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6話


 帰りのHRも終えて遠巻きに感じるいくつかの視線を受け流しながら教室の扉に手をかける。横に滑らせようとしたら妙に軽々と動いた。

 下がっていた視線を戻すと真正面には俺よりも一回り大きい男が立っていた。背が高いというだけでなく、体つきが細身ながらも筋肉がついているのがわかる。今は昔の言葉で細マッチョという奴だ。

 その男子生徒は俺がいるのを認識すると、少し長めながら清潔感のある頭を揺らして話しかけてきた。


「お前ここのクラスか。このクラスに秋里ってやついるだろ。どこだ?」


 粗雑な物言いにちょっといらっと来たが、校内用シューズのラインに入っている色を見る限り三年生のようだ。上から下に向ける言い方するのもわかる。理解と納得は別物だが。

 なんにせよ面倒そうな匂いがぷんぷんする。ここで正直に「俺がその秋里でございますが、何用でごぜえましょうか先輩様、えっへっへ」と持ち得る限りのスキルで腰を低く見せても対応が変わりそうにない類の。

 ここは一つ男らしくいくしかあるまい。


「秋里ですか。ええっと――俺の見た限りは居ないみたいですね。終わってそんな経ってないんで校内には居るんじゃないすかね」


俺の二十六の特技の一つ、しれっとした顔で嘘ではないが本当でもない事を言う『詐欺師の話術』の出番である。わざとらしくないように教室内を一瞥するのがポイントだ。俺の視界に俺自身が居るはずもないのだから嘘ではない。家族からは「仁は二流の詐欺師に位はなれそうだね」と賞賛の言葉をもらえた程真実味をにじみだせる。あれ、よく考えたらほめられてないんじゃね。

 二流程度ではあっても信じさせるには十分だったようで、先輩は小さく舌打ちすると


「出遅れたか。ありがとよ、他の奴に聞いてみるわ」


 うーすと返して先輩と入れ違いに教室を出る。近くの人間を呼び止めて、俺が探している相手だと気付く頃にはとっくに姿を見失っているだろう。知ってるか。誰かに合わせる必要のない俺のような人間の歩く速さというのは自然と常人のそれを上回ってるんだぜ。ちなみに、俺もそうだがオタク趣味の人間の歩行速度が速いのは目的のために一分一秒が惜しいからっていうかっこいい理由があるんだと勝手に思ってる。


 さらばだ明智君と内心で呟きながら気持ち早目に廊下を進む。余裕ぶってみても普段ならいざ知らず、多少なりとも俺に注意が向いている今ではそれほど時間もかからずにわかってしまうだろう。

 他の教室から出てくる人の流れの隙間を突いて歩みを止めずに進み、階段を二段飛ばしで駆け下りる。目立たず足音を大きくしない体重移動は中学時代に習得済みである。ほとんど使いどころのないスキルだがこういう時に役立つから侮れない。

 一階についたら一目散に昇降口に向かう。正直ここまで来たらわざわざ走って追いかけでもしてこない限りは捕まる心配はないわけだが、万全をきすのが俺のポリシーだ。慢心は捨てるべし。それは人類最古の英雄王さえも舞台からあっさり退場させてしまう。


 障害も無く下駄箱に到着に着いたら最近見慣れた顔があった。艶やかな黒髪が流れ込んできた風になびいていた。その表情には驚きがあった。


「あ、あれ、秋里君だ。そんなに急いでどうしたの?」

「――美野沢さんか。ちょっと野暮用というかでな」


 軽く言葉を濁す。急いでいるわけは自分自身の経験と勘に根拠があるわけだが、逆に言うとそれしかないわけで。誰かに一言で説明するとなると難しいものがある。俺はそうは思ってないが、ただの思いすごしということだって十分考えられる。

 上履きを脱ぎながら軽く左右を確認する。さっきの先輩が追いかけてくる様子はない。


「そっちも帰りか」

「……うん。今は早く帰った方がいいかなって、色々とね」

「まあ、そうだな、学校なんて終わったらとっとと離れちまうに限る。本屋でめぼしい本を物色するのもいいし、ゲーセンでプレイするのもいい。ぶらっと映画見に行くなんてのは最高だ。だらだらと残ってるより遥かに有意義な時間を過ごせるぞ」


 俺の場合はいうまでも無く全部一人でだがな。己のためだけに動けるからすごい楽しいんだけど、世間的に寂しい人扱いなのはなんでだぜ。

 俺の言葉の何が面白かったのか彼女はくすっと口元を動かして笑った。


「そうだよね。早く帰るなら帰るで楽しみ方はいくらでもあるし、楽しんだっていいもんね。……ちょっとそう考える気になれなかったけど、秋里君の言葉でそんなの吹き飛んじゃった。その、ありがとね、慰めてくれて」

「別に、そんなつもりじゃねえよ。思ってる事を言っただけだ。深読みしすぎだ」


 そう、彼女が早く帰ろうとしている理由も、なんとなく想像する事はできるが、所詮は想像だ。俺が勝手に想像した事で何か言うべきではないし、聞く気もない。お互いそんな関係でもないのだから。

 それでも、元気が出たというのならばそれに越した事はない。誰であろうと、沈んでいる姿を見るよりはよっぽど。

 そんな事を思いながら下駄箱を開けて靴を取り出そうとした。が、開けた所で一瞬手が止まった。


「どうかしたの?」


 背後から美野沢の心配そうな声が聞こえた。立ち位置的に下駄箱の中は見えないが、雰囲気でなんとなく良くない事が起きたのでないかと考えたのだろう。


「いや……恥ずかしい話なんだが、あまりの靴の匂いにちょっと意識が吹っ飛んだみたいだ」


 我ながらこれはひどい。流石の俺もこれには苦笑い。いっぺん洗うか買い換えた方が良いだろこれ。意識してなかったが、これは根深いぞ。


「あ、そ、そうなんだ」

 俺のしかめ面に納得したのか若干引き気味に彼女も苦笑い。後ずさったのも見て取れた。誰だって人の靴の匂いとか嗅ぎたくはなかろう。

 そのまま何となく校門まで一緒に歩き、方向も違うのでそこで別れた。

 別れ際彼女はこちらに手を振ってきたが、俺は頭を軽く下げるだけに留めた。

 そのまましばらく歩いた所でさっきポケットに入れたものを取り出した。何の飾り気もない封筒である。ないとは思いながら表と裏を確認したが、やはり宛て名も差出人も書かれてはいない。

 靴を取り出す前に止まったのはこれを見つけたからだった。俺に届いたこの手のもので良い事であった試しがないので少し動揺してしまったらしい。動揺したのはともかく、それが行動に影響を及ぼしてしまったのは反省すべきだ。不要な心配を、する必要のない誰かにまで負わせるのは罪悪だ。俺自身がそうしてもらいたいと望んだわけでも、相手がそれを望んだわけでもないのに。

 心配するべきだという普遍的な価値観に縛られて、したくも無い事をするのもされるのも、迷惑でしかないのだから。


+++


 家に帰るとおざなりに帰宅の言葉を告げてそのまま自室に向かった。

 鞄を勉強机に放り投げてベッドに腰を下す。ここでようやく封筒を開封した。

 中に入っていたのは一枚のメモ用紙で、それ以外は封筒を逆さにしても何も出てはこなかった。封筒に入れる意味あったのか、これ。

 有限なる資源の使い道に疑問を持ちながらメモ用紙に目を通す。


『美野沢早雪に関わるな。身の安全を保障しない』


 ワープロの文字で簡潔にそれだけが書かれていた。大げさに構えていたのが馬鹿らしくなるほど典型的な文章である。

 真っ正直に受け取るならこれは明白なまでの脅迫文というやつだろう。

美野沢は飛びぬけて目立つわけではないが、QPの日記によれば何人からも告白されるほど人気のある女子だ。熱狂的なシンパというかファンというか、そういう傍迷惑な輩が密かに存在していたとしても「非常識な話だぜ」と呆れはするが驚きはしない。もっと行きすぎたストーカー気質の人間が居る可能性も捨てきれない。

 もしくは、逆に負の方向に感情の振りきれた人間が居るかだ。人気があるという事は同じくらいやっかみや妬みをも買うという事だ。無自覚に得られた人気であってもそれは変わらない。そしてどんな人間であっても、表面上誰からも恨まれないような人格者であっても必ずその在り方を気に入らないと考える者はいる。そこに例外はない。


 なんであれ、あくまで想像でしかなかった事象に根拠ができた。誰かが確かに美野沢の周辺で動いている。好意や憧れの行きすぎなのか、それとも悪意の発露としてなのかはまだ判別がつかない。

 関わるな、という表現も気になる。そもそも多くの人間からすれば俺と美野沢との関わりは告白したされたというものにしか見えてないだろうし、それで概ね間違っていない。唯一、関わりがあるように思えるのは一緒の場所で食事とっている事実だが、一緒の場所にいるだけで、連絡事項以外は特別会話をしていない。これで果たして関わっていると言えるのだろうか。いや、実際はどうあれ、そう見えるかどうかだけが問題なのか。

 なんにせよ弓塚の方の結果が出ない事には確実な事は何も言えない。このメモも一応調査してはもらうが、特徴の無いありふれた紙だ。ここから追いかけるのは考えない方が良い。

 となると手がかりも足がかりも無い。やはり出しゃばる事はやめておくのが吉なのだろう。あてもなく動いても徒労に終わるのは目に見えている。


――いや。あるにはあるのか。


 携帯を取り出して画像フォルダを開く。探しているファイルは一番上に保存されていた。

 大部分を建物が占めているが、下方に人が写っている。両腕で顔を隠していているため、きている服からうちの高校の生徒としか得られる情報がない。

しかし、それは俺を尾行していた人間の存在を確かに証明するものだ。そんな真似をされる覚えがなく、調査活動の邪魔をするのもなんなのでまだ弓塚に見せてはいなかった。あれ以降それなりに気を払ってはきたが、同じような事は起きていなかったので一まず放置してきた。

 この脅迫文と尾行者を今の段階で関連付けるにはまだまだ情報が足りない。しかし、とりあえずの方向性として考えるには丁度いい。調べた結果尾行者がこれと何の関係もなくとも、俺としては謎が一つ解消されて何も損が無い。


 そうと決まれば弓塚に見せておくか。やると決めたなら使えるモノはなんでも使え、だ。みんなが俺を利用するんだから俺もみんなを思う存分利用していいんだ、って気付いてからは知識としてだけでなく実践している考えである。「どうして俺だけこんな扱いされるんだ……」って嘆いているよりはよっぽど健全な発想だと思うがどこにも隙が無い。完璧だね、そんな考えするような奴だから相応の扱い受けてたんだって所まで含めて。

 一歩間違うと自傷行為だから思考法にはみんな気をつけてね。

 脳内の観客に向けてお兄さんとの約束だぞ、とテレビやヒーローショーで流れる注意みたいな事をやっていると、落ちついたノックの音が聞こえた。


「おー、どうぞー」


 ぎいっと音と共に部屋のドアが開いて、ひょこっと誰かが頭だけ出した。肩口まで伸ばして自然なままにした髪、ぱっちりとした眼、愛らしい唇。この愛され系女子は一体誰だ。まあ、誰かというかうちの妹の秋里志保なんだが。


「兄さん、お母さんがご飯できたから呼んで来いって」

「いつのまにか時間か。へいへい、わかったよ。すぐ行く」

「そんな事言って全然来ないんだから。兄さんのせいで食事の時間いつも遅れるんだよ」

「いや違うんだって志保。母さんの食事を用意し終わる時間帯にいっつも眠気が襲ってくるのが悪い。睡魔ってのは人間の三台欲求の一つ、睡眠欲を司る強大な悪魔なんだ。俺のような一介の凡人には抵抗するなんてとてもとても。ああ、俺にエクソシストとしての素養があればこんなことにはっ!」

「……兄さん、正直うざったい」


 ばっさり切られた。我が妹ながら古来の剣豪もかくやという見事さ。思わずワザマエ! とか言っちゃうレベル。それはニンジャだね。


「もう少し兄妹の会話ってのしてみる気はないか」

「もう少し兄妹の会話というものを勉強してくるなら考えてみる」


 もっともな話である。さっきのは俺もやられたら一発殴っていいか聞く位のうざったさだ。一言言うだけでおさめてくれた妹の心の広さに感謝した方が良い。普通は兄の寛容な精神を見せつけて妹からの尊敬を得るのにむしろ俺が尊敬しちゃう。


「今後の課題にしておくよ……にしても」

「なに?」


腰を上げて部屋の外に出て、志保の隣に立つ。並ぶと志保は俺の肩辺りの背しかないので、自然とこちらを見上げる形になる。


「その髪型も良いとは思うんだが、家ではポニーにはしないのか」

「あれは外の私専用なの。あほな事いってないでいこうよ」


 あれもかなり似合ってるから統一してもいいだろうにな。その辺は志保のこだわりってやつつだから仕方ないか。

 わかりましたよと返事して俺も後に続いた。



 頼むのに早いに越した事はないので、翌朝は早目に家を出て学校に向かった。メールは送っておいたからいざ行ってみたら誰もいなかったなんて事にはならないはずだ。

 時間帯が違うと人の流れも違う。朝練に向かう運動部の姿があるほど早くもなく、予鈴ぎりぎりでいいやという遅刻も辞さない生徒が歩いている程遅くも無い。今の時間帯というのはその隙間のようなもので、いつも後者に属している俺にとっては比べると人通りが少なくて気分が良い。思わず鼻歌でも歌おうかって気になる位。

 人は大した事が無くとも上機嫌になれる。しかし、簡単に反転して機嫌が急落することだってある。今の俺がまさにそうだった。


「なんでいるんだよ……」


 校門の端に背中を預けて登校してくる生徒を睨みつけている男が居た。昨日の放課後に俺を探していた三年の男子生徒だ。

 電柱の陰に身を寄せる。心もとないが、道端につっ立っているよりは余程マシだ。昨日の今日で、あの先輩のやっている事を察っせない人間はいないだろう。

 不機嫌そうに目つきが鋭くなっているが、よく見ると目の下にくまができている。早起きして早朝から張り込んでいたんだろうか。ご苦労様と言ってやりたい。

 まあどんなに苦労してもらっても俺がそれに応える理由も義理も無い。徒労に終わっても自分が選んだ結果として受け止めてもらおう。

 俺は踵を返して正門以外の門へと回った。

もっと早くに来ていたら危なかったのかもしれない。


評価、感想お待ちしております。

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