9. ゆきおんな
視力と一緒に、声も奪おうと思わなかったのかい。
いままでずっと口にしなかったけどもういいだろうから言うよ。
君はあのときの雪女だろう。
口を覆う酸素マスクを外すと、皺の寄った私の手を握る君の手が、びくりとふるえた。
もう最後だからね。
大学生の時、冬山登山で吹雪にあった。天気予報が外れていきなり叩きつけるような吹雪の中、登山部の仲間五人で必死に雪洞を作ってしのごうとした。体を寄せ合い、みんなで声を掛け合って、眠らないようにしていた。
でも、うなる風の音は次第に遠のき、いつの間にか眠っていた。
不意に頬にふれる冷たい指先に全身が粟だって目を開けた。
顔を上げると、黒髪をたらした白い着物の女がいた。
雪女だ。
昔話、そのとおりの姿だった。体を起こしてみると吹雪はすでに止んでいて、彼女の後ろには青空が広がっていた。
他のみんなは体を丸めてうずくまり、微動だにしなかった。
――おまえを助けようか
赤い唇がゆっくりと動いた。
ただし、条件がある。あとの四人の命をわたしに捧げること、それから――
おまえの目もわたしに預けることだ。
私は答えに窮し、みんなの顔と女の顔を何度も見た。答えあぐねているうちに、空が一気に灰色に染まり、横殴りの雪が私と女のとを隔てて……。
それきり気を失って、次に目を開いたときにはもう何も見えなかったんだ。
雪山からただ一人生還できたけれど、両目の視力を失ったことで、私がどれほどの苦難や辛酸をなめたのかは、語らないよ。
他の遺族から責められなかったのは、皮肉なことに視力を失ったからだった。
君と会った時、すぐにわかったよ。あの時の雪女だと。君が私の肩に触れたとき、総毛だった。
長い髪がゆらぐ気配がして、雪のにおいがしたから。
君は私と結婚した。
子を産み育て、苦楽を共にして。
君は見張っていたのか、四人分の命と引き換えに助かったずるい私を。私は償えたか、四人分の命を。
私は……顔に触れる君の手のひら。
瞼を開けると、まぶしい光が目を射る。紺碧の空を背に黒髪の君がいる。
そうだ、一目で恋に落ちた。ずっと一緒にいてほしくて……話さずにいたのだ。
ゆっくりと閉ざす瞳の中で、君は私の中で永遠になる。
ちくま800字文学賞用に書き始めたはいいが、うまいことまとまらずに挫折したSS。
なんとかまとめた。
ここから800字に圧縮する自信はない。