夜は未だ続く
「え……な、何で成瀬さんが?」
僕が唖然としている中、成瀬さんは携帯を取り出すと、それを耳へと当てる。
「……成瀬です。ええ、間違いないです。彼はあれを正しく認識出来ているようでしたからーーー」
ど、どう言うことなんだ?突然化け物が消えたと思ったら、成瀬さんは刀を持っていて……。
駄目だ。色々な事が起こり過ぎた所為で、頭の中が整理しきれない。取り敢えず、成瀬さんが何か知っているのは間違いない。電話が終わったら聞いてみよう。
「ええ、分かりました。今すぐ向かいます」
丁度良く電話も終わったみたいだ。
「成瀬さーーーん!?」
「口を閉じてもらえないかしら?」
そう言って彼女は、僕を見下ろしながら僕の顔の前に刀の先端を突きつけた。そんな状態にも関わらず、僕の意識は刀には無かった。
ーーーまたあの眼だ。転入生としての挨拶の時にも感じたものと同じだ。凄く、冷たい感じ。でも今回はあの時と少し違う。何だろう……。
考えるがそれも逡巡、直ぐに答えは出た。
僕を……"意識"してる?
真正面からお互いを見ているのだから当たり前なのかも知れないが、僕にはそれが少し違和感のように思えた。
そうして少しの間、膠着状態のようなものが続いたが、唐突に成瀬さんがため息の様なものを吐きながら刀を納めると、僕が感じていた感覚も消える。
「……無様ね」
そうして成瀬さんは、呟くようにしてそう言った。それは恐らく僕に向けられたものだ。
それに対して少し腹立たしさはあるが、そう言われるのも当たり前だ。そもそも先程の醜態を晒した後だと反論のしようなどなかった。
「成瀬さんにそう言われるのも無理ないね。ははは、格好悪い所を見せたようで申し訳ないよ」
それに対して、成瀬さんからの返事はない。
「あ、あの。成瀬さん?」
顔を窺うように再度声を掛ける。
「え?……御免なさい。少しぼうっとしていたから。何て言ったのかしら?」
「えーと、だから格好悪い姿を見せて申し訳ないってさ」
「格好悪い?貴方が?何を言っているの。貴方はとても勇敢だった。それは見ていた私が保証してあげるわ」
「へ?う、うん。ありがとう?」
あれ?何でこんな高評価を……。さっき無様って言われた筈なのに。気の所為だったのかな?というかそれよりも、
「ーーー"見ていた"ってどいうこと?」
「御免なさい。それに関しての質問は歩きながらでも良いかしら?貴方には一緒に着いて来てもらわなくてはならないから」
「着いて来てもらうって……それはどうしてなんだ?」
「どうして?ふむ、そうね。じゃあ着いてこないと私が貴方を殺すから……とかどうかしら?」
「じゃあって何なの!?…….全く、僕はそんな事で殺されたくはないな。というか、着いていけばさっきの『あれ』が何なのか教えてくれるのかい?」
「ええ、教えるわ」
「分かったよ、なら着いていく」
「そう言ってくれると助かるわ」
そう言うと、彼女は微かに口もとを綻ばせた。
「それで、さっきの質問の答えだけど」
あの化け物と遭遇した道に戻ると、彼女はそう切り出した。
そう言えば今まで全く気付いていなかったが、さっきまで一切感じられなかった人の気配が感じれるようになった。こうなって初めて気付いた。人のいない住宅街というのはあそこまで寒々しく感じるものなのだと。それを感じた僕は、ようやく日常に帰ってこれた実感を持てた。
ふと気付くと、怪訝そうな顔で成瀬さんが此方を窺っていた。
「感傷に浸っている所悪いのだけど、話しの続きをしても良いかしら?」
「……う、うん。ごめん。」
「私は貴方があの"フェーズ1"に遭遇してーーー」
「ちょっ!ちょっと待ってくれないか!?」
「何かしら?」
「いや、えと……何?フェーズ1?それって僕を襲ってきた奴のこと?」
「そうね、そこからだったわね。御免なさい。最初から説明するわ」
「最初から?」
「ええ。貴方を襲ったあいつが、いつ何処から現れたか……からよ」
「うん」
「そんなに構えなくても大丈夫よ。私達が分かっている事なんて対して多くないのだから」
「で、でもあれをあんな簡単に倒せていたじゃないか。それって……その、何年も研究とかした結果とかじゃないのか?」
映画なんかだと良くある展開だ。それに、あれには形があるのかですら怪しいものだった。視覚的なものではなく、概念的にだ。それは、あれを間近で見たから分かる。例えるなら、幽霊とかそういう類に似ているのかも知れない。それでこそ、全然違うものであるのは間違いないが。
ともかく、そう言ったものを倒せるということは、かなり年月を掛けて研究されてきた筈だ。
「貴方、何を見ていたの?私のは完全に背後からの不意打ちだったわ。それに、何年も研究とか……そんな大層なものでもないわ。だって、あれが現れるようになってから、まだ"一年位"しか経っていないもの」
「は?」
一瞬自分の耳を疑った。
「成瀬さん、0が2つ位足りないんじゃ?」
「合ってるわ。一年前よ、あれが現れるようになったのわね」
「一年前!?だってああいったものは、何年、何十年と秘匿されるような存在じゃないか!それが一年前だって!?最近にも程があるよ!」
自分自身何を口走っているかとも思うが、僕にとってはそれくらい衝撃的なものであった。あんなものの存在を知ったばかりか、それが現れたのが一年前だなんて。いくらなんでも……身近過ぎる。
成瀬さんは、混乱している僕に対してため息を吐く。
「貴方、少し映画やドラマの見過ぎよ。そういったものを鵜呑みにする位なら捨てた方がいいと思うわ」
「それを言うなら、あんな存在こそ映画やドラマの産物じゃないか」
「何を言っているの?それなら貴方は今観ている側ではなくて、演じている側じゃないの」
ならそれは現実なのだと、口に出さずとも成瀬さんはそう言っていた。
というより、問答で成瀬さんに一生勝てる気がしないような気がするなぁ。
「納得出来たなら話を戻すわよ」
「納得は出来てないけど、呑み込みはするよ」
「ええ、今はそれでいいわーーーで、さっきの続きを簡単に説明すると、あいつらは一年前に"世界各地"に現れた。前触れなんてものはなく、突然ね。そして、人間を喰いはじめたの。でもね、世界的なパニックにはならなかった。どうしてだか分かるかしら?」
「え?うーん……」
確かに妙ではある。そんなものが突然現れて人間を喰い始めたなんて知ったら、普通はもっとパニックにもなっていい。正体も分からないのだから尚更だ。
まぁでも、普通に考えるならーーー
「国のお偉い方が、なんか情報規制とか……そんな感じの事をしたんじゃない?」
「そんな突発的な存在に対して、どうやって情報規制を掛けるのか気になる所ではあるけれど、残念ながらハズレよ」
「じ、じゃあ何だって言うのさ」
「……"存在が消えるのよ"」
「え?」
「だからね、存在が消えるのよ。喰われた人間の存在自体が"この世界から無かった"ことにされてしまう。これがパニックにならなかった原因よ」
いつの間にそうだったのか。僕は立ち止まっていた。明らかに信じられない事を聞かされているのにも関わらず、僕の意識がそれは真実だと告げていた。僕は、どうしてこんな事に巻き込まれているのだろう。
今更ながらにそう思う。
月は未だ真上に輝いている。陽の光が僕等を照らす迄にはまだまだ時間が掛かりそうだった。