2話
翌日の事である。
特段何かがあるとは思ってはいなかったが、学校に着いてから向こう本当に何事もなく時間が過ぎていった。
いや、細かい事を言えば恐らくどこからか話を嗅ぎつけたのか、クラスの一部女子グループにチラチラとこちらを見られたり、こちらが視線を向けると薄笑いを互いに浮かべ在っていた事があったくらいだ。
と言っても昨日の事についてなのかはわかったものではない。俺のようなモノをネタにするのに大した理由などいらないのだから。精々、連中が話題にする話の種が尽きたから俺に御鉢がまわってきた、程度の認識が正しい。深く考える気が無い事にはとりあえずの結論を作って放置するのが精神衛生上よろしい。
しかし、つくづく思うのだがそこまで盛り上がる事もなさそうな話題について中身のない会話を続けるのは苦痛、とまではいかなくとも窮屈さを感じたりはしないのだろうか。勿論そこで交わされる言葉がほとんど自分の意志に基づくものだというなら別だろう。だが、耳にするのは通り一遍のもので、話し手や聞き手が他の誰かに置き換わったとしても何の問題もなさそうな空々しさを覚える。
相手の気分を害さない程度に自分の意見を混ぜるのではなく、普通どういう言葉を選ぶかとか、一般的な意見、というものによりかかってしまっているようにしか思えないのだ。それをわかってやっているのだろうか。おそらくだが、理解してはいるはずだ。それを彼や彼女らは人付き合いの仕方と言ったり処世術と呼んでいるのだから。その上で生じる窮屈さをストレス、そういうものなのだから仕方が無い、そう結論付けているに過ぎない。
俺がまともな人生を得られないと無条件に確信して行動する事を処世術としているように、彼や彼女にとってはそれが生きていく上での在り方なのだろうから。
だが、これも結局は戯言だ。所詮、高校生の小僧でしかない俺が偉そうに一方的に決めつけようなどというのがそもそもの間違いで。自分だってそうされるのは好きではないというのに、全く持って度し難い。
あれこれと考えている間にも時間は進んでおり、いつの間にか授業も終わって昼休みに入っていた。考え事をしていても板書だけは忘れず行っているのだから、自分のながら作業の熟練度には感謝が尽きないものだ。意識していなくても書くという作業さえ踏んでいればそれなりに印象づいて記憶に残る。それに定期試験の際にまとめるのに役立つ。
仮に忘れていても誰かに借りれば良いではないかというのがまず出てくる意見だ。確かにもっともで健全な発想だ。気軽に借りる事の出来る相手が入ればの話だがな。
別に誰だっていいじゃないかと思うのも結構だが、想像してほしい。ほとんど喋った事も無いような相手が定期試験の近くになって
「ノート貸してくれ」
と、まるで貸してもらって当然という面をしてやってくる姿を。俺は失礼にならない程度に言葉を弄しながら、しかしきっぱりと「いやだね」という意志を返すだろう。というかそうしていた。俺がクラスの誰かに借りると言う事は自分がそういう行いをするという事だ。それこそ嫌なこった。
俺は別に誰かの助けを借りる事が悪い事だとは思わない。自分ひとりで無理をして抱え込んで他の誰かに不利益を与える愚かしい真似をするよりは比べるまでもなく上等だ。だがしかし、利益も不利益も自分自身で完結するような場合には? 見かねた誰かが差し伸べた手を振り払え、とまでは言わない。しかし、そうでもないなら己の行動と責任に基づいて、己の手で決着を着けるのが道理ではないのか。俺は――
「――っと」
また夢中になっていたらしい。周囲を見れば机をくっつけて各々が弁当箱や購買で買ってきたらしい珍妙なパンを並べていた。俺の机は教室の最後列に位置するから場所的にも存在感的にも大して気にかかりはしないだろうが、どちらかと言えば居ない方が気分的には良い事には違いないだろう。
鞄からサンドイッチの入ったビニール袋を取り出す。コンビニで購入したもので登校してる間に多少形が崩れてしまったようだがそこまで問題は無い。購買でパンを買うためにきゃいきゃいと楽しそうにしている連中の間でぽつんと並んでいるよりは場違い感を感じる必要がないから楽だ。あれってなんなんだろうな。ドレスコードのきっちりしている高級店にTシャツ短パンで来店した時のような感覚に陥る。
その辺で思考を切り上げ、鞄から洋菓子屋の紙袋も取り出して教室を後にする。
廊下に出ても喧騒は変わることなく、いつも通りの在り様だ。食事も後回しにしてこの一分一秒を楽しく騒ぎたいとばかりに彼らは喋り、走り回り、ふざけあっている。
俺はそれらに、元気な事は少なくとも悪くはないわなとだけ評価を下し、それ以上は構わずに歩き出す。そう、元気である事はそう悪いことではない。絶対的に良いとされるべきではないだけだ。その質次第で、それは不愉快なものにもなるからだ。
歩きながら隣のクラスである五組の教室を扉の窓越しにチラとだけ見る。大して労なく昨日美野沢の姿を見つける事ができた。多くの生徒のように友人と机を並べて弁当をつつき、談笑を交わしているようだった。周りに居るのが話に出てきたまゆちゃんたちだろう。特に大事ないように見えた。上手い事説明できたのだろう。
それだけ確認するとまた前を向いて歩きだした。自分の行動が一因となってぎくしゃくされては気分が良くないからな。気分が悪いってのは最低なもんだ。楽しい楽しい人生の道行が曇って歪んで見えるし、足もともおぼつかなくなる。それは避けたいものだ。
教室棟の二階から連絡通路を通り特別棟へ向かう。目的とする部屋は三階にあるので一つ階段を上る。ここまで来るとほとんど生徒の姿は見かけない。教室の前を通ると時折声が聞こえるのは文化系の部室として利用されている所だろう。
運動部の連中はよく部室に集まってつるんでいるイメージがあるが、教室さえ開放されていれば別に文化系の人間も集まるのだ。単純に仲が良い奴らが手頃な場所として利用しているというのもある。クラス内で食事をするにはいささか気まずい者が、それなりに見知った部活動の知人と食べる方がまだ楽という事で来る事だってある。
じゃあ俺はどうかと言うとそのどちらでもない。ちょっとした義務のために来たと言う所が正しい。
そうこうしている内に目的の教室に着いた。軽くノックをすると、どうぞーと高めの声が返ってきた。御邪魔しますと言いながら微塵の遠慮もなく扉を開ける。
「歴史学調査部にようこそ――って、あら秋里さんでしたか、こんにちは」
「よう弓塚、昼飯時にすまん」
長机の向こう側に座っていた女子生徒、歴史学調査部部長の弓塚まほろは俺の事を認識すると上げかけた腰を落とした。その動作で薄く茶のかかった髪がふわりと舞う。弓塚曰く地毛らしいその色は、背にした窓から差す光がかかって綺麗だった。
歴史学調査部、通称は調査部。通常の教室の半分程度の広さがあるこの教室を部室として活動を行っている文化部だ。名称の通りにあらゆる歴史に関して研究・調査を行うのが主な活動内容だ。少なくとも部活動紹介のパンプレットにはそう書いてあったはずだから間違ってはいない。しかしてその実態は――
「んふふふ、いやー見てましたよ」
弓塚はその猫のような目を大きくして妙な声を出す。見てたっていうとあれか。
「そーですよ、昨日のあれ。学年の隠れ優良株である美野沢早雪さんにこ・く・は・く、されてたじゃないですか」
んふふとまた笑う弓塚。こいつはわかってて言ってくるから面倒だ。むしろうざったい。
「見てたも何も――俺が頼んでいたんだから当たり前だろ。むしろいなかったらコイツはお預けって事になる」
「ハっ! それは駅前のそこそこ有名で微妙な行列になって並ぼうかなー、でもなーと半端な気持ちになって、やっぱやめようかとなるスイーツ店の紙袋!」
「俺の昨日の心情説明ありがとうよ」
昨日、俺は十中十で俺にとってはグッドイベントになりそうにない出来事に臨むにあたって調査部に周辺のチェックを依頼した。碌でもない事が来る事がわかっていても、それがどんな内容であるかを先に知っていればそれなりに気構えが出来あがる。
具体的には「ドッキリでした~」と言って大量に人が出てくるパターンなのか、内輪だけの罰ゲームのノリなのかといったように。後者はともかく、前者はあらかじめ覚悟完了しておかないと空気にのまれて心折れる可能性が眠っているので。
幸いというか、昨日のケースは誰も隠れていた訳ではなく、その心配は杞憂で終わった訳だが。
「調子乗ってごっめんなさい! ですのでその紙袋を私に、私にー」
「焦らんでもやるから。仕事はしっかりしてもらったんだしな。以前言ったように、報酬はこいつで以後は貸し借りなしってことでひとつ」
持ってきた紙袋を机の上に置く。ぞんざいには扱っていないから、形の崩れはないと思う。デザートは見た目も楽しみの一つだってくらい、俺だって知っている。
「協力者の皆さんは何人いたんだ? 足りるといいんだけどな。もし足りなかったら部長が率先して他に譲れよ」
「何を仰います。部長とはその字の如く部の長。長を下に置く者がおりましょうや? いえ、いません! そんな方は居ても社会的に抹殺されてしまうでしょう! そうして秩序は守られるのです」
「あーはいはい。保冷剤もあるけど早めに食っておけよ。五月とはいえ危ういからな。流石にここも冷蔵庫はないしな」
「あっさりスル―って。 ぞんざい! ぞんざいですよ秋里さん」
弓塚はわざとらしく頭を抱えて、あー、あんなに頑張ったのになー、ひどいなー、こんな酷い秋里さんの真実をあれこれ流したいなー、あーしょうがいですよねーとうざったらしくこちらを責めてきた。
今の言葉で出てきたように、表向きはごまかしては居るが、ここ調査部の実態は大人しく歴史を紐解くことでもミステリーに挑戦する事でもない。『人に歴史あり』という言葉を都合の良いように解釈してこの学校や近隣の人々の歴史、ちょっとかっこよく言うと生活史を、あり体に言うとプライベートを勝手を探ろうという、その、あれだ、見ようによっては下世話な部活だ。
しかし、下世話とは言ったが己の欲望のために隠し事を暴きたてたりするわけではないらしい。俺は部員ではないのであまり詳しくは知らないが、調査するに足るだけの理由と依頼人が揃った時、もしくは何かが起こりそうな予兆がした時の予防策としてのみそういった活動を行っているそうだ。この辺りは調査部を創設したらしい初代部長の意向によると聞いた。
俺としても無差別に個人情報を収集して悦にいるような人物とは話したいとは思わないから、この方針には諸手を打って賛同しよう。そもそも俺と話したい奴が居ないという突っ込みはいらない。お前に言われんでもとっくに知っとる。
「悪かったよ。その中にお前の分もちゃんと入ってるはずだ。実際感謝してますよ」
「ふふん、わかってるならいいんですよ。……そちらも、本当にお疲れさまでした」
「なんのなんの。手なれたもんさ」
ちょっと神妙な顔をされたのでおどけてみせる。それなりに良識のある第三者にとっては余り気持ちの良いモノではなかったろうが、そんなに気にされても困るしな。
「じゃあ、俺はもう行くよ。昼飯時に邪魔してすまなかったな」
ひらひらと手を振ってその場を離れる。部外者にいつまでも居られても困りものだろう。
扉に手をかけた時、弓塚に呼び止められた。振り返って、なんだ、という顔をしてみせる。
「あーっと、ですね。今の段階だとまだわからないんですが――もしかしたら後日御手伝い願う事があるかもしれないです」
「どうしてだ? 別に手は足りてるだろ」
前に聞いた話だと部員は名簿を埋めるための名前だけの存在だが、協力者は相当数存在するらしい。わざわざ俺まで協力者にしておく必要はないのでは。協力しても出せる情報もないし。聞き取り調査とか頼まれても、ちょっとあの無理なんで。
「うーん、そうなんですけどね。今の所そこまで確証があるわけでもないし――」
「はっきりしないな。あまり好きじゃないんだ、そういうのは」
「――ですよね。忘れて下さい、多分昨日の秋里さんみたいに杞憂でしょうから」
「そうかよ。俺に関する事なら早めに頼むぞ。情報は色々な事を左右するからな」
「存じてますよ。その時はお伝えします」
それだけ言うと弓塚は座り直して食事を再開した。その姿を少しだけ眺め、俺は調査部を後にした。
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