宴ともてなし
こうして切り分けられた豚肉は、流石にその後は料理人だとかが更に細かく切り分けて、調理に回された。
「ほんとは塊肉に塩すり込んで、炭火でじっくり火を通したかったんですけどねぇ、流石に今日は塩が回る時間が足りないんで!」
と料理人の一人が言っていたが、料理に疎いイレーネには意味が通じなかった。
マリーが詳しく聞いた話によれば、塊肉は金串をぶすぶすと幾度も刺してからその穴に塩をすり込むことで、中まで塩味がつくらしい。ただ、中まで塩味が届くのに時間がかかるのだとか。
また、塩味が十分に行き渡ることを彼は『塩が回る』と表現していて、ちゃんと塩が回った肉は少し性質が変化しており、生の肉と焼いたときの食感や味が違うのだという。
「焼いた後に塩を付けて食べれば同じだと思っていたわ……」
「私もです……だからああやって分けてるんですねぇ」
料理をしたことのないイレーネと、経験の少ないマリーが小声で言い交わしながら見ている先では、早速肉が焼かれていた。
かと思えばその横で料理人が、薄めに切った肉に塩やハーブを揉み込んでいる。
「なるほど、これ以上待たせないために先に焼くお肉と、後から出す手を加えたお肉を分けているわけね」
「バーベキューっていう豪快な調理法なのに、そういう気配りもしているんですねぇ」
感心している二人の目の前で、焼かれた肉が盛られた皿とワインやエールの入ったグラスが配膳されていく。
炭で焼かれたからだろうか、随分と食欲をそそる匂いが鼻をくすぐってきた。
配膳、といってもテーブルに着いているのはイレーネとマリー、招かれた客となっている街の住人達くらいのもの。
使用人達は立ったままだったり椅子だけ持ち出していたり。
こういった野外での食事には、随分と慣れしているようだ。
「よーし、そんじゃ皆、肉と酒は行き渡ったな?
今日はお疲れだ、じゃんじゃん飲んで食べて、疲れを癒やしてくれ! 乾杯!」
随分と簡潔な挨拶の後にガストンがジョッキを掲げれば、全員が……いや、短かすぎる挨拶に戸惑って一瞬遅れた街の住民達が若干ずれて、「乾杯」と唱和する。
それから、グビグビと一気に喉へと流し込むガストンと使用人達。
一口、二口程度で唇を湿らせる街の住民達とは随分な違いである。
言うまでもなく、あまり強くないイレーネもこちら側だ。
口にした赤ワインは、急ぎで調達してきたからか、決して上等なものではないが。
今年の新酒で、熟成がほとんどされていない若い、若すぎるくらいのそれは、だからこそ秋の夕暮れに外で飲むにはその熟れていない軽さが収穫の喜びを感じさせて心地よい。
ほのかに香りが残っているところへ小さく切った豚肉を放り込めば、炭の匂いと混じり合って新しい香りへと変わった。
なるほど『炭で焼く』というのは、それだけで一種の調味料になるのかも知れない。
「あちらの、薪で焼いてる方もまた味が違うのかしら」
「かも知れないですね、後でもらってきましょうか」
などと言い合うイレーネとマリーの目の前では、既に肉を食べ終わった面々がバーベキューグリルの前に列を成していた。
長旅の上に大掃除までしたのだ、それはお腹も空いていることだろう、と微笑ましく見ていたのだが。
「あら?」
と、イレーネは小首を傾げた。
おかわりを待つ列の中に、いるはずの人が居ない。
そう、ガストンである。
お腹の調子でも悪いのだろうか、とガストンを探して周囲を見れば、隅の方で何やら作業をしているのが見えた。
「あの、ガストン様? お肉は、よろしいのですか?」
歩み寄って声を掛ければ、近づく気配に気付いていたのか、驚いた風もなくガストンが顔を上げる。
「ああ、よくはないんだが、その前にやっとかないといけないことがあるからなぁ」
「やっておかないといけないこと……あら、これは……内臓、ですか?
それにこれは……牛乳?」
イレーネの視線の先には、水の張られた桶に浸かった内臓と、その脇に置いてある牛乳の入った桶と水の入った桶がいくつか。
ちなみにイレーネもマリーも、この程度のグロ耐性はあるようである。
これで料理でもするのだろうか、と小首を傾げ覗き込んでいたのだが。
「あ、あまり近づかない方がいいぞ、今洗ってるとこだから」
「洗ってる、って、ガストン様が、ですか? 確かに内臓肉はいかに丁寧に洗うかが大事と聞いたことがありますが……。
しかし、そうなるとそちらの牛乳は?」
「内臓の汚れってのが、水だけじゃ良く落ちなくて、匂いが残りやすいんだ。
だけど、なんでか牛乳で洗うと水よりも良く落ちてなぁ。ちょいと勿体ないけど、まあ仕方ない」
「そうなのですか? それは流石に、初めて聞きましたわね……」
等と会話をしている間にも、大きめのボウルに牛乳で肝臓をつけ込んだり、とガストンが作業する手は止まらない。
きっと、何度もこうして内臓の下処理をしてきたのだろう。それも、部下達を労うために。
と、いうことは。
「……もしかして、先程おっしゃっていた『名物』とは、内臓料理、ですか?」
「おっ、正解だ! まさか当てられるとは思わなかったなぁ」
イレーネの確認するような問いかけに、ガストンは上機嫌で頷いて返す。
まさか、というのも当然で、この国でもやはり内臓肉は低級なものであり、主に庶民が食べるものである。
おまけに保存技術もろくにないので鮮度が落ちやすく、まともな品質のものは屠畜業者くらいしか食べられない。
つまり、普通は労うためのご馳走に使われるようなものではないのだ。普通であれば。
「ああ、なるほど。一頭丸ごと買い取っているから、今日締めたばかりの豚が、内臓ともども手に入る、と。
それであれば、手間はかかりますが、わたくし達でも新鮮な内臓肉を食べられますね」
納得したような、感心したような顔で頷くイレーネ。
そう、めちゃくちゃ手間はかかるが。
ただその手間をこの男が引き受けることで、なんてことはないように思えてしまうだけで。
「……これ以上のもてなし、労いもそうそうないでしょうね……まさに『ご馳走』です」
「はは、そんな褒めるなよぉ」
「これは、褒めているのかいないのか、自分でも良くわからないのですが」
「いいんだ、俺としては褒め言葉に聞こえるから!」
笑い飛ばしながら、ガストンは桶の水を替え、じゃぶじゃぶと洗い出した。
どうやら洗い終わって最後のすすぎに入ったらしい。
こうして見ると、彼一人がやっているのも頷けてしまう。
何しろ作業が速くて正確なのだ、これだけ会話をしながらであっても。
全ての内臓肉をすすぎ終わり、絞った布巾で水気も拭って、どうやら準備が終わったらしい。
いよいよこれから調理、なのだろうが。
「はて。内臓肉と言えば煮込み料理かと思いますが、今から煮込むのですか?」
バーベキューグリルの方を見れば、まだまだ肉は残っている。
だが、時に数時間煮込むこともある内臓の煮込みが終わるまでには、とても残っていないだろう。
どうするつもりなのか、とガストンを見れば。
「いや、違うんだ。実はな、これから見せるのも『名物』のうちなんだ」
「見せる? 先程の解体のように、ですか?」
「おう、流石話がはやいな、その通り! ま、見ててくれよ!」
和やかな笑顔で笑いながら、ガストンはひょいっと桶を持ち上げた。
10kg弱の内臓肉が入った、木の桶を。
……先程の解体ショーを見た後では、もうそれも当たり前にしか見えなくなってしまっていた。
そして彼が、再び先程の調理台へと戻ってくれば、それに気付いた使用人達がまた盛り上がりだした。
「おっ! 大将、いよいよあれですかい!?」
「おうともさ、例のやつ、いくぞ!」
「待ってました!」
周囲の反応を見るに、これは一種の恒例行事なのだろう。
さてどんなものか、とじっくり観察すれば、既に調理台の上には肉が載っていた。
「あれは……何やら白っぽいけれど、何かしら」
「あ、多分あれ、すじ肉ですね。硬くてとてもかみ切れないですけど、煮込めば美味しいって聞きますね」
「……ということは、あれも内臓肉と同じように、長時間煮込まないといけないはずよね?」
マリーに言われ、イレーネはまた首を傾げる。
長時間煮込まないといけないはずの内臓肉とすじ肉。
それらを使って、ガストンは果たして何を作ろうというのか。
と、興味を引かれて見ていたイレーネの視線の先で、ガストンは包丁を取り出した。
それも、二本。
「え、包丁二本って、まさか」
「知っているの? マリー」
「あ、はい、多分、ですけど……お肉を叩くのではないかと」
「叩く?」
はて、包丁の峰の方で叩くのだろうか、と怪訝に思っていれば、ガストンがさっそくサクサクとすじ肉を切り分け出す。
「いやいや、だからなんですじ肉がそんな簡単に切れるんですか!?」
「そうよねぇ、硬いはずだものねぇ……」
すじ肉に触ったことがあるから実感の伴った声で言うマリーと、知らないからふんわりとした声しか出ないイレーネ。
そんな二人が見ている前で、ガストンはある程度にすじ肉を切り分けたところで、二本の包丁を握り直し。
その二本の包丁で、リズミカルに調理台を叩きだした。
もちろん正確には、その上に置かれているすじ肉を、だが。
トトトトと軽やかに響く音は、さながら打楽器か何かのよう。
そうして包丁が交互に打ち付けられていけば、すじ肉がどんどん細かく、ミンチ状になっていく。
「ああなるほど、文字通り叩いているわね……挽肉って、ああやって作るものだったの?」
「専用の器具もありますけど、ああやって作ることは少なくないです。
ただ、普通はあんな風にサクサクはいかないんじゃないかと……」
マリーの目には、ガストンが作っている挽肉は、普通の挽肉に見えなかった。
恐ろしく細かな細切れであって、肉がつぶれていない。
どうしたらそんなことが出来るのかわからないが。
「そう、普通じゃないんすよね~。だからあれは、大将がするしかないんすよ」
と、ガストンの包丁さばきに見入っている二人に横から声をかけてきたのは、ファビアンだった。
二人が振り返ったのを見れば、手にしたグラスを差し出してくる。
そういえば、ガストンの技巧に見入っていたせいか少々喉が渇いているような。
ファビアンに礼を言いながらイレーネとマリーがグラスを受け取ると、彼はいつものお調子者な笑みを見せながら説明を続けた。
「どうも、如何に肉を潰さずに細かくするかが大事らしくってですねぇ。
それが一番上手いのが大将なもんで、いつもああしてやってくれるわけなんですよ」
「ということは、すじ肉だけでなく内臓肉も同じように、ですか?」
「その通りです。そうやって出来た大量の挽肉で作るのが、我が辺境伯軍名物『挽肉ステーキ」ってわけです」
胸を張りながら言うファビアンは実に誇らしげで。
同時に、ちらちらと調理台に向かう視線が、早く食べたいと訴えているようでもあった。