3. 防空監視哨
今回もオチはありません。
防空監視哨の底にうずくまり、空の音に耳をすませる。
哲は膝を抱えて目をつぶっていた。頭上にぽかりと丸く青い空がある。絶え間ないセミの鳴き声に邪魔されながらも、目標の音を聞き洩らさぬよう細心の注意を払う。
じっとりとした土の匂いと自分の汗の匂いを感じながら、すきっ腹に気を取られぬようにした。
煉瓦で円柱状に築かれた六尺ほどの高さの防空監視哨は、飛来する敵機のプロペラ音をいち早く聞き取るために作られたものだ。
十三の哲は、床に針が落ちる音も聞き取れるほど、耳がよかった。家から近いこともあり、他の数名の同級生とともに防空監視を任された。
花巻駅からは、鉄工場のある釜石へと線路が繋がっている。敵機は花巻上空から線路を伝って釜石へと爆撃へ向かう。それに花巻のはずれには後藤野の飛行場もある。敵機襲来を伝えるのは、とても大切な役割なのだ。
名札が縫い付けられた開襟シャツの喉元を汗が伝う。風が通らない哨の底は蒸し暑い。
蝉の声を意識的に遮って、哲自身が作り出した静寂のなかにいる。まるで井戸の底に沈んだ石のように。
と、そとでかすかに話声がした。
交代の誰かだろうか。まだ交代時間の昼になるには早すぎるように感じた。
頭をあげて、見上げる。
小さく聞こえるのは、子どもの声のようだった。
……しゅくだい、おわった?
とっくに。
ぼく、まだだ……
年端もいかぬ少年たちのようだ。尋常小学校の生徒だろうか。しかし、ここは軍の敷地だ。子どもが入り込めるはずがないが。
じゆうけんきゅうはどうしよう。
工作でいいじゃん。おにいちゃんは、花巻のレキシしらべるっていうけどさ。
だよね。
宿題、とか……。妙だな、子どもたちは小学校の校庭を耕したりする手伝いこそあれ、宿題など出ていないと思う、と哲は首をひねった。
戦争が始まったのは、哲が九歳の時だ。そのころは大人も子供も変に浮かれていたように思う。米国を叩きのめすという昂揚感があふれていた。けれど、いまは乏しくなる物資と学生までが戦地へ駆り出され、内地のものは食べるものに事欠くありさまだ。
それでも、哲は戦争に勝つことを疑っていない。神国が負けるはずがない。神風が吹いて、必ずや勝つのだ。
ここって、へんなの。えんとつみたい。
おじいちゃんが言ってた。センソウのときのだって。
センソウ、という言葉に哲は思わず立ち上がって聞き耳を立てた。
あんなので、かてるわけなかったって、おさけをのむと言うよね。
子どもたちの笑い声が哨に響いたように、哲には感じられた。
かてるわけなかった?
何の話だ。日本は開国以来、負けなしだぞ。哲の腹の中は熱くなった。
この中、どうなってんのかな?
一人の足音が近づく気配がした。非国民め、子どもでも容赦しない。怒鳴りつけてやる!
空に影がさしたとき、哲は叫ぼうとした。しかし、それは爆音にかき消された。はっと気づくと、頭上をグラマンが低空で何機も飛んでいく。
これほどの敵機になぜ気づかなかったのか。
飛行機は東の方向へと飛んでいく。釜石だ、釜石を爆撃にいくんだ! 哨から出ようと、手をかけた哲の耳に空襲警報のサイレンが響いた。
サイレンと共に、地面が揺れた。
まさか、まさか!
哨の上に脱出した哲は、商店がならぶ上町の方角から火の手があがるのを見ることになる。
花巻の空襲は1945年8月10日のお昼でした。
防空監視哨は、市内の小学校のそばにいまも有ります。




