第9話・和灘悟は最弱である(1)
第六魔法学院の校舎正面、その裏側に砂と砂利を敷き詰めた楕円形の広い場所がある。
当然ながら、ただの運動場などではなく、そこはこう呼ばれている――【魔術演習場】。
「うん、【魔術制限結界】は上手く作動しているわね」
五限目、赤眼瞳は演習場内にて、眼前へ差し出すように伸ばした自身の右手を見て呟いた。
その掌の上に浮かぶ深紅の色に彩られた魔法陣からは本来、猛烈な勢いで燃える焔が顕現するのだが、今は微かな火の気すら現れる様子はない。
理由は至って簡単な物である。ここには、【魔術制限結界】と呼ばれる半透明の結界が張られているのだ。
授業中に死者を出させない為に張られた、設定した威力を超える魔術を無効化する大結界だ。
その為、実戦演習の授業において、生徒達は魔術行使の際に一切の躊躇いがない。
「……とはいえ、アレはちょっとどうかと思うわ」
確認作業を終え魔法陣を消し去ると、瞳は視線を伸ばしたままの手の先へと向かわせ呆れた声で言った。
第五位階たる彼女の瞳が捉えた場所、そこには、
「だぁぁぁぁぁぁぁあッ!助けて助けて助けろくださいお願いしますぅぅうッッ!!」
「クハハハハハハハハ!当たれ、当たれ、当たってそして、運悪く死ねぇ最弱者!!」
東条陽流真の火系統魔術の猛攻から、顔面を真っ青にさせつつ逃げ回る和灘悟の姿があった。
「クソッ、クソッ、こんの糞ったれド畜生が!何で、何だって俺がこんな目に遭わなきゃなんねぇんだぁぁぁあッ!」
「分からないのなら教えてやる!力の差、それを思い知れ、恥を知れッ。それが第四位階のこの僕に盾突いた代償だぁッ!【壱式・火球】、【弐式・爆炎】!ハハハハハッ」
嬉々として魔術を行使する東条を後ろ目に、悟は走る、走る、全身全霊で。
跳び出して来る魔術は火の玉、炎の爆弾。
【魔術制限結界】のお陰で、基本的に死ぬ事はあり得ないが、派手な火傷くらいは当然のようにあり得る状況だ。
もっとも、それは和灘悟に限った話。
「何でアイツ、防御魔術を使わないのかしら?」
「うんにゃ?て言うよりそもそも、使いたくても使えないだけよアレは……」
「えっ?」
独り言のつもりで発した言葉に思わぬ返事が返って来た。
少し驚いて右を向くと、そこには長髪をポニーテールにした女子生徒がいた。
身長はやや高めで、実戦演習を終わらせた後だからか勝気な眼は少し気怠そうに垂れていた。
「貴女は、えっと……」
その顔には見覚えがあった。
瞳の記憶が正しければ、彼女はあの第一位階の少年とは親しい関係にあったはずだ。
名前は確か――
「?あっ、あたしん名前は小萌蛇操沙」
「……小萌蛇さん」
「はは、操沙でいいって。位階は赤眼さんのが上でしょ?」
「そうね。でも、そういう位階がどうのとか、鬱陶しくて嫌いなのよね。同い年なんだし、私も呼び捨てで瞳でいいわ」
「へぇ、変わってらっしゃるぅ」
予想していた物と違う返答に、操沙は不思議な物を見るような視線を瞳に向け言った。
『位階が鬱陶しい』なんて、第五位階の【魔術師】らしくない発言だ。
もっとも、別に悪い気はしない。
――と、小萌蛇操沙がフッと柔らかい笑みを浮かべた事に気付かず、瞳が彼女に疑問をぶつけて来た。
「で、どうしてアイツは防御魔術が使えないのかしら?」
「ん?あぁ、悟は使える属性魔術がないのよ」
「え、は、はぁ!?それじゃ、アイツ魔術が使えないっていうの?……でも」
言葉を途切らせ、瞳は和灘悟の方へ目をやった。
「【加速】、【加速】…!えぇい、えぇい、ジリ貧まっしぐらぁッ」
行使、出来ていた、使えないはずの魔術を。
その矛盾した事実を、しかし、操沙が解消した。
「あれは別、悟の固有魔術よ。ま、裏を返せばあの魔術しか使えないんだけどねぇ」
「そんな……あんなちょっと速くなるだけのモノ、【魔術師】なら身体強化魔術で再現できる。いいえ、再現どころか、上位互換よ」
「おまけに魔力量も少ないし、それを制御する力も甘いから上手く力が発揮出来てないしねぇ。あ、でも、純粋な筋力だけなら普通の【魔術師】よりかあったりするんだけど」
悟に対する操沙の焼け石に水なフォローなど、瞳の耳には入っていなかった。
――これが序列最下位の実力だっていうの?ほとんど一般人じゃない……ッ。
通常、この学院で劣等生と言われる第二位階の生徒ですら、和灘悟ならば一分もせずに倒せてしまう。瞳なら、十秒だって必要ない。
「はぁ、なら尚更アイツが危険よ」
「へぇ、だから何時でも助けに行けるようにここで待機してたワケねぇ。悟の為に」
「なッ…!?な、ななな何言ってるのよ!これは、そ、そうッ、怪我人が出て授業が中断されたら困るからであって、別にあんな奴の為にやってる訳ないじゃないわよ!」
瞳は既に二度実戦演習を終えていたが、ここで授業がなくなれば他の生徒に迷惑が掛かるのだ。
それに、先程しつこい東条の間に立って彼を止め、その所為で今和灘悟が報復を受けている事は知っている。
とはいえ、それは悟の自業自得で、瞳は助けなど求めていない。
だからこれは、そういうのではない。
「それに、ああいう他人の力に頼ってばかりの人間が私は嫌い。さっきだって……」
「さっき?」
「えぇ、教室の前で言われたのよ。試験で私の力を貸してくれ、ってね」
「へぇ……そゆコトね」
俯く瞳を横目に見て、操沙が呟く。
もしかしたら、瞳が今話した事は先程聞き損ねた悟の『悩み』という奴ではないか。
そんな推測が、人知れず操沙の脳裏を過っていた。
「え、何が?」
「うんにゃ?こっちの話っ。それよりも」
そこで言葉を途切れさせた操沙は、未だに東条の攻撃から逃げ続ける悟の方へ再び視線をやった。
釣られて瞳も、その戦闘とも呼べない戦闘を見守る。
「はぁッ…はぁッ…はぁッ…!」
「ハハッ!ほら、どうしたのさ最弱者。もう限界かい?遠慮せずに攻撃して来ても良いんだけどな」
攻撃が止み、膝に手を付きながら肩で息をする悟に対し、東条は煽りの言葉を送り付けて来た。
しかし、悟は反抗するでもなく溜め息を付き、右の人差し指で爪先から数十センチ離れた地面を指した。
「で、そこに仕掛けてる【罠】に俺を引っ掛けようって訳か……」
「おっと、流石にバレたか」
おどけた調子で言う東条を見て、右手でこめかみを押さえながら悟は天を仰いだ。
落第一歩手前の崖っぷち状態だというのに、厄介な相手に掴まってしまった。
追試とその条件を満たす為にも、怪我はなるべくしたくない。
それでなくとも、今日は時間制限付きで第四位階以上の【魔術師】を探さなければならないのだから、盛大に気絶する羽目になるような事は勘弁だ。
だというのに、本当にツイていない。何故よりにもよって相手が東条陽流真なのだろう。
彼の実力と性格は言わずもがな、しかし、最悪な要素はそれら二つではない。
「いやはや、最弱者だからと少し侮り過ぎていたかな僕も。まぁ、どちらにしろ遊びはこれで終わりにするつもりだがなぁ!?」
的外れな東条の発言に、また溜め息が出そうだ。その推測は寧ろ、真逆に的中していると言っていい。
悟を侮り過ぎていた?いいや違う、全くもって違うのだ。彼は悟を侮り足りていない。
「【壱式・火球】」
掌の上に赤い魔法陣を展開させる東条。
その上に魔力によって生み出された火が集束し、球状の物となる。
――あぁ、嫌だ、ホント嫌だ……。
少年が心の中で呟いた、この嘆くような声は、きっと誰にも聞こえていないのだろう。
だが、反面、悟は心の中で安堵してもいた。
何せ、今この状況は少年にとって不幸中の幸いと言えるのだから。
「さて、どこまで攻撃に耐えられるか――」
刹那、【罠】が発動し地面が爆ぜた。
「は……?」
東条が漏らした間抜けな声を、立ち昇る黒煙の中で微かに聞いた悟の意識は軽く飛びかけていた。
確定未来が来訪した――つまり、【罠】は予定通り発動したのだ。
おまけに予測も的中。先程から、火系統の魔法ばかり使っていた為もしやと思っていたが、やはり【罠】の内容は地雷だった。
唯一の誤算と言えば、威力が予想以上のものだった事か。
お陰で悟は、今日一番の激痛を味わう羽目になった。
小石や砂が敷き詰められた地面へ、悟がうつ伏せに倒れてから数舜後、東条は盛大に吹き出した。
「アハハハハハハハハハッ!何だいそれ、勝手に自爆してさ?ハハッ」
悟は内心、自分に呆れていた。
【迷宮】を攻略するという点において言えば、和灘悟以上に不適な人材はいないと断定出来るだろう。
魔術に関する才能の、圧倒的な欠如。
それと共に、悟は厄介極まりない体質を持っていた。
そう、『自身の近くに存在する罠に、絶対の確率で嵌まる』というふざけたモノだ。
絶対。つまり、如何に注意を払おうと、気付いていようと、確実に罠に嵌まってしまうのである。
数秒前の地雷が良い例だろう。
あの時、悟は確かに【罠】の存在に気付いていて、警戒していた。しかし、他の演習生が牽制の為に放った低位魔術がそれに着弾した事により、地雷を誘発したのだ。
こんな事が毎度あるのだから、これはきっと不幸や体質などでは片付けられない“ナニカ”なのだと感じる。
――まぁ、今回に限って言えば、そう悪くないモノかもな…。
悟は爆発により気絶した、そんなフリをしていた。
有体に言って、魔術で【罠】を作る事が可能な東条とは相性が悪過ぎる。
その事情を踏まえた上で、この方法なら戦闘を終わらせられると踏んでの行動だった。
妙案だ、まさにこれこそ妙案である。悟は内心でほくそ笑む。
知恵の結晶のようなこの完璧な作戦に、穴など微塵も存在――
「それで…何時まで寝ているつもりだ?早く立てよ最弱者」
……当然のように在った。
だが、今ここで動いてはいけない。
動けば、その瞬間に魔術の雨がこの身に降って来るだろう事は、容易く想像出来たからだ。
もちろん、このままの状態でいても、同じ結末が待っているのは重々承知。
違いと言えば、それが早いか遅いか程度の物だろう。
万事休す。
背中に氷のように冷たい汗が流れるのを悟は感じた。
「――そ、そこまでですッ」
そんな時だった、緊迫した空気に水を差すようにして少女の声が響き渡ったのは。
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