トルナーダ家の人々
食後の一休みも終わり、マリーを伴って部屋から出たイレーネだったが、屋敷内の人間はおおむね彼女に対して好意的だった。
「これは奥様、ごきげんよう。何か御用がございましたらお申しつけください」
「ありがとう、大丈夫です。ちょっと屋敷の中を見て回ろうと思いまして」
「なるほど、奥様はこちらにいらしたばかりですしね。ああ君、奥様をご案内して差し上げなさい」
「はい、かしこまりました!」
一人の老執事が歩くイレーネを見つけるとすぐに歩み寄ってきて、用向きを尋ねてくる。
……その年を思わせない達者で淀みない歩き方に、マリーは思わず驚きそうになったが。
あれは、間違いなく達人の歩き方。
それが自然に出来ている老人が執事を務めるこの屋敷とは、一体。
などと、わかってしまうが故にマリーは一人で恐れおののいているのだが、幸か不幸か主であるイレーネにはそちら方面の嗜みはなく、執事の凄さはわかっていないようだ。
そして老人もそれをひけらかすつもりはないようで、ごく自然に対応し、近くを通ったメイドを呼び止める。
やってきたのは朝食時にガストンへと文句を付けていた年若いメイドで、なのに彼女もまたその足運びは熟練者のもの。
この屋敷には辺境伯軍から退役した者ばかりと聞いてはいたが、改めてその質の高さを見せられると背筋に冷たいものが走ってしまう。
『王太子殿下は本気でこんな国相手に勝つおつもりだったんですか……?』
などとマリーは思ってしまうのだが、元々イレーネを遠ざけていた人間だ、その答えを王太子から聞く機会はきっとこないだろう。
それに、この屋敷の面々が特に優れている可能性もあるのだし。
と、綺麗に掃除された廊下を見ながら思う。
この屋敷は、元々が辺境伯家のものだけあって子爵家のものとして見れば中々広い。
しかし、使用人の数は子爵家にふさわしい程度の数に抑えられている。
なのに、掃除が行き届いている。
ということは、一人一人のこなせる業務量が普通の人間よりも多い、ということなのだろう。
また、業務量だけでなく質もかなり高いようだ。
特に庭師の仕事は見事の一言で、あそこまできっちりと綺麗に整えられている庭は、そうはない。
ふと思い立って、案内をしてくれているメイド、アデラへとマリーは聞いてみることにした。
「……庭師の方も辺境伯軍出身の方なんですか?」
「ええ、トムじいさんは一番の古株で。もう七十にもなろうっていうのに、まだまだ現役じゃー! とか言って元気なものですよ~」
「七十前? え、あれで?」
驚きながら庭を見るマリーの視線の先では、しゃんと背筋を伸ばした老人がハシゴの上に立ち、大振りの鋏をシャキンシャキンと小気味よく鳴らしながら操って植木の枝振りを整えている。
腕にも首にもまだまだしっかりと筋肉がついており、遠目には四十代と言われても納得する程。
しばし言葉もなくトムと呼ばれた男性の様子を見ていたマリーは、アデラの方へと顔を向けて。
「辺境伯軍には秘伝のアンチエイジング法でもあるんですか? もしあるなら教えて欲しいんですけど」
「あはは~、そんなのあるわけないですって。強いて言えば、鍛えてるから、かな?」
「き、鍛えてるだけでああはならないと思うんですけど……」
そう言いながらマリーは庭へとまた目を向けて。
それから今度は、アデラの方へと、その肌へと目を向けてしまう。
年の頃はガストンやイレーネと同じく二十前後。化粧っけは薄いが、そもそも厚化粧をあまり必要としないのだろうと思う程に生命力漲る肌。
彼女やイレーネより少々お歳を召しているマリーとしては、気にならないわけでもない。
「ん~……奥様は流石に無理にしても、マリー様だったらついてこれなくもない、かも~?」
視線に気付いたか、考えを読まれたか、アデラがマリーの腕や足を見ながら言う。
ちなみに、王女付き侍女であるマリーは母国では貴族令嬢だったため、アデラは彼女に様付けをしている。
それでも大分気安い口調ではあるのだが……アデラの人柄だからか、職場の人間だからか、マリーは咎める気が全く起こらない。
むしろ、他のことに気を向けさせられたから、かも知れないが。
「あの……私なら、というのは?」
「え、だってマリー様、結構鍛えてますよね? 多分、いざっていう時のために」
あっさり言い当てられて、マリーは絶句してしまう。
何しろ母国では貴族令嬢が身体を鍛えるなどはしたないとされているため、気付かれないように、悟られないようにと振る舞ってきた。
努力の甲斐あって母国では一度も指摘されたことはないのだが、まさかあって即ばれてしまうとは。
「……ちなみにマリー、わたくしも気付いていたわよ?」
「そうなんですか!?」
「ええ。あなたが言われたくなさそうだったから、黙っていたのだけれど」
「それは、確かにそうなんですが……あ、でもイレーネ様にわかられているのは、それはそれで……?」
それまで口を挟まないでいたイレーネが少々申し訳なさそうに言えば、マリーはショックを受けたような顔だったのだが、すぐに立ち直った。
つまり、それだけイレーネがマリーのことを見ていた、気に掛けていた、ということで。
「ちょっとマリー、顔が少しだらしなくなってるわよ?」
「はうっ!? も、申し訳ございません」
咎めるようにイレーネが言えば、マリーは慌てて顔と姿勢を立て直した。
……それを見たイレーネがくすくすと笑っている辺り、本気で咎めるつもりは最初からなかったようだ。
「それでマリーはどうするの? アデラさん達と一緒に鍛えるの?」
「え、そこに戻るんですか? いえその、興味はありますけど、イレーネ様のお側を離れるわけには……」
流石にトルナーダ家の使用人を前にしてイレーネのことを『姫様』と呼ぶことは躊躇われたらしいマリーは、問われた内容についても躊躇ってしまう。
その表情を見ていたイレーネは、ふむ、と一つ小さく頷き。
「まあ、すぐに決める必要もないわね。マリーだって新しい環境に慣れるのに疲労もするでしょうし」
「……そう、ですね……新しい環境であれもこれも、と手を出すのもなんですし」
イレーネに言われ、マリーはこくりと頷いて見せた。
彼女の言葉の意味。新しい環境に慣れるとはつまり、この屋敷内の人間がどれだけ信頼出来るか見極めてからということなのだろう。
確かに見極めが出来た後であれば、そしてしばらくの間イレーネの側を任せられると思えたら、鍛錬に参加すること自体はマリー自身の為にもイレーネの為にもなるように思える。
そう思えるようになればいいな、とも思う。
「じゃあ、マリーさんが参加するかは保留ってことで。んふふ、楽しみだなぁ、鍛錬仲間が増えるかも知れないって思ったら」
「あ、あの、お手柔らかにお願いしますね……?」
楽しそうに笑っているアデラに水を差すようで悪いが、そこはしっかり言っておかないといけないところ。
恐らくマリーの身体能力は、アデラの足下にも及ばないし、本気を出されたらとても付いていくことなど出来はしない。
戦々恐々といった顔でマリーが言うけれども、アデラは聞いては居るけれどわかってはくれていない顔だ。
「大丈夫大丈夫、最初は軽く新兵コースで……あれ?」
新兵コース。つまりブートキャンプコース。
そう考えて、その厳しさを伝え聞くマリーはぞっとしたのだけれど。
急に怪訝な顔になったアデラに、小首を傾げた。
「どうかしましたか、アデラさん」
「えっと、何かガストン様の呻き声が聞こえるような?」
「え!? た、大変じゃないですか!?」
思わぬ言葉に、マリーは思わず声を上げた。
この子爵家当主でありイレーネの夫となったガストンが、呻き声を上げている。
となれば、襲撃か暗殺か、怪我でもしたか毒でも飲まされたか……とマリーは大慌てなのだが。
「……アデラさんが落ち着いている、ということは、よくあることなのかしら?」
イレーネが落ち着いた声で尋ねれば、アデラはとても残念そうな顔になりながら、こくんと頷く。
「はい……多分あれ、ガストン様が書類仕事で死にそうになってる声です……」
「あらまあ」
恥ずかしそうな顔で言うアデラは、残念なものを見るような目で、遠くを見る。
きっとその視線の先に、苦悶するガストンがいるのだろう。
その光景を想像するとなんともおかしくて、イレーネは思わずくすっと笑ってしまった。
「ならちょうど良いかも知れないわね。アデラさん、ガストン様のところに案内してくれるかしら」
「あ、はい、奥様。……ちょうど良い、ということは、お手伝いしていただけるので?」
「ええ、まあお手伝いになるかはわからないけれど。……今日はゆっくりするつもりだったけれど、書類仕事で死なれても困りますし、ね」
少し茶目っ気を出しながら、パチリと片目をつぶるイレーネ。
「「はうっ」」
そんな悪戯な仕草に、アデラとマリーは同時に同じような声を上げて、両手で胸を押さえたのだった。
※ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
連載版開始からここまで毎日更新してきましたが、そろそろ毎日更新がきつくなって参りました。
明日日曜はお休みをさせていただいて、週明けからまた更新を再開しようかと思います。
また、週明け以降は毎日ではなく、他にも連載がある関係で二日に一回とか三日に一回とかになりそうです。
(下の方にリンクを貼っておきますので、ご興味ございましたら……)
申し訳ないですが、ご了承いただければと思います。
それでは、今後もまたお読みいただければ幸いです!




