決戦、書類の山
「まず、こういった書類仕事の基本中の基本がお二人にはわかってらっしゃらないようです。
何かわかりますか?」
「うえ? いや、とにかく早く片付けること、じゃないのか……?」
イレーネから問われ、ガストンがおずおずと答える。
書類仕事が苦手な彼としては、とにかくこの時間が一刻も早く終わって欲しくて仕方ないのだから、そう言うのも仕方のないところだろう。
だが、その答えにイレーネは即座に首を横に振る。
「恐らく一番やってはいけない考え方ですね、それは」
「うえええ!? そ、そうなのか!?」
「はい。それで早く終わるのは、余程の天才か何かです。少なくともわたくし達普通の人間がやるべきことではありません」
きっぱりと言い切るイレーネにガストンは言い返せず、ファビアンとアデラも『え、そうなの?』という顔になり。
マリーは一人、『いえ、イレーネ様は割と普通じゃないですよ?』と思うも口には出さなかった。
それぞれに答えを返せない四人を前に、イレーネはしばし答えを待って。
返答がないとわかれば、やや呆れた表情になる。
「なるほど……皆様、あまり書類仕事はお得意ではない、もしくはあまりされてこられなかったようですね。
ファビアンさんは器用にこなす印象がありましたから、少々意外ですが」
「あ~……すみません、軍の事務仕事は定型的な計算ばっかりで得意なんですが、こういう色々考えないといけない仕事は慣れてないもので」
「ふむ。ということは、計算はお得意と考えてよろしいですか?」
「あ、はい、自分で言うのもなんですが、割と得意な方かと」
「わかりました、でしたら……」
ファビアンの自己申告を受けてイレーネは書類の置かれた机へと向き直り、積み直して書類を四枚ほど並べられるスペースを作り出した。
それから、書類の山から一掴み、束を取り出して……パラララと指に当てて弾くようにしながら捌いていく。
もう一度、今度は先程よりも少しゆっくり。
それが終われば、先程作ったスペースに書類を並べ、重ね直していく。
手にした書類を全て並べ終えれば、また一掴み取り出して、同じように捌き、並べて。
幾度か繰り返せば、机の上に山と積まれていた書類が四つの山に分けられていた。
「こちらの山は期限がまだ先なので後回しに。
こちらは検算が必要なものなので、ファビアンさんとマリーで手分けして検算してください。
それからこちらは夫人が代行しても問題ない書類なのでわたくしが処理いたします。
最後にこちらは、ガストン様しか処理出来ないものになります。
それだけに内容が難解ですから、概要と解説を作成いたしますね。
……と、このようにまずは分類して優先順位を明確にすることが重要なのです」
それら分類された書類を前にガストンとファビアンが言葉を失っているところへ、イレーネが淡々と次にやるべきことを指示していく。
あまりに自然なその言葉に、彼女にとってはこれが当たり前に出来ることなのだと、何となく理解した。出来てしまった。
「え、普通の、人間?」
『一緒のカテゴリにされたくない』と続けそうになって、ファビアンはギリギリで言葉を飲み込む。
だが、言いたくなってしまうのも仕方の無いことだろう。
どう見ても流し読み、それよりももっと短時間しか目を通していなかったはずなのに、少なくとも一番上に乗せられている書類は、イレーネが言っていた通りの内容。
ということは、本当に目を通した上で判断した可能性が高い。
あんな、文字を一文字二文字読めるか程度の僅かな時間しか見ることの出来なさそうな捌き方で。
ガストンもアデルも同じようなことを思ったのか動きが止まる中、ただ一人マリーだけが動き出していた。
「ではこちらはお預かりいたしますね。ファビアンさん、半分はお任せしますよ?」
「え、あ、はい。……え? なんで普通に仕事しようとしてんです? あれおかしくないっすか?」
「イレーネ様ですから。さ、そんなどうでもいいことを考えてる暇があったらこちらの検算をお願いします」
「は、はい??」
ざっくり半分に分けた書類をファビアンに押しつければ、まだ呆気に取られているものの、受け取るのは受け取った。
書類を落とさず持ったことだけを確認したマリーは、それ以上何を言うこともなく早速検算作業に入る。
それを見たファビアンも、これ以上考えても無駄だと割り切ったか、作業に取りかかった。
ちなみに、この国においては既に羊皮紙にとってかわって植物紙が流通している。
それも、検算のための計算用紙として使っても誰も何も言わないほどに。
そしてファビアンは、それを使い潰しながらの計算は得意だった。
「……うん、ファビアンさんに計算を任せるのは問題なさそうですね。
そうそう、アデラさん、厨房に行って休憩用に何か甘い物を用意して欲しいと伝えてもらっていいですか?」
「あ、はい! ……正直あたしにはそれくらいしか出来なさそうです!」
お願いされれば、ピシッと背筋を伸ばしてアデラが答える。
彼女とて読み書き計算はしっかりと仕込まれているのだが、ファビアンには及ばない。
であれば、身体を動かす役割を担うべきなのだろうと切り替えて、言われた通りの伝言を伝えに行く。
そして残ったのは、彼女が自分で処理すると決めた書類とガストンの書類なのだが。
こうして指示を出していく間にも、既に概要と解説を一枚に纏めたものを作り出していた。
「……ああ、これは明日、法務官殿がいらしてから確認しつつ進めた方がいいですね。
これとこれ、後これを今日中に決裁したいところですね」
「お、おう? ……よ、読まずにサインだけ、っていうのは……」
「駄目です。わかっていて聞きましたよね、今」
「お、おう……やっぱりかぁ……」
きっぱりと断じられて、ガストンはしょぼんとしながらも書類に目を通す。
まずは、概要と解説の方を読んで。
それから改めて書類を見れば、先程に比べればまだ中身が頭に入ってくる。
「おう……これなら、何とかなる、かも……?」
「それはようございました。もっとも、何とかしていただかないといけないのですけどね?」
「うええ……何とか、する」
若干突き放すようなイレーネの言い方に、しかしガストンは怯みながらも頷いて返す。
彼とてわかっているのだ、この書類は何とかしなければいけない類いのものなのだと。
そして、何とかなる糸口は、イレーネが作ってくれた。
後はそこを突破するだけなのだと。
「うおおおおお!!」
思わず、気合を入れる。
ここを突破できるのは、その資格があるのは自分だけ。
これは自分だけの戦なのだと理解したガストンは、決意を固めた。
今のガストンは、孤立無援ではない。
露払いをしてくれるファビアンとマリー、補給をしてくれるアデラがいる。
何より、概略と説明という知恵と武器を授けてくれたイレーネがいる。
この戦、負けられない。負けるわけにはいかない。
「こんな書類くらい、なんだぁぁぁぁ!!」
気合を入れて、書類へと吶喊。
数時間後、今日やるべき事をやりきったガストンは、穏やかな顔で執務机に沈んでいた……。