捕食者
「捕食者……それがアイツらの名前ですか」
沢渡先生は神妙な顔で頷く。
「そうだ。奴らは1年前に突如として現れ、今までに数多くの犠牲者が出た。因みに成瀬、瀬乃にはどの程度まで教えているんだ? 異能のことを教えたんだ。捕食者についても多少なり教えているのだろ?」
成瀬さんの方を向いてそう言った沢渡先生だったが、返事は返ってこない。聞いた事を整理していた俺は、しばし遅れてそのことに気付き成瀬さんの方を向いた。
成瀬さんは視線をやや下の方へ下げ、そしてその視線の先はまるで遠くの彼方でも見ているようだった。だけどあまり良いものは見ていないのか、形の綺麗な眉根はやや寄っていた。そんな姿が、雰囲気が声を掛けることを良しとしなかった。そんな中、
「おい成瀬、聞いているか?」
沢渡先生が口を開く。その声は先程のものよりもやや厳しいものだ。それに反応したのか、成瀬さんも弾かれるように視線を上げた。先程までの雰囲気は見事に霧散している。
「その、すみません……何でしょうか?」
「……瀬乃に捕食者のことについては何か教えたのかと聞いたのだ」
沢渡先生は、バツの悪そうにしている成瀬さんに今度は幾分柔らかくそう答えた。まるで成瀬さんがこうなることは分かっていたような雰囲気だ。
少し引っかかりは覚えるが、今考えることではないかと直ぐに思い返す。そして、成瀬さんがおずおずと、その口を開いた。
「は、はい。捕食者については確か……1年前に世界各地で現れたこと。人間のみを対象として捕食すること。そして、捕食された人間はその存在していた記録がすべて無かったことにされる。ですが、異能者に限ってはその人間が存在したという記憶が全て保持され続ける……と。確かそこまで話をしたかと思います」
「なるほど。では抜けている所をまず補足していくとするか……瀬乃、今成瀬が言った中で補足する点が1つある」
「補足する点……ですか?」
沢渡先生が大仰に頷く。
「ああ。奴らの捕食する対象についてだが、確かに人間で間違いはない。だが、それは"特殊な人間に限る"」
特殊な人間……ということはつまり。
嫌な予感が急激にせり上がってくる。視野が狭くなる感覚に陥りながら、俺の耳にその続きが入った。
「つまり、我々のような"異能者"が対象となるという事だ」
やっぱりそういうことか。でも、と言うことは……
ふと、学校で誓った自身の決意を思い出す。自身の胸の内で鐘月に対して誓ったあの思いを。
"日常に帰す"……この思いに意味なんてものは無かったということなのだろうか。
沢渡先生の言うことが本当だとしたなら結局の所、俺が奴らに喰われようが喰われまいが鐘月は助かったという事なのだから。例え俺があの時、喰われていたとしても鐘月は日常へ帰れたのだろう。
捕食者は鐘月を狙わない。そして俺が存在したという証は……俺が"日常を生きた"という証は全て無くなるのだから。だとしたら……俺がここでこうしている事に意味はあるのだろうか。駄目だ、これ以上考えては。
自身の根底にある一本の柱にヒビが入った。そんな気がした。
そうだ……つまるところ、
「俺の決意には何の意味も無かったということなのかな……」
「ん?何か質問でもあるのか?」
「え!?あ……いえ、大丈夫です」
自嘲気味に溢れてしまったその言葉は、どうやら沢渡先生の耳には入らなかったらしい。
良かった……聞こえていなかったみたーーー
「意味の無い決意なんて、ないわッ……」
絞り出すような声が聞こえた。本当に、本当に小さな呟きだった。だけど、隣に座っているからだろうか。確かにその声はオレに届いていた。もしかしたら、俺にだけ聞かせたかった言葉だったのではないかと、そんなありもしないことを考えてしまう。でも、
そうか。俺の決意は意味があったのか……
そう感じてしまう程に、真に迫った言葉だ。だからこそ感じ取れる。恐らく、成瀬さんにもなにか秘めた決意があるのだろう。俺なんかよりも、ずっと重い決意を。それを考えた瞬間、心の中に、何かやるせないものが渦巻く。その正体に近付こうと思考を深く潜らせようとした所で、
「瀬乃!」
肩が飛び上がり、思考も浮上する。いつのまにか下を向いていたらしい頭を上げると、そこには"鬼"がいた。
「お前、自分の生死に関わることだというのによく寝ていられるなぁ?自分が死ぬわけないからと鷹でも括っているのか瀬乃?」
あまりの恐ろしさに、首が阿修羅像のようになるくらいに首を振って全力で否定する。
やはり雰囲気が変わっていても、沢渡先生は沢渡先生だ……怒らせてはいけない。いや、別に意図して怒らせた訳ではないのだけども。
沢渡先生はため息を吐くと、胸ポケットから何かを取り出そうとするが、気付いたように僕らを見るとすぐにしまい直し、そしてその手を、今度はすっかりぬるくなってしまったであろうコーヒーに付け、ひと口飲むと、気を取り直すかのように再度ため息を吐いた。
「まぁいい、それよりも続きを話す……今度は寝るんじゃない。良いな?」
「は、はい」
まぁ別に寝ていた訳ではないのだが、下手に言い訳しようものなら今度は鉄拳でも飛んで来そうなものだ。
「奴らは異能者の付近に突然現れ、襲う。だが、《解放》前に襲われる者は殆どいない。お前は数少ない例外だ。どういう訳かはさっぱり分からん。そういう分析は俺の担当ではないしな。まぁ、運が悪かったとでも思っておけ」
その投げやりとも言える言葉に思わず脱力してしまう。
何にでも几帳面な印象があったけど、意外と適当な面もあるんだな、この人。
「そしてお前も経験しただろうが、奴らは襲う時、いわゆる"結界"のようなものを張る。いや、正確には襲う時ではないな。奴らの出現と同時に結界のようなものが張られる……と言った方が正しいか。ともかく、それが張られると中からは一切出る手段が無くなる。だが、外からは何の障害もなく中へと侵入することが出来る。つまり、あれは罠みたいなものだ」
「なるほど……でも、何の障害もなく入ることが出来るなら異能を持たない一般の人も普通に入ってきますよね?俺、1番最初に住宅街で襲われた時に、人っ子ひとり見ませんでしたよ?」
まぁ、たまたまだと言われてしまえばそれまでだが、気にはなる。
「ほう、良いところに気が付いたな。確かに一般人でも中に入れる。それは間違いない。だが奴らの張る結界には、都合の良いことに一般人を遠ざける何かがあるらしい。それが人間の、いわゆる第六感に強烈に働きかけ、無意識に結界を避けるようにさせている……と本部からは報告が来ている。だが、人間の第六感といわれている未発達な感覚に働きかけている、と言われた所で信憑性は薄いと思うがな。後の特徴としては、防音に結界の外から見た中の光景の隠蔽……とまぁ、あの結界は奴らからしても、勿論こちらからしてもかなり都合の良いモノになっているということだ」
確かに都合が良すぎる。こちらとしては一般の人に副次的な被害は出したくない。そして奴らは異能者を狩る為の檻が欲しい。実に良く出来てると思う。出来すぎなくらいだ。ただこれは、
一般人にとってこそ都合の良いシステムだと思うのは、考え過ぎだろうか。
そんな事を考えながらも、俺はそれとは別に沢渡先生が言っていた、ある単語が気になっていた。
確か今、"本部"からは報告が来ているとか何とか言っていたよな?ここが本部じゃないのか。いや、良く考えれば当たり前か。被害は世界各地だ。だとしたら、規模を考えても日本にいくつかの拠点がなくては意味がないのだろう。
このことについて聞きたいという欲求はあったが、組織についても教えると沢渡先生には言われた事を思い出し、その欲求を抑える。
「そして、奴らの最大の脅威についてだが」
「捕食、ですよね」
「いや"違う"」
「え?でも、あれ以外に何か目立ったものは無かったと思いますけど……」
「そうか?お前も嫌と言うほど体験した筈だがな」
嫌と言うほど体験した?
そう言われ、少し頭の中で先程の死闘を思い返してみる。客観的に、そして冷静に思い出す。そうして、
そうか……これは、確かに異常で最高に最悪な代物かも知れない。
「……もしかしなくても、"成長速度"ーーってことで良いんですよね」
思い出されるのは、最初はこちらが圧倒していたにも関わらず、一合一合ごとに迫られ、最終的には上回られたという恐怖さえ覚える逆転劇だ。冷静になって考えてみれば、あれはどう考えても異常だった。
「成長速度、と言うよりは"吸収速度"と言うべきかも知れんが、概ねその認識でも間違いではないだろう。そう、奴らの最大の脅威はそれだ。奴らとの戦いが長くなるほど、奴らは相手の動きから身体の動かし方、そして戦い方を真似て吸収する。それも異常な速度でな」
そうか、あの時に急に動きが人間臭くなったのはそういうことだったのか。
要するに、俺に追い付く為の速度を擬似的に神経系や筋組織を作ることで可能にし、動きは俺の身体の動かし方を見て対応したのだろう。あの不定形、そして自由自在な粘性だからこそのものか。それでも何故そんな事が可能なのか、疑問は尽きないが。
沢渡先生は、溜め込んでいたものを一度吐き出すようにため息を吐くと、話を続けた。
「それに、それが最大の脅威だとは言ったが奴らの脅威はそれだけではない。まず、奴らのゴムのような弾性を持つ身体。あれには、おおよそ打撃の類は効かない。全て衝撃を散らされる。そして……何故か奴らは、"我々のような異
能者からの攻撃でしか倒す事は出来ない"」
「それって、どういうことですか?」
「どういう事も何もそのままの意味だ。つまり、異能を持たない人間は奴らに少しの傷すらつける事は出来ない。何故なら、そもそもその攻撃がすり抜ける。真正面からブン殴ってもな。だというのに、奴らからの攻撃はこちらに通るのだから足手まといも良いところだ。更に言うとーーー」
「まだ、あるんですか?」
この時点で如何に捕食者がどれだけの脅威となり得ているのか、それをもう嫌と言うほどに理解した。正直に言ってもう聞きたくない。
「ああ、あるぞ。俺も、もう口にするのは一回だけにしたいからな。死にたくなければ覚えておけ。それでだ、異能者からのものだったとしても遠距離からのも駄目だ。異能者の手から離れている攻撃は全て一般人のそれと同じ結果になる」
とまぁ、こんな感じだ。と最後に付け足すと、沢渡先生はカップに入っているコーヒーを全て飲みきった。そうして俺も、思い出したかのようにコーヒーの入っているカップを手に取り、口を付ける。そうして思わず顔を顰めた。
不味い……。
すっかり冷め切ってしまっていたコーヒーは苦味、そして酸味が強くなっていた。それのせいか、正直美味しくない。まぁそもそもコーヒーなどあまり飲まない所為もあるのだろう。でも、こんな話を聞いたのだ。このくらいのほうが丁度良いのかも知れない。ふと、壁に掛かる時計を見る。
時刻は午後10時。夜はまだ長そうだった。