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ハームキヤ練習帳  作者: たびー


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5. 黒の奥津城からすの宿り

ずっと前に書いてお蔵入りしていた。

オチを無視してなら、書ける( ー`дー´)キリッ

「あしたの朝は冷える」

 濃紺の夜空に光る星を見上げて俊也(しゅんや)は独り言した。

 今夜は満月らしく、真円の月が高い所で下界を照らしている。俊也はそっと息を吐いてみた。月明かりの中で、息は白く変わった。

 昼間、じりじりと肌を焼く日差しのなかを汗みずくになりながら逃げた。その暑さがまるで嘘のようだ。しょせんは秋の陽ざしだ。日が落ちれば、冬が近いことをいやでも感じる。今夜は風も吹かない。雲一つない夜空は磨かれたレンズのようだ。

 朝の冷え込みで自分は死ぬだろうか、という俊也の思いは、すぐに打ち消される。

「死ぬかよ、こんなデブが」

 ――大きなお腹。熊のぬいぐるみみたい。大好き。

 腕枕をしたときのカナの甘えた声を思い出した。俊也は低く笑い声をもらした。

 ぜんぶ嘘じゃないか。

 笑ったひょうしに体がゆれると、全身に痛みが走って息が止まる。

 靴が片方脱げたらしく、右足だけやけに寒い。考えたくないが折れたらしい。とくに痛みがひどい。腕や頭、顔は崖から飛び降りたときに、張り出した木の枝で切り切り裂かれた。流れたて乾いた血は、髪の毛や破れたシャツのをごわつかせている。

 さして痛みはないが、背中も切ったのかもしれない。上体を動かすたびに、背中にシャツがべったりと貼りついてくる。

 職場から自家用車で逃げて、カナの部屋へ行った。それから、路上で車を捨てて、かっぱらった放置自転車でやみくもに走り、それも乗り捨て見知らぬ山へ逃げ込んだ。

 職場の監査はいつも抜き打ちだ。そろそろ来てもおかしくないと毎日思っていた。それが、今日だったってことだ。

 俊也は口の中の粘つく唾を顔を横に傾けて吐き出した。

 支店長が二人の監査員を連れて応接室から出てきたところで、俊也はそっと席を立って出口へ向かった。

 使い込みはすでに七桁後半へと数字を膨らませていた。

 ぜんぶ、カナのために使った。

 他に男がいることも薄々勘づいていた。いないわけがない。店でもナンバーワンの娘だ。

 俊也の金に糸目をつけない贈り物の数々で、カナはようやく新参者に付き合ってくれるようになった。

 いままで真面目一辺倒で生きてきた俊也は初めての恋人に舞い上がった。たとえそれが、かりそめであっても。

 贈り物はブランド品のバッグや服、腕時計、靴。国内だけれど、数回の旅行。もちろん高級ホテルへの宿泊でだ。

 それまで地道に積み立てて来た預金は、瞬く間に無くなった。

 金の切れ目が縁の切れ目になる。カナを手放したくない気持ちが俊也の超えてはならない一線を超えさせた。職場である銀行の金に手を付けることに迷いはなかった。

「いまごろ、なんて言われてんだろうな、おれ」

 ――すっごい体が大きいから、コンビニやスーパーで山ほど食べ物買ってくるんですよ。ええ、食べきれないくらい。食べ残し、屋上に捨ててくんです。最悪ですよ、カラスがごみを漁ってねぇ……。

 職場には親しい同僚も、ましてや友人もいなかった。悪口だけ、言われたい放題だろう。それが電波に乗るのも時間の問題だ。

 ――カラスくらいしか、相手にする奴がいませんでしたよ。

 同僚になんて言われていたなんて、知っていた。職場に話し相手もなく、カラスに餌をやるくらいしか楽しみがなかったのだ。

「カナ……」

 殺す気はなかったんだ。俊也は手を握りしめた。ぐしゅっとした湿っぽいものを手の中に握りこむ。

 ほんとうは、カナを連れて逃げようと思った。横領のことを寝ぼけまなこのカナに伝えると、大あくびをしながら、手を顔のまえでひらひらと振った。

「そんなの知らないわよ。あなたが勝手にしたことでしょう」

 誰のためにやったと思っているんだ。ワンルームマンションのシェルフに整然と並べられたブランドの高級バッグ、ハンガーにかかる一着十万円はくだらないワンピース、飲み残しのシャンパン、綺麗に塗られた爪、その金は誰が出したと思っているんだ。

 気づくと、俊也の太い指はカナの首に食い込んでいた。カナが華奢な体をふるわせ、抵抗したのもわずかの間だった。動かなくなったカナを捨てるようにしてマンションの扉を閉めた。

 きっと、夜が明けたら、口さがないワイドショーで、冴えない独身男の卒業アルバムの写真と「大人しくて、ごくふつうの奴でしたよ」という名前も覚えていない同級生のコメントが流れるだろう。

 ああ、ああ。

 このまま死んでしまえたらいいのに。やることが中途半端だ。死にそうにない怪我、死にそうにない体。巨体に不釣り合いのママチャリで疾走した画像が、どこかの防犯カメラに残されているだろう。

「くそっ!!」

 ぐしゃっと指が何かを握りつぶした。とたんに、腐臭が鼻を突いた。きつい匂いに目がさめた。

 ……じぶんは、どこに落ちたんだろう。

 俊也は首をわずかにあげて、周囲を見まわした。冴え冴えとした青白い月の光が照らすのは、まっ黒な地面だった。

 草が生えているわけではない。そのくせなんだか妙にふわりとした感触がある。

「なんだよ、ここ」

 不意に、山の中に一人きりでいることを意識した。俊也の背中を悪寒が走った。

 さっきまで、死にたいとか思っていたくせに、生きて一人山の中にいることが怖いなんて。しかし、いったん感じた恐怖は去らない。

 すると、どこからか枯れ葉を踏む音がしてきた。

 かさ、かさ、かさ……。

 夜行性の動物か。狸や狐、もしかして熊か。俊也は俄かに緊張した。思わず音の方へと首を曲げようとしたが、腕も打撲がひどいのか、痛みでうまく体を動かせない。その間にも、音は近づいて来る。

 かさ、かさ、かさ。

 足音は、ひとのもののように聞こえる。

「カナ、カナなのか!」

 がさっと音を立てて、俊也の顔を覗きこむものがあった。

 俊也は悲鳴をあげた。自分でも信じられないくらいの悲鳴は、深山にこだました。

 動かせないはずの体を起こして、俊也は音の主と距離を置いていた。

 俊也の視線の先に、藁の塊があった。

 いや、藁の塊ではない。稲わらの一方をまとめて傘にしたようなものが目の前に立っている。

 足があるのだ。いや、腕も。どちらも、服は着ていない。三角にした稲わらの体から裸のごつい足と腕が突き出ている。頭は見当たらない。

「な、なにっ? 妖怪?」

 じりじと後ずさる俊也の前へそれは一歩近づいてきた。ひゃあ、とみっともない悲鳴が俊介の喉からもれた。

 しかし、それは俊也には興味を示さず、膝を折ると地面から何かを掴んだ。

 真っ黒い、ばさりとしたもの。きつい腐臭を漂わせ、それが手に掲げたのは烏の死体だった。

「カラス?」

 慌てて体の下をみると、たしかにそれはおびただしい数のカラスの死体だった。

 そういえば、と俊也は思い出した。

 烏はあれだけいるのに、烏の死体を見ることはない。奴らはどこかに墓場をもっているのだろうか。

 昼飯の残りを食べ漁る烏を不思議に感じていた。

 確か山の中に逃げ込むとき苛立ち紛れに、ねぐらに帰るカラスたちに「いつもメシをやっていた恩返しぐらいしろ」と叫んだことが思い出された。

 烏の墓場、ここがそうなのか。

 束ねた藁の下あたりが急に開いた。開いたとしか言いようがなかった。丸くあいた漆黒の穴に、手にした烏をぽいと無造作に放り込んだ。

 ぽい、ぽい、ぽい。

 ゴミ袋にでも入れるように、藁の妖怪は烏の遺骸を片付けていく。掃除はしばらく続いた。俊也が呆れるほどに、妖怪は烏を体のなかに詰め込んでしまった。そのくせ、どこから見ても入った様子がうかがえない。体の変化は見られなかった。

「なんだこいつ」

 当初の恐怖も忘れ、ぽかんと見ている俊也のことなど眼中にないようだ。

 すると、藁は軽く飛び跳ねた。

 とん。

「あっ」

 小さな炎が散った。

 しゅるん、と何かを形作って、すっと消える。

 藁はそのまま踊り始めた。踊りとは言えないのかもしれない。藁はぎくしゃくと不器用に手足を動かす。

 そのたびに、とろりとした炎が地面に落ちて消える。

 よくよく見ると、それは小さな烏に見えた。嘴が大きく翼を広げた烏が、藁が動くごとにとろりと現れ、すぐに消える。

 さらに見ていると、それは烏ばかりではなく、虫だったり、四つ足だったりする。

 もしかして、ここには烏しかないけれど、山のあちこちにある様々な遺骸を喰って来たのか。

 喰って来たものが、また生み出されるのか。

「これは、いのちなのか」

 藁の踊りを呆然とみていると、くるりと身を翻して、藁が俊也の肩を掴んだ。

 俊也の目の前に、あの漆黒の闇が大きく広がる。掴まれた肩がぎりっと痛んだ。

 その間にも闇は広がる。

 このまま食べられる。食べられる、でも、なんの不都合があるだろうか。どうせ、死にたいと思っていたのだ。かまわない、構わない。

 俊也は闇に呑まれていき、そのまま意識は途切れた。


 次に目が覚めたときには、病院のベッドの上だった。

 点滴の管が腕に刺され、右足にはギブスが巻かれていた。

 俊也は死ななかった。ついでに、カナも死んでいなかった。俊也が去った後、息を吹き返したのだ。同伴出勤する約束をしていた客が、時間になっても来ないカナを心配して部屋を訪れ、発見したのだ。

「悪運が強いよな」

 それは、カナなのか、自分なのか。

 俊也は法の裁きを受けることになった。それ相応の処罰を受ける。それでよい。


 あの暗闇に飲み込まれたとき、藁の腹の中にカナへの怒りや恨みなどすべて置いてきたように感じていた。

 目をつぶると、藁のぎくしゃくした踊りと、生み出される命の素が思い出された。

 自分も、誰かの踊りで生まれたのなら、せいぜい終わりまで踊ってみせるさ。たとえ無様でも。


 「とうぶん、餌はお預けだぞ」

 俊也はつぶやくと一人笑った。



黒の奥津城からすの宿り



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