不明瞭な異変
その日の夜。僕は気分を変えようと、大好物であるパスタを作っている最中であったがーーー
「ーーーはぁ〜、やっちゃったなぁ……」
頭の中で渦巻く罪悪感によって吐き出される溜め息は、一向に収まる気配を見せない。フライパンでパスタと和えているタラコとバターの匂いが鼻腔をくすぐるが気分は晴れず、作戦は失敗だったと言う他ない。
「成瀬さんに明日謝らなくちゃ。本当、友達になった初日に折角のお誘いから逃げるって最悪すぎるだろう……はぁ〜」
本日何度目になるか分からない溜め息をまた吐いていると、突然テーブルの上に置いてあった携帯が鳴りだす。春介かなと思い、火を消してから携帯を見るが、画面には数字の羅列しか書かれていなかった。迷惑電話の可能性が高い事にウンザリしつつ携帯を手に取る。
「はい、もしもし」
『夜分に申し訳ありません。私、"成瀬"と申しますが、このお電話番号は瀬乃 照夜さんのお電話番号でお間違いないでしょうか?』
「………はい?」
え、嘘だよね。"成瀬"……ってまさか。いや、本当に?でも何で僕の電話番号を知ってるの?仮にそうだとしてまだ謝る覚悟が出来てないよ!?
『……申し訳ありません。もしかして違いましたでしょうか?』
頭の中で混乱していた僕だったがその言葉で少し我に帰る。
「え!?ゴメン、成瀬さん!合ってるよ!合ってる!うん、間違いないよ!」
『……そう、それなら良かったわ。電話番号は真中君から聞いたの。御免なさい、勝手に聞いてしまって』
「え、そんなの全然大丈夫だよ。気にしないで。後……その…今日はゴメン!折角誘ってくれたのに、その、好意を無下にするようなことを言って……えと、そ、そうだ!お詫びに何でもするからさ!何かあれば僕に言ってよ!あ!で、でもあくまで常識の範囲内でお願いしたいというかなんといいますか!ともかく御免なさい!」
予想外の人物からの電話に動揺がまだ抜けないのか、勢いで言った為自分でもどうかと思う内容ではあったが、謝れた事で心に燻っていたものが多少軽くなった気もした。しかし、数秒たっても成瀬さんからの返答は無く、依然電話口からは沈黙が流れ込んでくる。その沈黙に耐えられなくなり、呼び掛けを行おうとした時、電話口から笑いを堪えるような声が聴こえてくる。
「な、成瀬さん?」
『ふ、ふふふ。ご、御免なさい。あはは。少し
、可笑しくて。』
「え、えー?何か変だったかな?」
『い、いいえ。そういう訳ではないのだけれど。…………もう大丈夫よ、御免なさい突然笑ったりして。』
遠くで咳払いの音のようなものが一度聞こえたかと思うと、先程の楽しげな雰囲気は霧散し、何時もの成瀬さんに戻っていた。
「あはは、大丈夫。気にしないで」
珍しい一面が見られた……気がする。こんなに無邪気に笑う人だと思わなかった。笑われた筈なのにそれを喜ばしく感じてしまう僕は、少し変なのかも知れない。
「それで、どうして電話をしてきたんですか?」
『そうだったわね。実は、今日一緒に夕飯でもどうかと思って電話したのよ』
「へ?……うえぇ!?」
『そんなに驚くこともないでしょう』
「そりゃ驚くよ!だってーーー」
ーーーふ、2人でなんて!友達になったからといって僕にはハードルが高すぎる!どうすればいいんだぁぁ!?
そんなこんなで頭を抱えながら悶えていると、
『?……貴方が何を考えこんでいるのか良く分からないけど、"鐘月さん達"はもうお店に集まっているみたいだから、もう食べてしまったとかなら無理に来る必要はないわよ?』
「………」
ありがとう成瀬さん。僕の悩みを解消してくれて。
『どうかした?』
「いや、大丈夫。まだ食べてないから行くよ」
パスタは無駄になっちゃうけど折角のお誘いだし、学校でのこともあるから丁度良かったかも。
『そう?それなら良かったわ。お店は鐘月さんのご実家のラーメン屋さんらしいから、どうせなら案内も兼ねて一緒について来てくれると助かるのだけど。どうかしら?』
「うん、いいよ。待ち合わせはどこにする?」
『そうね。それじゃあ一度学校の正門前に集合で大丈夫?』
学校か。鐘月の家がある繁華街は学校から歩いて5分くらいだから、少し話ながら行くには良い距離だ。
「分かった。そういえば成瀬さんの家から学校まで、どれ位掛かりそう?」
『歩いてだと、おおよそ10分程度だと思うわ』
「そうなんだ。僕もその位だから待たせるなんて事はなさそうだね。それじゃあ学校で」
『ええ。それと、夜道にはくれぐれも気を付けて』
僕が言葉を返す前に通話は途切れてしまう。
成瀬さん、それは男である僕が言うべき言葉だよ。
成瀬さんと話していた時間が楽しいものであったからか、一人暮らしの静けさの中、今まで感じたことのない少々の寂しさを覚える。
「……さて、さっさとパスタを片付けて行きますか!」
そんな自分に軽い発破をかけるように、部屋に声を響かせた。
ガスも良し、コンセント良し。準備出来たし行くか。
待たせるわけにはいかないので、片付けや準備を5分ほどでパパッと済ませ、靴を履く。
「行ってきます」
そう言って鍵を閉め、月が通路を照らす中、気持ち足早に階段で階下へと急ぐ。1番下まで辿り着き、軽く伸びをする。すると、綺麗な星空が目に入った。
「うん、今日も良い星空だ」
4人で食事をするのが楽しみなのか、気分が良い。浮かれた気分のまま、道中に成瀬さんと何を話そうかと考えながら歩き出した。
僕がその異変に気付き始めたのは、歩いて5分ほどのことであった。
ーーー歩き始めて5分ほど経ち、僕はある不安感に苛まれていた。
「人の気配が全くしない……」
先程から人の姿を見ていなかった。ここは住宅街だ。しかも時間は夕飯時。今頃の時間だと仕事帰りのサラリーマンなどの姿がチラホラ見える頃でもある。それが今日は全く姿を見ていなかった。
それだけなら、こんなこともあるものか。と思うものだけど……。
「明らかに、おかしい…よね」
街灯も点いてる。周りの家にだって多く明かりがある。何も不安に思う事は無い筈なのだ。なのに、まるで"ここらへん一帯の時間が止まったかのような"そんなおかしな感覚に陥る。
「な、何か嫌な感じだなぁ。早く学校に行こう」
そう思い、足早に先へと進もうとした時だった。
「何、だよ。あれは……。あんなの、今までいなかった、よな?」
20メートル程先……そいつはーーいや、"それは"突如として道路の真ん中に立っていた。それは一見、人の形をとっていた。しかし、この距離からでも分かる人とは思えない程の体躯。距離と暗さでどういった顔をしているかは分からないが、その立ち姿は映画などである狼人間を連想させる。
そしてそれは、僕の存在に気付いたのか、将又元々気付いていたのか、ゆっくりと…僕の方へと歩みを進めてきていた。