花嫁と鬼神【零】
婚約の儀式が終わってから、一晩が経った。私はいつの間にか眠っていたらしく、目が覚めたら寝台の上。柔らかすぎる余りに、沈みきった重い身体を起こし、円窓の障子を開けると、太陽の光が室内一杯に差し込んできて眩しさに目を細める。
「……まだ少し疲れてるけど、子供の身体って便利なものね」
若々しい肉体を持った事に、つくづく感謝する。昨日、あんなに長い石段を登って疲れていたのに一晩休んだらほぼ完全回復。普通なら全身筋肉痛レベルなのに、子供も中々侮れない。昔(まぁ、前世になるけど)、結構やり込んでいたRPGゲームを思い出した。もっとも、体力を回復させる為のアイテムとかは存在しないから、ちょっと違うんだけど。
私は大きな欠伸をし、身体をググッと伸ばすと、一先ず顔を洗って着替えを済ませようとした。すると、襖の向こう側から「お、御早う御座います……花嫁様」と、か細い女の声が聞こえた。私が起きた事がどうして分かったのだろう、余りにもタイミングが良すぎるので、もう恐怖を越えて驚きしか無かった。
「……あ、あの〜? 花嫁様、起きておりますか?」
「ご、ごめんなさい! ちゃんと起きていますっ」
襖越しから聞こえる声の主は、私の反応がないので何かあったのかと思ったのか、尋ねる声に焦りの色が混じっていた。慌てて起きている事を伝えると、襖を開ける。廊下に立っていたのは、昨日私の着物を用意してくれた女中だった。
彼女は私の姿を見れば、にっこりと笑顔を浮かべる。笑うと目尻が垂れてとても可愛らしい。女中は室内に入ると「御召し物を用意致しました」と言い、私の着替えを手伝おうとする。流石に女同士でも恥ずかしい為、丁重にお断りをして廊下に出てもらうことにした。
「わぁ! 可愛い着物っ」
女中が用意した着替えは、とても可愛らしい物だった。菫色の布地に白の小花があしらわれている着物は、見ているだけでも気分が上がる。若苗色の単衣に袖を通し、菫色の着物を手に取って見た。少々自分には大人っぽすぎるかも、と思ったけど、着てみれば中々似合っている気がする。
鼻歌を歌いながら着物に袖を通して、後は帯を結ぶだけの段階にまできた瞬間、私は一つの問題に気づく。帯、結べない。白無垢の着付けをしてくれたのは全て女中達だ、化粧も髪も全て彼女達の力があってこそ。私自身は殆ど何もしていない、頭を抱えたくなった。廊下に出てもらった女中に頼もうか……いや、そもそも彼女はまだ廊下にいるだろうか。
もしかしたら、別の仕事が入ってもう居ないかもしれない。私は先程の自分の行動を恨む。恥ずかしいからって追い出すなんて、だったら昨日の着付けはなんだ? 色々有り過ぎてよく覚えていないからノーカンか、ノーカウントなのか!? そもそも、中身は大人とはいえ身体は子供なんだから、裸を見られたって平気だろうに、着物の着付けが出来ない事を忘れていた自分自身が、あまりにも情けなかった。
「あ、あの〜……女中さん?」
一旦落ち着こう。
「はい、何の御用でしょう。」
「……着付け、お願い出来ますか?」
襖を開け、小声で女中を呼ぶと彼女はまだ廊下に居た。背筋をピシッと伸ばしていて、歳下の私に対しても丁寧な言葉遣いをする。私が鬼神の花嫁だからだと思うが、明らかに歳上の人物に敬語を使われるのは少し複雑な気分だ。
彼女は私の言葉を聞くと、笑顔で頷き了承してくれた。再び部屋に入れば私の着物の着付けを始めた。無駄な動きは一切なく、作業はとても素早くてあっという間に終わってしまう。髪も一つに纏めて結い上げ、藤の花を模した簪を挿してくれた。
「出来ました。如何がでしょうか?」
「凄い可愛いです、手先が器用なんですね」
羨ましい、私は何方かと言えば手先は不器用な方に入る。自分の髪すらマトモに結わく事が出来なくて、前世は洒落っ気が全然なかった。化粧すら適当に済ませていたくらいだから、当然彼氏なんていないし結婚経験なんてない。だから、自分が“花嫁様”と呼ばれるのは変な気分だった。
「お着替えが済みました故、本日の御予定を説明したいと思います」
「よ、予定?」
花嫁って何かしないといけないの? やっぱり、國の頂点に降臨している者の疑問に思い尋ねようと口を開くが間に合わなく、女中は私に構わず『予定』とやらを話し始める。
「御予定と言いましても、難しいものでは御座いません。本日はこの社……鬼神様の住む屋敷を花嫁様にご案内するようにと頼まれましたから」
しかも鬼神様から直々に、らしい。頼んだ相手が彼女達の主人ならそう易々と断れないだろう、それに案内は助かった。屋敷の構造を粗方把握しておけば、もしかしたら婚約破棄を成立させる為の新しい作戦を練るのに役立つかもしれない。
そう考えると、私のやる気はメラメラと炎のように燃え上がってきた。身支度は女中により準備万端、穏やかな笑みを浮かべている彼女の隣に立つ。
「よし、早速行きましょう!」
「……ふふっ、はい。御案内致します、参りましょうか」
彼女の言葉に頷き、歩き出そうとすると、さり気なく大きな手が私の小さな手を包み込む。逸れてしまわないようにという防犯だろうか、あまり気にしないでおこうと判断すれば歩き出した。