航空祭
今年も八島基地の航空祭がやってきた。そして、例年になく基地を訪れる人が多かった。
その理由は私の目の前にある機体だろう。
「それでは皆さん、お待たせいたしました。これよりハンガーを開きますので係員の指示に従ってください」
外ではそのようにアナウンスされ、目の前の扉が開かれた。
迎撃戦闘機「吹華」、世界最速のレシプロ戦闘機として未だにその名を記録されている戦闘機だ。その最高時速は高度八千mにおいて時速九百kmにも達する。レシプロにおいてこの機体を超える速度を出せる機体は存在しない。プロペラ機としてみても、この機体を超えるのは唯一、ルーシ連邦が誇る爆撃機、ツポレフTu9Mだけだろう。
Tu9Mが作られたのは吹華のさらに十年近く後の話で、タービン機関が本格的に実用化されてからとなる。そう、レシプロエンジンではなく、ターボプロップ機だ。
吹華にはほかにも様々な異名がある。「最後のレシプロ戦闘機」、「唯一の全天候型レシプロ戦闘機」と言ったところは有名だ。
私がエプロンへと歩み出た後を吹華が牽引車に引かれて続いてくる。エプロンに姿を見せるとひときわ大きな歓声とシャッターの音が響き渡る。
「では皆さん、今日のゲストをご紹介いたします」
私と共に外へと出てきた司会がそう告げて私たちを紹介していく。今年は吹華の制式化50年に当たる年である。そして、最初に吹華が配備されたのがここ、八島基地だった。そしてもう一つ・・・・・・
今、私の後ろにある吹華には一つの撃墜マークが誇らしげに描かれているが、これは現役の時には許されていなかった。それどころか、話す事さえ許されていなかった。
しかし、今年はその機密も解除され、晴れて撃墜マークが描かれることとなったのである。
「それでは皆さん、幻の撃墜の当事者であり、最後の吹華飛行隊隊長でもあった御厩潤さまより護衛札を承りたいと思います」
そう言って司会が私にマイクを手渡してきた。私は用意した挨拶を手短に述べて司会へとマイクを返す。
幾人かの挨拶の辞を経て、私たちは吹華の前を後にするのだった。
「これより吹華による展示飛行を行いたいと思います」
司会の言葉と共に待機していた整備員たちが吹華へと駆け寄り、始動準備に入る。
吹華は戦後に設計された機体であり、エンジンも戦時中では考えられないほどの高出力を誇る。それはとりもなおさず精密巧緻なエンジンであり、その扱いには細心の注意を要するものともなっている。非常に優秀な機体ではあったが、その整備には並々ならぬ努力が必要だったと多くの整備員たちから聞かされたものだった。
整備員たちはよどみなく始動前準備を終え、失敗することなく一発で始動させて見せた。
久しぶりに聞くその爆音は私に往時の記憶を蘇らせるに十分なものだった。
もうあの事件からから47年になる。調査報告が機密指定を受けて46年。ようやく昨年機密指定が解除され、今年は晴れて、私がこの場に立ち会えた。