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彼の本質

 そうして、馬車に揺られること数日。


「……この辺りは、大分道が悪くなってるわね……」

「そう、ですね……やはり、整備の人手が足りないのでは」

「それもあるのだろうけど……そもそも整備しようという意思が感じられないわね」


 と、振動の少ない馬車に乗っていてなお、イレーネが断じてしまう程の道を乗り越えて。

 ついに、トルナーダ子爵領となる地方の、領都といっていい都市へ辿り着いた。


「これは……予想通りと言うべきでしょうか」


 馬車から降りたマリーの感想に、イレーネも否定の言葉が出せない。

 辺境伯領へと向かう街道の中継点であるはずのその街は、人口で言えば千人前後の規模。

 宿場町としては大きいが、領都としては小さい、そんな程度の街。

 それが、彼女達が辿り着いた領都だった。


「あ~、そういえばこんな街だったなぁ」


 馬車から降りたイレーネ達の側へと馬を引きながらやってきたガストンが、まるで慌てた様子もなく言う。

 辺境伯領出身である彼であれば、確かにこの街に何度も来たことだろう。

 ただし、訪れた、ではなく、通過した、という意味で。


「ということは、ガストン様もあまり記憶に残っておられないということですか?」

「ああ、申し訳ないけど……全然印象に残ってないんだよなぁ」

「なるほど、そうですか」


 住民が聞いていれば失礼極まりない会話をしながら、イレーネは周囲を見回す。

 領主の館となる屋敷はそれなりの規模ではあるが、あくまでもそれなり。

 街の規模に比べれば立派なものだが、子爵邸として考えたら少々心許ない。

 それ以上に。


「お屋敷は立派ですが、手入れが不十分なようですね」

「そう、だなぁ……」


 忖度無いイレーネの突っ込みにガストンが頷いてしまうくらいに、手入れが行き届いていなかった。

 

「すんません、俺達にも物理的限界ってものが」

「いえ、流石にこの距離、この日程でこちらまで手を回すのは無理があるでしょうし」


 十数人に及ぶ使用人達を代表してファビアンが謝罪するも、イレーネは首を横に振る。

 王都の事務処理だなんだで人手をフルに使っていたのだ、こちらに手が回らないのはある意味当然のこと。


「強いて言うならば、人手を増やすという手がありましたが……ツテや資金の制約もありましたし」

「あ~……すまねぇ、俺が使える資金も、まだまだ限られてるからなぁ」


 イレーネが言えば、ガストンががしがしと頭を掻きながら頭を下げる。

 戦争の英雄であるガストンだが、元々は準男爵。国から支給される予算は決して多くはなかった。

 これが子爵になり、領地を任され、となって予算が付く手筈になってはいるが、まだ使える段階には至っていない。

 つまり、準男爵時代の貯金で何とかするか、あるいは人から借りるか、しかないのである。


「それはそれで致し方ないところでしょう。幸い広さは十分ですし、外観や少々の使いにくさを我慢するだけかと」

「お、おう……俺はそれで全然構わないんだけども、あなたは大丈夫なのか?」


 言うまでもなく、ガストンならば野宿経験もあるのだから、屋根と壁のある環境であれば十分である。

 しかし、王女として育ったはずのイレーネが平然とした顔で受け入れているのは、流石に周囲も驚いているのだが。


「ええ、大丈夫ですよ。わたくしも地方巡視の際などにはこういった環境で寝泊まりすることはございましたし」

「え。……え?? いや待ってくれ、行軍訓練とかでなく、巡視なんだよな?」

「大将、そもそも普通王女様は行軍訓練とかしないです」


 ガストンの疑問にファビアンが突っ込みを入れるも、それに対して応じる余裕がない。

 何故、この人が、そんな環境で寝泊まりする羽目になったのか。

 それが、どうにも納得出来ないでいたのだが。


「まあ、わたくしは王太子殿下から疎まれていましたから、その逆鱗に触れることを恐れてか、宿泊させてくれる貴族もそう居ませんでしたからね」

「は? い、いや待ってくれ、王太子殿下ってつまり、あなたの兄だろう!?」

「そうですね、血筋の上では。ただまあ、いわゆる家族と言えるかは……それこそ、一緒に食卓を囲んだ記憶がないですし」


 冗談めかしてイレーネが笑う。

 確かにそれは冗談めかしていたし、表情を見るに、彼女の傷にはなっていない。

 少なくとも、残ってはいないのだろう。

 だがそれは、彼女が傷つかなかったということを意味しない。


 残念なことに、ガストンはそういった事には気付いてしまう類いの鋭さを持ち合わせてしまっていた。


「だ、だったら……あ、いや、ええと……うがぁぁ!!」


 更に残念なことに、気付いたはいいが、そこで上手いことを言えるような器用さはなかった。

 何かを言いたい、しかし、どう言葉にしたらいいかわからない。

 それが行き過ぎた結果、ガストンは叫びを上げながら頭をかきむしるしか出来なかった。


 ただ。


「あらあら……あの、ガストン様、わたくしならば大丈夫ですよ?

 いえ、それでも気にされるのかも知れませんが……わたくしは、慣れておりますから、平気です」


 ガストンの奇行、その裏にある思考を理解出来る程度にイレーネは聡かった。

 そして、ガストンという男の心根も理解していた。

 だからこそ、安心させようと微笑みながら何でも無いことのように言ったのだが。


「うおおおおお!! だ、だめだ、それが平気だなんて、だめだ!!」


 むしろそれが引き金となって、ガストンは感情を爆発させた。

 どう言葉にしたらいいかわからない。

 しかし、このままイレーネに飲み込ませ続け、我慢させ続けてはいけない。そのことだけはわかる。

 そして、それはこうして一緒にやってきた使用人達も同じだった。


「大将! とにかくまずは屋敷を綺麗にしましょう!」

「窓全部開けて、風を通して、埃を落とすだけなら1時間もあれば!」

「まだ日は高いです、夕暮れまでには快適な環境にしてみせまさぁ!」


 ファビアンが、アデラが、その他の使用人達が次々に声を上げる。

 それも、今まで聞いたことがないくらいの力強さで。


「お、お待ちなさい。皆さん、今日は長旅で疲れているでしょう?

 でしたら今日は休んで、掃除だとかは明日にでも……」

「「だめです!」」


 長旅を終えたばかりで埃まみれの彼ら彼女らは、まさに一心同体とばかりに声を揃え反論してきた。

 王都に居た頃であればありえなかった光景に、イレーネは言葉を返すことも出来ず目をぱくちくりと瞬かせる。


「この環境で奥様にお休みいただくだなんて、その方がよっぽど俺達が疲れます!」

「そうです! きちんと掃除して、奥様が快適な空気の中お休みになられる状態でないと、気が休まりません!」

「むしろこの状況で休めって方が心と体に毒です!」


 口々に、ファビアンを始めとする使用人達が言い返してくる。

 その光景は、見慣れないものであり。


 同時に、イレーネの胸と涙腺を刺激した。


「み、皆さん、そんなことを言われたら、わたくしはどんな顔をすればいいのか……」


 浮かんできた涙を指で払いながらイレーネが言えば、皆言葉に詰まる。

 マリーでさえも掛ける言葉が見つからなかったのだが。


「笑えばいいんだ。笑いながら『ありがとう』って言えば、俺達はそれで十分だ」

「ガストン様……」


 思わぬ人からの思わぬ言葉に、イレーネは何も言えなくなる。

 笑えばいいだなんて、今まで言われたことがなかった。

 むしろ、兄であるはずの王太子からは、笑った顔が不愉快だとまで言われたのだが。

 ここでは、違う。何もかもが。

 改めてそれを言われて、胸が熱くなり。


「……ん? あの、ガストン様?

 『俺達』、とは……?」


 と、我に返ったイレーネが見たのは、使用人達に交じって腕まくりをしているガストンだった。


「あ、あの、ガストン様!? まさか、あなたまで働かれるおつもりですか!?」

「ん? もちろんだ、多分俺が一番元気だしなぁ」


 慌てて放たれたイレーネの問いに返ってきたのは、さも当然という返事。

 ついで聞こえてくる「違いない!」だとか「結局大将が一番働くんだからなぁ!」などという声。

 考えてみれば、ガストンは辺境伯軍に所属していたのだ、であれば行軍に際しての様々な作業だってしてきたことだろう。

 だがそれは、彼が準男爵、つまり貴族の中でもかなり下、半分平民と言ってもいい身分だった頃の話。

 今や子爵となって、この地域の領主となったというのに。


「そんじゃまぁ、さっさと屋敷を綺麗にしちまうかぁ!」

 

 彼は、変わらず先頭に立って人々を率いて。


「うっしゃぁ! やったりますかぁ!」


 だからこそ、使用人達は意気揚々と彼の後に続く。

 

 ああ。

 これこそが、彼の本当の力なのだ。

 

 何故か不意に、すとんとそんなことが胸の奥に落ちてきて。

 イレーネは微笑みながら、滲んできた涙をまた指で払った。

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[良い点] >>「笑えばいいんだ。笑いながら『ありがとう』って言えば、俺達はそれで十分だ」 こんな言葉を掛けられたらイレーネじゃなくても女性ならグッとくると思うよ! ガストンはホント「男前」だな!!
[良い点] これが家族だよイレーネ、君の家族だ
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