑みながら労えば、ガストンも楽しげに笑う。

 ……今この空気ならば、少しくらい意地悪を言ってもいいだろうか、なんてことが、ふとイレーネの脳裏をよぎった。 


「あら、それはわたくしの肝が太いですとか、そういうことをおっしゃりたいので?」

「うえええ!? ち、違うぞ、そういうことじゃなくてだな!?」


 予想通り覿面に慌てるガストンに、イレーネは堪えきれずクスクスと笑ってしまう。


「ふふ、冗談です、冗談。たまにはこういうやり取りもよくないですか?」


 口元に手を当てながら、少しばかり上目遣いで。

 そんな仕草で笑うイレーネは、何だかとても新鮮で。


「か、勘弁してくれよ、まったく……」


 からかわれたせいか、それ以外か。

 顔を真っ赤にしたガストンは、困ったようにガシガシと頭を掻くのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 大航海オンラインの料理の説明でタタール人のステーキで今回のお話のようなことが書いてましたが、馬友いいですねぇ。 いきすぎるとガリバー旅行記のラストみたいになってしまいますが…。
[良い点] まともな国の軍であれば馬は戦友だから…獣に食われるなんて我慢できないでしょうからねぇ 結果あれよあれよと精強な軍になってしまったのは人の良さが良い方向に進んだ結果ですかねw
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