過去と未来の為に
自分のことながら、何も良い案が捻り出せないこの頭の中をかき回してやりたい衝動に駆られる。しかし、先程まで気にする程でもなかった悪寒が少しずつ強くなっていることから、余り時間にも余裕がないように思える。取り敢えず動かないと。
先ずは、鐘月にはここで待ってもらおう。その為にはーーー
「え!?ない!しまったなぁ……」
いかにも何か探していますという感じでポケットに手を入れ、困った振りをする。
「どうしたの、照夜。何か忘れ物でもした?」
「うん。教室に携帯を置いてきたみたいだ……」
「え!?それは不味いよね。急いで取りに行かないと」
「うん。だから僕、ちょっと教室まで行って取りに行ってくるから、ここで待っててくれないか?」
すると、露骨に鐘月がソワソワし始める。
「い、一緒に行くよ。こ、ここで一人はちょっと嫌かなぁ、なんて」
「そ、それは分かるんだけどね。えーと……ほら!さっきは仕方なかったけど、見回りの人に見つからないようにしなきゃだから、一人の方が動きやすいしさ。それにすぐ戻って来るから」
だから待っていてくれないか。と手を合わせる。
「……分かった。じゃあそこまで言うなら待ってるけど、お願いだから早く戻って来てよ」
「うん、分かってる。じゃあ、ちょっと行って来るよ」
寂寥感を滲ませた鐘月の言葉になるべく明るく返事をして、僕は軽く走り出した。
鐘月と離れると、月明かりはいつのまにか隠れていた。その代わりと言わんばかりに、薄暗い非常灯が廊下を淡く照らす。しかし、逆にそれが耐え難い程の不安を僕に植えつけていく。
「まだ、遠い。大丈夫。落ち着かせるんだ」
自分にそう言い聞かせる。情けないと分かっているが、そうでもしないと日常に戻りたくなる。しかし、それだけは出来ない。目を逸らす事が出来ない程にまで、僕はもう浸かってしまった。それでもなお逸らすなら、溺れてしまうしか無いない。
途中、掃除用具入れから木製のモップを手に取りなるべく根元から折る。握りを確かめて、軽く振る。
即席の武器……ですらないような代物だけど、多分無いよりはマシだろう。
階段に足を掛ける。一度遠ざかったはずの悪寒が段々と戻っていく。近付いている証拠だ。それに合わせ、心臓は早鐘を打つ。多分、もう近い。二階に上がってすぐのこの角を曲がれば、その先にいるだろう。万全を期す為、角から顔を覗かせて様子を見る。
「ーーーえ?」
前方の視界は暗闇に包まれていた。今まで見えていたものは何も見えない。言いようも知れない不安から急激に冷や汗が伝い、咄嗟に後ろへと思い切り下がってしまう。
結果的にそれが、事態の明暗を分けた。
目の前を暗闇が通った。そう表現するしかない。隠れていた月明かりが再び照らし出す。月明かりに照らされたその暗闇は、下ろしていた頭と思しき部分を億劫げに持ち上げる。
ヒュッっと、渇いた喉から掠れた音が鳴る。突然の出来事に呼吸が上手く出来ない。
死んでた……。今ので間違いなく消されてた。感覚ではもう少し先だと思ってのに、まさか目と鼻の先にいたなんて!こんな感覚信じるんじゃなかった!
知らずと奥歯を噛み締めていた。こんな感覚に縋ってしまった自身への怒りが、無意識的にそうさせていた。予定外の事態に、パニックが起きそうな頭の中をその怒りでどうにか抑える。
取り敢えず動かないと。このままじゃ不味い!
でも階段は使えない。恐らく追いつかれる……だったらーーー
「脇を……抜ける!!」
しゃがみの体制から、足のバネを思い切り利用して走る。頰の辺りで何かが横切るような感覚がしたが、足が竦む前にそのまま転がるようにして、脇を抜ける。
「行けた!」
大胆な行動を実行できた自分に驚きつつ、背後を振り返る。
距離は離れていない。しかし縮みもしない。一定の距離を保ちながら、ソレは追ってきていた。
よし!好都合だ。このまま引き付けるとして、何処まで引き付ければ……。あんまり悠長に考えてもいられないぞ。廊下は狭すぎるし、教室だと物が多すぎる。どうすればーーーいや、そうだ!あそこがあるじゃないか!
「こっちだ!ついて来い!」
何故だか今なら駆け上がれる気がした。階段を無我夢中で飛ばし飛ばしに上がる。
階段を上りきった先の扉を勢いよく開け、そのままの勢いで中心まで走ると、扉の方へと振り返る。僕たちがこんな状況なのにも関わらず、三日月は白く光り輝いていた。乳白色に塗り固められたコンクリートの床に、最近新しく緑色に塗装されたばかりのフェンスで囲われたこの場所は"屋上"だ。
「ーーーッツ!来た……」
向こう側から押し出されるように入ってきたアイツは、不定形な身体を人間に近い形に象ると、またゆっくり此方に歩みを進め始める。
ここからだぞ、瀬乃 照夜!このどうしようもなく絶望的な状況を覆せなきゃ、僕自身の過去と未来は無かったことになってしまう。僕だけじゃない。鐘月もだ。
僕は力が入れられるように、意識して拳を思い切り握る。しかし、右手に何か違和感を感じる。
「あ……」
右手には折ったモップが握られていた。握っている手は、白くなってしまっている。
僕は、棒を持っていることすら気付かない程に張り詰めていたんだ。
それを再認識して、何だか可笑しくなってくる。だから僕はーーー
「やってやる。"俺"の望んでいたものの為に!」
"俺"はーーー前へと一歩を踏み出した。